そろそろ中央線に戻ろうか [北尾トロ 第31回]
金がないときは食べない。これがぼくの学生時代からの節約方法だ。食事は日に一度。阿佐田哲也の麻雀小説の真似をして、表面が真っ赤になるほど七味唐辛子をかけて立ち食いそばを食べれば、しばらくは胃が何も受け付けなくなる。家では米 [...]
金がないときは食べない。これがぼくの学生時代からの節約方法だ。食事は日に一度。阿佐田哲也の麻雀小説の真似をして、表面が真っ赤になるほど七味唐辛子をかけて立ち食いそばを食べれば、しばらくは胃が何も受け付けなくなる。家では米 [...]
新橋にあるリクルートの『とらばーゆ』編集部に打ち合わせに行き、帰ろうとしたときに声をかけられた。
「増田くんじゃない、元気?」
村上麻里子さんだった。村上さんはかつて『ポンプ』という雑誌の事務局にいた人である。この『ポン [...]
アガっていたとしか言いようがない。ぼくの歌とまっさんのベースが先へ先へと暴走を始めたのだ。おかもっちゃんが引き戻そうとするが、どうにも修正できず。間奏時の動きも壊れたおもちゃ並である。しかも、叩いていたリズムパッドが曲の [...]
また夏が近づいていた。およそ一年前、荻窪のマンションに引っ越したのは夏真っ盛りの頃。
2DK風呂付きで家賃は6万5千円と格安だったが、なにしろクーラーがついていないのは辛かった。ぼくは暑さには弱いのだ。
それまで住んでい [...]
町田の居候中、ぼくのところへはひんぱんに人が出入りし、なんだかんだと理由をつけては飲み会をやるようになった。ホームパーティーみたいなシャレたものじゃなく、ただ集まってがやがやと飲み食いする集まり。外でやるよりはるかに安上 [...]
僕らは、バンドを組んで、30歳になるまでライブをやるという目標ができた。とはいえ、時間はあまりなかった。なにせ伊藤ちゃんは半年後の1月23日で30歳になってしまう。急がなければ……。
そんなわけで、岡本くんを伊藤ちゃんが [...]
思わぬ方向に話が膨らんできた。まっさんや岡本君と、バンドをやろうと盛り上がってしまったのだ。
何気なく口にした言葉が引き金となり、新しいことが始まる。そんなことはしょっちゅうだけど、思いつきで動く悲しさ。一時の興奮が冷め [...]
1987(昭和62)年、4月1日に国鉄が民営化され、JRグループとなった。<スキー田舎紀行>の取材をした3月はまだ国鉄だったが、原稿を書くときには「JR」と表記したのを覚えている。
ひとりで国鉄に乗って取材に行く<スキー [...]
1986年の2月のことだった。
「ちょっといいかな?」
いつもの学研「ボブ・スキー」編集部で、ライターの細島くんに呼び止められた。
同年代の細島くんは、いつもスポーツタイプの自転車で編集部へやって来る、細マッチョで色黒な [...]
29歳の誕生日はスイスに向かう機内で迎えた。誕生日のことなど忘れていたら、航空会社からチョコの詰めあわせをプレゼントされたのだ。おかげでひとりきりの心細さがいくらかは和らぎ、注がれたシャンパンでぐっすり眠ることができた。 [...]
久しぶりにパインの事務所に顔を出すと、事務所のレイアウトがすっかり変わっていた。
右手の壁際中央にパインのデスクがあるのは変わらないが、以前は全てくっつけて置かれていた他のデスクが、それぞれ離れて部屋の隅に配置されていた [...]
クリスマス返上で仕事を終えると年内の予定はなくなる。妹の帰省に合わせ、1年ぶりに実家に顔を出すことにした。母は弟が経営する菓子舖を手伝っているので、ぼくも駆り出され、職人さんと一緒に鏡餅づくりをしたり配達に出たりでけっこ [...]
荻窪の田辺ビルは、夏は暑く、冬は寒かった。夏の暑さは単に部屋にクーラーがなかっただけだが、冬はガスストーブやコタツがあっても底冷えがした。
だから冬は一日中コタツから出られなかった。仕事もコタツ、食事もコタツ、テレビを見 [...]
妹と暮らすようになって、生活が急に落ち着いてきた。朝は物音で起き、二度寝しても昼前にはベッドを抜け出す。作り置きの食事を済ませたら仕事にかかる。とはいえ集中などできないので、自宅で最低限のことをして、本格的に書くのはボブ [...]
西暦で1986年、昭和でいえば61年、僕の仕事は前年より確実に忙しくなっていた。レギュラーの仕事が『とらばーゆ』『BIG tomorrow』に加え『ボブ・スキー』で三つになったからだ。いずれも伊藤ちゃんに紹介してもらった [...]
ボブ・スキー編集部は大田区にあり、僕の住む吉祥寺からは井の頭線で渋谷へ出て、山手線で五反田まで行き、さらに池上線に乗り換えなければならない。最寄り駅からも徒歩で15分かかるので、到着まで1時間半近くかかる。夏以降、編集部 [...]
スキー雑誌の取材に出かける前日、神保町にあるスキーショップで、ウエアの上下とバッグを買った。全部で2万円弱だったろうか。プライベートでスキーに行くことは有り得なかったので、なるべくスキー以外でも使えるものを選んだ記憶があ [...]
福岡さんが編集長を務める雑誌は「bob SKI」(ボブ・スキー)と誌名が決まった。まったく意味不明な名称である。福岡さんに尋ねても「なんとなく、ノリでね」という説明。兄弟誌のテニス雑誌が「T.Tennis」(ティー・テニ [...]
前回、北尾トロが書いたスキー合宿の顛末を、僕は全く忘れていたのだが、読んでいたらいろいろ思い出した。
この合宿だけれど、伊藤ちゃんこと北尾トロから誘われたのは、仕事というよりは遊びであったと思う。
といってもスキーなんて [...]
「じゃあ、ゆっくりボーゲンで滑るから、ぼくの後ろからついてきてくれますか。さっき教えた通りにやれば大丈夫ですから。行きますよ!」
副編集長の田辺さんが先頭に立ち、初心者用のなだらかなゲレンデを、これ以上ないほどの低速で滑 [...]