2010-05-17

事務所がギクシャクし始めた [北尾トロ 第24回]

妹と暮らすようになって、生活が急に落ち着いてきた。朝は物音で起き、二度寝しても昼前にはベッドを抜け出す。作り置きの食事を済ませたら仕事にかかる。とはいえ集中などできないので、自宅で最低限のことをして、本格的に書くのはボブ・スキーの編集部に行ってから。帰りはたいてい深夜だ。家賃が高くなった代わりに掃除や洗濯はしてもらえるのでラクなのだ。

新宿にあるオールウェイの事務所に顔を出す頻度は激減した。ぼくの仕事のメインはボブ・スキーになっていたし、それ以外の仕事も知り合いを通じて得た取材ものが大半である。PR雑誌の店取材などでは増田君とコンビでやっていて、一方が執筆、一方が撮影と役割を分担した。クルマで出かけて1時間ほどで取材を終わらせるのだが、それでも半日はつぶれる。ギャラが全部で1万円といったものなので割に合わない仕事だけれど、気分は遊びなのでそれでも良かった。

一緒にいる時間、増田君とずっと喋っていたわけだが、話題はいくらでもあり、お互いの仕事に関してはあまり突っ込んだ会話にならない。だから、増田君が『BIG tomorrow』をレギュラー仕事にしていることは知っていたけど、どれほど時間を割き、どれだけギャラをもらっているかなんてわからなかった。一緒に遊べるってことは、毎月食べていけるだけの収入があるということなので、それで良かったのだ。

増田君はときどき「伊藤ちゃんに紹介してもらったおかげだよ」と言うのだが、ぼくにしてみれば、苦手な仕事を引き受けてもらって助かった気分だった。ぼくにとっては苦痛でしかない『BIG tomorrow』のデータマンを、増田君はラクにこなすことができるのだ。月に20万以上ももらっていたとは知らなかったが。でも、同じ仕事をビジネスマンの知り合いが少ないぼくがやったら10万円がいいところだろう。取材のアポイントを取るだけでも、電話嫌いなぼくにとってはやっとの思い。原稿書きは好きだがインタビューが不得手なぼくからすれば、見ず知らずの相手からさくさくコメントを取ってしまう増田君は特殊な能力の持ち主に感じられたものだ。

それでもたまには用があって事務所へ行く。すると、しょっちゅう出入りしていたときには気づかなかったことに敏感になる。毎日顔を合わせていると変化がわかりにくいが、ときどきだと太っただの痩せただのに気がつきやすくなるようなものだ。ひとことで言えば、オールウェイはだんだん雰囲気が悪くなってきていた。

もともと我の強い連中が集まった寄り合い所帯である。パインが駆け出し連中に仕事を供給しているうちは確固たるボスの立場でいられたが、各自が自分で仕事を取ってくるようになったものだから、誰が何をしているかもわからないし、頭を下げてパインの世話になる必要もなくなってくる。

金額の差はあったとしても、それぞれ収入に応じた分担金を出し、共同事務所としてスタートしていたら歪みも生じにくかったかもしれないが、メンバーを揃えるために家賃や経費はオレが出すと言ったものだから、他のメンバーは金銭負担がない代わりに事務所を活用しにくいのだ。仕事がないわけじゃない。パインの元へはこなしきれないほどの依頼がある。でも、この時期のパソコン雑誌やムックは、素人でもなんとか書ける低レベルのものから、急速に専門性を求められるように変化しつつあった。以前のように、手取り足取りぼくなどに教えても役に立たない。勢い、パインは事務所メンバー以外のテクニカルライターと呼ばれる専門知識を備えたプロに発注せざるを得ない。逆に、ぼくたち若手は自分のことで精一杯で、パインが喜ぶような仕事を振る余力はない。たまにあったとしても、パインは常に忙しいから片手間に参加するのがせいぜい。

そうなると、鈍い若手陣といえど、パインはこの調子でパソコンをメインにやっていくつもりなんだなとわかってくる。じゃあ、何のために自分はここに通ってるのか。原稿なら自宅でも書ける。ムックを丸受けするような仕事なんてしてないし、したいとも思わないから、都心に事務所があるメリットなどないに等しい。

パインはシステムを変更したがっていた。前述のような経緯があるのでガマンしているけれど、内心では「なんでオレがみんなの電話代まで払わなければならんのか」と思っている。他のメンバーも「なんでオレは必然性もないのにここにきて、パインにかかってくる電話を取り次いだりしなきゃならんのか」と思い始めたが、世話になってきた手前、口に出せない。たまにオールウェイに行くと、そんなギクシャクした空気を感じてしまうのだ。

ぼくはパインからその場にいない人間の悪口を聞かされるのがイヤだった。めったにこない伏木君のことはボロカスに言うし、増田君や坂やん、三角さんについてもチクチクと不満をもらす。ぼくはなるべく聞き流すようにし、長く続くようだと外に出た。プライベートな電話を事務所でかけると、あとからどう言われるかわからないから、公衆電話を使う。やれやれ、疲れる。

「パインは社員を雇って本格的に編プロを作ればいいんだよ。あの人はそうしたいはず。でもぼくたちは社員になる意志がないし、パインが望む能力も持ってないでしょ。それでイラついてるんだと思うよ」

最初から、パインとは距離を置いてつきあってきた増田君は、よくそんなことを言っていた。ぼくもそうだと思う。でも、居候までさせてもらっておきながら、こちらからパインを見捨てるように去ることをするのは裏切るようで気が進まなかった。円満にオールウェイを抜けるにはどうしたらいいだろう。

はっきりしないまま秋が深まり、年末が近づいてくる。そんなある日、増田君と食事に行ってパイン問題を話した。

「パインはいない人の悪口をよく言うんだよね。言いたいことがあるなら、本人に直接ぶつけて欲しいよ」

ぼくがこぼすと、増田君がうんうんと頷いた。

「伊藤ちゃんがいないときは、事務所の使い方が荒っぽいとか、大雑把で気が利かないとかしょっちゅう言ってるもんね」

え、ぼくにも不満があるのか。そんなこと、面と向かうといっさい言わないのに。いっぺんみんなで集まって、パインがどんなふうにそれぞれを評価しているか情報を寄せ合ったらおもしろいかもしれない。

その機会は間もなくきた。三角さんが、うちでクリスマス会をやろうと言い出したのだ。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

このエントリへの反応

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