2010-05-24
クリスマスイブの出来事 [下関マグロ 第25回]
荻窪の田辺ビルは、夏は暑く、冬は寒かった。夏の暑さは単に部屋にクーラーがなかっただけだが、冬はガスストーブやコタツがあっても底冷えがした。
だから冬は一日中コタツから出られなかった。仕事もコタツ、食事もコタツ、テレビを見るのもコタツだった。
ある夜、やはりコタツに入りながらテレビをつけたら、三冠王を3度も取った落合博満が、ロッテから中日へトレードされるというニュースをやっていた。落合ひとりに対し中日からは牛島和彦をはじめ4人の選手、つまり1対4のトレードであった。
へえ~、落合っていうのはすごい選手だなぁ、と思って見ていたら、電話のベルが鳴った。僕はテレビのボリュームを落として受話器を取った。
「まっさん? 伊藤だけど」
おなじみの声である。この頃、僕は周囲の人間から〝増田くん〟ではなく〝まっさん〟と呼ばれるようになっていた。
メールも携帯もなかった当時、僕も含め多くの人たちが、レジャーとして長電話を楽しんだ。一度電話がくると、なかなか切らずにダラダラと世間話をするので、時には「まっさんのとこに電話してもいつも話し中だよ!」と怒る人もいたが、それはキャッチホンを導入することで解決された。
「まっさん、明日空いてる?」
伊藤ちゃんも長電話がしたくてかけてきたのかなと思ったら、そうではないようだった。そして、「明日」というのはクリスマスイブであった。
僕にはつきあっている女性もおらず、クリスマスイブといっても予定はなかった。この年は多少仕事に困らなくなり始めていたが、出版業界では年末が近づくと、原稿書きの仕事もそんなになくなる。
「仕事なんだけど、やる?」
「もちろん、やるやる!」
即座にそう答えた。毎年のことだったが、山口県の実家へ帰省しようにも、先立つものが乏しく、暇を持て余していたのだ。
「三角ちゃんから仕事を手伝ってくれって電話があってさ、手が足りないらしいんだ」
仕事内容は、ムックで紹介する製品のキャプション書きらしい。当時の僕は、こういう仕事をわりとよく引き受けていた。
編集がメーカーから製品を借りてくる。それをカメラマンがどんどん撮影。僕たちはその写真を見ながら、メーカーのパンフレットを参考にキャプションを書いていく。誰でもできる簡単な仕事だ。しかし納期まで時間がないケースが多かった。だから手分けしてみんなでやる必要があるのだ。
オールウェイで経理のようなことをやっていた紅一点の三角さんは、次第にライターの仕事もやるようになっていた。それは、僕が広告営業の仕事からライターにシフトしてきたのに似ている。僕もそうだったが三角さんも、そのとき既に、オールウェイと関係のないところでもライター仕事をするようになっていた。
翌日、すなわちクリスマスイブの昼過ぎ、僕は伊藤ちゃんと私鉄沿線の駅で待ち合わせ、三角さんのマンションへ向かった。三角さんの家に行くのは初めてだった。そこはとても古いマンションというかアパートで、坂やんが先に来ていた。
まずトイレを借りたら、木の箱が頭上にあった。そこから出ている鎖を引っ張ると水が流れるレトロな水洗で、年代を感じた。しかし、部屋は結構広くてきれいだった。真ん中に大きなテーブルがあり、そこを囲んで4人が黙々とキャプションを書き始める。
僕はときどき集中力がきれて、みんなに無駄話をふった。
「そういえば、Y子ちゃんはどうしてるの?」
若くて美人の女の子ライターの名前を出した。
「最近、連絡を取ってないね。そういえばあの子は?」
他にも何人か、僕たちのまわりにいた女の子の名前があがった。
「そういえばさ、オールウェイとか俺たちのまわりってさ、メンバーが男ばかりで、女の子って、やって来ても居着かないね」
僕がそう言うと、坂やんも伊藤ちゃんもアキラメのため息をついた。
が、三角さんだけは、なにか言いたそうだった。僕はそれを見逃さず、三角さんに問いただしてみた。
「それはね、パインが原因なのよ……」
パインはオールウェイに美人がやってくると、ほぼ見境なく猛烈アタックし、つきあいはじめる。しかし、どの子とも長続きせず、別れてしまう。そうなると、女の子のほうは、もう事務所には顔を出しにくくなってしまう。
「私が知ってるだけでも3人いるかな。そのうち1人は私が紹介した人なんだけど」
それが、三角さんが僕らに明かしたオールウェイの裏事情だった。パインの女グセの悪さには、僕らも薄々気がついてはいたけれど……。
「そんなことじゃ、俺らだって、女の子を連れて来づらくなるよね」
伊藤ちゃんがそんなことを言い、次第にみんなの口からオールウェイやパインに対するグチが噴出した。
「そろそろ潮時かな……」
ふだん口数の少ない坂やんまでもが、そんなことを言った。
少し暗い雰囲気になったところで、三角さんが冷蔵庫からケーキを取り出してきた。
「ほら、きょうクリスマスイブでしょ、買っといたのよ」
三角さんの心遣いに、男性陣は顔がほころんだ。
クリスマスケーキはごく小さなものだったけれど、ろうそくがついていた。部屋の灯りを消して、ケーキに4本のろうそくを立てる。
「じゃ、願い事でもして、ろうそくの火をみんなで吹き消しますか」
僕がそう言うと、
「それは、誕生日でしょ」
と坂やんが冷静にツッコミを入れた。
ともあれ、僕は心の中で、来年はライターとして生計が立てられますように、と祈った。
三角さんが、「せーの」と言い、僕らは一斉にろうそくの火を消した。暗闇が訪れ、すぐに部屋の灯りがつけられた。
「さあ、仕事、仕事」
分け合ったケーキを食べて、僕らは徹夜で仕事をした。
この連載が単行本になりました
さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。
著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
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