『エロスの原風景』ができるまで/松沢呉一インタビュー05/エロ本を集めることの悲哀
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江戸時代〜昭和50年代後半のエロ出版史を概観する『エロスの原風景』。
遠からず消えるであろうエロ本だからこそ、残しておかなくてはならないのだ。
●エロ本を集めることの悲哀
──それだけの数があっても、けっこう中を読んでますよね。
「コレクター気質だから集めているということもあるんですけど、ライターにとっての資料という意識も強いので、ただ集めたいってだけではないですから。全部は読んでられないので、もちろん、ものにもよりますけどね。『変態資料』は、前々から断片的には読んでいたんですが、原稿を書くにあたって全冊読んだら、今まで読んでいなかったものの中にも、たくさん発見があった。『エロスの原風景』にも書いてますけど、その時見つけたのが、老け専の人が実体験を書いた私小説的な連載で、その人は男も女もいける口で、どっちも老け専。この時代に、堂々とこんな文章を書いている人がいたのかと驚きましたね」
──それは読んでみたいです。
『エロスの原風景』「絵はがき」の項より
「『変態資料』は、戦前の軟派本の中ではポピュラーなんで、安い店だと、一冊2000円から3000円で買えます。80年くらい前のものですよ。戦争を超えて残ったものがそんな値段で買えるのは、公的機関が買わないから。大学の図書館だったら収蔵しているところもあるだろうけど、一般の図書館や資料館ではそんなものを集めない。いろんな地方公共団体が、一時、なんだら文学館、なんだら資料館をやたら創設して、古本の値段が高騰したこともありましたが、高騰したのはもっぱら文学書です。どこも同じようなものしか買わないですから。エロ本資料館はどこも作らない。大衆的な資料を集めるところはあっても、エロには至らない。おかげで安くて助かります。ものによっては万単位しますけど、おおむねエロは安い」
──高いものはいくらぐらい?
「伊藤晴雨のもののように、石版画で作られているものは、美術品として高いし、SM関係者でも集めている人が多いので、十万、二十万とするものがあります。あと、全般的に高いのは遊廓関連の資料ですね。遊廓は江戸研究者にとっては避けて通れないテーマで、その流れから、近代になってからのものでも集めている研究者がいます。また、花柳界とのつながりがあって、踊りや歌舞伎との関係もあるので、探している人が多いんですよ。もともと貸座敷組合(遊廓の組合)が出しているものは部数が少ないってこともあって、値段が張る。今回の本の冒頭に出てくる細見も、ものによっては十万を超えます。そういったものを避ければ、さほどの金がなくてもエロのコレクションは可能です。高度成長期に出たセックスのハウトゥものだったら、1冊500円も出せば買える。5万円もあれば100冊買えますから、立派なコレクションですよ。戦後、歓楽街で売られたエロの生写真も一枚百円かそんなもんで買えます。ただ、数が多いので、完璧なコレクションをしようと思うと、ひとつのジャンルでもそれなりの資金が必要です。裏本だけでも数百万はかかる。万単位するものもあるので、今から集めようとすると、一千万円以上かかるかな。困難なのは、値段の問題だけじゃなくて、モロ出しのものは古本屋も扱わないし、ネットオークションにも出せないから、入手自体が難しい。カストリ雑誌もだいたいのものは2千円から3千円程度で買えるんですけど、ある特定の雑誌の特定の号を探すとなると、とてつもない時間がかかります。誇張じゃなくて10年かかりかねない。10年かけても入手できないかもしれない」
──最初は入れ食い状態で買えるけど、集まるとともに買えなくなってくる。
「その分、時間が経つと、お金はかからなくなりますけど。この話も単行本の続編にたぶん入ると思いますが、カストリ雑誌は全国で出てたんですよ。特にそういうものは探せない。カストリではないですが、戦前、『越佐春秋』という雑誌が新潟で発行されていて、地元政財界の暴露記事やカフェーの記事が出ている。現在はソープ街になっている昭和新道という通りが新潟市にあって、そこがカフェー街だった。たまたま何冊か入手して、カフェーの記事を読みたくて、全部集めようとしたんだけど、新潟の古本屋でさえ、聞いたことはあっても見たことがないって言う。『改造』のような雑誌であれば、図書館や大学が保存しているし、個人で保存している人も全国にたくさんいるだろうけど、大衆雑誌は残らない。特に地方の少部数のものは残らない。だから、値段はたいしたことがなくても入手は難しくて、時間や手間がかかる。それが面白かったりするんだけど」
──そういうものを松沢さんが保存しているわけですね。
「ですね。妙な使命に取り憑かれて。見返りがあればいいんだけど、何もない。バカにする人はいくらでもいるけど、感心してくれる人はほとんどいない。こんなものを集めて調べても原稿依頼をしてくれる雑誌もほとんどない。20年かけて集めてきても、それが本になったのは今回が初めて。それもそのはずで、誰も読みたがらない(笑)。もとはと言えば、高橋鐵にきっかけがあって、その頃は、まだエロライターとさえ名乗ってなかったんですよ。他のテーマもやっていたし。高橋鐵のものだけじゃなくて、性学関係のものを片っ端から買って読んでいくうちに生まれたのが『魔羅の肖像』。だから、エロ本を集めることと、書くテーマがエロに傾いていく軌跡とはリンクしている。現実にはエロライターに求められる仕事は、生々しい今の時代のエロであって、資料を駆使した原稿を書ける機会は数えるほどしかない。エロ本より、一般誌の方がまだしも需要があるかもしれないけど、エロライターだの風俗ライターだのと名乗り出すと、今度は一般誌に敬遠されるから、結果、書ける機会はどんどん減っていく。このジャンルは本腰を入れて取り組めば取り組むほど、評価が落ちて需要が減る。だから、エロ本の収集も、それを読む作業も、ほぼ趣味でしかないです。メルマガではそういった連載を400回くらいやって、今は休んでますけど、そのうち復活しようと思ってます。でも、ここ数年は金も尽きて、新規では買ってない。そろそろ維持するのも限界。だからここまで書いた分だけでも本にしておきたかったんです」
──ありがとうございました。是非、消え去りつつあるエロ本の収集にご協力いただくためにも、『エロスの原風景』をお買い上げ下さい。(終わり)
(このインタビューは2009年7月12日東京国際ブックフェアで行なわれた公開インタビュー『「戦前、戦後のエロ本」〜日本のエロ表現史』に大幅な加筆・訂正を加えています。聞き手:沢辺均)
『エロスの原風景 江戸時代〜昭和50年代後半のエロ出版史 』
著者●松沢呉一
定価●2800円+税
ISBN978-4-7808-0126-2 C0095
A5判 / 168ページ / 上製・函入
[2009年07月 刊行]
印刷・製本●シナノ印刷株式会社
ブックデザイン●小久保由美
内容紹介
エロ本は遠からず消えると言っていい。そんな時代だからこそ、こんな本を出す意義もあるだろう──
(「はじめに」より)
●『実話ナックルズ』(ミリオン出版)で2004年より現在も続く、日本エロ出版史を網羅する長期連載の単行本第1巻。
●稀代のエロ本蒐集家である著者所蔵の膨大な資料の中から、エロ本173冊、図版354点をフルカラーで掲載。
●読み物としてだけでなく、顧みられることのなかったエロ表現史の概観を辿る、資料性の高い一冊。
●大幅加筆に、連載時には掲載されなかった資料も掲載。
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