2009-08-20
『エロスの原風景』ができるまで/松沢呉一インタビュー02/エロ本を捨てるな
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エロほど、時代に寄り添ったジャンルはない、と松沢呉一は『エロスの原風景』で説く。
50年、100年が経ち、「使えなく」なったエロ本は、時代を映す、貴重な資料なのだ。
●エロ本を捨てるな
──国会図書館の収集部の人と会ったことがあるんですが、国会図書館には、段ボールにカストリ雑誌とかが未整理で保管してあるそうですね。
「収蔵されているものでも、未整理のものがたくさんあって、名前は出しませんが、ある分野で業績のある方が、ビニ本や裏本を国会図書館に寄付しています。彼は、『これは貴重な資料だから』ということで、自分が持っているものを段ボール何箱分か寄贈した。それは彼が資料というのものの意味をわかっているからであって、ほとんどすべての人たちは、ビニ本、裏本は文化じゃないと思っている。カストリ雑誌も今見ると『面白い表紙だな』と思えるし、中身も面白いと思える人が出てくる。その後作家として大成した人も書いているし、著名な人が変名で書いていたりもする。しかし、その面白さは、半世紀経っているから初めて見えてくるだけであって、今皆さんがバカにして捨てているエロ本も時代が経ってから歴史的価値が初めてわかる。わからないかもしれないけど、わかるかわからないかを今の我々には判断ができないってことなんです。『変態資料』も軒並み発禁になっていて、梅原北明は上海に逃げたりもしてる。エロですからね。ここで『昔はひどかった』と嘆くのは簡単なんだけど、AVを作っている人たち、エロ本を作っている人たちは今だって逮捕されています。それらのAVやエロ本を見た時に、『エロじゃ逮捕されても仕方がない』とか『エロだから逮捕されても当然』と感じるのと同じように、当時のエロ本が摘発されていることを多くの人たちは当然と感じていた。今古い雑誌を見ても逮捕されるようなものとは思えないだろうけど、これは時間が経ってエロが生々しくなくなったというだけ」
『エロスの原風景』「変態資料」の項より
──今のエロ本も、半世紀後にはそう見えるようになる。
「本や雑誌というメディア自体が古くさいものにしか見えなくなるんじゃないですかね(笑)。皆さんが今のエロ本をバカにしているように、当時の人たちもバカにしていた。バカにされるようなものでもアメリカに持ち帰ったのがプランゲの偉いところです。この前ネットに書きましたが、NHKの番組で宮武外骨を取り上げていたんですよ。その番組は単に宮武外骨の業績をなぞるだけじゃなくて、あまり他では見られない視点があった。宮武外骨は、晩年、明治の新聞や雑誌を集めていました。今も東大に残ってますが、それまで権威を嫌い、叩き続けた外骨が、なぜ東大のもとで、そういうことをやっていたかというと、『日本にも活発な表現がなされた時代があった。それを後世の人が理解できるようにしたい』という思いがあったから。それまで新聞や雑誌を保存するなんて発想はなくて、言い換えれば、『世の中の人がクズ扱いして捨てているものにも未来の価値がある』ってことです。戦争が終わって、やっと自由に表現できると思ったら、今度はGHQの検閲が待っていて、外骨はまたも絶望するわけです。テレビでは、そこまでしかやっていなかったんですけど、その検閲をしていた側にプランゲがいた。皮肉なことに、検閲する側と検閲される側だったわけですが、実は彼らは同じ思いに突き動かされていたんですね。ビニ本や裏本を寄付した私の知人も同じです。そのビニ本や裏本は整理もされずに、段ボール箱に入れられたままでしょうけど、それでいいんです。図書館員は裏本の整理以外にもっと他にやることがあるんだから」
──僕もそう思う(笑)。
「今の時代に生きている我々が今の時代について判断できる部分はほんのちょっとしかない。100年後、200年後に価値観が変わることを我々は読み切れない。だから、とにかく残すしかない。それを踏まえて、国会図書館の役割はなんでもかんでも残すことですけど、そこがちゃんと理解されていない気がします。国会図書館の所蔵品は、町の図書館から取り寄せられて、閲覧することができる。本当は貸し出しはできないはずですけど、現実には貸し出しまでやっている例があります。なんてバカなことをしているのかって思う。だから、紛失する。貸し出しはもちろんのこと、国会図書館から外に出すべきではない。そんなことをしたら、どうやっても紛失するに決まってますから。国会図書館は閲覧さえ禁止にしちゃえばいい。あそこは保存をするのが使命であって、閲覧をするための一般の図書館とは存在意義が違います。図書館の人たちも誤解をしていて、本にベッタリとシールを貼ることに反対する図書館員もいる。でも、一般の図書館はとにかく頑丈にすることと、ハンドリングを楽にすることが大事であって、カバーも箱も全部捨てちゃえばいいんです。そんなことに気を使うのは税金の無駄遣いであって、本自体、古くなったら捨てていいし、利用者のいない本も捨てていい。でも、国会図書館だけは箱もオビも栞も全部残すべきです」
──国会図書館はカバーも、オビも全部捨てているんですよね。
「それがおかしいし、今度はそれが税金の無駄遣いです。国会図書館は、本に印刷された著作物を保存するだけでなく、本という形のある商品をも保存すべきであり、箱やカバーに表現されたデザイナーの仕事も保存すべきです。貸し出しをするとか、閲覧をすることを考えるから、捨てるという発想が出てきてしまう。国会図書館は保存が目的なんだから、短冊やチラシの類いまで残した方がいい。閲覧のためには、そこまでできないというのなら、閲覧は禁止にしていい。全面禁止までしなくても、有料にして利用者を減らしてもいいし、どうしても閲覧したい人は、戸籍謄本とパスポートを提出して、なぜ閲覧したいのかを原稿用紙10枚にまとめて提出するようにすべきです。利用者の利便をとことん無視した方がいい」(続く)
(このインタビューは2009年7月12日東京国際ブックフェアで行なわれた公開インタビュー『「戦前、戦後のエロ本」〜日本のエロ表現史』に大幅な加筆・訂正を加えています。聞き手:沢辺均)
『エロスの原風景 江戸時代〜昭和50年代後半のエロ出版史 』
著者●松沢呉一
定価●2800円+税
ISBN978-4-7808-0126-2 C0095
A5判 / 168ページ / 上製・函入
[2009年07月 刊行]
印刷・製本●シナノ印刷株式会社
ブックデザイン●小久保由美
内容紹介
エロ本は遠からず消えると言っていい。そんな時代だからこそ、こんな本を出す意義もあるだろう──
(「はじめに」より)
●『実話ナックルズ』(ミリオン出版)で2004年より現在も続く、日本エロ出版史を網羅する長期連載の単行本第1巻。
●稀代のエロ本蒐集家である著者所蔵の膨大な資料の中から、エロ本173冊、図版354点をフルカラーで掲載。
●読み物としてだけでなく、顧みられることのなかったエロ表現史の概観を辿る、資料性の高い一冊。
●大幅加筆に、連載時には掲載されなかった資料も掲載。
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[...] 01・国会図書館を抜き去るまで(ただし、エロ本のみ) 02・エロ本を捨てるな [...]
[...] 「そういうことになります。アメリカの大学に『プランゲ文庫』というコレクションがありまして、プランゲは昭和20年から昭和24年に、GHQで検閲をやっていた人物です。この人は本当に偉い人で、その時期に発行された日本の出版物をアメリカに持ち帰ったんです。日本ではこんなものは公的な施設は保存していなくて、国会図書館にも中途半端にしかない。これもあとで集め直したか、寄贈されたんだと思うんですけど。そのため、悲しいことに、カストリ雑誌の最大のコレクションはアメリカにあるんですよ。これがアメリカの偉いところというか、日本のダメなところだと思うんだけど、浮世絵が海外流出して、海外でこそ評価され、保存されたのと似ている。しかも、日本では浮世絵の中の重要な柱のひとつである春画は、いまなお美術館で展示できない。日本だと『エロだから』ということで、こんなものはいらないと判断して捨てちゃう。捨てる前に集めもしない。善か悪か、必要か不要かを今の時代にたまたま生きている自分が判断できると思い上がっているわけです。しかし、そこに価値があると判断する人もいるのだし、今はいなくても、半世紀あとに必要とする人が出てくるかもしれない。そういった長い時間に沿った思考が欠落した国で、それを拾い集めてきたのが、言ってみれば私の人生(笑)」(続く) [...]
[...] ※「東京国際ブックフェア」で話した内容をまとめ直した「『エロスの原風景』ができるまで」の2回目が更新されています。 「唐沢俊一検証blog」の8月20日付エントリー「『検証本VOL.1』再販情報など。」でkenshouhanさんはこんなことを書いていました。 ———————————————————————— [...]
[...] 02・エロ本を捨てるな [...]
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[...] 『エロスの原風景』の著者である松沢呉一さんが「今の時代に生きている我々が今の時代について判断できる部分はほんの
[...] しかし、協力貸し出しができるようになったために、都立図書館の中で重複している本を捨てるってだけのことですから、何が問題なのか私にはさっばりわからないです。なぜそう思うのかについては、東京国際ブックフェアで語った話を参照のこと。 [...]