2009-10-22

お部屋1963/多摩図書館廃棄本問題と「書影使用自由」の表示

ポット出版のサイトで、このところ話題なのが「朝焼けの図書館員」のエントリー「救いたい!」です。アクセス急増中です。

しかし、協力貸し出しができるようになったために、都立図書館の中で重複している本を捨てるってだけのことですから、何が問題なのか私にはさっばりわからないです。なぜそう思うのかについては、東京国際ブックフェアで語った話を参照のこと。

こんなことはよくある話であって、どうして今回これが特別に問題視されるのか、どなたか説明して欲しいです。単純に「もったいない」という気持ちはわからないではないですが、それを保存するための税金の方が私にはもったいない。そんなことでは、オリンピック招致に150億円を使った石原都政を批判できないです。

保存を目的とする国会図書館で、行方不明になったり、破損したりする本があることについては私は怒りに近い感情がありますし、箱やカバーを廃棄していることについても同様です。それを放置していることと、利用者の少ない重複本の破棄に反対することは、根っ子は一緒のようにも感じます。それぞれの図書館の役割をはき違えています。

国会図書館以外の図書館でも保存を考えてもいいですが、限られたスペース、限られた人員、限られた予算の中で保存するのであれば、より多くの種類の本を保存すべきであり、重複しているものは廃棄していいでしょう。

都立図書館はどうなのか知らないですが、廃棄本はもらいうけることができるはずなので、これを批判する人たちは、私財を投げ打って個人で保存すればいいのではなかろうか。税金を使わないでください。

と、冷や水を浴びせてみました。

そんなことより、ポットのサイト内では、誰も注目していない沢辺さんの書いていることに私は注目です。

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今後の新刊には、書影利用自由の表示をします

[沢辺 均]

ポット出版では、今後の新刊のカバーと目次ページに
「書影としての利用はご自由に。写真(イラスト)だけの利用は問い合わせください。」
と表示します。

時々、図書館などから「広報誌」などでの本の紹介のための、書影利用依頼をいただきます。
一方、新聞や雑誌などの「業界内」では、書影利用の許諾はほとんどなくて、「慣例」として、
自由に利用しあっています。

ポット出版は、
デザインに著作権はない→利用は自由で、制限はない
写真・イラストには著作権がある→利用の場合許諾が必要
というように、著作権法を理解してきました。

しかし、本の紹介をしていただくのに、いちいち許諾をしていただくのは、
大変申し訳ないと思ってきました。

twitterで、argさんが図書館現場の声をまじえて、改善をつぶやいていたこともあって、
カバーと目次に明記することにしました。

本当は、出版業界で、統一した方法を表明するなどの取組みがあるといいとは思いますが、、、。

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これはいいアイデアです。こっちの方がずっと話題になっていいと思うんですけどね。

前々から言っていることの繰り返しになりますが、わかっていない方々へ説明しておきます。

著作権が発生している絵や写真などを使用した本の表紙を使用する場合は当然許諾が必要です。表紙自体を批評する場合を除いて、書評もその例外ではありません。

「書評欄に本を送っている以上、出版社としては表紙を出されることは暗黙のうちに合意している」という解釈はあるかもしれないですが、多くの場合、出版社は著作権者ではありませんから、出版社が合意しているからと言って、著作権者が合意しているとは限らない。

また、仮にこの解釈が成立するとしたところで、図書館の広報誌は関係がないため、許諾を得るしかない。

現実には、書評で取りあげられて抗議をしたり、訴訟を起こすことなどほとんどないわけですが、いざ訴えられたら負けるであろう違法行為を図書館がやるわけにはいきません。だから、出版社に問い合わせる。

しかも、漫画については、現に無断で本の表紙を出すと、抗議してするケースがあるので、雑誌に書評を出す場合は出版社にお伺いをたてます。そうすると、「内容を見せろ」と言ってきます。つまり、事前に内容をチェックするために、著作権を利用しているわけです。

私自身、小学館から(正確には権利者の村上もとか氏から)許諾を得られず、表紙部分を白紙にしたことがあります。

当時私は正しく著作権法を理解していなかったのですが、これは法的には間違っていません。自分の著作物がどう使用されるのかを確認してもいいわけです。

しかし、表現でメシを食べている者たちが、自分に都合の悪いことを書かせないために、表紙の著作権を利用して内容をチェックすることについては恥ずべきことだと今も思っていて、現にこういうことをやる漫画家や出版社が存在する以上、かくなる上は法改正をするしかないでしょう。

簡単な話で、人目に晒されることを前提にした本の表紙、CDのジャケットなどについては、中身の著作物を批評する場合にも無断で使用することができるようにすればいいだけです。

こういう話が一向に出版界から出て来ないのは、事前に原稿をチェックしたり、都合の悪い批評が出てしまった場合に著作権侵害を名目に文句をつけられる状態にできる現状を守りたい人たちがいて、足並みが揃わないためのではないかとも想像しています。

それに対して、今後ポット出版から出る本は了承を得る必要がないわけです。書評だけじゃなく、どっかの企業がポスターの中に無断で使ってもよし。宣伝になりますから、私の本を積極的に使って欲しいです。CM女王・上戸彩が『エロスの原風景』を手にしているコマーシャルなんていいんじゃないですかね。

実のところ、沢辺さんとしては、いちいち問い合わせの相手をするのが面倒なために、このような措置をとることにしたのでしょう、おそらく。本来は出版社が勝手にOKできないので、原著作者に確認をしなければならなくなりますし。対して、この方法であれば、写真やイラストの発注をする時に一回確認すればいいだけです。

著作者である私としては、これ以外にも本に入れたいことがあります。

国立国語研究所から、書き言葉の用例を検索するデータベース「KOTONOHA」用に、私の著作3冊から、文章の一部を使わせて欲しいという文書が届いていました(私の文章が現代の日本語を代表する素晴らしいものというわけではなくて、無作為に選んだもの)。コピーするのは4千字程度で、検索した時に表示されるのは、そのうちの数十文字とのことです。

日本語の語彙に関する国語研のデータベースは私も利用していまして、こういう調査の必要性は重々わかってますから、積極的に協力したいのですが、いちいち署名・捺印して文書を送り返すのが面倒でしょうがない。googleみたいに勝手に使ってくれればいいのに。

そうもいかないでしょうから、「検索用のコピーはご自由に」との一文を今後は本に入れたい。表示されるのが数十文字、あるいは数百文字であれば、一冊丸ごとコピーしてくれても問題なし。一章分丸ごと読めてもいいですけどね。

あと、「点訳(点字にすること)したいので承諾して欲しい」という依頼も、同様に文書を送るのが面倒なので、「点訳は黙ってどんどんやってよし」との一文も今後は入れたい。