2008-08-12

イラク戦争ってそういうことだったのか会議(1)

これを読んだ方の中でご存知の方にはお知恵を拝借したく存じます。

イラク戦争の開戦前後に、アメリカ合州国で当時与党だったブッシュ政権のトップや閣僚が戦争を正当化するために公にした演説や声明、記者会見を、文字・動画問わず、記録したものをお持ちの方はいらっしゃいませんか?米国本国の地上波に流れてきた当時の映像を記録・保存している人々は教えて欲しいです。感謝の意を申し上げることぐらいしかできませんが、それでもよろしいのでしたら、御連絡いただければ幸甚です。

さて、これから、イラク戦争について、色々と回顧いたします。

『国連安全保障理事会:ドミニク=ドウィルパン外務相による演説』(http://www.ambafrance-jp.org/article.php3?id_article=339)の邦訳版を御覧くださいませ。仏語は仏外務省ホームページで探せば、見つかるといわれています。見つからなければ、私も探すのに加勢します。

☆☆☆☆☆☆☆

国連安全保障理事会:ヴィルパン外相の演説

ニューヨーク、2003年2月14日

議長、
事務総長、
閣僚の皆様、
各国大使の皆様、

ブリックス委員長とエル・バラダイ事務局長、イラクでの査察継続に関する情報に御礼申し上げる。また、フランスはその任務遂行を信頼し全面的な支援を惜しまない旨、改めて申し上げる。

フランスはイラク危機発生当初より、安保理の一体性を重視している。この一体性は今日、二つの主要な要素にかかっている。

我々の共通の目的はイラクの完全な武装解除である。この件に関しては、成果を挙げる義務がある。我々の共通の約束に疑念を差し挟んではいけない。我々は集団でこの重大な責任を全うする。そこには下心や意図の勘ぐりなどがあってはならない。はっきりさせておこう。我々の中に、サダム・フセインとイラク体制に対し弱腰になっている者などいない。
安保理決議1441を全会一致で採択することにより、我々は、フランスが提唱した二段階方式に合意した。それは査察による武装解除の道であり、この戦略が失敗に終わった場合は、武力行使を含むあらゆる選択肢を安保理が検討する、というものである。したがって第二の決議が正当化されるのは、査察失敗に終わった場合のみである。
現在提示されている問題は簡潔だ。査察による武装解除はもはや行き詰まっていると我々は認識しているのか。それとも、安保理決議1441により与えられた査察という可能性はまだ完遂されていないと考えているのか。

この質問への解答として、フランスには以下の二つの確信がある。

第一に、査察という選択肢は完了しておらず、イラクの武装解除に効果的な回答をもたらす、ということ。
第二に、武力行使は人類、地域、国際社会の安定に与える影響があまりにも大きく、最後の手段としてしか考えられない、ということ。
では、先ほどのブリックス委員長とエル・バラダイ事務局長の報告から我々は何を学んだだろう。査察は結果を出していると学んだのだ。我々は当然今以上の結果を求めており、それを引き出すためにイラク政府に対し共に圧力を掛け続ける。しかし査察は結果をもたらすのである。

1月27日の安保理での報告で、UNMOVIC委員長とIAEA事務局長は、進捗が期待される分野を正確に指摘していた。そのうちの複数の点において、顕著な進展が見られた。

生物化学兵器分野では、イラクは査察団に新たな書類を提出した。また、ブリックス委員長の要請により、元軍事設備計画責任者が率いる調査委員会の設立が発表された。
弾道ミサイルの分野でも、イラクの情報提供により査察は進展した。我々はアルサムード・ミサイルの能力を正確に把握している。現在は、ブリックス委員長の見解に基づき、無認可計画の放棄に着手する段階にある。
核兵器の分野では、1月27日にエル・バラダイ事務局長により言及された重要な点についての有益な情報がIAEAに提供された。すなわち、ウラン濃縮用のマグネットの入手、および、ウランを提供したと推定される国とイラクとの接触リストである。
これこそ、禁止計画の正確な把握とその廃棄により、査察の効果を確保するという、安保理決議1441の論理の中核である。

イラクの完全かつ全面的な協力こそが、査察の成功の前提であるということは我々全員が承知している。フランスはこれを要請し続けてきた。以下の通り前進が見られ始めた。

イラクは偵察機による領土上空の飛行に同意した。
査察団が、イラク当局者の立ち会いなしでイラク人科学者から聴取することを認めた。
査察団の以前の要請に基づき、大量破壊兵器計画に関わるあらゆる行動を禁止する法案が採択手続き中である。
イラクは1991年に軍事計画の廃棄に参加した専門家の詳細なリストを提出しなければならない。
フランスは当然、これらの約束が守られることを待ち望んでいる。さらに、イラクがより一層協力するよう、我々は強く圧力をかけ続けていく。

これらの進展は我々に、査察という道は効果的であり得るという確信を持たせてくれる。しかしまだ残されている仕事の膨大さから目をそらしてはならない。解明すべき疑問点や進めるべき確認作業は数多く、破壊すべき施設や設備もまだ残っているだろう。

そのために、我々は査察団に成功のためのすべての機会を与えなければならない。
2月5日、私は安保理にいくつかの提案をした。その後、その内容をブリックス委員長とエル・バラダイ事務局長に手交した資料に記載し、安保理理事国に伝えた。
提案を貫く精神とは次のようなことである。これは実務的かつ具体的、即時実行に移せ、査察の効率向上を目的とする提案である。安保理決議1441に則し、したがって新たな決議の採択を要しない。ブリックス委員長、エル・バラダイ事務局長の努力を支援するものである。当然ながら、査察の効率向上のために採用したい提案は、彼ら自身が最も良く知っている。彼らは報告の中で、我々に有用かつ実務的なコメントをして下さった。
既に発表した通り、フランスは両氏のために、ミラージュ4偵察機を始めとする追加的な手段を提供する用意がある。

批判があるのは承知の上だ。
査察はまったく効果をあげないと考える人もいる。しかし再度申し上げるが、査察は安保理決議1441の基盤そのものであり、結果を出しているのだ。不十分かもしれないが、査察は行われている。
査察の継続は、武力行使を妨げるための時間稼ぎだと考える人もいる。そこで当然イラクに与えられる時間の問題が浮上する。これが議論の核心だ。我々の信頼性と責任感が問題となる。解決する勇気を持とう。
選択肢は二つある。
一見、戦争は最も手っ取り早い選択肢のように思われる。しかし忘れてならないのは、勝利しても、その後は平和の構築が必要だということだ。現実から目をそらしてはならない。イラクの一体性を維持しつつ、力の侵攻によって深刻な打撃を被った国・地域に持続的な安定を回復させるのは、長い道のりで、困難を極めるだろう。
これに対し、査察という代替案がある。査察によってこそイラクの効率的 かつ平和的な武装解除に向けて日々前進することができるのだ。結局のとこ ろこの選択肢が最も確実かつ効果があるのではないか。
現時点では、戦争という道が査察という道よりも短いとは誰も主張できない。また、戦争が終わった暁には、より安全で公正かつ安定した世界に到達できるとは誰も主張できない。戦争は常に失敗に終わった場合の制裁手段なのである。数多くの問題を抱える現在、これが我々にとって唯一の解決策だろうか。国連の査察団が成功裡に任務を完遂できるよう、時間を与えよう。その一方で警戒をとかず、ブリックス委員長とエル・バラダイ事務局長に、理事会での定期的な報告を要請しよう。フランスは3月14日に査察評価のための閣僚級会合の開催を提案する。その時点で、どのような進展があり、どのような課題が残ったか評価ができる。

以上に鑑み、現時点では武力行使は正当化できない。戦争には代替案がある。それが査察を通じたイラクの武装解除である。早まった武力行使は深刻な結果をもたらすリスクがある。

我々の行動の正当性は、国際社会の結束にかかっている。早まった軍事介入はこの結束に疑いをもたらし、ひいては介入の正当性、いずれはその効果をも失わせる。
かかる軍事介入は、すでに傷つき脆弱なこの地域の安定に、計り知れない深刻な結果をもたらすだろう。不正義に対する感情を増幅し、緊張を深刻化させ、さらなる紛争の引き金になりかねない。
我々は皆、テロリズムの情け容赦ない撲滅を優先事項としている。必要なのは断固たる決意である。9月11日の惨劇以来、テロ撲滅は我々の国民に対する一義的な責任だ。テロという恐ろしい災禍により何度も大打撃を被ってきたフランスは、この闘いに一丸となって挑んでいる。これは人類全体の問題であり、共に闘っていかねばならない。これこそ、フランスのイニシアティブにより1月20日に行われた安保理会合の意義である。
10日前、アメリカのパウエル国務長官はアルカイダとイラクの間にあるとされる関係について言及された。我々の同盟国との調査や情報交換によると、現時点でこのような結びつきは立証されていない。しかしながら、現在異論が唱えられている軍事行動の有用性を、この点を考慮して判断すべきである。軍事介入こそ、テロを醸成する社会、文化、民族の間の対立を悪化させかねない。

査察団が査察を続行不可能と判断した場合には、武力行使の必要性は排除しないとフランスは常に言ってきた。この場合、安保理は態度を明らかにし、理事国はその責任を全うすることとなる。このような仮説のもと、2月4日の討議の場で私が主張し、回答を出さねばならない問題をここに改めて示そう。

即時の武力行使を正当化するような脅威の性質と規模とはどのようなものか
かかる軍事介入がはらむ多大なリスクをいかに確実に克服するか
いずれにせよ、このような事態に至れば、国際社会の一体性こそが効果を保証する。同様に、国連こそが、何が起ころうとも、構築すべき平和の中心的存在であり続ける。

議長、
いつ、どのようにして我々が戦争という道に進むのかと恐れている人たちに、私は申し上げたい。安保理は何事についても、そしていかなる時も、性急に、無理解のうちに、疑念や恐怖に屈したりはしない、と。

国連という殿堂において、我々は理想と良心の守護者である。我々の担う重い責任と多大な名誉が、我々に平和的な武装解除を優先させるはずである。

これが、戦争と占領と蛮行を経験したヨーロッパという「古い大陸」の「古い国」、フランスのメッセージだ。アメリカや他の国々からやってきた解放の戦士たちの恩を忘れない国のメッセージだ。フランスは常に歴史を見据え、人類のために立ち上がってきた。自らの価値観に忠実に、国際社会全体と、果敢に行動を起こしていきたいと願っている。我々は共により良い世界を作っていくことができると確信している。

ご静聴に感謝申し上げる。

(以上、仮訳。フランス語版のみを正本とする。)

☆☆☆☆☆☆

2008-08-10

亀井静香首相待望論

8月4日の夕刻、16:30頃でありましょうか、亀井静香・衆院議員ご本人と四谷警察署の隣のビル9Fにある亀井静香・私設事務所で面会することができまして、25分もの間、お話を聴く機会を得られました。15:15に来るように指定され、10分前に事務所にツレと行きましたら、1時間以上、お待ち申し上げておりましたら、「いやあ、本当にお待たせしてしまい、悪かった」と亀井先生が謝られるので、「亀井先生にお会いし、お話を聞けることだけでもたいへんに貴重な体験ですし、歓喜しております」という気持ちを伝えるべく発言しました。

死刑制度について憲法論的アプローチから考えてきた私のようなものですら、亀井先生から死刑制度の廃止という自身の強い信念・信条について懇切丁寧な解説を受けると、実に分かりやすく心地よさすら覚えて理解できしました。親鸞やキリスト教の考えに接している私には亀井先生の説法は親鸞の悪人正機説やイエス=キリストの原罪論と重なって聞こえてしまいました。

「亀井先生は悟りの境地に達しているとしかいいようがありませんね」

と御本人に思ったことをそのまま発声して、お伝えしました。

亀井先生から別れ際に握手されて激励を受けましたので、亀井静香首相待望論が実現する日を待っています……と私は応答しました。亀井首相が実現する日は実に恋しいし愛おしい。でも、その日は来ない、実現しないと御本人が何よりも御承知されています。願望が夢に終わる現実を私はうら哀しく覚えます。とても切なく寂しく、もの哀しく思えます。

……こんな気持ちに共感を覚える人がもしもいらっしゃれば、私はありったけの感謝を申し上げます。御丁寧にも御連絡があったときには、必ず御返信申し上げる意志を表明いたします。

いつあるのか知りませんが、次期衆議院選挙で政権交代が起きて、民主党・国民新党・社民党・新党日本・平沼新党が連立政権をつくって、菅直人・衆院議員が首相に就任するのが、現実的な話として私が了解し最良な選択だと思っている構想です。さらに理想をいえば、亀井先生が副首相として法務相に就き、死刑制度を廃止して欲しい。その未来において日本は確実に改革されているでしょう。とりあえず、政権交代せよ!国民新党と民主党による連立政権が誕生しますように……と願っています。

亀井先生は「大丈夫、次の選挙で必ず政権交代するから」と自信をもって断言されました。

夢のように思えるそんな日が来ることを心の底から願ってやみません。

信じられる日本へ、さあ。

及川健二   拝

2008-07-25

英雄の宿命~ジョン=マケインの足跡~

共和党大統領候補2008のジョン=マケイン上院議員はベトナム戦争に参加した帰還兵である。
社会主義のソビエト連邦の傀儡だった北ベトナム政府に身柄を拘束されて、強制収容所へ監禁された。
そこは地獄だった。日常として拷問・虐待が続けられた。
マケインは逃げられることができた。釈放するヨ……とも告げられた。
それでも、自分の美学を貫き、彼は釈放を拒んだ。
「私よりも他の仲間を釈放してください」と。
拷問で受けた傷は彼の体に残っている。
彼は右肩を上げることができない。

ニクソン大統領が1969年1月29日にベトナム戦争の終結を宣言する。
アメリカ軍は1969年3月29日に南ベトナムから撤退完了した。
1973年1月27日、パリにてベトナム民主共和国、ベトナム共和国、南ベトナム共和国、アメリカ合衆国の間でベトナム戦争終結を約したパリ和平協定が調印された。
捕虜になって、5年6ヶ月後……。米軍がベトナム撤退した後も存続していた収容所もついに解体されることになり、1973年3月15日にマケインは釈放された。
自由の国である祖国に戻ったとき、マケインのことなど覚えている人はいなかった。むしろ、冷笑によって迎えられることが多かったという。
国のために戦った米兵が温かく迎えられるどころか、戦争は過去になり、忘れられ、時に冷たくされる事態に直面し、マケインは何を思ったろうか?深い絶望を覚えずに、それでも現実を受容した……のだろう。

時代は変わり、マケインは上院議員となって、いつしか、「ベトナム帰還兵の英雄」と呼ばれるようになった。
しかし、悲劇としかいえない捕虜収容所における体験が英雄伝として語られていたのに、肉体的犠牲が「彼は発狂している」理由として語られ、マケインの正気が問われ、彼は葬り去られそうになった。ジョージ=ブッシュ現大統領(当時はテキサス州知事)の選挙戦略によってだった。

それでも、マケインは生き返った。実に強靱だ。

マケイン大統領が誕生することはあるのだろうか?

2008-07-03

米国映画史上、最高利益の映画

さて、問題です。

米国映画史上、もっとも興業利益が高かった映画はなんでしょうか?

タイタニック?

いいえ、違います。

ディズニー映画の中のどれかでしょ?

Non. ちゃいます。

日本版タイトルで答えをいいます。

「ディープ・スロート」

ほぉー……という人もいれば、ハァー?と思う人もいましょう。

1972年に公開されました。米国の多くの州法で違法行為だった性交類似行為である口淫を映像にしたポルノです。
タブーを破った……だけじゃなく、州法も破ってるんです。実に危険な成人向け映画なんです。

同映画をあつかったドキュメンタリー映画「インサイド・ディープ・スロート」DVD邦訳版がまだ購入できるので、買いました。よかった、フランスにいるとき買わなくて。日本語版が映画で上映され、DVDになり、まだ、流通しているなんて驚きです。わしはこの映画をパリ市内の映画館で観た。面白かったですよ。ドキュメンタリーの質はともかくとして……。それで、パリ市内で同時上映された「ディープ・スロート」もみました。もちろん、モザイクもボカシも入っていませんよ。

語り出したらとのりませんので、とりあえず、ここでストップ。

まあ、ドキュメンタリー映画の方は観ておいて、損じゃないですよ。

日本国琉球自治領大江戸市新宿区西新宿2-8-1 大江戸市庁舎2 石原慎太郎様

沖縄問題の解決策を構想しました。

妙案が浮かびました。

さて、以下、夢物語です。
私の構想が実現した社会を語ります。

我が構想の実現に多大な貢献をされた石原慎太郎様に御尽力・功績に敬意を表す手紙を送ろうと思います。
手紙を書き終えました。宛先は以下の通りです。

〒163-8001
日本国琉球自治領大江戸市新宿区西新宿2-8-1 大江戸市庁舎2 石原慎太郎様

このとき、首都は移転しています。新しい首都が那覇市になってます。
大江戸市なんか片田舎に過ぎません。
あと、都道府県は全廃され、すべて、琉球自治領の統治下にあります。

「国民統合の象徴」として天皇陛下がさらにいっそうリスペクトされています。
日本人はみな、天皇の赤子です。さらに、琉球自治領の住民です。

以上、我が夢想が現実になった状態です。なぜ、こんなことを考えたのか御説明申し上げます。

沖縄独立論という構想があります。それに浅羽道明様という明晰な思想家が理論的支柱と具体的プランを与えました。
私はどうもこれに納得がいかないんですネ。むしろ、沖縄県に日本国全都道府県が統一される方がいいんでない?!なんて素朴に考えて、様々な検討を加えていきましたら、行き着いた対案が、「日本全土を日本国琉球自治領の下に統一する」という構想です。

沖縄の痛みは私たちの痛み、沖縄の苦悶は我が苦悶です。
沖縄決戦の物語は我が体験として語り継ぎましょう。
私の問題であり、あなたの問題なのだから。

日本国憲法をもっとリスペクトしましょう。
日本国憲法は素晴らしい。これにすがりつく姿がパトリオティックな姿勢であります。
憲法パトリオティズムが実現した理想社会。

It’s one JAPAN.

んなことできるんか?

Yes, we can.

そう、できるんですよ。
ハイ、この英語はバラク=オバマさんによって使い古された表現です。
AMERICAをJAPANにしただけです。

ジョン=エドワーズ元上院議員の合い言葉で言い換えましょうか。

Hope is on the way.(希望はすぐそこにあるんだよ。)

ただの夢物語と片付けられるでしょうか?
西部邁先生からお告げがありますよ。

「だから、日本のバカ左翼連中がいうことは、なんというのかな、実にチャイルディッシュで、キ×ガイじみているというか、もはや狂気の沙汰としかいいようがないんですよ。そもそもですよ、人間というものはですよ、言葉の動物である。それが意味するところはですよ、言葉には実態がない、言葉はフィクションに過ぎない、つまり、簡単にいうとこういうコトなんですね。人間というものはですね、フィクションの中でしか生きられないという宿命を背負っている、そこから逃げることはできないんですネ。そこを左翼のくるくるぱーは分かっていない。だから、伝統というものが……」(以下、省略)

人間はフィクション(夢物語)の中でしか生きられない宿命なんですね。

最後に、ブッシュ大統領の最高のジョークを御紹介申し上げます。

イギリスのある幼稚園におけるやりとり。

幼稚園児童:「How is the White House?」
ブッシュ大統領:「It’s white.」

全国の皆々様へ。

“しなやかに、覚醒せよ!”

追記:オイカワ構想とアサバ構想をアウフヘーベンすると、さらに進化(深化)した構想が出てくるんじゃないかな?そして、ヘーゲルがいう「理念の狡知」なる営みがつづけられていきます。

2008-06-10

いまさら、Taizo?!

旧聞に属しますが、次のようなニュースを発見しました。

「美人キャスターTAIZOで栄冠…海外映画祭で最高賞」
(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/151142/)

上記タイトルで、次のような記事が書かれています。「06/06 23:33」という表記と「ZAKZAK」のロゴが載っています。

「美人キャスターが挑んだ映画が世界に認められた。

 ドキュメンタリー作家の中島多圭子(たかこ)さん(37)の『TAIZO』が、先月行われた第1回バーレーン国際人権映画祭でドキュメンタリー最優秀監督賞に輝いた。『追い続けようと思っている中東に認められたことが何よりうれしい』と手放しの喜びようだ。

 カンボジア内戦の最中、1973年11月に単身アンコールワットをめざし『もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!』と手紙に残して散った戦場カメラマン、一ノ瀬泰造さん(享年26)。『「TAIZO』はその一ノ瀬さんの足跡と、息子の写真を焼き続ける母、信子さんを追った。

 2003年に公開されて以来、現在も上映会が続き、昨年には海外向けに英語版が完成、フランスなどで高い評価を受けている。

 それが縁で中東・北アフリカ地域で初めて創設されたバーレーン国際人権映画祭からオファーを受け出品。5月1-4日の開催期間中、会場を訪れた。

 中島さんは『出品作は世界各地から計18本。全く予想していなかった』というが、ふたを開けてみれば最高賞。『壇上ではアラビア語だったので何の賞だか分からなくて、席に戻って初めて知った』と笑う。

 プロデューサーの奥山和由氏(53)も『海外での上映に弾みがつく』と手応えを語る。」

「TAIZO」って題名で杉村タイゾー衆院議員(自民党)のことだと私は勘違いして、彼を追った作品が賞をとっちゃうの?!と思って、記事を読んだのですが、ここでいうTAIZOとは写真家・一ノ瀬泰造さんのことなんですネ。彼をモデルにした映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」は良かったと思いますよ。でも、この映画で一ノ瀬さんのネームや神話は完全に消費しつくされたのではないでしょうか?いまさら、第2弾が出て、評価を呼ぶことはありえないのではないでしょうか?

そんな疑念を抱きつつも、日本のドキュメンタリー作品がフランスで高い評価を受けているというのに、この記事を読むまで自分はその事実をまったく知らなかった。隔世の感だなぁと少し落ち込みながら、どこの仏メディア・批評家が評価しているのかと興味を持ちまして、

・TAIZO
・Taîzo
・Taïzo

という3つのワードを手がかりに同作品のフランスにおける評価について調べました。
「TAIZO」という表記ですと、「テゾー」と呼ばれる可能性があります。
「タイゾー」と発音させるため、仏語に配慮したら、下の2つが表記上ありえますので、念のため、検索用語に入れておきました。

www.taizo.fr

ってサイトがすぐに見つかったので、早くも発見!と喜び勇んで、サイトに行ったら、「Taizo」という男性向け化粧ブランドの商品ページが出てきました。

まあ、ネット検索・現地プレスや邦人学生とメールでやりとり・詳しいパリ在住日本国籍者に電話を入れる(無駄な作業ですね~)など……自分が数日の間でとれる手段をすべて遣いましたが、上記3つのタイトルとフランス共和国を結びつける情報は一件もキャッチできませんでした。

監督の名前で調べてみたら、昨年10月に行われた「モナコ公国ドキュメンタリー映画祭」(Festival cinéma vérité – Monacoが現タイトル。かなり超訳しました。仏語を機械的に訳せば、「vérité」は真実・真相・事実という意味で使われる初級レベルの仏単語、「cinéma」は映画の総称または映画館、「Festival」は「お祭り」を意味する単語です。「モナコ・ノンフィクション映画祭」というのが忠実な訳かな)にNakajimaさんが映画「Taizo」を出品していたという情報を入手しました。私が得た事前に関係者に配られた予定表通りコトが進んでいるのでしたら、、2007年10月13日午前10時~12時という2時間ポッキリの枠で「Taizo」は上映されたはずです。作品は90分だそうですから、妥当な範囲じゃないですかネェ~。

モナコ公国は仏語が公用語なので、映画祭では当日、仏訳された字幕が付いたのかもしれません。仏訳がついたので、映画が自然と隣国フランスに輸出され、巡り巡っていくうちに、いつのまにか同国で「高い評価」を得るにいたったのかもしれない。可能性はゼロじゃないです。

でも、私の確認しうる範囲では、「フランスで高い評価」というのは、「言っちゃったモンが勝ち」のようです。ウラがとれません。「Taizo」という作品が仏国内で議論された痕跡すら見当たりません。上映するかもしれないマニアックな単館にも確認をとりましたが、同作が仏で公開された形跡はありません。仏国内では試写会も開かれていない、今後、公開される可能性もほぼゼロといえる映画だという情報が仏全国紙・記者から私に流れてきました。フランス国内では、
「話題にすらのぼらなかった作品」
のようです。映画PR側から仏メディアに宣伝したこともないようですから、無視されて当然なのでしょう。

もしも、映画「Taizo」がフランスで上映されたと言い張る人がてれば、いつどこで上映されたのか情報をぜひとも、御提供いただきたいです。
あるいは、映画のDVDやVHSがフランスの関係者に渡され、密かに高く評価されるようになったというのであれば、評価した人の名前が知りたい。批評文も原文(仏語ですよね)で読みたいですね。御親切に邦訳なさらずにけっこう、原文を読みます……という姿勢で、批評に向かいます。この表現が「超訳」するとこういう日本語になったというおもしろいタネがあれば、ボツになるのを覚悟で、記事にするかもしれません。

「映画TAIZOがフランスで高い評価」という話が事実だったら面白い。どこで、そうなっちゃったんだろうか調べて、顛末を記事にしたいものです。どうも 同映画PRに携わる者が吹いたホラが発信源とは睨んでいるものの、個人的にはZAKZAK記事の通りであって欲しいと心から願っています。ただ、そのほうが面白いからって理由だけです。

同作がバーレーンにまわっていくというストーリーはちんぷんかんぷんです。

Je ne peux pas l’accepter.

その話は受け入れいれられないヨってことです。

同国はバリバリ、アラビア語圏の国です。
「昨年には海外向けに英語版が完成、フランスなどで高い評価を受けている。それが縁で中東・北アフリカ地域で初めて創設されたバーレーン国際人権映画祭からオファー」
って書かれていますが、何の御縁もないんじゃないでしょうか。英語・仏語の字幕が付いてもバーレーンでは理解されません。篤志家がいてアラビア語字幕を付けてくれたのかもしれない。

フランスではまったく相手にされていない同作が、運が良くて、「第1回バーレーン国際人権映画祭でドキュメンタリー最優秀監督賞」を得ちゃったというのがことの顛末だろうという予測が調べていくうちについてきます。ある程度のリテラシーを持った人間ならば、映画祭自体に怪しい臭いを感じるでしょうし、その映画祭が出す賞はかぎりなく「黒に近い」と評価するでしょう。「ガンジー平和賞」のような扱いになるのではないかな。「ガンジー平和賞」受賞を肩書きに自己ピーアールしている日本人を調べたら、学会のイケダ先生と福永法源サン、ドクター中松の3氏が該当しました。ガンジーの子孫を名乗る人が寄付金を多く受けた個人・団体に賞をバンバン出して稼ぐビジネスなんだと云われていました。でも、たまには権威をつけるために、「本物の人」にも賞を出す。その路線で2004年に同賞を、イラク戦争の開戦に抵抗した数少ない米国下院議員の1人であるデニス=クシニッチ氏が受けてしまった(本人は賞がどんなものか確認していないんだと思いますよ)、それを事情を知らない日本に当時いたクシニッチ応援団が「アジアのノーベル平和賞ともいわれるガンジー平和賞をクシニッチ議員が得た」と日本でお節介に宣伝する。まあ、賞ビジネスってそんなものですと割り切れます。

「バーレーン国際人権映画祭」の「ドキュメンタリー最優秀監督賞」が存在することを前提に話をすすめると、この賞は初回から迷走しているように思えました。「Taizo」サイドに受賞というシーンを演出するための予算はありそうにない。「お金で受賞」という文脈はナシ。では、「Taizo」による権威づけが狙いか?!しかし、同映画には一つの賞を高く評価させるほどの権威はない。では、なぜ?

「日本人」「伝説の戦争カメラマン」「女性監督の初作品」「ベトナム戦争」「ドキュメンタリー」etc……。映画PR側が宣伝材料として提供した用語が彼らの中で「ヒット」したのかな?

あれこれと思考しているときに、同映画祭に広河隆一さん監督の名作「パレスチナ1948 NAKBA」が招待され、広河監督が自ら式に行ったということを本人名義の「編集長便り 2008年6月」という文書で知りました(http://www.daysjapan.net/editor/)。同映画祭に参加して、その模様を具体的に報告した貴重なルポルタージュです。

旅費・滞在費が全て主催者持ち……という扱いを受けた広河さんはこう結論づけています。

「国王だろうが企業だろうが、人権問題にきちんと取り組むなら歓迎だ」
しかし、バーレーン国際人権映画祭は
「『人権』をプロパガンダに利用したと言われても仕方ない」
どうしようない内容で、
「それの片棒をかついだ私は、反省することしきりである 」……。

広河さんの証言を要約すると、「バーレーン国際人権映画祭」はすべてが「バーレーン王国」の王室が「人権」問題に取り組んだというアリバイをつくるために演出したものでしかないこと。広河さんはあえて、「名士」としか云わず、個人名を出しませんが、誰が名義貸しをしたのか……調査してみる価値はありそうです。最低限のリテラシーのある人が行けばすぐに実態が分かっちゃう欠陥商品だった舞台裏を広河証言から知ることができます。

私の結論はこうです。

「バーレーン国際人権映画祭」は「第二回」の開催も危ういほどにできの悪い、王室が自作自演した「人権」ビジネスだった。
作品を審査員が鑑賞した……という最低限の証拠すら演出できないほどに体裁をなしておらず、映画祭としての権威は一切ない。
同映画祭に出品してしまったことを反省する広河さんに対して、その祭の「ドキュメンタリー最優秀監督賞」受賞を誇示して宣伝材料に遣っている「しょうもない」人たちが日本の映画業界にはいる。

監督へ伝えたいことは、

オーイ、中島監督!どこまで、分かっているの?こんな3流のペテンをひょっとして信じちゃったりしているの?!

ってことです。

「Taizo」という語を日本語検索サイトに入力して左クリックすれば、公式ホームページにすぐにたどり着けます。そこから、7月初旬に数日間、都内の映画館で「Taizo」が上映されること、そのためのメディア向け宣伝を映画PR側が先週初めから仕掛けた実態が判り、ZAKZAKクレジット記事はPR側が流した映画宣伝をそのまんまコピー&ペーストしてつくられんだろう……と大凡の推測がつきます。

とりあえず、「フランスで評価」という宣伝文句が私の範囲で引っかかり、映画を調べていくうちに「実態調査」にドップリとハマッてしまい、無駄な時間を浪費してしまいました。他にすべき優先事項は棚晒しです。これからやらなきゃ!!

2008-05-24

大黒摩季ライヴ

もう1週間前のことになるのか……。

心から愛する歌手・大黒摩季ネエさんの全国ツアー最後となるライヴを聴くために私は横浜市の桜木町駅から徒歩15分のところにあるパシフィコ横浜のコンサート・ホールへと赴いた。18時10分にスタート、21時過ぎに終わり……という長めのステージだった。席は1回19列目。位置としては悪くない。摩季さんの姿もバッチリ、見える。

摩季ネエさんは7回も衣装替えをした。どの服も似合っていた。中でも虹色のドレスは愛らしかったナァ。摩季ネエさんカワイイ……と思わず叫びたくなった。摩季ネエさんはカワイイ……っていう言葉に弱いらしい。そういわれると、照れちゃうっていってたなぁ。

たいへんおめでたいことに今年で歌手デビューから15周年だそうで、3時間もの間、ほぼ休むことなく、歌って、踊って、自分でMCもやって、会場を熱くした。

チョット
あなただけ見つめてる
熱くなれ
夏が来る
ら・ら・ら

それら大黒さんの代表曲を生で聴けて感動してしまった。
どれもけっこう……というか、かなりヒットした歌だ。
私は中でも、♪夏が来る♪が好きでしょうがない。
なんていったって、歌詞がイイ。私は自分のテーマ・ソングになっている。

昨夏、大黒さんとジェネレーションがだいぶ離れたうら若き22歳のカリスマ歌手・中村 中(あたる)さんにインタビューしたときに、彼女が「大黒さんの『夏が来る』はすごく好きです」といい、私はとても嬉しく思えた。「中チャン(仲間内ではチャン付けと親しげによんでいる。失礼)も同じ曲を好きだなんて感激!」と心の中でつぶやいた。

引っ越しして10日

28年1ヶ月、暮らしてきたとても思い入れのある我が一軒家……。

10日前に私は家族と共に生家を離れ、そこから2kmほど遠くにあるとっても古いけれど広々とした民家に引っ越し、新しい生活が始まった。生家は○○○○万円かけて、3階建ての近代的なビルディングに建て直される。今年12月末に完成予定だ。2009年の元旦には、きっとできたばかりの新居に私は戻っているだろう。

生家は最寄り駅まで歩いてわずか4~5分で、新宿にも渋谷にも10分~15分くらいで行けるほどに交通の便が良かった。徒歩5分の距離内にコンビニが3軒もあった。歩いて30秒のところに便利な万屋があり、ジュース・菓子が安価で売られ、私は毎日のようにそこで飲料を買っていた。

いまの一軒家は閑静な住宅街にあるが、とても不便だ。駅まで徒歩20分もかかる。家の近くに商店があるわけでもなく、つい出不精になり、引きこもってパソコンに向かう日々が続いている。

この年で隠居……というわけにはいかない。
何かやろう。
ダラーッとした暮らしのままではイカン……と思い、いま、新しい道を求めて模索中だ。

2008-04-12

中村 中さんのDVD2本

尊敬するシンガーソングライターの中村 中(あたる)さん関係のDVDが2本届いた。1つは昨年11月の旧・渋谷公会堂で行われたソロ・ライヴを収録したものだo(^-^)o もう1つは中村さんがご出演された歌劇「牡丹灯籠」を録ったものだ。

ライヴ映像は早速、開封して、好きな曲のところだけを拾って、繰り返し聴いた(´∀`)心があったまる歌だね~(^^)v

最近、「私がオバサンになっても」をはじめとする森高千里の歌や、とんねるずの歌など、バブル時代とその崩壊後に親しんだ歌を懐かしく聴いている(^_^)

くだらないけど有名な演歌も聴く。「北の宿」や長山洋子の「捨てられて」、「3年目の浮気」、「別れても好きな人」……などを聴く。
 
大好きだった故・河島英五や一昨年にお亡くなりになられた植木等が歌う曲も、いま、マイブームだ(o^o^o)

あと、落語家の川柳川柳・師匠による見事としか言い様がない艶噺が収録されたCDを繰り返し耳にしている。御高齢だが、川柳師匠は元気でいらっしゃるだろうか?

戦時下の少年時代、男友達と数人で川の土手に寝っ転がってセンズリをした……という話は微笑ましい。川柳師匠が暮らす埼玉県の秩父にはB29が飛んでくることもあったらしいが(といっていもド田舎を爆撃するわけではなく、単なる空路に過ぎなかった)、川柳とその仲間たちは土手に横たわりズボンをおろして、「みんな、B29に向けて発射!」といって、機体に向けて“白い弾丸”を発射したそうな。「ずいぶん悲壮な戦いをしていましたよ」と川柳師匠は笑う。「鉄砲のトシちゃん」と川柳師匠が呼ばれたのは、センズリして木で鳴く蝉めがけて発射したら、見事、的中し、蝉を落としたことがはじまりだそうな。「でも、さすがにB29は落とせませんでしたね」と師匠は笑う。

2008-03-14

確定申告で18万0935円、還付。

確定申告の作業が90%終わった。 あとは、医療費の領収書を税務署に郵送するか直接、持って行けばいい。

私はE-Taxを利用した。手書きではなく、パソコンで申告書を作れるのだから、とても楽だった。計算したところ、私の手元に18万0935円が還付される。けっこうなお小遣いだなぁ~。 しかし、そのあと、都民税・住民税とかがかかってくるんだから、ぬか喜びだ。

2008-02-24

紀元二千六百年

落語会のアイジョウジと呼ばれ、爆笑王の異名を持つ落語家・川柳川柳・師匠の創作落語「大ガーコン」を毎日のように聴いているせいか、すっかり、軍歌に関心を覚えるようになってきた。中でも好きなのが皇紀2600年(1940年)を祝う奉祝國民歌「紀元二千六百年」だ。行進曲調で日本を讃える。けっこう、名曲に思える。

紀元二千六百年

■題名:紀元二千六百年
■作詞:増田好生
■作曲:森義八郎

《歌詞》

1.金鵄(きんし)輝く日本の
 榮(はえ)有る光身に受けて
 今こそ祝へ此(こ)の朝(あした)
 紀元は二千六百年
 嗚呼(あゝ)一億の胸は鳴る

2.歡喜溢るゝ此の土を
 確(しつか)と我等踏み締めて
 遙かに仰ぐ大御言(おほみこと)
 紀元は二千六百年
 嗚呼肇國(てうこく)の雲靑し

3.荒(すさ)ぶ世界に唯(たゞ)一つ
 搖がぬ御代(みよ)に生(おひ)立ちし
 感謝は淸き火と燃えて
 紀元は二千六百年
 嗚呼報國の血は勇む

4.潮(うしほ)豐(ゆた)けき海原に
 櫻と富士の影織りて
 世紀の文化また新(あらた)
 紀元は二千六百年
 嗚呼燦爛(さんらん)のこの國威

5.正義凜(りん)たる旗の下(もと)
 明朗亞細亞(アジア)打ち建てん
 力と意氣を示せ今
 紀元は二千六百年
 嗚呼彌榮(いやさか)の日は昇る

 
icon for podpress  紀元二千六百年 [2:46m]: Play Now | Play in Popup | Download

保護中: 10歳に光GENJIに萌えた

小学校3年生から光GENJIにハマッた。
中でも好きだったのが、赤坂クン。
赤坂クンのカレンダー・ポスター・写真を集め、自室に飾ったものだ。
いつも光GENJIの歌を聴いていた。

ローラースケートを買って、自宅前で真似して滑ったなぁ~。
小学4年生の時には念願のコンサートに行った。
もう、萌え萌えだったサ メンバーみんな、超カッコ良かったヨ。
おそらく、会場にいたファンの中でわしは最年少だったんじゃなかろうか。
ペンライトふって、曲に合わせて踊ってました。

特に好きな曲はCOCORO
今でも聞き返したいんだけど、CDを持っていないんだよなぁ
比較的新しい曲だけど、勇気100%は今もよく聴いている

光GENJIを好きだった人、いませんか

2008-02-14

♪紀元は2600年♪

戦争体験者である落語家の一匹狼・川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)・師匠は十八番の噺「ガーコン」で、戦前の歌(軍歌・奉祝歌など)を一時間近く、話を交えながら、歌う。ハリがあり、ノビのある美しい声で聴いていて実に清々しい。

川柳師匠が歌われた曲の中でも「紀元二千六百年」がとても好きになった。
心躍るメロディーで、歌っていると元気が出てくる

歌詞の一番は次のようなかんじだ。

奉祝國民歌「紀元二千六百年」
内閣奉祝會撰定/紀元二千六百年奉祝會・日本放送協會制定
増田好生 作詞/森義八郎 作曲

金鵄(きんし)輝く日本の 榮(はえ)ある光身にうけて
いまこそ祝へこの朝(あした) 紀元は二千六百年
あゝ 一億の胸はなる

この曲は1940年(昭和15年)に皇紀2600年を祝って作られた行進曲風の唱歌だラジオ放送によってひろく流行した。

下記サイトでダウンロードして視聴可能なので、御興味のある方は。

http://www.iond-univ.org/y-2600.wma

2008-01-30

楽しかった新年会

27日は中村中(あたる)さんファンによる新年会を新宿で開いた。
私が呼びかけ人で、幹事。
何名集まるか分からず、とりあえず、14名で予約。
けっきょく、参加者は17名になった。
ナント、全員が初対面だった。
3時間、いろいろな方とお話しできてとても楽しかった。

Ayumiさんという方がとってもキレイなので思わず、ずっと見とれてしまったお話を聞いたら、元男性という。100%女性に見えたので、とてもビックリした。

また、春にでも、オフ会をやろうと思う。

2008-01-28

保革が激突、過熱するパリ市長選挙

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写真脚注:ベルトラン=ドラノエ・パリ市長。(撮影:及川健二) 続きを読む…

2008-01-25

過熱する米国大統領選挙の舞台裏(共和党編・1) 有力候補、ジョン=マケイン上院議員の素顔

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_12_0144.jpg 続きを読む…

27日、新年会@新宿駅

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2008-01-24

過熱する米国大統領選挙の舞台裏(民主党編)

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2008-01-23

川柳川柳・師匠の艶話

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2008-01-21

兵庫県の高校受験制度がA少年を生んだ!? 現在も未解明! プロ棋士・森安九段刺殺事件の真相(2)

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