2009-10-01

『私の家は山の向こう』~「中華人民共和国建国60周年」を迎えて~

 『有田芳生 私の取材ノート』(同時代社)に「さようなら、鄧麗君」というテレサ=テンの死を悼む一文が載っている。私にとっては中学3年生の時分(1995年)に買った思い出深い作品だ。

有田さんは書く。

「最後の出会いにとなってしまった仙台で、彼女は、いつものように左手でVサインを示して微笑んでいた。私は鄧麗君に約束したように、彼女の人生を書くこと、そして彼女の思いを一人でも多くの人たちに伝えることで、時分なりの責任を果たしたい。

 一部の週刊誌などが、鄧麗君の死を興味本位に取りざたすることへの怒りを込めて、私は彼女の内面へと一歩でも歩み寄り、もはや本人自らが語ることがかなわない思いをできるだけ綴っていきたい。さようなら鄧麗君。あなたの澄んだ歌声は、私たちの心の中にいつまでも流れ続けている。もういちど、さようなら鄧麗君……。」(95年5月26日記)

 仙台という地名は魯迅が学んだ地であることから、中国人にとってはよく知られている。
 有田芳生さんは10年後の2005年3月30日に『私の家は山の向こう テレサ・テン 十年目の真実』(文藝春秋)を上梓した。労作を拝読し、1989念5月27日夜に香港のコンサートでテレサ=テンが歌った『私の家は山の向こう』(*原題は前掲著に刻まれている。CDが付いている)を拝聴して、「我愛民主」「民主萬歳」という故人の御意志が叶う日を切に念じ上げる。(つづく)

追伸1:天安門事件で学生には法国・国歌「La Marseillaise」を歌う者もいたという。たしかに、多くの国の民主革命で同曲が歌われた歴史がある。血なまぐさい「革命歌」よりも、美しい歌詞・旋律の『私の家は山の向こう』のほうが民主化を求める象徴に相応しい。

追記2:リヨネル=ジョスパン内閣(1997-2002)に外務相を務めたユベール=ヴェドリーヌ氏の来日講演を今年拝聴した。同氏は民主化を「内的なポテンシャル」に求められた。

2006-02-08

ライブドラえもんとフランス滞在許可証

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2005-04-06

フランスなのに、英語で講義を受けられるのですか?

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ブログを御覧になっている皆様、御愛読いただきましてありがとうございます。当ブログは

①:フランスの性事情(ゲイ/レズビアン/トランスジェンダー)報告
②:フランス留学情報の発信

の二つを柱に運営されています。当ブログの左を御覧になれば分かりますように、『カテゴリー』を用意しています。「留学関連情報」「ゲイ情報」の過去の情報をそれぞれ分類して保存しておりますので、御参考にしてください。 続きを読む…

2005-03-30

パリ症候群?

 あこがれのパリに留学したのに、生活になじめず、心の健康を壊してしまう。
 日本人女性に多いこの症状を在仏二〇年の精神科医・太田博昭氏は『パリ症候群』と名付けた。 続きを読む…

2005-03-27

死んだふり?西欧人でも染毛がブーム?

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チュニジアの首都・チュニスにある動物園での一こま。熊が「死んだふり」をしています。写真をクリックすれば、画面が拡大されます。

ところで、フランス人というのは、もともとブロンド・ヘアという人が多くありません。わたしのみる限り、20%程度のフランス人が金髪であり、あとは黒髪・茶・赤毛だったりします。

かくも多くの人が髪を茶髪にしたり、金髪にしたりするのは、日本人ぐらいだろう……と思いこんでいたのですが、そんなことはありません。

大学に通っていますと、黒髪の白人が茶髪にしたり、ブロンドにしたりしているのを見かけます。大学のクラスが一緒だったデンマーク人の女性は、とってもステキなブロンドヘアをしていました。が、大学の冬休みが終わったら、黒髪になっていました。それまで、染めていたんですって。

日本では、デーブ・スペクターが実は、黒髪だったのではないかと思います。

フランスでは、極右政党『国民戦線』のルペン党首が、髪を金髪に染めていました。
もともとは黒か茶色の毛だったんじゃないかな。

日本では髪を染めるのなんて、産経新聞を愛読しているような人々から毛嫌いされそうですが、西欧では欧州極右のドンが率先して、金髪にしているわけです。

2005-03-17

フランスはサービス後進国?

パリって、ほんと変わった街です。 続きを読む…

2005-03-15

シラク大統領と相撲

相撲といえば、フランス共和国のシラク大統領! 続きを読む…