当ブログの書き手である石田豊(享年54歳)は、2009年6月20日午前2時30分、逝去いたしました。 生前の皆様の御厚誼を深謝し、謹んでここに報告致します。
(ポット出版)

2009-04-22

[002]歯ぎしりして、はじめて自分がゴマメであることに気がつくのだ

病気というのは肺癌の転移・再発である。

昨年(2008年)1月ぼくは肺癌の手術をした。人間の右の肺は3つのパートの別れているんだそうだ(左は2つ)。知ってた? ぼくはこの年になるまでこの呼吸を司っている臓器がそんな構造をしているなんて、全く持って知らなかった。もちろんそれ以上に知らなかったのは、右の上葉にちいさな癌細胞がいつのまにかできてしまっていたことだった。

癌という病気は、必要以上に種々の神話に汚染されすぎている。告知(最近、ホント、ドライでっせ)を受けると、過剰なショックを受ける。ていっても、語彙が少ないもんで、最終的に口の中にもごもごと出たのは「マジかよ……」に過ぎなかったのであるが。さいわい、進行が初期であったため、単純に除去の手術をやればまったくもってダイジョブということだった。そこでためらわずその方針をとり、即座に入院、チャッチャと手術、はい退院と、なんだか滑るように順調に何もかもが流れゆき、08年の夏も過ぎる頃には、「あの〜ところでお体の方は……」なんておずおずと切り出されても、え? このひと何のこと言ってんだろ、誰のハナシだ、と戸惑ったりすることがあるほどだった。

当然、退院後は定期的にフォローアップのための診察を受けるわけだが、主治医の態度も「はいはい。もうあんた、終わってんだよ。イソガシんだけどな、ほんとは」という内心をうっすら推測させるような感じになっていた。

それが年があけて2009年1月のルーティンとしてのCT撮影で状況が一変した。

リンパ節、副腎、腎臓その他に多数のヘンナモノが造影されてしまったのであった。ぼくは当然驚いたが、プロであるお医者もけっこう驚いたようだ。ふつうは考えにくいケースだという。最初、彼が「へんなもの」という表現をとった。ぼくはそれを「癌か、あるいはそうでないものか」との判別に迷ってそのような表現になったものと考えたのだが、

「いえ。癌は癌なんです」ときっぱり。「ただね。この癌の出自が何なのか、と。去年の肺癌が転移したものなのか、そうではなく、まったく別の癌−−たとえば悪性リンパ腫とか−−が別途発生したものなのか、それがわからないんですよね」

どっちでもええやん。そう思うのはシロウトであるからで、出自がわからないと、治療の方針も立てられないのだそうだ。先生は言わなかったけれど、もしかすると診療科が変わるなんてこともあるのかもしれない。

宙ぶらりんの状態のまま、MRI、骨シンチ、PETなどなど、さまざまな手法の検査を次々と受ける。どの検査も今日言って今日できるほどヒマではないので、どうしてもいたずらに日数がかかる。不安な状態にいる患者としては、この時間がいちばんつらい。なんとか早くはっきりしないものか。現にぼくの場合でも、検査の数ヶ月で、見える癌の数は大きく増加してしまっていた。手遅れ……、なんてこともあるじゃないか。

「急いでいない人なんかいないわけだからね。しょうがないんだよ。高価な機械でもあるし」
「でもさ、天皇陛下をひと月も待たすの? 中川昭一でも即日入院即日検査なんじゃないの? おかしいよ。せめてあといくらの特別割り増しを払えば特急とかのオプションくらいあってもいいじゃない。100万円でも500万円でもネフダをつけときゃいいじゃない。払ってやるわよ」

妻は静かに、しかし激しく怒る。ぼくは何も言えない。

歯ぎしりして、はじめて自分たちがゴマメであることに気がつくのだ。

しかし、ゴマメにもご加護はくだされる。もしかしたらゴマメにこそ、と言いたいところだ。無事タイムオーバーにもいたらずに、すべての検査が完了し、その過程(途中で)現在の癌が昨年の肺線癌からの転移であることがわかった。それにしても、いきなりの大量増殖。お医者にとっても、ちょっと考えにくいケース、きわめてレアケースであるということだ。

ぼくの主治医は前々から懇切な説明をする人だとの印象を受けていたのだが、今回の検査結果については、言葉だけが主体で、画像そのものは、チラ見しかしてくれない。あまり見せたくないんでしょうな。最後にチラ見させてくれたPETの画像。そこには癌の部分が黒い斑点として写っていた。ぼくの素直な印象は「まるでダルメシアンみたいだ」であった。

ま。逆の立場だったら、ぼくも見せるのをためらうね。見せたところで状況に何の変化もないんだもん。