2010-03-25
「この本は売れている」と感じる数について
『二人で生きる技術』の増刷が決まりました!最近のポットはなかなか好調で、『日本の公文書』も在庫が少なくなり始め、『劇画家畜人ヤプー【復刻版】』は書店さんからの販促物のご請求や、補充注文も多く、amazonでは一週間に100冊単位で売れていたりと、営業としては嬉しい限りです。とはいえ、私が何かして好調なわけではないのですが……。
なんとなしに出版業界に潜り込んで3年経ちますが、「売れている本」というものについての考え方が働く前と変わっているな、と思います。
例えば友人と一緒に本屋に行くと、「この本売れているらしいね」なんて言われることがあります。そういう時に指される「売れている本」というのは「何万部突破!!」という文字が踊っているようないわゆるベストセラーです。何部売れたらベストセラーという基準は明確ではありませんが、出版社が自信満々に発行部数を書けるような、具体的な数字を上げて売れている証明ができるものが、「売れている」という社会的認知を得て、読者から「売れている本」という認知を受けます。
私はポットに入ってからただ単に「何部売れてるから」という理由で売れている本だなあと思うことが少なくなりました。他社の本で年に1,2冊。ケタ違いの数の時くらいです。部数によって「売れている」感をあまり感じないのです。それは自分が出版社にいて、それぞれの出版社の方針によってひとつの本が何部売れたら満足出来るかという基準が全く違うということを認識したからだと思います。
私自身が自社の本でも他社の本でも「売れている」と感じるのは「想定よりも売れている」ときです。
どの出版社も本を商品と扱うからには商売ですから期待値があります。この本ならこの値付けでこのくらいは売れるであろう、というものです。本に適正な定価をつける計算式というのも存在していて、かっつり計算して期待値を出すス版元もありますし、今でも多くの版元で委託販売をする関係上、売れるか売れないかに関わらず、たくさんの書店さんに本を送り込むために最低でもこのくらいの数は刷る、というところもあります。どんぶりのところもあります。
結局は売れるか売れないかというのは最終的には出さないと解らないのですが、このくらいは売れるだろうから、この分売れたら支出分をペイ出来るという想定はどの出版社も持っているはずだと思います。なので、自社の本であればあんまり売れないと思っていたのによく売れている時に「売れている」感がありますし、他社の本であれば、その版元のイメージに基づいて部数を聞いて、この版元の方針にしては「売れている」という感覚を得ます。
なので他社の本の場合は自分と接点があればあるほどイメージが正しくなるので、感覚を共感出来たりもします。
この感覚は結局経験値によるところも大きいのですが、私でも知っている他社の営業さんであれば話していて、会話が成り立つ程度の精度はあります。とはいえ外すこともあるので、まだまだ私の場合はかなり精度が悪いですが。
自社の本でも他社の本でも「この本それしか売れてないの!」と感じると残念に思いつつ、なぜかを考えますし、「思ったよりこの本売れてるじゃん!」と思えば素直に嬉しいです。
私はこの業界の多くの人のように明確な意志を持って飛び込んだわけではないのですが、最近だんだんとこの業界に馴染んできたな、とそういう時に感じます。
振り返ればそれも当たり前。来週になれば26歳になり、そしてポットも4年目になります。よく続けたような、そうでもないような。年かさだけは確実に重ねてオールで飲んだりすると身体にガタが来ます。働き出すと時間が過ぎるのが早いなと思う今日この頃です。