2009-05-31

Google和解と著作権

返答期限延長もあって、まだまだGoogleの書籍デジタル化問題はあいかわらず騒がしい。

いろんな人がいろんなことをいっているけど、
多くのひとが、批判的で、身近だと松沢呉一さんがポットの考え方にちかい。

で、いろいろ読んでいると、違和感を覚えることが具体的になる。

ひとつは、著作権のこと。
これ、法律であるわけだから、裁判上の解釈があるわけで、
私がどう思うと関係ないかもしれないけど、
著作権を私がどう考えているのか、簡単に書いておこうと思う(以前このサイトのどっかにかいてると思うけど)。

著作権は、著作物を使わせないように制限するもんじゃなくて、
より良い【使い方・使わせ方】をするためにある権利(本当は権理と書きたいところだけど)
何じゃないかと思う。

たとえば、最近あった事だけど、エロ系の絵を書いていた人で、もう死んでる人の絵を
本の表紙なんかに使いたくて、ちゃんと遺族に連絡(調べられたからまだいいけど)した。
息子に依頼すると「使われちゃいや」。
確かに、その息子に許可/不許可の権利があるわけだから言われた通りに引き下がった。

でもこうやって既存の著作物がただ死蔵されるばかりでいいんだろうか?
まあ、死後50年待てよ、ってことではあるんだけど。
こうやって、権利がただ使わせないほうにばかり行っちゃうのに違和感をもつんだ。
もっとより良い使い方をしよう、って認識が社会に広がる意外に、
たぶんコレって解決策はなく、法律の問題ではないんだけど。

だけど、今回のGoogle問題には、こうした使わせないというような権利意識ばかりを感じる。

ふたつめに思うのは、
これまで、出版界は、こうした書籍の全文検索=本をもっと使いやすくする/もっと本を発見してもらう
ってことをやらずに来て、Googleがやっちゃうよ、って時になってただいやだな、って気分で
このことに対応しているように思えてならない。

商品基本情報センターに書誌情報を出版社が集中することもできない(収集率は50%を超えているけど)。

国立国会図書館の長尾真館長の構想にも消極的にしか対応できない。
これをきっかけに、今回Googleがやったことを国会図書館にやらせたって良かったじゃないか。
いまごろ、「公的な機関がやることだ」なんて言い出してる人もいるけど。
だったら、長尾構想に載れば良かったじゃないか(まだ、遅くはないけどね)。

結局はGoogleのような新参者の、無茶なやり方しか、変革ができないのか?
って思っちゃう。

みっつめに思うのは、
なんで、正義感ばりばりの著作者の権利論になっちゃうの?ってこと。
新しい取り組みなんて、やってみた後にしか分からんのじゃないの?

宮部みゆき「英雄の書」で、
物語は人が生きたあとについてくる、できてくる、。
まれに、先に物語を目指して生きようとする人があらわれるけど、
それが人に大きな惨禍をもたらす、なんてことが書いてあって、
無茶苦茶共感したんだけど、正義って、そういうもんだろう。

このエントリへの反応

  1. googleが非営利団体ならあなたの意見も聞く価値があるが、もうけるために法律の隙間をつこうっていうだけなんだから 新種のドラッグ売るのと大差ないというのが私の感想。

  2. 横から失礼。

    なぜアメリカの出版団体や著作権団体がgoogleと和解したのか、なぜ彼らは日本を含めた各国の団体に協力するように要請すべく行脚をしたのか、なぜこれ以降、日本でも批判的な意見が出なくなっているのかの意味を少しは考えた方がよろしいかと存じます。

    また、営利事業は否定されるべきというのであれば、足立さんは出版事業をも否定されるのですね。ご苦労さまです。

  3. 沢辺です。
    松沢さんと同じですけど、公共と企業に分担以上の違いはないですよ。ポット出版もGoogleと同じ営利企業です。
    また、NPOの理事の一員もやってますが、NPOも収入のほとんどは、運営委託費ですから、これも営利事業です。NPOでも、課税もされます。唯一通常の法人とちがうのは、利益を配分できないこと。
    役員賞与と「株主」への配当を出すことができず、従業員への決算賞与も認められないということです。
    ですから、NPOもほとんど企業とかわりません。
    非営利団体に、ただ非営利団体だからという理由で、信頼をおくことはできないと思います。
    さらに、みんな営利を求めることこそがいいんだと思ってます。