2011-09-02
岩本・植村・沢辺の電子書籍放談
何度目かの電子書籍元年といわれた2010年も終わり、
「電子書籍」という言葉の物珍しさもなくなった2011年。
改めて、いま出版社が置かれている状況を捉え直す。
電子書籍とはなにか? 電子書籍でなにができるのか?
小学館社長室顧問・岩本敏、東京電機大学出版局・植村八潮、
ポット出版代表・沢辺均の3人が語る、電子書籍をめぐるあれこれ。
(この鼎談は2011年6月14日に収録しました)
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何度目かの電子書籍元年といわれた2010年も終わり、
「電子書籍」という言葉の物珍しさもなくなった2011年。
改めて、いま出版社が置かれている状況を捉え直す。
電子書籍とはなにか? 電子書籍でなにができるのか?
小学館社長室顧問・岩本敏、東京電機大学出版局・植村八潮、
ポット出版代表・沢辺均の3人が語る、電子書籍をめぐるあれこれ。
(この鼎談は2011年6月14日に収録しました)
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「電子書籍元年」といわれた2010年。その総括と、「2010年代の出版はどうなる?」をテーマに自炊・制作体制・売上・著作権管理などなど、出版と電子書籍にまつわるあれこれを語る2011年3月1日に阿佐ヶ谷ロフトAで開催しました。
出演者は、前年に行なった「2010年代の出版を考える」に引き続き、橋本大也(ブロガー・「情報考学」)、仲俣暁生(フリー編集者・「マガジン航」編集人)、高島利行(語研・出版営業/版元ドットコム)、沢辺均(ポット出版/版元ドットコム)の4人とゲストの鎌田博樹(「EBook2.0 Forum」編集長) 。
今回は、イベントで繰り広げられた約5,6000字分のぶっちゃけ&ぐだぐだトークを、がっつり公開いたします。
USTREAMで中継された映像はこちらで視聴できます。
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「早期退職者優遇措置(リストラ)」に応募した大手出版社営業マン、たぬきち氏。
退職までの日々、そして勤務する出版社の内情を克明に記した
ブログ「たぬきちの『リストラなう』日記」はTwitterでの紹介をきっかけに、
コメント欄には賛否両論含め、さまざまな意見が多数寄せられる人気ブログとなる。
同ブログでたぬきち氏が取り上げた『どすこい出版流通』(ポット出版刊、2008年)をテーマに、
編集者の経験も持つ元出版営業マン、たぬきち氏に出版業界の現状、課題について伺います。
(このインタビューは2010年10月8日に収録しました。)
USTREAMで中継された映像はこちらで視聴できます。
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キノコヘアーの女の子四人組ロックバンド「キノコホテル」。
彼女たちが醸す昭和40年代の雰囲気に、ひとりの男が関わっています。
その名はサミー前田。
今回の「談話室沢辺」では音楽プロデューサー/インディーズ・レーベル「ボルテイジレコード」代表/DJ/音楽ライターと様々なジャンルで活躍するサミー前田さんをお招きして、自身と音楽、そしてキノコホテルとの関わりを語っていただきました。
キノコホテルの大ファンで、元ジャックスのツアー・合宿運転手、『戦場のメリークリスマス』(監督:大島渚)でデヴィッド・ボウイと共演した役者でもある飯島洋一(ポット出版会長)も参加。
(このインタビューは2010年9月17日に収録しました)
USTREAMで中継された映像はこちらで視聴できます。
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製作者側からみた電子書籍は、タグ付きテキストを基本とした電子書籍と、
デザインが保持された電子雑誌と、整理されて議論されるべきではないだろうか。
電子雑誌には、大きく分類すると、動画や3Dなどに注力したもの/
紙の誌面のPDF版などに分けられるが、それはどちらも「画像」としてデバイスに表示される。
だが、電子化する以上、検索性や、コピー&ペースト機能、
障害者などにむけた読み上げを可能にする、など、電子データならではの
機能を実装することも重要ではないだろうか?
電子「雑誌」の現状、HTML5を始めとする、新フォーマットの可能性、
そして、現在の雑誌編集現場からみたそれらのワークフローの見通しを
デザイナー/メディアシステム・ディレクターの深沢英次さんに伺う。
(このインタビューは2010年8月26日に収録しました)
USTREAMで中継された映像はこちらで視聴できます。
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落語がブームと言われて久しい。毎日でも聴きに行くことができ、
関連書籍やDVDもずっと出続けていて、落語に対する敷居はぐっと低くなった。
それでも一般の人はもちろん、いわゆるタレント・芸能人とも少し違う感じのする
「落語家」という人々の日常というのはいったいどんなものなのだろうか。
落語家にはどうやってなるのか? 毎日をどのように過ごしているのか?
落語家の日常を2010年9月に真打昇進を控える落語家・鈴々舎わか馬さんに聞いた。
(このインタビューは2010年7月13日に収録しました。)
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書籍がデータ化されることで、著者と出版者の関係、
そしてユーザーと「本」の関係はどう変わるのか?
音楽業界の電子化からコンテンツビジネスの変貌を追い続けている
ITジャーナリスト・津田大介氏に聞く。
(このインタビューは2010年3月31日に収録しました)
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電子書籍は図書館で貸し出すべきか? 出版社が権利を持つ必要はあるのか? 出版界への批判はどこまで妥当か?
東京電機大学出版局の植村八潮さんに訊く、電子書籍をめぐる課題、第2回は権利のゆくえ。
(このインタビューは2010年3月27日に収録しました)
第1回はこちら→談話室沢辺 ゲスト:東京電機大学出版局・植村八潮 第1回「20年後の出版をどう定義するか」
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電子書籍や出版の未来をめぐって、出版界の内外ではさまざまな意見が飛び交っている。しかしそもそも、書籍が電子化されることの意味とは何だろうか? 「本であること」と「紙であること」はどう違い、どう結びついているのか?
電子書籍の権利やフォーマット、教育現場での活用に詳しい東京電機大学出版局の植村八潮さんに訊いた。
(このインタビューは2010年3月27日に収録しました)
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近著『経済成長って何で必要なんだろう?』で実務家の経済学者としての立場から経済成長の必要性を説き、「では、そのためになにが必要なのか」を3つのシンプルな方法─〈競争〉〈再分配〉〈安定化〉─で提案した飯田泰之さん。
統計、データを実証したうえで描かれる、日本の社会保障システムと税システムの改革デザインをうかがった。
(このインタビューは、2010年3月24日に収録しました)
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先頃『カント 信じるための哲学──「わたし」から「世界」を考える』(NHKBOOKS、2009年6月)というはじめての単著を出版した哲学者、石川輝吉さん。
著書は、若者がよく口にする「ひとそれぞれ」というキーワードを軸に、現象学的にカントを読み解いていったものだ。
「ひとそれぞれ」から出発した若者たちは、この「困難なき時代」にどう向き合っているのか。哲学という学問と、いまを生きる若者の「困難」をどうきり結んでいくか。
学生時代に竹田青嗣氏、そして哲学と出会った石川さんは、竹田哲学を継承しつつ、次の時代の哲学をどう切り開こうとしているのだろうか。
(このインタビューは、2010年1月6日に収録しました)
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沢辺 発展途上国も前より部分的によくなっているけれども、先進国の上がり方がすごいから、その距離に問題を感じるわけですよね。だからルサンチマンも生まれやすい。ある意味イスラムや911に通じる。
竹田 いま宗教的原理主義がルサンチマンの受け皿になっているんだね。
沢辺 貧しい国を引き上げる以外に、ルサンチマンの解消の道はないですね。
それから、たっぷんたっぷんになってしまった我々の欲望はどうしたらいいのでしょうか。いま若い人達が就職せずフリーターに流れているのは、社会が悪いと言われることもあるけど、たっぷんたっぷんの状況のなかで、なにも無理してやることないんじゃないの、と考えているのではないでしょうか。
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電子出版時代の編集者の役割は、「必要/不要」では語れない。
2009年10月に、アルファブロガー・小飼弾氏との著書『弾言』と『決弾』のiPhoneアプリ版を自らの会社から発売したフリーのライター/編集者の山路達也さんに、書籍の執筆・編集から電子書籍発売後のフォローアップまで、それぞれの段階で何を考え、何をしてきたかを話してもらった。
「2010年代の出版を考える」、編集者編。
(このインタビューは、2010年1月19日に収録しました)
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沢辺 今回のテーマは「労働」です。竹田さんは、人間の社会の大きな流れが経済ゲームから文化ゲームへと変わっていくと言われています。僕は「労働」というものも、やがて文化ゲームと混じっていって、生きるためにするのか、楽しむためにするのか、その境目が溶けていく性質を持っている気がするんです。そこでまず、そもそも「労働」とは哲学的に言うとどういう性質のものなのでしょうか?
竹田 哲学的には、人間の活動を「労働」と「文化」と分けるのがわかりやすいです。これを私はハンナ・アレント(Hannah Arendt,1906-1975)から受け取って、なるほど、と思いました。
有名ですが、アレントは人間の行為を<労働>、<仕事>、<活動>の三つに区分しました。<労働>は人間が共同体をつくって生きていく上で絶対的に必要なもので、もし<労働>がなければ人間は滅びてしまう。しかしアレントの図式では、<労働>の必要が大きくなればなるほど人間の生の条件としては悪くなる。アレントが言う人間の条件の基本は「自由」であり<活動>がこれを担います。<労働>は自由と背反的なものです。
アレントのいう人間の生の条件はギリシアの自由ポリスをモチーフにしていますが、自由ポリスでは、市民は奴隷労働の上で何もせず遊んでいるわけです。市民は労働をしないので、自由がある。その自由があることによって、言論活動を行ない、「人間の自由は、言論活動のなかではじめて成立している」というのがアレントのイメージです。
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沢辺 改めてもう一回、小浜さんが自殺も含めて死というものについて、どう考えているか聞かせてくれませんか。
もう一回そこをちゃんと押さえておいたほうがいいと思うんです。
「人間学アカデミー」第7期での、山折哲雄さんの講義が、僕にはすごくインパクトが大きかった。それは、あまりにも死が悪いことになった社会、死を悪いことにし過ぎちゃっているな、という問題意識がでした。
この前忌野清志郎も死んで、芸能人で有名な人も死んでいるんだけど、いいじゃん、って。
小浜 死というものに対しては、いろんな側面からいえると思いますが、日本人の国民性という側面からすれば、日本人は生きるということに対して、そんなに貪欲じゃないですよね。
日本には「武士道」や「葉隠(はがくれ)」のような、死に直面したときの態度を絶えず準備しておく考え方がありますよね。また西行の有名な歌に「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」なんてのがあって、この歌は時代を超えてすごく愛唱されてきたわけですが、ここに、日本人の、死に対する淡々とした覚悟のようなものがよく表わされていると思います。
命というものに対して、西洋人ほど、どうしても生き延びたいというものでもなく、比較的、生と死の境目を絶対的には考えない伝統がまだ残ってるんじゃないかという感じがするんです。
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沢辺 日本の自殺率が高止まりしていますよね。
それはバブルが崩壊し、金融危機が起こり、格差が拡大して、リストラされたり、貧しくなってるからだ、と理由があげられています。
それを受けて社民党の政策などでは、雇用を確保しろとか、社会保障を充実させろという流れになっている。
自殺って、人間の死が前提になっているから、それには抗えない。「自殺を減らすために社会保障を充実させようよ」って言われたら、なかなか反対しきれないですよね。
小浜 そうですね。
沢辺 でも、例えば南アフリカは、ネルソン・マンデラが大統領になっても、皮肉なことにますます格差が拡大してしまい、酷いらしいじゃないですか。
自殺が単純に格差や貧しさの拡大で起こるのであれば、南アフリカは世界最高の自殺率、ということになるけど、実際、そうはなっていない。
それで、もう一度、自殺っていうのを大元のところから考えておいたほうがいいんじゃないかって。
前提となる数字を踏まえ、自殺というものの本質的な問題と、そこから考えうる対応を整理しておきたいと思って、今日のインタビューを考えました。
小浜 まず、世界的に一番権威ある自殺についての考察は、社会学者のエミール・デュルケーム(Emile Durkheim,1858-1917)の『自殺論』です。
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沢辺 電子書籍に関しては、何か考えていることはある?
須田 電子書籍は、様々あるフォーマットに合わせて提供する必要があるので、小さい出版社が一社でやるのは大変だと思うんです。だから、提供のプラットフォームを皆で作っていきたい。版元ドットコムがやらないんだったら、他を見つけないとやばいな、と思っています。版元ドットコムのメーリングリストでも話題が出ていましたけど、やっぱり紙の本だけでやっていると、CD屋さんみたいに悲しいことになってしまう。だから、紙の本は紙の本でやっていくけれども、別の形でコンテンツを活かしていく仕組みを作っていかなければいけません。
沢辺 オレは、電子が一定の割合を占める状況になると思うんだけど、それはどう?
須田 それは、なると思います。これまで電子に行かなかった一番の理由って、ディスプレイの解像度が目の解像度よりも低かったからだと思うんです。チカチカして疲れるという理由もあると思うんですけど、一番は解像度の問題で、本の見開き分の情報量を出せて、簡単にめくれるようなスペックを持ったディスプレイがなかった。それがクリアできれば、一定量が電子書籍に流れるだろう、と思っています。
だから新しいデバイスには手を出して、「どういうものだったら将来性があるかな」というのは自分の実感として知っておかないといけないと思いますね。沢辺さんから「iPhoneでメルマガを読むようになった」という話を聞いたときは、「なるほど、こうやって可処分時間がだんだん電子デバイスの方にいくんだな」と思いました。
沢辺 別にこんなこと予言しても仕方がないんだけど、須田くんの感覚では、何年くらいで、どの程度の本が電子で読まれるようになると思う?
須田 どのくらいでしょうか。今のところ、選ぶ場所としての書店の役割が結構大きいですよね。「書店で買うこと自体がエンターテイメントとして好き」という人は、それなりの割合でいます。それに対して、必要でする読書が電子の側にどんどん奪われていく、という状況がある。
若い世代の電子化がどれくらい進むかによるでしょう。
とはいえ、遅くとも3年後には、「え、まだ取り組んでないの?」という話にはなると思います。
あとはデバイスの性能と普及次第。
沢辺 あと、コンテンツの問題もあるよね。
須田 でも、既存の出版社からコンテンツの提供がなかったら、電子専業でコンテンツを提供する人が現れて、既存の出版社を押しのけて提供側になりますよね。デバイスさえあれば、それはどんどん出てくると思うんです。なので、3年以内に市場規模として1割から3割くらいのところに行くんじゃないかな、と思います。
買われ方も変わっていって、音楽がiTunesミュージックストアなどの配信によってアルバムがあまり売れなくなって、シングル化したように、本もある程度はシングル化するんじゃないかな、という気がします。1冊まるまる売るのがアルバムだとしたら、その時読む部分だけ買う、という買い方。
Twitterで「Kindleでアレコレ買おうと思ったけど、読む時に買えばいいんだ、って気づいた」と書いている人がいましたけど、その感じだと、最初から1冊買う必要はなくって、言及されている気になる部分から買っていって、全体が気になったら1冊まるごと買う、という買われ方になるんじゃないかと思いました。
買われ方が変われば、読まれ方も変わってくるので、それにふさわしい提供の器を作る必要があると思います。
でも、私は正直なところ、紙の本の色々なつくりが好きなので、デジタルに偏った本作りをする必要はないのかな、とも思います。紙の本の中の1章だけを切り売りするのは、すごく不完全な部分もあるけど、そこで1章毎に完結するようにしよう、と考える必要はあまりなくって、単に切り売りするためのフォーマット、例えばISBNにどう枝番を付けるかとか、そういう準備だけしておけばいいんじゃないかと思っています。
実のところ、電子専用のフォーマットに向けて、あまりたくさん準備はしたくないし、その投資は結構先々まで割に合わないだろう、というのが私の感触なんです。
だから、出版社としてまず大事なのは、「今作っているものを手軽に電子化するためにはどうすればいいのか」というノウハウを持つことじゃないでしょうか。
沢辺 でも準備といっても、そんなに難しい、大げさなことじゃないように思ってるんだけど。
須田 PDFでフォーマットを持っていて、著作権者との間で分配についての解決ができていればいい、というだけの話ですよね。
細かく言えば、入稿した後にデータを直したり、印刷所で何か処理をしている場合があるので、そのPDFデータを紙の現物と同じ内容にしておくのが結構大変ですよね。
正直、太郎次郎社エディタスではその辺りの管理が全然つくれていないので、これから社内の体制からつくっていかなくちゃいけない、と思います。
沢辺 オレは、InDesignでデータを作る時に、その場しのぎのことをしないで、段落スタイルと文字スタイルをちゃんと適用していれば、問題はないんじゃないかと思ってるんです。甘いと言われるかもしれないけどね。
InDesignは本のデータをXMLで書き出すことができるけど、InDesignで段落スタイルを当てるのはXMLやHTMLでいうタグを付けるのと同じで、「ここからこの要素が始まります、ここでこの要素は終わります」と指定することなんだよね。
だから、きちんとスタイルを適用して作ったInDesignデータから書き出したXMLなら、電子書籍のフォーマットに変換するときに、必要なタグは一括で置換できるし、不必要なケバみたいなタグも、やっぱり一括で削除できるはず。
ただ、InDesignでデータを作る時にイレギュラーなことをやっていると、面倒なことになる。
例えば、オレもやったことあるけど、「1─◯◯◯◯◯◯」みたいに、罫線を使った見出しを作るとき、罫線の部分をインライングラフィックにして貼り込んだりする。そういうデータの場合、単純にグラフィックのところだけを削除しちゃうと、「1」と「◯◯◯◯◯◯」のところが詰まっちゃったりする。
だから、ある例外処理をする場合も、XMLに書き出したときにちゃんとなる、というのを意識した例外処理をしていかないとダメなんだよね。
須田 見出しだけアウトライン扱いのデータということも、本の世界では結構ありますもんね。
うちのように社内組版をしていない場合でも、印刷所にデータを渡すときに、明確なルールに基づいた形にする必要があります。
それから、印刷所に組版を依頼する場合は、「印刷所は組版データを引き渡してくれるのか」という問題もありますよね。「他に仕事を持っていかれるかもしれない」と思うからか、しぶる印刷所もある。だから、「版は出版社のものである」と明らかにしておかないといけません。
沢辺 オレは元々デザイナーなんだけど、昔、それで逡巡したことがあるんですよ。例えばグルメ雑誌のように定型的なフォーマットの場合、「お店の名前、電話番号、住所、本文、代表的なメニューと値段」が入ったものを一度作ってしまえば、次からはある程度コピペで処理できるでしょう? もちろん、ある程度だけどね。
そうすると、「組版データをください。次からは編集者にやらせるから、デザイン料はタダね」と言ってくるところがある。明確に「タダ」とは言わないんだけどさ。
須田 まあ、データをくださいと言われれば、そういうことなのかな、と思いますよね。
沢辺 で、それにどう対応するかなんだけど、最終的には、「編集者が再現して満足されるレベルであれば、お呼びがかからなくても諦めるしかないな」というところに落ち着きましたよ。データをあげるあげないのところで踏ん張ったところで、勝ち目はないしね。
[参考:はじめてのドットブック作成【本の現場編】│ポット出版]
須田 ここまではデータメイクアップの部分でしたが、他に電子書籍への準備としては、そうやって作ったデータをどこに流通させればいいのか、というのがありますよね。電子の世界でも書店があるわけですから。出版社のサイトに直接買いにきてくれる人の数は、先々も大きくならないと思います。決裁手段をあちこちに分散させるだけで、読者としては嫌ですもんね。太郎次郎社の本を買うためにいちいちクレジットカードの番号を入れたくないですよ。AmazonやiTunesストア、Appストアで買えれば、それがいい。じゃあ、そういうところにどうやって提供していくか、というのが課題ですよね。聞く話だと、ずいぶんいい率を抜かれるらしいですが。
沢辺 その辺りのことを考える上で、『デジタルコンテンツをめぐる現状報告』の中のモバイルブック・ジェーピーの佐々木隆一さんの話が参考になるよね。結構具体的な数字も言ってくれたし。
須田 やっぱり流通割合がかかるんだな、と思いました。解決するのは置き場所問題くらいですかね。
沢辺 ですよね。電子書籍好きな人は、「出版社はもういらないし、著者が直接売れば本も安くなる。何もかも一挙解決」みたいな夢を語ってたけど、「やっぱりそうはならねえよ、ざまあ見ろ」って(笑) 現状、総制作費のうちの紙代と印刷代が占める割合って、そう高くないですからね。
須田 流通もなくなるって言われたけど、なくならないですからね。情報だって流通はあるんだから。
沢辺 それから、決裁手段を提供してもらえば、そこにマージンもコストもかかる。だから、今書店に22%払っているとしたら、電子書籍の場合はカード会社に5%、電子書店にも10数%持っていかれて、結局、今と同じくらいのマージンがかかる。そうすると、劇的に安くすることはできないよね。
須田 劇的に安くすると、どこかの人が死んでしまうわけですよね。死んでしまうと出版物は出力されないので、死なない程度の値段を皆で出さざるを得ない。
沢辺 ここまでの話をまとめると、須田くんは電子書籍に対して、「手間なく出せるようにする」「どこに出したらいいかを探る」という二つの準備をしようとしている。
須田 そうですね。フォーマット的な準備と、流通の準備。あと権利者へのケアも重要ですね。
実際に電子書籍を出すときには、「事前に説明はするけど、報告は金額が大きくなるまで待ってね」というやり方でないと動き出せないと思います。分配割合を決めて逐一報告するのは、最近のメールで連絡を取り合っている著者に対してはできるけど、そうじゃない著者にはできない。
あとは、太郎次郎社エディタスは新刊の売上割合がそれほどないので、今後電子の方に比重が移るとすれば、既刊を電子化していくことも必要になります。既刊を電子書籍にしたものも、長期的にはペイすると思いますが、既刊の場合は、新刊を電子で出すよりも権利がやっかいです。かなり前に出した図書に関しては、ご本人が存命でない場合もありますし。
でも、やりたいな、と思います。もしかしたら、連絡もなかなかとれない著者のものを電子化するのは、出版社の仕事じゃなくなるのかもしれないですけど、最初にツバつける権利は出版社にある気がするので。
沢辺 オレは、現状出版社に著作権はないし、版面権もないけど、電子化にあたって、「やる手」だと思ってるんだよね。
テープに起こせるかどうかわからないけど、オレの本音を極端に言えば、電子書籍を売り出したら、「このようにしました。売上は立ってきたら報告しますので」と連絡はするけど、「いついつまでに何なにを」という具体的な約束はせず、「いつか報告するよ」ということにしちゃうかな。「いつか報告して、その時に取り分については相談しましょ」と。
もっと極端に言えば、許諾を得ないでどんどん電子化を進めちゃって、「あなたの本を電子化して販売を始めました」と通告するかもしれない。それで「ゴメン、やだよ」と言われたら「ごめんなさい。じゃあ、電子本から外します」という、ある種Google的なやり方も考えてる。
権利割合についても、後から「もう売っちゃってるけど、今まで売ったのは何冊で、これくらいの割合で支払いたい」と交渉すればいいんじゃないかな。
須田 実施側としては、どうしてもそうなりますよね。
利用者の立場から電子書籍の権利の話をすると、この前、Kindleで購入した『1984』が消されましたが(参照:「Kindleユーザーの本棚から消えた「1984」、Amazonが勝手に削除!? | ネット | マイコミジャーナル」)、一度世に出した出版物が、あんなに簡単に回収できてしまうのは考えものですよね。
沢辺 ただ、オレは電子本に関しては、権利関係が変わるんだと思うね。所有権ではなくて、利用権・ライセンス権になっていくんじゃないかな。
須田 そう思う部分もあるんですけど、一読者として言うと、ライセンス権はすごく不安ですよ。例えばある出版社の本を買って一定期間利用できるとしても、その会社が消えてなくなったときに、自分が買った本の利用権はどうなるのか。
今あるものだと、着メロは利用権的なものですよね。あれは、機種や通信会社が変わったときに、データを移せません。それに対してiTunesミュージックストアで買ったものは、マシンを変えても聴くことができる。着メロのような限定的な利用権までいってしまうと、読者の意欲を削ぐのではないかな、という気がしています。
だから、「利用権でいいや」という人が多くなるか、「やっぱり手元のデータのところは永続的な権利で欲しいよ」ということになるのかは、ちょっと微妙だと思いますね。
沢辺 ちょっと話がそれるけど、オレは、今後利用権の考え方が広がって、アプリケーションを時間で買えるようになればいいな、と思うんだよね。今ポットでは、広く薄く、みんながInDesgin使っているんだけど、編集者がInDesignを触るのは、1ヶ月200時間働くうちの10時間だったりする。だから、社員10人に対して今のように10個分の権利を買うんじゃなくて、5個分くらいで勘弁して欲しい。5個のうち2個は、決まった2人が年がら年中使うけど、あとの3個は、残り8人のうちの誰かが使います、というライセンスにしてくれたら、もっと金を払いたくなるはずだよ。
で、出版社が倒産したらどうするの、という問題は、やっぱり共通インフラを作らないといけないかな。
須田 レジストリ的なものがあって、出版社が立ち行かなくなって両手を上げたあとも、最後に「こういう条件でこういうプロテクトをかけてました」という情報をレジストリに戻せば、引き続きレジストリ側が管理をしてくれて、著者への支払いのアクセスもそこで担保されるとか。そういう仕組みがないと、安心して買えないですよね。ただ、そのレジストリの信用度をどうやってつけるか、という問題はありますけどね。
沢辺 それはもう、小学館、講談社が入るしかないよ。で、オレたちもその中にぶら下がる。だけど「お客様」じゃなくて必要な金は出す準備はしなくちゃいけないし、口出しもできないとね。「なんだよそれ、高過ぎるだろう。内訳見せてみろ」ということが言えるポジションを作っておく、というのが課題かな。
須田 そういうとき、版元ドットコムが果たせる役割があると思います。業界インフラの「一社いくら」の分担金ってだいたい、小さい出版社ほど、売上金に対して高くなるようにできてるんです。もちろん、そのことには合理性もあって、一社いれば一社分の事務手続き、IDやパスワードを発行して請求書を出したりするコストを反映しているわけです。だから、小さな出版社が何社か集って、「講談社は一社で何十人もPOSを見る人がいる。使ってる人数の合計は俺たちと同じくらいなんだから、金額も同じくらいにしろ」と言っても「手間考えろよ」と言われちゃいます。でも「版元ドットコム」という一つの主体なら、「窓口は一本でいけるので、一社扱いまではいかなくても、三社扱いくらいでどうですか」と言える。
一社でやると撥ねられるかもしれない、というのは、ずっとコンプレックスになっています。取次窓口に「出版VANの加盟の仕方を教えてください」と言っても、「えっと、部門がどっかにあるはずなんですけどね。今度調べてお知らせします」と言われてそのままだったりしますから。
それに、やっぱり大手さんは数が少ないから、話が早く進んでしまう可能性がある。
沢辺 ただ、オレの経験で言うと、大手の出版社は零細出版社にもの凄く気を遣っている感じはするけどね。例えば「小学館の社長は、書協の理事長にはなるないようにしている」と聞いた。確かに書協のリストを見ると、理事長は小峰書店とか、中堅ですよ。小学館は副理事長にはなるけど、トップにはなってない。
須田 大手が勝手に物事を進めている形にならないようにしているんですね。
沢辺 でもそれって、他の業界ではありえないでしょ。例えば、新聞協会だって、「秋田さきがけが会長で、朝日新聞は必ず副会長です」なんてのは、多分ないだろうし。
須田 出版業界は、国連に近いですよね。国連の事務総長はP5の中からは出てこない。
沢辺 そうそう。そして、書協で物事を決めても実効性がないのも、まさに国連と同じでしょ(笑)。
須田 そうですね。小さいところの実勢を尊重するから、「これを進めます」と言っても進められないところがある。
沢辺 それが、商品基本情報センターの登録料1冊500円を、書協の会員社ですら、少なくない数が払ってないという実態が生まれる根拠でさ。まあ、書協というのも凄い組織だな、と改めて感じましたけどね。
沢辺 最後の最後に、どうですか。出版業界、版元ドットコム、なんでもいいんですけど、何か言い足りないことは。
須田 そういえば、永江さんの『本の現場』を読んで、「これからの本の行方として、こういう形が続けられるかな」と思ったことがあるんです。
『本の現場』って、連載していた原稿だけじゃなくて、章毎に単行本用の補遺がありますよね。あの補遺での読者との距離感は、電子本では出しにくいものなんじゃないでしょうか。
というのは、連載時の部分は、ちょっと上下を着てる感じなんですけど、補遺の中では、「ぶっちゃけ、新書の新刊がクズばっかりだ」という話が出たりしてるじゃないですか。
ああいったものは単行本で読む読者にはとてもうれしい。ああいう、単行本という媒体によってできる親密さというのは、電子では出にくい部分じゃないでしょうか。ホンネをぶっちゃけるだけなら、ブログなどでもする人はいますが、それとはまた違ったかたちの文脈を共有してきたことによる親密さというのは、結構大事な出版文化なんじゃないかな、と思っています。
本を読むという行為には、「著者と一緒に長い時間、対話する」というところがあって、その時の著者と読者の距離は、すごく近い気がするんだけど、実際はネットのようにすぐにコメントを書き込んだりメールを送ったりできるわけでもなく、けっこう遠い。そういう距離感で、著者の肉声によりそって一緒の時間を過ごした後にポンと本を閉じる、という感覚が、電子にはなかなかない。
その感覚が電子にも出てくるようになれば、私自身、紙じゃなくてもいいと思うんですけど、今のところ、紙の本にはその辺りの距離感の面白さが、著者と読者と業界の色んな人たちが作ってきた結果としてある。その体験を電子の本にどうやって置き換えていけるのか、というのが課題なのかな、と思います。その中で、「出版社の位置ってなんなんだろう」ということも考えていきたいです。
沢辺 実は今日、そこのところは話をしなかったんだけど、電子書籍の話をすると「今ある紙のものを、どうやってそのまま電子に置き換えますか」ということになることが多いじゃない? でも実は、電子書籍には電子書籍だから生まれる何かがあるんだと思う。いい例は思い浮かばないんだけど、無理矢理例えて言えば、文語体だけでなく口語体が生まれたような変化が、電子でありえるかもしれないし、その中には、須田くんが言ったような距離感、上下を着てるときとざっくばらんな感じ、という微妙なニュアンスも存在するかもしれない。
須田 ネット上にあるものって、検索で飛び込んできた人の目を何となく意識してしまうところが、今はあるのかな、という気がするんです。
本の場合は1冊通して読まずに片言隻句だけあげつらう人がいたら、かなり恥ずかしいじゃないですか。でも、Webの文章に関しては、そういうあげつらいが恥ずかしいという意識がちゃんと持たれにくい。それは、1冊の本としての存在感が電子上のものにないからじゃないでしょうか。
本はある種の強制力を持っていて、必ずそうしなくちゃいけないわけじゃないけど、1ページから200ページまで通して読ませる構造になっていますよね。
その結果、本というのは著者と読者の親密な空間を作るんじゃないでしょうか。親密といっても、肉親のような関係とは違う、本独特の、かなり貴重な空間ですけどね。
沢辺 オレは、どこにどういう発明があるのかはわからないけど、何かの可能性は意識しておかないといかん、と思うんだよね。本だったら引用だったものがリンクになるのか、カギカッコという道具が発明されたように、別な道具立てが発明されるのか。とはいえ、現状オレは何も思いつかないから、前に行くしかない(笑)。一方で可能性を意識しつつもね。
須田 出版社って、リスクが大きい商売で、だからこそ、「出版するんだからそれなりの内容だろう」という信用があった。スタジオ・ポットSDの日高崇さんが「『本になったものだったら典拠として正しい』というのは本による情報ロンダリングだ」と言っていたけど、その信用は出版への敷居の高さが支えていたわけです。今は本を出す物理的コストがどんどん下がってきちゃってるから、「出版社が編集したものは、それなりのクオリティなんだよ。リスク背負って出してるんだよ」というのを出版社側がアピールできないと、出版社の役割ってなくなっちゃうんじゃないかな、と思うんですよね。
流通自体も、電子の流通は、既存出版社だからといって優遇してくれないと思うので。そこで既存出版社が残っていくには、「リスクをとって手間ひまかけて本にしてますよ」というところしかないかな、と思いますね。
沢辺 オレは、既存の出版社は、まだ2、3年のあいだ優遇されると思うから、その短い期間、相対的優位性があるうちに、とっととポジションを築いておかないいけないと思う。
ただ、優遇と言ったって大した優遇ではなくて、5年10年経ってしまえば、「何それ?」と言われても不思議はない程度の脆弱なものだから、開拓時代のアメリカみたいに、早いところ「海辺の、港ができそうないい土地」を切り取らないとね。
その先、今度は港よりも飛行機の時代になっちゃって、海辺の土地に価値はなくなっちゃう、ということもあるかもしれないけどさ(笑)
(了)
第1回「太郎次郎社エディタス・須田正晴は如何にして版元ドットコムに入ったのか」
第2回「いまだに、信頼できる書誌データがない」
須田正晴(すだ・まさはる)
太郎次郎社エディタス 営業部勤務
1995年太郎次郎社入社。2003年太郎次郎社エディタス設立にともない移籍。
版元ドットコムには設立時より幹事・組合員の一員として参加している。
Twitterのアカウントは@sudahato
沢辺 太郎次郎社エディタス、もしくは中小零細出版社、もしくは版元ドットコムとして、須田くんは今後何をやりたいと思ってるんですか?
須田 版元ドットコムとしては、細かいノウハウの共有を、もっとたくさんやっていきたいです。あまりアイデアがあるわけでもないし、利用者がどれくらいいるかわからないんですけど、高島さんや私が売上分析や書誌整理のためのエクセルのテンプレートを公開したりしてる(版元ドットコム:資料・ツール)じゃないですか。ああいう、何か始めようと思った人のきっかけになるものがあるのがすごく大事だと思っています。
私が版元ドットコムで活動していてありがたかったのは、入社直後に先輩が辞めてしまい、部署的なすれちがいもあって誰からも教わることができなかった営業を教わる場所ができたということでした。そういう場所として機能していくために、今FAQなどでやっているのを、もっと整理していきたいです。
例えば出版用語辞典も、「なかなか難しい」という話になったんだけれども、あれを簡単なところからもう一度立ち上げられないでしょうか。具体的に言うと「辞書」なんですけど、たとえばパソコンを買って来たばかりの状態では、「トーハン」って変換では出ないじゃないですか。「日販」も出ないし、「日教販」も出ないし、「延勘」も、「返条付注文」も出ない。そういう類のものって、大きい会社ではちゃんと辞書があると思うんですよ。それとも、個々人が鍛えてるんでしょうか。
沢辺 なるほど。そこは疑問に思ったことはなかったな。
須田 まあ、沢辺さんは自分で鍛えちゃうんだと思うんですけど、個々人が辞書を登録しているのって無駄じゃないですか。出版用語辞書を作ってあれば、それを入れるだけで出版関係の用語が簡単に出てくるようになって、しかも「じょうび」と入れたときに「常備」という漢字だけじゃなくて「本の所有権は出版社にある」とか、検索候補の中にヘルプが出てくるようにできたらいいな、と思ってます。細かいことなんですけど、ただでさえ小さい会社の人間が、一つひとつやっているのは手間ですから。そういうツールが入った便利箱が版元ドットコムにあって、各自が作ったものをどんどん入れていけたらいいな、と。
まあ、辞書に関しては本当に使いでのあるものになるかはわからないですけど、社内にパソコンを入れる度に出版関係の用語を入れるのが面倒くさい。新しいパソコンでその用語を初めて打つときに辞書登録するから、あっちのパソコンには入ってるけど、こっちのパソコンには入ってない、ということになるわけです。そんなの統一しちゃいたいと思うんですけど、社内のためだけだと、あまりやる気がしない(笑)。というのも、得することよりも、その辞書をメンテする手間の方が大変なので。ただ、共有辞書に少しずつ上げていくのであれば、後の人のためになるし、誰かが上げてくれれば、自分も苦労いらずでたくさんの語彙のものをダウンロードできますからね。
自社の用語の使い方と多少違ったとしても、やっぱり、共通であったほうがいい。そういう小物のノウハウ共有をもっと進めるのが、版元ドットコムでやりたいことの一つです。
あとは、そろそろ書店直送が現実的にできるんじゃないかな、というのが、沢辺さんたちの35ブックスの話を聞いて出てきました。今のところ、返条付は難しいかな、と思うんですけど。
他にも、前にトランスビューの工藤秀之さんと何人かが、取次の改訂版の書式について組合会議で話しているのを聞いて、「そんな書式があるんですか」と言ったら、メールでパッと書式を貰えたのが、非常にありがたかったです。まずそういう書式が存在することすら知らないと、貰うこともできないことじゃないですか。だから、本当は問題あるのかもしれないけど、そういうのもどんどん版元ドットコムの共有箱に入れていって、「最新版は窓口に貰いに行ったほうがいいかもしれないけど、こういうものが存在しているんだよ」ということが恒久的に分かるようにしておくのがいいと思うんです。
それなりに大きな会社では、「この時には、こうなってるから」というノウハウは社内の誰かが教えてくれるのかもしれない。でも小零細の出版社の中にいると、それがない。だから、版元ドットコムはノウハウ共有の一助になることを期待されているんだろうな、と思います。だから、そこは読者が、というよりは会員さんに使い勝手がいいものですね。
沢辺 オレはもうちょっと皮肉な、斜めな目線で見ちゃうんだよね。例えば改訂版のノウハウにしても、工藤くんは、そこでパッと書式が出てくるわけだよね。これ自身、なかなか凄いことだよな、と思うわけですよ。トランスビューって、社員3人くらいで、営業やってるのは1人だよね? つまり、工藤くん自身がそこまで全部カバーしていて、パッと出てくるわけよ。この前も、「d/sign」っていう太田出版の雑誌から松本晶次さんの『わたしの戦後出版史』(トランスビュー)という本の書評を書いてくれっていう依頼があって、書いたんだけどさ。依頼を受けたあと、会議か何かで工藤くんに会ったとき、「今度あの本の書評書くんだよ」って言ったの。そうしたら「書評のPDF送りましょうか」と、1ファイルになった書評のPDFが送られてくるわけよ。そういうのをキチッと整備しておくのって、意外と大変じゃない?
須田 工藤さんの整理能力と事務能力は、何か異常だと思いますよ。
沢辺 でしょ? 工藤くんのようにできる人はこの世にそうそう居ないんだから、彼を基準にしちゃいけないな、と。それと、須田くんのように改訂版についてのクエスチョンを立てられるということだけでも、大したものだと思うんですよ。問題を立てるのって、結構難しいじゃん。わかってないと、問題意識もないしね。
オレが何を言いたいかというと、現状の組合員はかなり優れている人が結構入っているから、組合員の基準で版元ドットコム全体を進めることはできないよね、ということで。
須田 「それはついていけないよ」というのは、頭においておかなきゃ、と思います。でも、皆がすぐできることはどのくらいか、というのは考えてるんじゃないでしょうか。例えば、自分は組合員なのに、このあいだメーリングリストに流れた版元ドットコムの会員社アンケートをまだ答えてないや、いうことが現実にあります。組合員社にもそういうズボラなのがいるんだから、会員社には、もっとメーリングリストをちゃんと見ていない人がいるだろうな、というのは想像できるわけです。
沢辺 そのアンケートのことについて、一つ「あ、いけない」と思ったのは取次の集品回数と出版社の納品サイクルを入れておけばよかったな、と。書店にとっては、それを情報として集めるのは大変でしょ。
須田 そういえば、日販の王子流通センターには「出版社カレンダー」というのがあるみたいですね。つまり出版社の営業日を把握してるみたいなんです。お盆とか暮の時期になると、日販から、「王子はこういう動きです。おたくの会社はどう動きますか?」というアンケートが来るんですけど、そのアンケートに「これは出版社カレンダーには反映されません」と書いてあるのに気づいたんです。ということは、出版社カレンダーというものがあって、書店はそれを参照してるんじゃないか、と。それがここ半年くらい引っかかってる疑問としてあって、もちろん電話して聞けばいいんですけど、電話したらいなかったのが2回くらいあったのでそのままになってる(笑)
日販のカレンダーは日販と取引している書店さんにしかいらないでしょうから、集品の期日とかと合わせて、書店さんに持ってもらえたらいいですよね。
沢辺 それは、版元ドットコムのMLに直ちにメールしておく手だよ。「出版社カレンダーというのが前から気になっていて、僕が調べます」でもいいじゃない。そうすると、誰かおせっかいな人が、おせっかいじゃないや、親切な人が「知らないの? こういうのがあるんだよ」って教えてくれたりするかもよ?
須田 それから、既刊の書誌のメンテナンスについて。版元ドットコムは、新刊の書誌情報を流すことは結構しっかりやってきたんですけど、既刊のメンテナンスは大課題だと思っています。歯抜けになっている書誌情報があるのに、それがそのままになっている。さらに、その既刊の書誌は日外アソシエーツ・紀伊國屋連合、トーハン・TRC連合が持っていて、出版社ではなかなかタッチさせてもらえない。あれをなんとかタッチできるようにさせてもらって、既刊のデータも版元ドットコムと同期を取っていくのも、地味なようで大事な仕事なのかな、と。
最近ジュンク堂から「書誌情報の整備のために、『絶版』や『品切・重版未定』の情報が欲しい」という話があったみたいに、書店があてにできる既刊のデータベースは、現状、ありません。その状況は問題があるので、一括して版元ドットコムから呑み込んでもらえるところを増やしていきたいですよね。一方で、版元ドットコムに書誌情報をちゃんと登録してない会員社も多々あるので、信頼度のあるものを作らなくちゃいけない、と思うんです。でも、そこは鶏とタマゴで、使ってもらえるんだったらメンテしようか、という気にもなりますよね。
沢辺 須田くんの言う通りで、オレも年に3回くらい、「一斉メンテナンスやらないとまずいよな」と思うんだけど、「版元ドットコムのデータをメンテナンスしても、それを反映させてくれる場所がまだない」というのと、「反映させるべき場所が一杯あって、その全容を版元ドットコムも確定しきっていない」という2つがもう一歩、前に出れない「カベ」になっているんだよね。
須田 そうですよね。日外アソシエーツに行って聞いても、相変わらず全容はわからない。「何となくあの辺のブロックとあの辺のブロックが書誌を融通し合ってるみたいだけど、変えてもらうにはどこに持っていったらいいのか」がわからない。
沢辺 そうそう。例えば日外は紀伊國屋・日販グループだけど、日外の書誌を直してもらえば、日販や紀伊國屋も直るのか、逆に日販を直すと日外に反映されるのか、それとも個別に直してもらわないといけないのか、というのがわからない。
須田 そうです。聞きにいってもよくわからなかった。誰も把握してないんじゃないでしょうか(笑)
沢辺 書誌データに関しては、図書館の書誌データも気になってるんだよ。例えば国会図書館の書誌データと我々の書誌データが、果たして同一性が取れているのか。
須田 国会図書館といえば、ビックリしたことがあって。この間、小社で写真集を出したんですけど、そのあと国会の人から電話がかかってきて、「この著者は、小学館の児童向け絵本で写真を撮っている人と同じ人ですか」と言われたんです。「えっ? そんな仕事してたんだ?」と思って編集部の人に聞いたら、どうもそうらしいと。
沢辺 それも書誌データと同じで、せっかく国会が著者の同定をしてくれているのに、出版社側はそれを全く利用できていないよね。つまり、国会図書館の著者同定の作業でわかったことの中には、実は出版社が知らないことも、意外とあると思う。確かめてないけどね。
それでわざわざ『ず・ぼん12』で、「国会図書館の地下では、どうやって書誌情報を作っているのか」を調べに行った(記事のPDF:「国立国会図書館・JAPAN/MARCの現場を歩く[インタビュー]」)んだけど、やっぱり、かなりのことをやってるわけですよ。
例えば著者を同定する作業なら、その同定の経過も記録してるの。
須田 「出版社の営業部の須田に電話をしたら、『そうだ』と答えた」とか。
沢辺 そうそう。「出典はこれで、同一人物として確認した」とか、その出典もコピーして貼付けて、全部確保してる。せっかくそこまでやってくれてるのに、それを出版社が利用できていないのは、逆にもったいないと思う。
須田 既刊の書誌データの話に戻ると、受け入れ先としてジュンク堂はいいな、と思うんです。というのは、ジュンク堂のデータが充実すれば、どんなに売れない本でも3年に1冊くらいは注文が来るんじゃないか、という気がする。そうするとモチベーションが上がる。
他では、太郎次郎社がずっと前に出して、後からISBNを付番した本があるんですが、ISBNがついていない本としての情報がAmazonの中にあるんです。それがあろう事か、Amazonの検索順位で、ISBNがついているほうよりも上位に来ちゃう。具体的に言うと遠山啓さんの著作集・全29巻なんですけど、「遠山啓」で検索すると、岩波新書とかが上位に出てきて、次にうちから出している遠山さんの本の中で売行きが良い本が出てきて、そこから下のほうに、古本屋が出品している著作集がダーッと出てきて、そのさらに下に50冊くらい掘っていった先に、太郎次郎社の新品の著作集が在庫有りで一応出てる。でも、そんな下位に在庫有りで出ていても、誰も見てくれないですよね。
「ISBNがついている時代とついていない時代があるけれど、同じ本だからマージしたい」と思うんですが、マージできないんですよね。Amazonに直接聞いてみたことがないのでわからないんですけど。仕組みからしてどうも無理だろうって思ってます。
沢辺 「大きくつかまえて細かいことは無視する」というAmazonの商売の考え方は、それはそれで妥当性はあると思うんだけど、「本を売るうえで、同じものは同じものとして表示したい」というのもわかる。Amazonの中に「どうしたらいいですかね」と相談のできる人を見つけられていないのは、課題だよね。
須田 そうですね。Amazonや図書館のデータベースの中に話に乗ってくれる人がいて、「じゃあ出版社のほうでメンテしてくださいよ」と言ってくれるかというと、言ってくれないわけですからね。
だから今回、ジュンク堂が向こうから話を持ってきてくれたことに対して、「こういうこともあるんだな」と、ちょっと感激してるんです。その一方で、品切などの情報についての感度では、版元側と書店側には乖離があるじゃないですか。版元側は売り逃すのが嫌だから、少部数でも在庫があるものは「ある」と表示させたいのに、書店側から来るのは、「新規出店に出せるか聞きたい」とか、「一回貰えばメンテはもうしなくていいよ」という話になってしまう。今回、せっかく向こうから言ってきてくれたんだから、もっと詰めていって、リアルタイムとまではいかなくても、週に一度とか、それでも無理なら月に一度とか、在庫情報とクリーニングした書誌情報を更新する仕組みを作りたいですね。
沢辺 インターネット上のどこかに基本的な書誌情報を網羅したものがあって、そこから吐き出されるものをAmazonやジュンク堂が持っているデータとマッチングする仕組みが作れたらいいよね。マッチングしてズレがあったら自動的に出版社に問い合わせメールを出して確認、修正する、ということもできるかもしれない。例えば国会図書館のPORTAのデータを、ジュンク堂もAmazonも信用します、ということになれば、版元は国会のデータを直せばいいことになる。そういうルートができるのがいいよね。
でも、こういうことが具体的にオレたちの頭に立ち上ってきたのは、やっぱり10年間、あれこれ考えながら版元ドットコムをやってきたからだよね。
須田 そうですね。どの辺に問題があって、何が分からないのかが見えてきたのは、10年経ったからですよ。
第3回「小さな出版社が、電子書籍について考える」
前回分は、
第1回「太郎次郎社エディタス・須田正晴は如何にして版元ドットコムに入ったのか」
須田正晴(すだ・まさはる)
太郎次郎社エディタス 営業部勤務
1995年太郎次郎社入社。2003年太郎次郎社エディタス設立にともない移籍。
版元ドットコムには設立時より幹事・組合員の一員として参加している。
Twitterのアカウントは@sudahato
沢辺 今回の談話室沢辺の最初のテーマは「版元ドットコム」でいきましょう。そういえば版元ドットコムのことって、組合員(幹事)とちゃんと話したことがなかったな、と思ってね。
須田 『版元ドットコム大全』にまとめたりはしていますけど、生きた言葉ではあまりないですよね。今日、『大全』を読みながら来たんですけど、99年の呼びかけから数えたら今年で10年、サイトオープンからは来年で10年なんですよね。
沢辺 そうそう。組合員が何人かいる中で、なんで須田くんと話すのかというと、結成当初の役員メンバーの中で、ダントツに若かったから。
須田 そうですね。今だと会員社の中に若い人もたくさんいるけれど。99年からいる人は、沢辺さんと私以外では、青弓社の矢野恵二さんと、第三書館の北川明さんで。
沢辺 あと、幹事を辞めたの佐藤英之さん、凱風社の新田準さん。当時矢野さんたちが50代半ばくらいで、僕が40代前半。須田くんは20代だったでしょ?
須田 僕は25歳だったから、ちょうど20代の真中でしたね。
沢辺 それから、版元ドットコムと流対協(出版流通対策協議会)との関係はそんなに深いわけではないのだけど、そもそも版元ドットコムのアイデアが流対協の中の勉強会の過程で生まれた。版元ドットコム立ち上げ時のメンバーは、須田くんがいる太郎次郎社以外は流対協の会員社だったんだよね。
だから、まず「ところで、太郎次郎社は、なんで版元ドットコムに入って来たんだっけ?」というところから聞きたいな。
立ち上げの時から居たんだから、「入って来た」というと語弊があるのかもしれないけど、他はみんな流対協の勉強会をやってたから、やっぱり感覚的には「入って来た」という感じだった。
須田 経緯を説明すると、1999年の12月に、飯田橋の「東京しごとセンター(当時はシニアワーク東京)」でやった版元ドットコムの呼びかけ会に、私が行ったんですよ。
説明会があることは、12月1日の朝日新聞の記事で知りました。その記事は私が見つけたわけではなくて、社の先輩が「こういうのやるらしいけど、須田くん興味あるんじゃないの?」と言ってくれたので「じゃあ、見てきます」となったんですけど。
沢辺 枝葉の話なんだけど、そのときの新聞記事は、オレ的には、「ズレた報道のされ方をされているな」という意識があったよ。「書誌情報」より「産直」の話が重視されていて、「出版社が、インターネットを使って直接販売するらしい」みたいな感じで書かれていた。
須田 僕はその頃、「インターネットで今すぐたくさん本が売れる」とは思っていなかったです。でも、出版社のホームページがいくつかでき始めた頃で、太郎次郎社はまだサイトがなかったから、その辺のことは知っておかなければならないな、という意識がありました。
説明会に行ってみようと思った一番の理由は、書店側に本の情報が届いていない、という状況への問題意識です。その頃、大手はすでに出版VANで動いていたけれども、太郎次郎社は出版VAN(※参照「高島利行の出版営業の方法:第21回 新・出版ネットワークあるいは出版VANの今とこれから」)に接続していないため、まだ流通している本なのに、「書店で品切れって言われたんだけど」と、言われることがあったんです。つまり、アルバイトの書店員さんが検索機を叩いた時に出てこなくて、それを「こんな本はありゃしない」とか「こんな本は絶版です」と言われてしまっていた。
これは何とかしなくては、という意識を持ち始めた頃に、ちょうど版元ドットコムに出会ったんです。
沢辺 そういうことがあったね、あの頃。
須田 今でも、正題と副題を間違って叩いちゃったり、取次の書誌のほうがちがってたりして「ない」と言われることがありますよ。あと、取次によっては、すごく長い取り寄せ期日になるとか、「取り寄せできるか不明」というステータスが出ちゃうことがあって、それをお客さんに「品切れ」と伝えちゃう書店員さんもいます。もちろん、以前と比べたら減りましたけど。
これは多分、書店員さんというよりも、取次データベースのインターフェースの問題だと思うんです。ただ、当時我々出版社側が「その本はあります、この本はありません」と言っていなかったことも確かで、「言わないんだから、わかるわけがない」と言われればその通りでした。
でも、その「在庫の有無」をどうやって言えばいいのか、というのが自分にはわからなかった。だから、「版元ドットコムという団体は、そういうのをやるらしい」と知ったときに、「良いな」と思ったんですね。
それから、ネットで本が売れるとは思っていなかったけれど、「調べるのはネット」の時代になっているんだな、という感覚がありました。あの頃はまだGoogleもなかったから、検索ってすごくノウハウのいるものだったんですけど、気の利いた人は検索で調べていましたから。
沢辺 なるほど。確かに版元ドットコムは「書誌を自分たちで発信するんだ」と言っているけど、そこに至ったのは、須田くんが言ったような泥臭い理由なんだよね。要は、たとえばジュンク堂の大阪店で「そういう本はありません」「ポット出版は取引がありません」と言われちゃったりとか。取引があるのにだよ(笑)
もちろん、アルバイトの人がポット出版のポの字も知らなくても当たり前じゃん、という面もあるけどね。
在庫情報のことは、自分たちとしても当時強調したいポイントだった。
須田 そうですね。在庫の「ある/なし」の話は、今でも気になっているところです。最初の考えは、「あると言いたい」だったんですが、ずっと後になってから語研の高島利行さんに影響されて、「ないですよ、も大事なんだ」と思うようになったり。
沢辺 そうだね。在庫があるということを発信してないのに、「書店が探してくれない」とか不平を言っていても仕方がないから、まず自分たちで「ある/なし」をちゃんと発信しようよ、と。
それで、最初の説明会を聞いて、どうだったんですか?
須田 説明会を聞いてビックリしたのは、最初から出資社を募集していたことですね。入会はこうで、幹事社になるのはこうだ、というのを言ってたと思います。出資金20万円、入会金1万円、会費はこのくらいの見通しでできそうだ、という話でした。すごく面白い取り組みだと思ったし、在庫情報の発信は一社で四苦八苦しながらやっていても到底できないと思ったので、「これは乗る手だろう」と思ったんです。
会社に戻って、「これは入会ありですよ、会員になりましょう」という話をしたんです。そうしたら社長から、「こういうのはサービスに乗っかるだけじゃ駄目なんだよ。会議に行って『良い話聞いてきました』だけじゃつまらないだろう? 作る方に乗っからなくちゃ。幹事になれよ」と言われて、「やらせていただけるんだったら、やります」と。
沢辺 それはまず、社長がすごいね。
須田 振り返ってみると、「あのときは何だったんだろう」と思うんですけどね。社長はふだん、「本業よりも、そういう活動で世話を焼くのが好きなやつっているんだよな」と言っていて、自分も社員も会社の外の活動をするのがあまり好きではなかったので。太郎次郎社も他の団体に入っていた時期があったんですが、それも「毎月毎月会議ばかりしていて、何も実りが戻ってこない。あんなところ抜けちまえ」といって抜けたんですよね。その頃、私はバイトだったので、正確な経緯は知らないんですが。
とにかく、外向けの団体づきあいが好きではない人だったので、「幹事に入ってやれ」と言われたのは何でだったのかは、ちょっとわからないですね。推測で言うと、私が社内の内向きの仕事に向いちゃう体質なので、ちょっと外側に窓を開けた方がいいんじゃないか、という意識もあったのかもしれない。
沢辺 なるほど。「須田育成方針」として、外部のフレーバーを混ぜたほうが良い、という個別の判断だったのかも、と。でも、社長が言ったことはその通りで、版元ドットコムは、「結局、自分でやるほうが得なんだ」ということを大切にしてきたよね。
須田 そうですね。単なる参加者でいるよりは、作る側にいる方が得なんだ、ということですよね。
沢辺 そして、それはそれなりにうまくいってきたと思うんだよね。でも、投下労働量と成果を比べたら「はたして本当か?」ということはあるかもしれないけどね(笑)
須田 直接の営業業績という意味では難しいかもしれないですけど、明らかに視界が広がったとか、普段会わない人に会えたことは大きいですよね。その機会が業績に繋がっていないのは、どっちかというと私の問題で(笑)
沢辺 社長のひと言があって、いきなり幹事社として参加することになったわけだけど、発足前後の印象的な論争ってありますか?
須田 版元ドットコムの名称自体も結構揉めましたけど、印象的だったのは、「どうやって送料無料にするか」「送料無料で送るのは値引きの一種じゃないのか」という送料論争。
あと、定価表記について。「定価」と表記するのかどうか、表示は税込みなのか税抜きなのか、という話があった。消費税に関しては、99年の時点ではほぼ決着していたんですけど(消費税5%実施は97年4月1日から)、定価のほうは「2000円+税」のどこまでが定価なのかといった話もしていて、「ああ、いろんな経緯があるんだ」と思わされました。
僕は「定価」という表記について、皆がこうしているから、くらいに思っていたんですけど、出版社が定めているから「定価」なんですよね。それまでは値札を付けているのと同じような感覚でいて、「この価格で拘束している」という意識は全然なかった。
それから、どうやって組織を立ち上げるかとか、どうやって受注を各版元に回して発送から決裁までやるかという、実務上のフローの問題ですね。各版元が無理なく書誌情報を公開して、送料無料でお客さんにお送りする仕組みをどう作るのか、と。その頃ちょうど、TS共同流通組合が版元を回ってトラックで取りに行く仕組みを作っていましたけど、あれは出版社が受注のない日も毎日Webに見に行かなきゃいけないサービスだったので、「あんなの無理だよね」と話したり。
ほかには、会員の加盟資格をどうするか。結局、沢辺さんの「明文化できない」というのがすごくシックリきたんですけどね。あの頃だと「法の華」が入って来たらどうするんだとか、セクト系の会社がたくさん入って来たら、そういう風に見えるんじゃないかとか。「何を出版しようと自由じゃないか」という考えと、「最初から色がついて見られるのはよろしくない」という意識とがせめぎあっていて、その兼ね合いの付け方も面白かったです。
最後に、レジュメと議事録が毎回ちゃんと回っていること。社内の会議だと、決定事項は各自がメモをして、「これで進めますね」でおしまいで、その後の議事録は、あまり作ったことがなかったんです。だから、レジュメを作って会議をやって決定して、議事録がメールで回るのはすごく新鮮でしたね。メールを使って複数人数で動くプロジェクトに参加したのも初めてでしたし。
沢辺 正直言うと、あの頃はまだメールもあまり普及してないころで、メーリングリストを使った組織運営のノウハウがあったわけではなかったんだよ。
でも、今須田くんが指摘してくれたような、会議を開くときはレジュメ、終わったら議事録、それを役員だけでなく会員社にも全部回すことで、読まないかもしれないけど、しようと思った時にチェックができる公開性を確保する、というのは、実は一番大切なこと。色んな組織が立ち上がってはつぶれていく中で版元ドットコムが上手くいった最大の根拠は、そこのような気がするんだよね。
須田 メーリングリストで突っ込みが入るような、「口を挟んでいいところなんだな」という雰囲気があるのも大事だな、と思います。特に、会員の人は自社のことがあるから振り返って色々言えなかったりするんだけど、会友の人はすごく気軽に「こうなったらいいんじゃないの」と口を挟んでくれるので、運営サイドとしてもありがたいと思います。
例えば、最初は日程調整ひとつとっても、みんなでガタガタやってましたね。そうしたら、会友の川添歩さんが「日付を縦に書いて、その後一人ずつ自分の都合を○×で貼っていけばできるんです*」と教えてくれて、「すっげぇ、頭いい〜!」ってなったのを覚えてます。
*例
川添 須田 沢辺
12/14月 ○ ◯ △
12/15火 × ◯ ×
12/16水 ○ × ◯
12/17木 ○ ◯ ◯
12/18金 △ × ×
沢辺 そういう会友のひと言は大事だよね。
当時全体として決まったけど、個人的には異論があった、ということはありました?
須田 うーん。異論はなかったと思います。ただ、立ち上げた後、書店向けの買い物かごがずっと実装されないことについては、「何でこれは優先順位が低いままなんだろう。客注が遅いのは問題なんだから、送ればいいじゃん」と思ってました。でも、今は150社だから少しは有用性があるかもしれないですけど、あの頃に「版元ドットコム30社は客注を直送します、と言ってもなあ」という感じですよね。
当時はそれがわからなかったから、「書店への直送もやると言っていたのに、なんでだ」という思いとともに「でも、有用なアピールの仕組みを自分でも思いつけないな」というのがありましたね。
沢辺 なるほど。2番目はもっと遡って、そういう須田さんという人は、どのようにして太郎次郎社、それから版元ドットコムに至ったのか、を聞かせてもらえますか?
オレは、その人のキャラというのは、その人の活動と結びついているところもある思っていて、バックグラウンドとしての個人史が大切だと思うんですよ。
須田 私は1974年(昭和49年)生まれで、小学校のときは不登校児でした。小学校一年生の最初から「行きたくない」と泣きわめいていたそうで、なんだか知らないけど、学校になじみがよろしくなかったです。小学校6年間のうち、行ったのは実質3年か4年くらい。
それで「これは中学校に行ったらもっと酷くなるだろう。変わった学校を受けてみたらどうなんだ」という話があって、埼玉の飯能にある自由の森学園に、中学校受験をして入ったわけです。中学高校はそこで過ごしました。
私の実家が横浜のあざみ野なので、飯能まで電車で通学すると2時間半から3時間くらいかかるんです。だから寮に入って、中学校から親元は出て。高校1年生くらいになると寮にいるほうが面白くなって、土日も家に帰らないようになりました。
高校一年のときに、その頃はまだ珍しかったんですが、親がワープロを買ってくれたんです。
というのも、私は今でも字が下手ですけど、昔はもっと下手で人には読めないものだったので、中学の卒業制作はワープロで書いたんですね。そのときは寮の先輩に借りて。表示画面が3行しかないようなものだったんですが、手で書くよりは大分ましだったので、それで書いたんです。それを見た親が、「この子は文章を書くんだ」と思ったようで、パナソニックのU1s55Aiというワープロを買ってくれました。持ち歩きができるタイプで、フロッピーは2DDで入りました。
親がワープロを買ってくれた頃から、怪しげなビラを学校に貼ったり、同人誌を作ったりするようになりました。今思えば、その頃に出版のもとみたいなものがあったのかもしれません。4の倍数になるページ数でクリアファイルに面付けして入れて、リソグラフを回してガチャンガチャンと冊子にまとめたり。人から原稿を集めて作った冊子を、学園祭で無料で配ったりしてました。
ゆるい学校だったので、紙もインクも含めて、学校の印刷機をタダで使わせてもらえたから、コスト意識はなかったですね。自分たちで紙を折ってホチキス製本する気力の分だけ部数が作れたので。
沢辺 ちょっと話が戻るけど、自由の森の時は不登校にはならなかったの?
須田 中学1年のときは、土日に実家に帰って、そこから寮に戻れなかったことも、けっこうありました。中学1年生のときの寮は中学1年生と2年生しかいない寮で、毎日が修学旅行みたいな感じで、安心して寝られないところがあったんです。
中学2年生になったときに高校生と同じ寮に移ったんですが、中学2年生から見ると、高校生って大人じゃないですか。そうすると中学生が騒いでも高校生の仲裁が入るから、わりあい落ち着いた生活が手に入りました。馬の合う先輩とも繋がりができたし、それなりに友達もできたので、中学2年からはちゃんと通ってましたね。
その後、高校の時にいくつか本を読んで、「歴史の勉強がしたいから大学に行こう」と思ったんですが、自由の森というのは、いわゆる学力偏差値は付けてくれないところなので、自分で予備校に通って受験勉強をしなくちゃいけない。それで高校を卒業した後、一年浪人したんですが、勉強する習慣をもっていないので身が入らず、結局現役のときと浪人のときと二回落っこちました。
その浪人中は、時間があるので新聞なんかをすごくじっくり読むわけです。そのうち、世間での日本語の使われ方、主に漢字の文字使いがとても気になって、「交ぜ書きはすごく汚くて、ゆるせない!」という文章を浪人生のルサンチマンをたたきつけるように書いたんです。それを、後輩の卒業式で母校に行った日に、国語の伊東信夫先生、自由の森は国語じゃなくて日本語科といったんですけど、その先生に「こんなの書いたんですよ」と渡した。そうしたら、「君は、勉強もそんなに身が入っていないようだから、太郎次郎社というところに行って、日本語がどう使われているかを実地で学んできなさい。最初は使い走りかもしれないけど、何か分かるよ」と言われたんです。太郎次郎社は自由の森学園の設立にコミットしていて、伊東先生も太郎次郎社の著者の一人だったんですね。
ところが、「伊東先生の紹介で」と電話してから面接に行ったら、事前の紹介にちょっと行き違いがあって「なんだ、お前は」と、けんもほろろに追い返されまして。
その突き返され方が非常に腹立たしかったので、その足で都立日比谷図書館に行って、社長の浅川さんがどういう人なのかを紳士録であさったり、太郎次郎社がどんな会社か調べたりしたうえで、「字が汚いので宛名書きはできないけど、宛名出力のシステムを作ることはできますよ」とか、「面接でもらった雑誌のこことここが誤植ですよね。こういう『間違い探し』くらいならできますよ」というような手紙をワープロで書いて送ったんです。
自分でも「こんなこと言われて雇う人いないよな」と思ってたんですけど、最初に行って帰されたのが5月で、確か7月に太郎次郎社から「手紙を見て気になってたんだよ。来なさい」と連絡があって、8月から勤め始めたんです。最初は出庫係だといわれました。その頃の太郎次郎社はそこそこ人数がいたので、出庫をやったら次は雑誌の編集に行ったり、営業と編集が1年とか2年毎にローテートしていたんです。私も勤め始めて半年後からは、編集部のほうの使い走りになったり、また営業に戻ったりと、行ったり来たりするようになりました。版元ドットコムの話を聞いたのは、営業にいた頃です。1994年の8月に時給のアルバイトで入社して、版元ドットコムの呼びかけが1999年末だから、6年目でした。
沢辺 当時、既に本郷三丁目にある自社ビルだったの?
須田 そうです。ビルの地下に倉庫があって、そこで出庫をやっていました。
沢辺 ということは、取次が取りに来る、集品版元だったんだ?
須田 そうです。トーハンと日販は毎日あって、栗田、大阪屋、中央社、日教販は共同集品で月水金、太洋社は一社集品だけど月水金、あと鈴木書店と大曲にあったトーハンの専門書センターの納品は、赤帽さんに頼んでましたね。
まず、回収してきた短冊と、電話注文を書き起こした短冊を、社内コード順に並べるわけです。それを取次別に分けて、ピッキングリストを書いて、リストを元に本を棚から出して来て、短冊を挟んで、合計冊数が間違いなかったら納品伝票を打つ、という流れでした。セット組みなどもあるので、200点くらい出庫すると、3時間から4時間はつぶれます。それが終わったら、代引きや直販の出荷をやる。それは点数は少なくても1点あたりの時間がもっとかかるので、他に自社の中のスリップを刷ったり付き物の手配もして、だいたい4時間か5時間、午後一杯は出荷の仕事でしたね。
沢辺 その時はデータベースとか作らなかったの?
須田 作らなかったですね。
沢辺 怠けてたんじゃないの(笑)?
須田 はい、そのとおりです。ちょっと言い訳すると、出版社システム自体は、既に入っていたんです。それは日販コンピュータのシステムで、モニタは単色、OSはPC-DOSというものでした。素性は上等なものなんだけど、いじり方がまったくわからなかった。いっしょにカード型データベースも入っていたんですけど、訳の分からない言語で、アプリケーションも何も入れようがないし、ちょっと手が出せませんでしたね。その後にMS-DOSベースのものが入って、それはもうちょっと使い勝手のいいものだったし、移行時にCSVやSYLK形式経由での転換もやったので、書誌情報を整理しようという気は起きていたんですけど、怠けてやってませんでした。
ただ、怠けていたのにも理由があって、ISBN順のリストや紹介情報を作っても、出力先がないわけです。だから、作る理由も出てこない。紹介文は図書目録に載ってるから、これでいいじゃん、と。だから、95年から99年までの間に、DB的なトライアルというのは、ほとんどしていないですね。
ただ、雑誌の定期購読管理だけはDB的なことをやっていました。日販コンピュータのシステムには雑誌の定期購読管理システムが入っていたんですが、MS-DOSベースの安いシステムに変えたとき、定期購読管理がついてこなかったんです。
だから定期購読管理を作らなくてはいけなかったんですが、自分ではとても作れないので、高校のときの友達に頼むことにしたんです。「ヤツの力を借りたいんですけど、いいですか?」と社内にも聞いて。でも、彼もかわいそうだったな。5万円くらいで引き受けたばかりに7日か8日会社に泊まり込みで(笑)
その時に初めてAccessに出合いました。96年か97年くらいですね。友達にAccessでシステムを作ってもらって、「DBってこういうものか。便利なものだな」と思いました。彼はクエリ・マクロからVBAまで高度なことを駆使して作ってくれたけれども、私はその作り方がわからなくて、Excelよりも並べ方が便利なシステム、くらいの意識で使ってましたけど。
沢辺 なるほど。それが版元ドットコムに至るまでの、須田くんのライフヒストリーだね。
須田正晴(すだ・まさはる)
太郎次郎社エディタス 営業部勤務
1995年太郎次郎社入社。2003年太郎次郎社エディタス設立にともない移籍。
版元ドットコムには設立時より幹事・組合員の一員として参加している。
Twitterのアカウントは@sudahato