ゲスト:永江朗

ゲスト:永江朗 第3回「紙の本の値段、電子書籍の値段」(最終回)

●出版社には、書店の利益を確保する義務がある(少なくとも現状では)

沢辺 あと、これまで出なかった再販維持論者の意見として、「再販制がなくなると価格が高騰するからよくない」というのがあるけどどう思う?

永江 筑摩の松田さんとよく言っていたのは、本の値段を倍にするだけで、日本の出版界が抱えている問題はかなり解決するよね、っていうことで。
本の原価率が高すぎるというのと、書店のマージンの絶対額が低すぎる、というのが解決するでしょ。出版点数も絞らざるを得なくなるから、値段を倍にするといいことばかりなんですよ。大洪水もブレーキかかるし、本ももっと大事にされるし、書店の余裕も多少出来るだろうし。
値段の高い安いを消費者がそんなに気にしているかというと、『○型の説明書』は中身薄くてぺらぺらで、1000円でしょ? あんなに消費者にとってコストパフォーマンスが悪い本はないのに、4タイトルで500万部売れるわけですよ。
『1Q84』だって、2冊合わせて3600円するのを100万人以上が買うわけですよ。6000円の『羯諦』がミリオンセラーになることはないけど、あの写真集は2000円でも買わない人は買わないし、売行きはあまり変わらない。
ただ、今回僕が出演しているラジオ番組のパーソナリティーの小西克哉さんに「えっ!? 『本の現場』、1800円? 村上春樹と同じ?」って言われたときは、ちょっとひるみましたよ(笑)
文豪村上春樹と同じ値段で消費者の方からお金をいただく自信は、正直ないですからね。

沢辺 いや、村上春樹のはユニクロのフリースと一緒で、いっぱい売れるから1800円なんでね。
で、書店のマージンの絶対額が低い問題を解決するのは、実額のことを考えなくちゃならないんだよね。

永江 そう。売上高で見ていてもしょうがないわけで、利益額をどう増やすかが問題なんですよね。
見かけの売上が上がっていても利益が全然なければ意味がないわけだし、売上が低くても利益が取れていればいいわけですから、パーセンテージの問題と絶対額の問題は、両方見ていかなきゃいけない。車を売るのに、ベンツのSクラスと軽自動車を、パーセンテージで勝負したら全然話にならないじゃないですか。

沢辺 そうそう。軽自動車なら、毎日1台売れなきゃいけないけど、ベンツなら月に1台でいい、小売りとしてそのための金の掛け方をしよう、ということだよね。
だから本もちゃんとその辺のことを考えたほうがよくて、ひたすら新書作って安く、以外の方向もにらんでやれるんじゃないかな、と思う。書店の取り分を増やすことだって、定価を上げればやりやすいもんね。

永江 少なくとも現状、本の価格の決定権は出版社にあるんですよ。
再販制っていうのは、出版社が一方的に小売店に自分の売りたい値段を押しつけて拘束しているわけだから、出版社は書店に対してその定価に対する利幅で食っていけるだけの利益を確保する義務があるんですよ。
それを、低価格のものが売れているとかなんとか言って低価格競争に走って、書店の絶対的な利益を少なくしているのは、本来からすると許されないと、私は思っていて。
だから、再販制を残したい出版社がいるなら、それはそれでいいですよ。その代わり出版社は、個々の書店がちゃんと食えて、彼らの子どもが、少なくとも親と同程度の教育が受けられるくらいのお金が家庭に生じるくらいの面倒は、ちゃんと見てやれよ、と思いますよ。

●『本の現場』を電子書籍にしよう

沢辺 ちょっと話は横道にそれるんだけど、電子本の場合でも、取次とか書店にあたるものがありますよね。例えばiPhone用の電子書籍を売ろうとすると、アップルが30%くらいとるわけですよ。
電子本だからといって直で売るのが効率がいいということはなくて、やっぱり配信するところは必要なわけよ。
『デジタルコンテツの現状報告』の中でも音楽配信をやっているモバイルブック・ジェーピーの佐々木隆一さんに聞いてるんだけど、彼の話でも30%から40%くらいは配信手数料と決済手数料でとるんだよね。
つまり、現状の出版の出し正味65%前後と、たいして変わらない。
そうすると、なくなるのは紙代と印刷代だけなんですよ。
例えば『本の現場』の場合に紙代と印刷代は何%くらいかかっているかというと、初版2500部で30万円くらいだから、ざっと1冊120円くらいですよ。希望小売価格1800円の、6〜7%。これで何で値段が半額に出来るのか、ですよね。
紙代と印刷代に編集制作費とデザイン代を合わせた20%弱がポットの原価率。
これに永江さんの印税を10%入れたと考えると、30%弱になる。
出版社から取次に卸す値段が約65%だから、65%−30%で、35%前後が1冊あたりポットに入ってくる金額ですよね。1800円の1/3、600円くらいになるのかな。
これを、紙の本の半分、つまり900円で売る場合、1/3はアップルに持っていかれるとしても、ポットには1部につき600円入る。紙の本用のデータを電子本のフォーマットにするのにコストがかからないわけじゃないし、紙の本を出さずに最初から電子本でやる場合はまた別だけど、ざっとこういう計算だよね。

永江 だから、日本で出た紙の本をスキャンして蓄えているGoogleが、「Googleはアナタの本の電子版を配信したいんですけど、いかがですか?」っていうビジネスは十分有り得ますよね。
今まではたまたま日本語の壁によって日本の出版社は守られていたけれど、これからは、新潮社が出した本もGoogleが世界に配信する、ということもあるかもしれないですよね。65%とか払って。

沢辺 じゃあ、とりあえず『本の現場』をiPhoneで600円くらいで売るかな。

永江 買う人いるのかな(笑)

沢辺 そのかわり、印税はダウンロード数に応じた額でお願いしますよ。データは全部永江さんに公開するから、ポットがかかった手間も考えて、具体的なパーセンテージはそのときに決めるっていうことで。

永江 それ面白いと思うなー。

沢辺 永江さんの言うように、電子本で大幅ダンピング、1800円の本が600円で読める。
俺、今後の本は、電子本と紙の本の同時発売っていうのをiPhoneでやってみようと思っててね。まだ電子本はそんなに売れないとは思っているけど。
その第一弾は、『本の現場』をやってみますか。

永江 やりましょう、やりましょう。そしたら、またどこか取り上げてくれるかもしれないですね(笑)
僕の本はそんなに大して売れないと思っているから、色々遊んでもらえればいいんですよ。これでまた仕事が大分減るんだろうなあ、とか思いつつね。

沢辺 出版ニュースの清田さんも、それを心配してましたよ。でも、攻撃的に出てこられるってことは一切なくて、ただ戸惑われてる感じだよね。もともと大した反発はないと予想していたけど、予想した通りで、色々やってみて全然平気だった。

永江 やってみて平気だってわかっただけでも、成果は大きいわけですけどね。

沢辺 あと、これは余談だけど、近江商人の「三方皆よし」っていう言葉があるじゃないですか。「売り手よし、買い手よし、世間よし」っていうね。
で、よく出版の公共性っていう議論があるんだけど、「公共性」という堅苦しい言葉で考えなくても、世間も含めてみんなが良くならないと、結局商売って長続きしないんだよね。
三方には「売り手」も入っているから、もちろん、働いてるやつがとんでもなく貧乏になるのも駄目だよ。

永江 なるほど。じゃあ、ポット出版の給料はさぞかし高いことでしょうねえ(笑)

(了)

●次回予定

永江朗さんインタビューは今回で終了です。永江さん、ありがとうございました。
次回の「談話室沢辺」も現在進行中ですので、公開日決定次第・告知いたします。どうぞよろしくお願いいたします!

●プロフィール

永江朗(ながえ・あきら)
フリーライター。1958年、北海道生まれ。法政大学文学部卒。
1981年〜1988年、洋書輸入販売会社・ニューアート西武勤務。
83年ごろからライターの仕事を始める。
88年からフリーランスのライター兼編集者に。
1989年から93年まで「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。
93年からライター専業に。ライフワークは書店ルポ。
現在、『週刊朝日』、『アサヒ芸能』、『週刊エコノミスト』、『週刊SPA!』、『漫画ナックルズ』、『あうる』、『書店経営』、『商工にっぽん』、『この本読んで!』などで連載中。

●本の現場─本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場
著者●永江朗
希望小売価格●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0129-3 C0000
四六判 / 228ページ / 並製

目次など、詳しくはこちら

ゲスト:永江朗 第2回「今の出版界でも出来ること」

●本のニセ金化は、もう続かない

沢辺 永江さんの考えは「新刊洪水の制度的な要因を考えると、本のニセ金化、地域通貨化だ」ということだよね。
そのことに関して言うと、俺が自分で本を出している感じでは、ニセ金化をやり続けていたら、最終的には出版社はやっていけないと思うんだよね。保ってあと数年じゃないかな。

永江 具体的な社名を挙げるのはあれだけど、「河出書房神話」ってあるじゃないですか。あそこもずっと自転車操業で来て、もう駄目だと倒れそうになった時に、いつも何かヒットがあるっていうね。オカルトじゃないんだけど、不思議なことに、出版社って自転車操業で倒れそうになると、何か当たるんですよ。
 例えば筑摩書房だと、駄目かと思ったところで『老人力』とか『金持ち父さん貧乏父さん』とか、ポコンポコンと来るんですよ。松田哲夫さんも言っていたけど、ちくま文庫とちくま新書を創刊してなかったら、多分また倒産していただろう、ということだし。少なくとも自社ビルをまた購入することはなかったと思う。
もちろん、それぞれ厳しくやりくりしているんだと思うんですけど、でも、ニセ金化での自転車操業状態のところって多くて、「本当にこれであと十年続くの?」っていうところは一杯ありますよ。
 十年後のことを考えると、欧米は日本と構造が全く違うので、また別の話ですけど、欧米で起きたのはコングロマリット(複合企業)化でしょ? コングロマリットが出版社を買って、出版社もグループ化していって、メディア総合産業になっていったり、全然関係ない企業がメディアを買ったり。そういう風になっていく可能性はありますね。ポット出版が、キリンビールに……それはないか(笑)
 でも、日本でも小規模な出版社がIT系の会社に買われたりするし、出版社のブランド構築がちゃんと出来ていればお互いにメリットがあるし、別に良いことでも悪いことでもなんでもないと思いますけどね。

沢辺 俺は、余力を使い切って自転車操業を続けてるような出版社を買って得られるメリットは、取次口座くらいだと思うな。

永江 その取次口座も最近では、資本関係が変わると条件見直しになったりもするらしいね。古い出版社って滅茶苦茶取引条件がいいんだけど、それを狙って買ったら、実体が変わっているからといって、また歩戻しがついたりね。

沢辺 でも、新刊洪水の原因がニセ金化を利用した自転車操業なんだったら、出版社がつぶれていくことによって新刊が減っていくという面もありますよね。
 点数に関しては、日本の新刊は8万点で、アメリカの23万点と比べると少ないと言う人もいますが。

永江 それは単純に比較は出来なくて、日本の場合の8万という数は「取次経由」の数字ですから。だから、実はジュンク堂なんかが扱っている同人書籍だったり、大手町にある農業書センターが扱っている専門的な本だったり、あるいは自治体とか独立行政法人とか学校が作っているものも全てカウントしていくと、アメリカの20万点には及ばないかもしれないけれど、10万点は突破しているかも、と言われてますね。
 出版社でも、ミシマ社みたいに取次を使わないところもあるし、書店でも、神保町の南洋堂みたいに、大取次を使わずに神田村だけでやっていて、しかも定価で売らない、割引して新刊本を売っているようなところもあるんです。だから、やろうと思えば今だって出来る。

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●応援したい書店をえこひいきする方法

沢辺 永江さんがミシマ社や南洋堂、あるいはイハラハートショップなんかを取り上げるのは、書き手としてのエールだし、「こんな面白いことをやってますよ」というのを広めていっている、ということだよね。頑張っている店は生き延びて欲しいな、ということに対する具体的な行動として。

永江 ポット出版の具体的な行動として「面白い本屋は正味を安くする」というのはどうですか? 「沢辺ポイント」とかつけて、沢辺ポイントが高いところは、正味を安くする(笑)
 出版社がお気に入りの書店は優遇するくらいはあっていいと思うんですよ。あからさまに正味だとあれだから、見本をどんどんつけちゃいますよ、とかさ。それも現行制度でも出来ることだし。ただ沢山売ってくれる本屋を優遇するのではなくて、「ここは応援したいなあ」というところに高いポイントを付けて、良い本屋と悪い本屋を数値化するのはいいと思うな。

沢辺 うちでやっているところで言えば、お客が急いでいるとか、注文したのにまだ来ないとか、そういう連絡を直接ポットにしてくれた本屋さんには、送料無料、受領書の返送用封筒(切手付)を入れて送ってる。つまり、書店には一円も出してもらわなくていい、というようにしてるのね。
 それは、「何かあったときに直接電話して言ってくれる」というのを、嬉しい行為だと考えてるからですよ。ケチな話かもしれないけど、送料とかはこっち持ちで「とにかく今日中に送りますよ」という「特別扱い」をしているつもり。永江さんが言ったみたいに予めポイントをつけるのとは違うけど「こういう行動をしてくれたら、ありがたいのでおまけをつけます」という形にしてね。

永江 専門書店をはじめとして、面白い本屋は全国に沢山あるんですけど、どんどん閉店している。専門書店が成り立ち難いのは、どんなに児童書を揃えてもジュンク堂の児童書売り場には負けてしまう、ということがあるからです。でも、ジュンク堂の2千坪に行くよりも、60坪の児童書店に行くほうがいいことが一杯ある。その60坪の書店の意味を出版界も認めているのだったら、そういうところをえこひいきしたっていいじゃん、と思うんですよね。

●「直取り>取次ルート」の可能性は?

沢辺 それをやるとしたら、今のところは直取りしかないかな。

永江 そこなんですけど、何で直取りをもっと増やさないんですか? やっぱり面倒だから? 事務経費がかかり過ぎる? でもミシマ社の三島くんに出来るんだから、出来そうですよね。

沢辺 ポット出版も、全てではないけど直取りもしていて、取次と取引のない書店とも、積極的に取引をしていますよ。たとえば中野のブロードウェイにあるタコシェだったら、一度に合計30部以上注文してくれたら、60%で卸してるんですよ。その代わり、買切りだけど。

永江 まあ、その正味で返品されたら辛いよね(笑)

沢辺 他の書店でも、買切29部までが65%、30部以上は60%で卸すのを基本スタンスにしています。

永江 いま取次経由で取引している書店を直取りに変えていくのは難しいんですか?

沢辺 ひとつは、返品で取次に迷惑をかける可能性が怖い。例えば、直取りで卸した本が取次経由で返品されても、現状の取次のシステムではチェック出来ないと思う。そういうことはどうでもいいよ、とやってしまうのもアリだと思うんだけど、今の取次とつき合っている以上、細かな条件設定を書店毎、タイトル毎にやっていくのは、とても難しいんですよね。
 ちょっと話は変わるけど、今度中小出版社8社でやろうとしている35ブックスは、ある種「このタイトルは特別だよ」という処理を取次にしてもらうんです。全部の商品が一本正味で入っちゃう大型書店なんかにも書店の取り分35%で卸せるように、取次がシステムを改変してくれた。最初は「初回に配本するときは特別扱いでやれるけど、通常の補充の時には、いちいち特別扱いしてられないから、無理だ」と言われたのを「なんとか補充も特別正味でやってくれないか」と交渉したんです。これはつまり、商品によって特別扱いが出来るようになったということだから、今後ポット出版が出す本は全部時限再販でポットの出し正味65%にするとか、やろうと思えば出来る。
 で、「なんで直取りをやらないんですか?」ということについて言うとね。最初は直取りなんて発想にもなかったのが事実。でも、トランスビューが直取りをやりはじめて、そういうことも出来るということがわかった。そのときに、トランスビューのマネをするのは嫌だなって思ってさ。俺、あまのじゃくだから(笑) あとはさっきも言ったけど、既存の制度をもう少し引っ掻き回したいな、というのもあるかな。

永江 別に海外の制度が優れているとは思わないけど、アメリカでもイギリスでも直取りがメインじゃないですか。その上で、直取りでフォロー出来ないところは取次がやる。
 日本の場合それが逆で、メインが取次ルートで、取次がフォロー出来ないところは直取りでやる、ということになっている。それは必然的にマイナーな出版社とマイナーな書店にとっては厳しい戦いを強いられることになりますよね。だから、版元ドットコムが出来たり、地方・小出版流通センターが出来たりしたんだと思うんですけど。
 版元ドットコムとして直取りをやるっていうのはどうですか?

沢辺 ふーむ。版元ドットコムとして直取りをやるのは趣旨と違うかな。版元ドットコムは「私たちの趣旨は本の情報を出版社自身の手で発信していこう」って言って集まっているものだから。やるとしたら、版元ドットコムとは別の団体を立ち上げるかな。

永江 でも、版元ドットコムが取次機能も持って、「うちは流通までやります」って言えば、インパクトはあるよね。

沢辺 版元ドットとコムは、この前、出版社と取次の間の流通を請け負っている大村紙業と提携したので、直取りが出来る条件は整いつつあるんだけどね。発送は会員社140社分の本を集めて段ボールに詰めてもらえて、伝票も一個で済む。一社一社で伝票を作らなくて済むので効率的だし、版元ドットコムがやるのは集金機能だけ。でも、クレジットカード決済か何かを書店が選択してくれないと嫌だな。書店の支払いは常に課題だからね。

永江 確かにね。流通の話を色々してても、結局は金にまつわる仕事を取次におっ被せている以上は変わらないんですよ。

沢辺 でも、お金のことに関しては、技術革新でガラッと変わると思うよ。

永江 そうかなあ。あの金払いの悪い書店のオヤジにどうやって払わせるのか、難しいですよ。

沢辺 でも、金払いの悪いオヤジはポットの本を扱ってくれないと思うよ。

永江 業界全体での話をしようという時になかなか動かないのも、その辺ですけどね。

沢辺 出版社でも「支払い悪い問題」ってあるんだよね。版元ドットコムでは会費を4ヶ月滞納したら自動的に退会処理をするようにしている。版元ドットコムに参加するような、比較的新しい出版社は元々キチッと支払うところが多いんですけど。

永江 それは書店もそうですよ。新しいところは、取次にお金を支払わなくていいなんて想像もしていない。払うのが当たり前だと思っている。まあ、当たり前なんだけどさ(笑)

沢辺 でしょ?

永江 しかも、新しい書店だと歩戻しもなかったりする。日書連の集まりとかで歩戻しの話になると、新参の書店は「それって何のことですか…?」って感じなんだよね。で、「100%払うと取次からご褒美でお金がもらえるんだよ」って説明すると「うちは今までちゃんと払ってるのに、一回ももらってない!」ってことになる。取次は書店同士をあまり仲良くさせたがっていなくて、それはタレント事務所がタレント同士をあまり仲良くさせるとギャラの話をされるから、個別管理したがってるのと一緒だよね。

沢辺 さっきの話に戻ると、ポットにつき合ってくれるようなところは、支払いとかそういうところをちゃんとやってくれる書店なんだよね。小さい書店からすれば、ポットの本を並べるってことは、ちょっと工夫してみようとか、チャンレジしてみよう、っていうことじゃん。だからポット単体で考えたら、実は直取り自体にそんなに心配はないのかもね。

永江 最初の話と言うか、今回のテーマに戻すと、再販じゃなきゃいけないとか、委託じゃなきゃいけないとか、「なきゃいけない」っていうのを外せば結構自由に出来るわけですよね。
 今回の『本の現場』だって、単にノリで「希望小売価格」にしたんだけど、あれは加賀美(アルメディア)さんだったら怒るよ。加賀美さんは、「希望小売価格が当たり前」という人だから、わざわざ希望小売価格とか非再販って表示すること自体がおかしいってね(笑) 「定価」の方がイレギュラーなんだからって。

沢辺 それはあまりにも原理主義だな〜。

永江 あとは今回トーハンの広報誌の担当編集者が、「永江さん、やっぱり『書店経営』に『本の現場』を紹介出来ませんでした。ごめん」って謝りに来て。「室長もぴりぴりしてたもんで」って。「でも、昔出した『菊地君の本屋』(アルメディア)も非再販なんだけど、あのときは別に何もなかったけどなあ」って言ったら「誰も気がつかなかったんです」って(笑)
 実際はそれくらい別にどうってことないことですよ。非再販にしたって。
 委託制だってしなくていいんだし、本当の委託である、売れた時清算の委託だって、取次を通さなければ出来るわけで。取次だけが本を書店に並べるルートじゃないですから。

沢辺 何か俺、挑発されてるなあ(笑)

永江 ははは。でも、現にミシマ社とかトランスビューとか、やれてるところはあるわけで。それに、やってみて失敗して潰れたら、また別でやればいじゃない。アメリカのリーダーズ・ダイジェストが破産法の適用を申請してたけど、あれは日本でいう民事再生みたいなもんだから、要するに死んだフリして借金チャラにして、またゾンビのように甦れるということ。法律がそれを認めてるんだから、どんどんやればいい。まあ、取引先は泣きますけども。

沢辺 その他現実に出来ていることは、新刊委託をしないで、最初から注文だけ受けるということ。
 全部を注文だけにしているわけじゃないけど、最近ポットが出した本でいうと『羯諦』(山中学、定価6000円+税)は新刊委託をしなかったです。

●次回へ続く

次回、「談話室沢辺 ゲスト:永江朗 第3回『紙の本の値段、電子書籍の値段』」は、10月16日(金)に更新予定です。どうぞよろしくお願いいたします!

●プロフィール

永江朗(ながえ・あきら)
フリーライター。1958年、北海道生まれ。法政大学文学部卒。
1981年〜1988年、洋書輸入販売会社・ニューアート西武勤務。
83年ごろからライターの仕事を始める。
88年からフリーランスのライター兼編集者に。
1989年から93年まで「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。
93年からライター専業に。ライフワークは書店ルポ。
現在、『週刊朝日』、『アサヒ芸能』、『週刊エコノミスト』、『週刊SPA!』、『漫画ナックルズ』、『あうる』、『書店経営』、『商工にっぽん』、『この本読んで!』などで連載中。

●本の現場─本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場
著者●永江朗
希望小売価格●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0129-3 C0000
四六判 / 228ページ / 並製

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ゲスト:永江朗 第1回「重要なのは再販制度、じゃない」

●再販制は、あってもなくてもどっちでもいい

沢辺 今回の「談話室沢辺」は『本の現場』の販促も兼ねているので、再販のことについて話そうと思うんですよ。

永江 やっぱり、再販のことになりますか。

沢辺 出版業界の人も、新聞やテレビも、再販のことになると来るんだよね。

永江 最初から話をひっくり返すようだけど、それが不思議なんだよね。再販についてはさんざん議論され尽くしたじゃん、っていう気分があって。まだ出てない論点ってないだろう、という気もするんだけど。

沢辺 でも、再販必要論は山ほど出てるけど、「再販はいらない」論がない。永江さんはどうかわからないけど、俺は「再販いらない」論じゃなくて、「再販絶対必要論がよくわからん」という立場なんです。
 もうちょっと手前から言えば、俺は、完全な市場原理は基本的には成り立たなくて、経済に対する一定程度の介入は必要だと思ってる。だから、再販も市場をコントロールする制度として選択することがあってもいいとは思う。存在そのものが悪なんじゃなくてね。だけど現状、再販制度が出版活動に何か良い作用を与えているかというと、現実的、具体的には何も感じない。だから「絶対必要」という人に対しては「何で?」って聞きたいんです。
 一方で、わざわざ再販を壊そうとは全く思ってなくて、正直なところ「どっちでもいいや」が俺の考えなんです。永江さんの基本スタンスはどうですか?

永江 僕も「どうでもいい」なんですよ。どうでもいいし、再販を選択してもしなくても、それは出版社と書店が自由に決めれば良いんじゃないか、ということですよね。再販というよりも「定価制度」と言った方が良いかもしれないけど、再販じゃない定価制度のやり方はありますよ。
 たとえば本当の委託。「エンドユーザーに渡るまでは、所有権は出版社のもの」ということにすれば、売れた後に清算するまで、書店はお金を払わなくて済む。だから書店の負担もうんと軽くなるし、出版社も売価のコントロールができるわけです。デパートなんかでは、そういう本当の委託、「消化仕入」という形態でやっていて、商品が売れるまで、そのデパートにとって在庫はゼロなんですよ。売れた瞬間に仕入れと売上が同時に立つという感覚。出版界は今まで50年くらい再販制でやってきたけど、例えば「消化仕入れ」というやり方もある。
 とにかく「再販制はあってもなくてもどっちでもいい」というのが私のスタンス。でも、「永江朗が取材するような書店」という限定が付くけれど、これまで会ってきた書店の経営者の多くが「再販制はなくてもいいんだよね。大きい声で言えないけど」って言うんです。特に異業種から参入して来た人は「ない方がいい」とまで言います。だけど取次は「再販制守れ」って言うし、日書連も「再販制守れ」が公式見解だから「大きい声では言えないんですけどね」って言うわけですよ。
 「それは何でかな」って考えた時に、再販制が委託とくっついて運用されていることによって、けっこう弊害があるからじゃないかな。 一番大きな弊害は、このままいくとネット書店と大型店、ナショナルチェーンとローカルチェーンだけが残り、あとはインディペンデント系の書店が大都市部でちょぼちょぼ、という状況になるであろう、ということ。そんな状況になって楽しいのだろうか?
 もうひとつの弊害は、この10年くらいメガストア化が進んで来た中で、ランキング依存と言われるような状況がどんどん酷くなってきていること。チェーン店を取材して「どういう風に仕入れしてるんですか?」と聞くと「本部からの指令で、トップ50のタイトルは欠かさないようにしています」と言うんです。ランキングの上位だけ置いておけば良いとまでは言わないけど、「それだけは欠かさないように」と言うわけですよ。10年後20年後に全国のチェーン書店がそうなってしまったら、やっぱりつまらないんじゃないの?
 もちろんランキング下位の本でもAmazonで買えるんだけど、小売店がもう少し「遊べる」要素を作るには、今と違う流通の仕方も考えていかなきゃいけない。再販制を守っていこうという人の論拠はわかるけど、「じゃあ現状このままでいいの?」「このまま行ってどうなるの?」と聞きたい。

●書店の自由のつくりかた

沢辺 『本の現場』を出したことで、新聞記者やテレビ局に取材されたんですけど、やっぱり「何で非再販の本を出したんですか?」って聞かれるんですよね。自分なりに理由を考えてみたけど、正直に言えば「ノリでやった」で、理屈をつけるとしたら「書店に自由を増やしたい。その自由を色々行使して、永江さんの言葉でいえば『遊べる書店』が増えていって欲しい」ということ。
 メーカーである出版社として、どんな「書店の自由」が提供出来るかというと、ひとつは、「販売価格を縛っていることをやめて、自由に設定できるようにする」ということ。もうひとつは、35ブックスでやっているように、書店の取り分を増やすことで値引き原資を作ることですよ。

永江 35ブックスに関していうと、商品を自分たちに選ばせて欲しかったって、書店は言ってますけどね。

沢辺 確かに、35ブックスが完璧じゃないのは十二分にわかってますよ。ラインナップに不満があるということもね。ただ、35ブックスに対する一部の書店の反応に対して、腹が立つこともある。書店が「たった35%じゃん」という言い方なんだよね。「35%のマージンで歩安入帳なんてやってられません」っていう意見があった。書店はいつも正味が高すぎて利益幅がないって言っていて、それに対して、35ブックスは何かをしようとしたのに、「全体の中のこれだけじゃ意味ない」とか「もっと利幅を上げろ」とか、マイナスを先に見つけて言ってもしょうがない。

永江 それは流対協(出版流通対策協議会)の『本の定価を考える』という本の論調でもそうだけど、こういうことをしたら、こういう悪いこともあります、ああいう悪いこともあります、って先回りして悪いことばかり並べて「このままで行きましょう」っていうやり方だよね。自民党が民主党のマニフェストにいちゃもん付けてたのとそっくりで、「じゃあ変わらずこのまま沈没すれば?」っていう感じですよね。

沢辺 そんな中で積極的なのは大手チェーン店なのよ。色々考えて、現状に何か風穴空けなきゃな、と思ってるのは、むしろ大手チェーン店なんじゃないですか? 日書連からは、「試しにやってみよう」とか「こう変更したらどうだ」といった声が聞こえてこない。
 Googleのブック検索に対する出版社の対応もそうでさ。確かにいきなり「合意しないならオプトアウトしろ」とか言われたのは乱暴と言えば乱暴だけど、結果、本を検索出来るようになって読者に利益があるんだからさ。それで本がいちじるしく売れなくなるような可能性が滅茶苦茶高いかというと、そんなこともないと思うし。

永江 電子本の状況を見ていると、アメリカは本当にダイナミックだな、と思いますよね。方やハードカバーで30ドルくらいの本が、電子本だと9.95ドルで売ってたりする。ソニーのリブリエは日本では撤退したのに、アメリカではニューバージョン出すでしょ? それはつまり、ソニーとしては「日本人はバカだからもうつき合わない。日本人にはプレステだけ与えておけばいいよ」みたいなもんじゃない。経営者がアメリカ人だからかもしれないけどね。
 日本でも紙の本と電子本を同時発売して、しかも電子本は紙の本の半額とか3分の1くらいの値段でやっていくくらいのダイナミックさがあればね。現行の色々な取引の枠の中では、書店がやれることはすごく少ないから。大げさな言い方をすると、中小零細の書店に「発注する自由」とか、「発注する自由を成り立たせる諸条件」が整っていない。
例えば、計画的な発注をしていくためには、事前の出版情報が必要ですよ。再販制がなくて、委託制もないアメリカでは、本のビジネスもアパレル業界と同じようにツーシーズン制がベースになってるんです。具体的に言うと、あらかじめカタログを作って事前情報を書店に行き渡らせたうえで、版元の営業やセールスレップ(Sales Representative:営業代行)が回って「我が社は今度こういう企画の本をやります」と説明をしながら注文を取っていく。実際はもっと複雑だけど、少なくとも理想としてはそうなっている。
 日本の場合、その仕組みを取次が代行してきましたよね。極端なことを言うと、来週自分の店に入ってくる商品を知らないでもやれるのが日本の書店です。少数の、パターン配本を使わずに全部自分で仕入れるという店は別ですけども。その状況が読者として楽しいのか。

沢辺 でも俺、本でそれをやるのは無理だと思うんだよね。たとえばレヴィ・ストロースの幻の原稿が発見されたのなら、「翌年の春に発行しますよ」でいいと思うんだけど、Googleのブック検索問題があったので、アメリカの「フェアユース」って何なのかとか、知的財産ってそもそも何なのかとか、アメリカと日本の著作権法の違いを扱った本を1ヶ月か2ヶ月で仕上げて出すということだって、あると思うんですよ。むしろどっちかというと、そういう本のほうが多くなっているんじゃないですか?
 ハリー・ポッターとか村上春樹のレベルになれば、「来年の春」でもいいだろうけど、それ以外の、例えば携帯小説だって、流れが来ている時に即出そうよ、というほうが多いのだろうし、「半年後じゃなければ出来ない」としちゃうと、逆に出版がつまらなくなっちゃうんじゃないかな。

永江 それはもちろん、ガチガチの制度は要らないという前提の上でね。それから、実は日本だって老舗でかための出版社を中心にして、ちゃんと事前情報を出して計画的にやっているとこもあるんです。例えば新潮社は「来期の主力企画発表会」として、業界の人を集めるパーティーを定期的にやってるんですよ。みすず書房や岩波書店も、年末になると「来年度の我が社の出版計画」を出してるし。

●悪いのは出版界の制度?

永江 実を言うと、再販制と委託制も、スタートしてから四半世紀くらいは上手くいっていたと思うんですよ。それが高度経済成長期を終えるくらいの段階、つまり1970年代半ばから80年代頭くらいの段階で、最初の想定と条件が大きく変わったんだと思う。
 変わった点のひとつは「出版点数の増大」で、もうひとつは、講談社文庫の市場参入がきっかけと言われているけど、「フリー入帳にした」こと。もともと新刊だけ委託配本という形だったのは「サンプル」だったからですよね。アメリカのように前もって出版計画を作ってセールスレップが全国の書店を回るわけにいかないから、取次経由でサンプルを配って、見てよかったら追加発注してください、ということだから。それを全品委託配本・フリー入帳にした。そのときに「本のニセ金化」が始まって、本とお金が同じように売れるようになってしまった。
 制度を作る時に想定していなかった事態が色々生まれたのだから、制度も少しくらいいじってもいいんじゃないの、と思うんですけど。

沢辺 結局、書店員が選書をする必要があるっていうことじゃないのかなあ。

永江 うん。でも、それが何故難しくなっているのかというと、ひとつは取次が良く出来すぎているから。

沢辺 でもそれはしょうがないよね。「子どもたちに主体性がなくなった。教育システムが完備されて、通信教育から塾から何まで全部あるから、自分で図書館に通って勉強する奴がいなくなっちゃった」って言っても、意味がないと思うんだよね。「もっと自覚的に、何もかも与えられるんじゃなくて、やらせるべきだ」という「べき論」は出来ると思うんだけど、そのときに、便利なシステムを提供しているところが悪いと言っても、意味がないでしょう。つまり、取次が出来過ぎだと言っても意味がない。そこで甘えてた書店に自主性がなくなったって、それは書店自身に奮起を促す以外にはないんじゃないかな。

永江 小泉純一郎みたいな言い方に聞こえるかもしれないけど、委託配本・フリー入帳であることによって、頑張りたい書店が足を引っ張られる状況があるじゃないですか。たとえば、注文しても本が取れないとか。さっきも言ったように、特に新規参入のところから「買切りでいいのになんで本を売ってくれないのか」という意見が出る。買切りで100部欲しいと言ってるのに、「これは行き先が決まってますから」となるのは、硬直ですよ。
つまり「米は一粒たりとも輸入しません」みたいに「非再販は認めません」となる空気は気持ち悪いね、と思う。実用書なんかだと、出版する段階で「これは一年後には陳腐化して、市場で価値ないよな」っていう本もあるんだから、そういう本は時限再販でいいじゃないですか。時限再販にする必要すらないかもしれない。「その辺りをもう少し緩くやっていけばいいんじゃないの?」という程度のことです。
 もうひとつは、別に諸外国が上手くいっているとは言わないけど、再販制のある国って、先進国では珍しいくらいになっているわけですけど、たとえばフランスなんかは再販制があってももう少し緩いですよね。例えば一定枠内での値引きは認めていたり、基本は時限再販だったり。公取みたいな言葉だけど、もう少し柔軟性のあるやり方をしないと、息苦しくて窒息しちゃうんじゃないかな。

沢辺 でも、やる気のある書店は本当に足を引っ張られてるのかな? たとえば神宮前にあるJ−STYLE BOOKの大久保さんという書店員が『本の現場』を読んで思ったことを書いてくれたんだけど「現状のシステムの中でも努力して頑張れるノリシロはある」と彼がいうのは、今の永江さんの言葉で言えば、「僕は足引っ張られてるって感じはしませんよ」っていうことですよ。
 大久保さんみたいな人が増えていくことが、「チェーン店ばかりになってしまう」という危惧に対する、ひとつの対抗になるんじゃないかな。大久保さんの売りたい本とポットの出す本って微妙に違うので直接には役には立たないんだけど、大久保さんとか、そういう固有名詞をめがけて、その人に「沢辺さん、それグッドだよ」って言ってもらえるようなことをしたいな、と思うんだけど。

永江 それはいろいろなんじゃない? 「足を引っ張られてる」っていう人もいれば「そうじゃない」という人もいる。僕が取材をしていて中小の書店から言われるのは、「なんでウチにはベストセラー送ってこないの? 隣のチェーン店にはあんなに積んであるのに」ということですよ。それは取次が悪い。日書連の議論を見ていても、取次の不公平な取引条件の改善を申し入れる、という話ばかり30年間くらい、ずーっと同じことを言ってる。

沢辺 日書連みたいな人がいて、ずっと同じことを言いつづけている、っていうのは分かりますよ。おっしゃるとおりだと思うし。『本の現場』に関しても、「いきなり最初から非再販にするのではなくて、時限再販じゃない。いきなり非再販にして、Amazonに値引きされちゃったら敵わない」って感じ。そういう人がいる一方で、かたや大久保さんみたいな人もいて、スムーズだとまでは言わないけど「不公平は感じていませんよ」という人もいるわけよね。

●本が読者に届くなら、今の制度はなくなってもいい

永江 再販含めて本についての色んな制度を考える時に、何を優先して考えるかってなると思うんですけど、従来の「再販制を守っていこう」という話は、「出版社や書店をどうやったら生き残らせるか」というのが多いじゃないですか。
 私は出版社や書店がなくなろうがどうでもよくて、まずは「本が生き延びること」が大元にあるんです。次に、読者にとって本を読む機会が沢山あること。それに付随して出版社があったり著者があったり、取次や書店があると思う。
だって、本の五千年の歴史を考えたら、最初は書店も出版社もなかったわけですよ。プロの書き手が出て来てそれで食えるようになったのは遡ってもせいぜい200年ぐらい。それも、日本でも何人かいるか、くらいの規模ですよ。紫式部は原稿料もらってなかったですからね。
 そう考えると、本があって読者がいるっていうことがまず大事なんだけど、それが今の出版流通の中でどうなっているかというと、本の圧倒的な短命化ですよ。作ってもすぐ消えて、読者に届かない。平均返品率が40%ですから、新刊だけで考えたら60%を超えていますよ。この前学生に「需給バランスっていう概念は出版界にはないんですか?」って言われましたけど、少なくとも、作った本があっという間に市場から消えて読者に届かないとか、手に入らないとか、そういう本が存在したことすら知らない間になくなっていくという状況は、あまりよくないでしょう。
 「じゃあ、なんでそういう風になっているの?」って考えた時に、出版大洪水の状況があり、なんで出版大洪水の状況になるのっていうと、本のニセ金化があるからであり、本のニセ金化がなんで起こるのかというと、委託制と再販制が一体化して、本がお金と同じようになっていて、その要に取次の存在があるからだ、と考えてるんですけど。

沢辺 永江さんはちょっと断定的すぎるんじゃないかなあ。「出版社や書店が生き延びることよりも、本が生き延びることが大事」というところまでは大賛成なんですよ。いまはもう、近所に山ほどあった写植屋はなくなっちゃった。出版界はデザイナーに写植屋や製版屋の代わりをやらせることで、そういう職業をつぶしてきたわけだから。それをセンチメンタリズムでいえば物悲しい感じもするんだけど、でも技術や環境が変わった結果だから、しょうがないとしか言いようがない気がする。
 その写植屋を出版社に置き換えても同じで、「技術や環境が変化したから、お前のとこ、もう要らないんだよ」と言われたら退場する以外にないし、それを生き延びさせるのは価値が逆転しちゃってる。永江さんみたいに、本そのものとして良いものを作っていくとか、それを読者に届けていくというところに価値を置いた時、結果的に生き延びていく出版社は生まれると思うけれど、「生き延びる」の方に価値を置いたら、上手くいかないと思いますよ。ここまでは永江さんと同じ。でも、「本の存在を知らない」という点に関しては、ネットが補完していると思うんだよね。それは極論?

永江 うーん。それは大都市の、それなりの環境のある人だけだよね。

沢辺 でもネットなら、大都市に限らず全国平等ですよ。

永江 僕、この前田舎に帰ったんですけど、地方と東京の環境の格差、それから年齢や所属している環境による格差っていうのは結構凄いんだなと思って。70歳以上でネットを使いこなす人は少ないじゃないですか? 彼らにとっては、たまに行く地方のチェーン店に並んでいるのが、新刊書の全てなんですよ。「本読みたいんだったらパソコン買って使い方を覚えろ!」というのも正論かもしれないけど、70歳超えた人には言えないよね。だからと言って、私は別にネットをなくせと言っているわけじゃなくて、ネットは本の存在を知らしめる、もの凄く役に立つ道具であることは事実だと思ってますよ。でもまだまだ十分とは言いがたい。
 その上で書店の店頭での話に絞ると、書店に並んでいる時間が1週間が良いのか、1ヶ月がいいのか、3ヶ月がいいのか、ということですよ。今だと、否応無しに1週間になっちゃってるところがある。それは制度的な原因が色々あって、個々の書店がそう選択せざるを得ない状況があるんだと思います。じゃあ例えば、それをもう少し辛抱して3ヶ月ずつくらい並べるにはどうしたらいいだろうかって考えた時に、全国1万6千の書店がみんな同じ品揃えにしようとすると1週間しか並ばないかもしれないけど、その地域にあるA、B、Cの各書店がそれぞれ違う本の並べ方をしようとすれば、頑張れば1ヶ月半ぐらいずつは並ぶかもしれないよね、という組み替えをやっていけると思うんですよ。そのためだったら制度をいじってもいいんじゃないのかな。

沢辺 その辺が、永江さんと俺との温度差なのかな……。制度をいじるという結論には賛成なんだけど、どっちかというと俺は、今の制度の中にあっても大久保さんをどれだけ増やせるか、というところに興味があるんだよね。大久保さんは多分、3ヶ月くらい並べている本の方が多いと思う。

永江 でもそれは一部のとてもやる気のある書店の話で、このままじゃチェーン店ばっかりになっちゃいますよ。

●次回へ続く

第2回「今の出版界でも出来ること」は、こちら

●プロフィール

永江朗(ながえ・あきら)
フリーライター。1958年、北海道生まれ。法政大学文学部卒。
1981年〜1988年、洋書輸入販売会社・ニューアート西武勤務。
83年ごろからライターの仕事を始める。
88年からフリーランスのライター兼編集者に。
1989年から93年まで「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。
93年からライター専業に。ライフワークは書店ルポ。
現在、『週刊朝日』、『アサヒ芸能』、『週刊エコノミスト』、『週刊SPA!』、『漫画ナックルズ』、『あうる』、『書店経営』、『商工にっぽん』、『この本読んで!』などで連載中。

●本の現場─本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場
著者●永江朗
希望小売価格●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0129-3 C0000
四六判 / 228ページ / 並製

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