2010-08-10
談話室沢辺 ゲスト:落語家・鈴々舎わか馬「知ってるようで知らない、落語家の世界」
落語がブームと言われて久しい。毎日でも聴きに行くことができ、
関連書籍やDVDもずっと出続けていて、落語に対する敷居はぐっと低くなった。
それでも一般の人はもちろん、いわゆるタレント・芸能人とも少し違う感じのする
「落語家」という人々の日常というのはいったいどんなものなのだろうか。
落語家にはどうやってなるのか? 毎日をどのように過ごしているのか?
落語家の日常を2010年9月に真打昇進を控える落語家・鈴々舎わか馬さんに聞いた。
(このインタビューは2010年7月13日に収録しました。)
プロフィール
鈴々舎わか馬(れいれいしゃ・わかば)
1974年、横浜生まれ。落語家。横浜平沼高校、明治学院大学卒。
1997年、鈴々舎馬桜に入門し、「わか馬」。
2000年、二ツ目昇進。2006年、鈴々舎馬風門下に移門。
出囃子は「スーダラ節」。
2010年9月に「五代目柳家小せん」を襲名し、真打昇進が決まっている。
ブログ「わかばブログ」http://reireishawakaba.blog84.fc2.com/
●落語はどこでも出来るのが強み
沢辺 今日は僕にはどうも想像がつかない落語家さんの世界を聞いてみたいなと思ってるんですが、わか馬さんの日常ってどんな感じなんですか?
わか馬 基本的には仕事があれば出かけてお客さまの前で一席やる。表立って見えるのはそれだけですよね。それ以外の空いた時間は噺の稽古に行ったり、本を読んだりとかして色々なものに触れて見聞を広めたりしてますね。そのあたりは自分の裁量で自由にできます。
沢辺 師匠のところに行くことはないんですか?
わか馬 前座(ぜんざ)の頃は毎日通ってました。8時、9時ぐらいに行って、師匠が起きてくる頃には掃除が終わって綺麗になっているという状態にしておく。前座修行ですね。
今の二ツ目(ふたつめ)という前座と真打の間の位になってからは、10日に一度、10時ぐらいに師匠のところに顔を出しています。寄席の番組っていうのは10日ごとに変わるんですよ。それで落語家は出番のあるなしにかかわらず、10日ごとの単位で話が動くことが多いんです。ですから番組の初日である1日、11日、21日に師匠の家に集っています。
沢辺 それは二ツ目の人たちがみんな決まって行くんですか?
わか馬 そうですね。みんなが顔を出して、ご飯をいただいたり、掃除したり、家の用事のお手伝いをして、それぞれ仕事があったら出かけていく。区切りのご挨拶みたいなものですね。集まって何をするというわけではないので、仕事が午前中からある場合はちょっと今度の初日は来られません、ということもあります。
沢辺 じゃあわか馬さんの場合は真打直前だけどまだ二ツ目だから、10日ごとのご挨拶にまず行くっていうのは決まりのスケジュールとして入っているんですね?
わか馬 噺家みんながそうではないですけどね。うちの馬風一門の場合はそうなっています。ただ、ゆるいところ、きついところ色々ありますけども。基本的には何かの時には師匠のところに顔を出すというのはありますね。
沢辺 落語を演じる場所って大きく分けるとどういうところがあるんですか?
「末廣亭」とか落語をかける小屋や、普通の劇場でやってる場合や、色々ありますよね。
わか馬 大きく分けると、「定席(じょうせき)」とそれ以外ですかね。今仰った「末廣亭」のようなところを我々は「定席」と呼んでいます。ここでは毎日落語をやっています。
それ以外だと色々とありますが、本当に我々はどこでも出来るっていうのが強みなんですね。何百人も入るようなちゃんとしたホールから、おそば屋さんの二階やお座敷でもできますから。
また他の形で分類すると、入場料をいただいてお客さんを集める席と、何かの集まりに呼ばれる場合とがありますね。集まりに呼ばれるっていうのは、企業から町内会、老人会まで色々です。呼ばれる理由も研修から楽しみの一席までいろんな席がありますね。研修で落語聞かせてどうすんだとは思いながらもね(笑)
沢辺 わか馬さんが落語をやるときはどのくらいの比率なんですか? やっぱり定席が多い?
わか馬 いや、定席はほとんど無いんです。あんまり若手に出番が回ってこないので。例えばさっき仰っていた新宿の「末廣亭」は昼の部と夜の部で1日二回公演があります。それで昼夜でそれぞれ20人ずつくらい噺家が出ますが、みんな真打なんですよ。昼の始めと夜の始めにそれぞれ二ツ目が出るという枠がありますが、最初に前座さんが出て、二ツ目の枠があって、その後は出る人みんな真打。
二ツ目の場合は時間的にも短いし、そんなに出してもらえる日数もないので、トントンッとやってあとの師匠方がやりやすいような雰囲気作りをするのが寄席の中での役目です。そういうところに出してもらうのも勉強だし、そういうとこで使ってもらえるようになんなきゃいけないんですけどね。
だから、自分のやる場所をどうやって開拓するかっていうのも仕事のうちなんです。
●落語というもの全体の一番の拠り所・寄席
沢辺 二ツ目や真打ってそれぞれ何人ぐらいいるんですか? やっぱり真打、二ツ目、前座とピラミッドになるんですか?
わか馬 びっくりするぐらいの逆三角形なんですよ。定かではないんですが、真打は東京だけで400人、東西合わせて500〜600人くらいかな。私が所属している落語協会という団体ですと、ざっくりとですが真打が250人、二ツ目が50人で、前座が20〜30人とかそんなぐらいですかね。
沢辺 じゃあ少子高齢化みたいな感じだ。それ昔からそうなんですか?
わか馬 わからないですが、そうかも知れないですね。ただ、落語家の数というのがいま歴史上一番多いらしいんですよ。前座の期間が3、4年で、二ツ目が10年ぐらいなんですが、その後真打になったらもう何十年とずっと真打なわけですから、当然人数も増えていきますよね。おんなじ世代におんなじ数だけいたとしても、最終的にはそういう比率になっていきます。
沢辺 落語家さんを目の前にしてこんな質問をするのはちょっと失礼かもしれないんだけどさ、悪い言い方をすれば簡単に真打を増やすようにしちゃったとか、そういうようなことは特に無いんですか?
わか馬 色々考え方があって、それで歴史的にはもめたりもしています。二ツ目になっても腕がまずければ生涯二ツ目のまんまで、本当に認められた選ばれし者じゃないと真打にしないぞっていう考え方もあったらしいんです。
でも今はもう年功序列でとにかく真打になれます。真打になっても腕の悪いやつは使われないだけですから。真打になって辞めるとかいうことはないですけど、あんまり活動を見なくなっていく人とかもいますしね。真打になれば安泰とか、認められてすごいってわけではなくなっているのが現在の実情ですね。
沢辺 そうすると話戻るけど、定席は狭き門なわけですよね。真打にしたって1日40人で10日ごとに落語家を全員変えても月に120人。ほとんど真打だとしても回ってこない人が出てきますよね。定席一つ出るのも大変だ。
わか馬 そうですね。あとは10日間なんてとても出れないよっていう意味で寄席に出てない師匠もいます。テレビなんかもそうですし、ほかの落語会とかいろんな営業とかで引く手あまたで。逆に出たいのに出してもらえない人もあまたいるわけでございますね。
沢辺 「末廣亭」って入場料払えば20人見れちゃうんでしょ? 定員は200人くらい?
わか馬 昼夜入替してないですから、その気になれば入場料2,700円で12時から21時までずっといてもいいんですよ。だから40人見れます。僕らが学生の時はやってましたね(笑)
定員は300は入ります。2階席もあるので300以上は入れば入りますけれども、毎日満席では無いですから。
沢辺 すると満員になったって100万円くらいだね。それを出演者で山分けするんですか?
わか馬 山分けっていうふうにはならないですね。まず寄席の方で取り分を取って、残りが落語協会の事務所にどんときます。そこからはそれぞれ芸人もランクがありまして、やっぱり偉い人はちょっと歩合が高めで、若い人はちょっと歩合低めで、と上手いこと割って分配されます。
正直言うとその寄席の定席のあがりだけでは食っていくのはちょっと厳しい。あの師匠を呼ぶならこのぐらいのギャラだよっていうのとは全然違う形でやってます。
一席やっていくらになるから出るという儲けづくではなくて、落語というもの全体の一番の拠り所であるものをみんなで守ろうっていう。
沢辺 じゃ、定席はみんなで守ろうっていう目的のためにやっていて、本当にそれで食うとなったら別なところの仕事をそれなりにやんないと、むしろ割のいい仕事をやんないといかんってことですよね。
わか馬 そうですね。いわゆる商売というか自分の生活のベースとしては、寄席以外が基盤ですね。
●食えるっていう意味では、若い頃から食える
沢辺 落語で食えるようになるようになる段階ってどのぐらいからなんですか?
わか馬 わりとね。食えるっていう意味ではね、食えちゃうんですよ、若い頃から。前座修行中は毎日師匠の家に行って、ご飯食べて、寄席に行って、先輩とどこかへいったらご馳走になってという生活ですから、自分でお金使うことはほとんど無いんです。
二ツ目になっても、そんなにいい暮らしはできなくてもお金を使わないようにすれば使わずに済むという生活ができます。その分、お客さんをちょっとでも増やせるように自分で一生懸命、落語会をやるんです。
他にも前座にしても二ツ目にしても、先輩が呼ばれた落語会のお手伝いやお供を頼まれることもあります。その時は落語をやらせてもらえることもありますし、先輩にお小遣い程度はもらえます。そうすると飢えることはないんです。
沢辺 よくバイトで飯食いながら芝居とか音楽とかをやる若いのがいるじゃないですか。そういうことはあんまり無い?
わか馬 ごく稀にバイトしてるらしいよ大変だね、っていうのはチラッとあるけども、基本的にはそういうことをやらずになんとか食えるは食える。我々は一人で行って営業取れますからね。役者さんだと一人じゃ出来ませんし、公演やるとなったら、大道具だなんだ、稽古だなんだって拘束がありますけど、落語の場合は当日一人で体を運んで、着物を持って行って、座布団さえあって、ちょっと高くした高座があって、あとはお客さんさえいればどこでも出来ますんで。
沢辺 そうだよね。歌手や芝居はそば屋の二階じゃなかなかやんないでしょうね。例えばそば屋の二階だと、イメージなんですけど畳じゃないですか。高座は何で作るんですか?
わか馬 普通のそば屋の座敷の畳だったら、お蕎麦を食べるテーブルを重ねてよければ二つ重ねて。もしくはビールケースとかあればそれを積んで上に板を敷いて作ったりはしますね。床からある程度の高さの台が出来れば、あとは赤い毛氈(もうせん)、なければテーブルクロスでも、カーテンでも何でもいいから隠して、それで座布団をポンッて置けばもう出来ますから。
沢辺 ちなみにわか馬さんって、自分で作る席ってだいたいどのくらいの比率であるんですか?
わか馬 自己主催は二ツ目になりたての頃はたくさんやっていましたけど、最近は半年に一度でやっているくらいです。地元の横浜にある「にぎわい座」って小屋を借りてやっています。
あとは半分自己主催というか。それを商売にしてる人じゃないんですけど、会場を借りたり、チラシを作ってくれたりといった事務的なことを手伝ってくれる人がいるので、それに乗っかって一緒にやったりすることはあります。
沢辺 それはわか馬さんがいろいろやってきて、お客さんっていうか、呼んでくれる人が徐々に増えて、自分でわざわざやんなくても埋まるようになった。体が動かないスケジュールっていうか。
わか馬 そうですね。そういうので知り合ったり、自分を気に入ってくれてた人がお客さんと友達の間ぐらい感じになって、手伝ってもらったり声をかけてもらってやらせてもらうとかはありますね。おかげさまで、ほうぼうでやらしてもらっているところですね。
●落語家になろうと決めたのは、就職どうするとなったとき
沢辺 わか馬さん、生まれはどこですか?
わか馬 生まれも育ちも横浜の戸塚というところでございます。今は引っ越して板橋に住んでおります。師匠の家が板橋の蓮沼の方にあったので。噺家になるにあたって東京に出てきたという感じですね。横浜って言っても、戸塚は田舎ですから。通えなくはないんですけども、特に前座の時には毎日朝早くに師匠のところ行かなきゃいけない。この時間に行ければいいじゃないくて、何かあったら駆けつけられるように師匠の家の近所にいたほうがいいんです。それで実家から出て噺家になるにあたって、都内で一人暮らしを始めて。
沢辺 子どもの頃はどんな子どもだったんですか? 子どもの頃から「噺家」みたいな?
わか馬 いや、むしろ逆ですね。クラスの中で人気者とか、先生のモノマネとかしてみんなを笑わせるとか、そういうのではさらさらなく。ごくおとなしめでございましたね。自分で言うのもなんですけど、わりと真面目な学級委員なんかやるようなタイプ。子どもの頃まではわりと成績も良かったですね。
沢辺 それで落語家になろうって思ったのはいくつくらいの時からなんですか?
わか馬 なろうと思ったのは本当にもう、就職どうするってなった時ですね。小学校の頃から好きで聴いてはいたんですけれども、昔から落語家になろうと思っていたわけではなかったです。
沢辺 子どもの頃から好きだったんだ。珍しいよね。一緒に行く友達を見つけるのも大変そうだし。どのくらいのレベルの好きさだったんですか?
わか馬 他に好きなこともありましたけれども、けっこう好きでした。休みの日に楽しみで出かけようと思ったら、どっかの落語会行こうとかいうのが中心で。友達はたまに話してて、興味を持って一緒に行く人はいて、行ったら行ったで楽しいねって言うぐらいだったのかな。
ずっと中学高校大学と吹奏楽をやってたんで、好きのジャンルは違うんでしょうけど、音楽もずっと力を入れて好きでした。だから落語はけっこう好きでしたけども、それだけでもなかった感じです。全て落語のためにっていうほどでもなく。
沢辺 吹奏楽は楽器は何をやっていたんですか?
わか馬 中学がトランペットで、高校・大学とパーカッション、打楽器をやってました。
沢辺 いわゆる落研とかには興味なかったんですか?
わか馬 大学に入る時点でチラッと思ったんですが、ずっと吹奏楽やってきて好きだったし、そっちをやろうと思いましたね。やっぱり何十人集まって一つのことをやるなんて学生の時しか出来ねえかなっていう思いがあったので。
●落語家になるにはどこかの師匠に弟子入りするしかない
沢辺 落語をやる側をちょっと試してみたいなとか、そういうのは子どもの頃からあったんですか?
わか馬 講談の赤穂浪士討ち入りのところをちょっと覚えてみようとしたことは中学の頃にありましたけど、それ以外にはなかったですね。はじめて人前で落語をやったのも噺家になって、前座として寄席に入ってからなんですよ。しゃべれるように覚えようっていう気もあんまりなかった。だから噺ができるようになったのは入門してからですね。聴いてても自然には入ってこないんですよ。今でも新しいネタに取っかかるときは毎回苦労しています。
沢辺 じゃあちょっと戻りますけど、なんで噺家になろうと思ったんですか?
わか馬 好きが高じてとしか言いようがないんですよね。大学三年の半ばくらいから就職活動を始めるとなったら、取り立ててほかになりたい商売があるわけではないし、すごく好きな世界だったからそこに入れるなら入りたいな、というのが芽生えて膨らんでという感じですかね。
沢辺 一般の会社なんかの就職試験は受けたんですか?
わか馬 まったく受けませんでした。世間でもう就職活動をはじめる大学3年の終わりくらいに、噺家になりたいんですっていうのを師匠に話しました。本来あってはいけないんですけど、僕は途中で師匠が変わっているので最初に入門した時の師匠なんですが、卒業したらいらっしゃいっていう話を頂いてたので、内定と言ってしまったらあれですけど。
沢辺 なるほど。落語家になる方法って、具体的にどうすればいいんですか?
わか馬 どうすると言っても道はひとつしかないんです。どこかの師匠に弟子にしてくださいとお願いをする。これしかない。あとはもうお願いの仕方ですよね。色々調べて家を訪ねるのか、どっかの落語会とか寄席の楽屋で待ちぶせをしてそこでお願いをするか、手紙を書くか。まあ手紙ってのはあんまりないですけど。
沢辺 ちなみにわか馬さんの場合はどうやったんですか?
わか馬 落語会でも打ち上げの飲み会があるような小さなものってわりと多いんですが、そういうところで一緒に飲んだりして顔見知りになっていって。最初はそれとなく噺家になりたいんですよ、みたいな話してたんです。もちろん「やめときな」と言われて。
それで、自分が就職活動とかそういう時期になった時に、今度は本格的にお願いをしました。私の場合はある日唐突に訪ねていってとかそういうドラマチックなことはなかったですね。
●落語家のネット活用
沢辺 一方でいまお笑いブームじゃないですか。でも、落語も実はブームらしいんですよね。
わか馬 らしいんですけど、ブームって言われるほどブームでもない微妙な感じがします。世間じゃ全然ブームじゃないけれども、いわゆる出版業界とかではいま落語ブームだからって、落語関係の本が結構増えてたり、DVDも増えてますね。そういうところでなんとなくブーム。今までこっそり落語が好きだって隠してた人が実は私落語好きだったとカミングアウト出来る程度のブームですね。
沢辺 なるほど。それでいきなり話飛んじゃいますけど、落語会におけるインターネットの活用ってなんか面白い活用してるとかって聞いたことありますか? わか馬さん自身もブログ書いてますけど。
わか馬 ポッドキャスティングで無料配信とか、若手の噺を配信してるとかって言うのがあって、ダウンロード数だかアクセス数だかもすごくて、なんか面白いことになってるというのは聞きますね。誰でもお金を使わずに発信者になれる、という意味ではうまく使ってる人はうまいです。私は書いてますけど全然最近更新してないな。
沢辺 インターネットってメディアのあり方とか、状況をけっこう劇的に変えてるような感じがしてるんです。特に落語ってネットに親和性が高いって気がするんですよ。ネットって誰でも使うことができるから一つ一つがちっちゃくなってると思うんです。さっき、わか馬さんが友達と支援者の中間くらいの人達が手伝ってくれるという話をされてましたけど、別の言い方するとコミュニティじゃないですか。そういう小さいけれどもそのかわり濃いっていうコミュニティが作りやすい感じがするんです。そういう点でなんか利用している落語家さんってどなたかご存知?
わか馬 マメな人だとブログでなんかやるのと、自分でラジオ番組的なことをポッドキャストで定期的に配信してる人とかもいます。噺家何人かで飲みながら、さして内容のない話をして。それは聞いててわりと面白いものになってる。それをブログへの客寄せっていう意味なのか、よく落語聞いてくれるお客さまへのサービスとしてやってるのかはわからないですけど、それで人気を集めてるブログをやってる噺家はいます。みんなそれぞれ手探りでやってますね。
ブログとかで予定を発信するというのは割りとそれぞれやっていますし、そういうのは本当にネットじゃなきゃこうはいかないっていうのがあります。何百人何千人っていうところでイベントをやるなら、雑誌に広告を出すこともできますけど、50人とか100人の規模の会をちょくちょくやってると宣伝のしようがなかなかないんですよ。広く宣伝するには予算もないし、逆にお客さんが詰めかけちゃっても困るので。だからネットに情報を出しておけば、興味のある人が検索してきて、見てくれるっていうのはいいですよね。
それ以前は噺家がお客さんに発信するっていうのはDMぐらいしか無かったんです。100人、200人出すと切手代だけで何万とかかるのを毎月送っていた。それをコストもかけずに好きな人だけが見てくれるという形で出来るのは、多かれ少なかれ芸人みんな使ってるんじゃないですかね。
●落語の噺と著作権
沢辺 落語って古典と創作っていう風に分かれるんだと思うんですけど、有名な古典は、作った人が分かる場合があるんですか?
わか馬 ざっくり分けると古典と創作という分け方もできます。ただボーダーライン上のものもあって微妙なんです。例えば、昭和のはじめぐらいに誰かが作ったものを新作としてやってて、それを教わって伝わってて、わりといまいろんな人がやるようになった噺。これも古典ってことでいいんじゃないの、でも誰それ作の新作だよ、っていう新作なのか古典なのかボーダーライン上のものもあります。
古い噺でも作者が分かる場合というのは稀にありますね。作家がはっきり解っている場合もありますし、作ったと言うより、原点をたどるとここに行き着く、これが膨らんでこの噺になったよっていう場合があります。
例えば「試し酒」という噺。古典落語としてスタンダードに今、いろんな人がやってる噺なんですが、これは昭和の初期に誰それが作った噺ですよとか。
沢辺 それは落語家さんですか? それとも落語に作家さんというのがいるの?
わか馬 作家さんです。落語作家というのはいまも一人だけいます。小佐田定雄さんという方で、大阪のほうで活躍されてる方なんです。落語作家だけが肩書ではないんでしょうけど。
でも基本的にはいません。まあ落語作家なんかやったって儲からないから(笑)商売にならない。だから小説家であったり劇作家であったり、そういう方が落語も書いたからやってみないっていうんで、親しくしてた落語家に「これやってみてよ」ってやって、それが残されているものもありますね。
沢辺 落語って誰でも、何話してもいいんですか?
わか馬 基本的には自分で作ってやるんだったら何でも勝手におやんなさいですけども、いわゆる古典落語というか伝わってるものに関しては、誰かに教わってちゃんと許可を得てやるというのが筋です。それは自分の師匠にかかわらず、どこに教わりに行ってもいいんですけど。
この噺を教えていただきたいんですとお願いして、許可が出れば面と向かって1対1で噺をやってもらうんですよ。で、それを聞いて覚えたら1対1で自分がやって聞いてもらって、直してもらう。で、直してもらって「まだまだだな、もう一度」ってなったりしながら、お客さんの前でやってもいいよと許可を得て初めてお客さんの前でやっていい。だから勝手にやるのは本来許されない。勝手にやるのは泥棒だと。
沢辺 え、じゃあ権利を持ってる人がいるわけですか。
わか馬 この噺の権利はどこそこの何とか師匠が持ってるから、そこに断らなきゃできないとかそういうことはなくて、権利の所有者というのがいるわけではありません。持ってる人っていうのは持ちネタとしてやってれば別にいいんです。色々な師匠が同じ噺をしているけど、自分はこの人のを覚えたいって思ったらその師匠のところに行けばいいんです。たいがい自分の一門とかじゃなくても教えてくれます。
沢辺 僕は出版社だからどちらかというと著作権的な意味でも興味があって。なかなか面白かったのが、最初の噺を変えたりするわけですよね。当然っちゃ当然なんだろうけど、つまり紙に固定しているテキストみたいなもんじゃなくて、ちょっとずつ微妙にズレて、噺そのものが増えたり削られたり。伝言ゲームですよね。
わか馬 どんどん変わっていきます。それがちょっとずついいものになっていってるんでしょう。だから伝承されて何百年伝わって、いまも生き残ってるんでしょうね。
沢辺 ただ、わか馬さんには全く関係ないかもしれないけど、著作権的に言うと同一性保持権っていうのがあるわけですね。勝手に改変しちゃいかんぞと。例えば「ウエストサイドストーリー」は基は「ロミオとジュリエット」じゃねえか、とかぐらい変えるんだったらタイトルも違うし、全然場所も違うし、文句は言われない。でも微妙に途中の誰かが死んだのを死なせないとか、勝手に改変しちゃいかんぞっていうのが同一性保持権なわけですね。だけど、そうやってどんどん噺を変えていく落語界では、噺を変えるということに関してはどうなんですか? 不文律というかムードとして。
わか馬 変えることに関しては自己責任ですね。全部。要はそれが受けるか受けないか、お客さんに受け入れられるか受け入れられないか。変えて受けなきゃそれまでだし、変えて前より受けたらそれは自分がその利益で人気が出ていくわけですから。だから法律的には先ほど言ってた著作権の改変もなにもないんです。
ただ面白いなと思うのは、さっき話した稽古を1対1でつけてもらうときに、師匠にやってもらって、今度は自分がやって直してもらうというのは「上げの稽古」って言います。噺を上げる、上げてもらうって言うんですけど。この上げの時には教わったとおりにやるのが礼儀なんです。出来れば一字一句変わらず、できるだけそれと同じになるようにして、どうでしょうって直してもらう。あなたのそれがいいと思って教えてもらうのですから、そこで新しい自分なりのギャグを入れたりとか、変えたりするのはこれは礼儀にかなわないですよね。上げの稽古の時はそのまんまやるのが基本。だから権利的なものじゃなくて礼儀としてですね。
許可をもらったら自分のもんですから、あとはどう解釈を変えようが、下手したら登場人物を変えようが、キャラクター変えようが、ギャグを放り込もうが、時代設定を変えようがそれはもう自己責任で。俺が教えた噺をあんなにしやがってって怒ったり、文句言ったりするかもしれないですけれども、ちゃんとその過程を経て自分のものとしてもらっていればあとは自己責任でおやんなさいと。
沢辺 なるほど。著作権法違反だぞってことじゃなくて、変えた結果つまんないよってことはあるかもしれないけど、お前が受けなきゃお前が恥かくだけだって。そういう合意が底流にあるわけですね。ちなみに新作はどうなんでしょう。自分で作る場合も、人のをやらせてもらう場合も許可や稽古っているんですか?
わか馬 自分で作る範囲はもう端から終いまで自己責任ですから。それは誰も何も文句は言わない。人のをやりたいなと思ったら、作者なりやってる人なりに、これやらしてもらいたいんですけど教えてくれませんかっていって、基本的には稽古をつけてもらってですね。じゃあ俺はこういう風に作ってやってみたけど、自分のセンスでこれを変えてやってみていいよって許可を貰えばできるでしょうし。法的権利じゃなくて仁義ですね。仁義を通すって意味で。
沢辺 僕は著作権って思わず言っちゃいましたけど、別に法的権利っていうのもある種の仁義だとか、そういうものがトラブらないように、万民が解るように法律に成文化したっていう、どっちかって言うとそういう理解があるので、むしろ仁義で処理できることのほうが素晴らしいと思うんですよね。わざわざ法律作らなくても、そりゃ仁義でしょって通用してる社会だったらそれで全然OKだと思うんです。
だから法的どうこうじゃなくて、その話をやらせていただきたいんで稽古つけてもらえませんかっていうことが、実質的な許可っていうか仁義としての許可・了解行為になってるわけですね。
わか馬 ちゃんと筋を通せばいいよって。特に新作なんかだと、それやりたいから教えてよって言っても、いやいいよ勘弁してよって許可が降りない場合もあるでしょうし。
沢辺 現に中身知らないで勝手な印象なんですけど、新作はやっぱりやらせてよっていうのは少ないんですか? ものすごくその人っぽくなりますもんね。
わか馬 まあ少ないんですかね。その人がやってこそおかしいっていうものも多いですから。そうじゃない新作もありますけど。
沢辺 例えばパルコでやってる志の輔さんの新作落語とかは、もうなんか志の輔さんっていう感じがしちゃいますもんね。あれが20年、30年経っていけば、徐々にみんなの物ってひょっとしたらなるかも知んないんだけど、出来立てっていうのがなんかね。それに聞くほうとしても志の輔さんが作ったこの前の正月のやつをちょっとやらしてもらいますって言ったら、他に山ほどあるわけだしわざわざって感じがするもんね。
わか馬 現時点であれ受けてるな、じゃあ俺もやってみようって大して親しくもないのにいきなり志の輔師匠のところに行って、あれやらしてくださいって言ったら、そりゃあ「コイツはバカだな」っていうので終わってしまいますからね。まして若手がそんなことやったらね。古典でもなんでも、もっと今やるべきことがあるじゃないですかってことになっちゃいますから。学ぶべきことはもっと他にあるんじゃないのって言われちゃうでしょうね。
沢辺 大学、学問の世界で言えば、原典があるんだから、まずそれ読めよみたいなことですよね。なんかすごく面白いですね。作ったことの占有権みたいな考え方が。ある意味ではすごく合理性が高いっていうか。だって変えたっていいわけですしね。
わか馬 で、それで時代にちょっとずつ合わせて、リニューアル、マイナーチェンジを重ねているから何百年生き残っているんでしょうし。背景が変わって解んなくなったからいま演じられなくなった噺もたくさんあるんですけど、ちょっと変えてすごい蘇る場合もあるだろうと思います。いわゆるギャグを色々工夫して入れて、それが語り継がれていくうちにだんだん面白い部分が増えていく、つまらない部分が削られていくっていうのが何代にもわたって工夫をして変えられて、いまの古典落語っていうものはあるんでしょうから。
沢辺 なるほど。そうですよね。なんか僕はいま著作権みたいな扱いがものすごく変なふうに硬直化している感じがして。著作権的処理の形だけ整えることばっかり増えちゃって、その本筋の仁義とか礼儀とかそういうことと関係なくなっちゃってる感じがするので、スゴク面白いと思いました。
●差別用語は生でやる分には関係ない
沢辺 落語って差別的用語って言われちゃうやつが多いじゃないですか。そのことで語れないってことあるんですか?
わか馬 多いですね。でも生で語る分には関係ないですよ。別に「めくら」って言おうが「つんぼ」って言おうが。でも、そういう方がいるところではやりません。仮に客席に目が不自由な方がいるよってなったら、目の不自由な方がきてますよって報せが楽屋に入って、それを前座さんが聞いたら出演者みんなに伝えてくれるので、それを承知の上でやります。生でやる分にはそんなに「言葉狩り」的に神経質にはならないですね。
沢辺 じゃあそれはあくまでもテレビに出るとかラジオに出るとか、公共の電波を使うとか、そういう時。
わか馬 そういう時はもちろんこちらも気をつけるし、流す側の人がそれ以上に神経使いますから。だから今でもちゃんと演じられてる噺でも、テレビラジオじゃできない噺は結構あります。盲人が出てくる話は大体ダメですね。耳が不自由、いわゆる「つんぼ」噺ですとか、もうタイトルからして「唖」とか出てきちゃう「唖の釣り」という笑いの多い名作があるんですけれどこれも「唖」っていうその字一つで絶対無理。あとはいろんな噺の中でもちょっと「びっこ」とか「キチガイ」とか出てくると、これはマズイよなってわざわざ言葉を変えたりとか。そんな風にもしますけども。そういう障害関係が多いですね。
沢辺 H系ってないんですか?
わか馬 それこそそうですね。あんまり生々しいのはやらないですね。色気を感じさせる、想像させるっていうのはありますけども。生々しいのは確かに放送でもやらないけど、これはあんまりオープンな落語会ではやらないですね。我々は「破礼(バレ)」って言ってるんですけど。破礼モノはちょっとしたお座敷とか、宴会の余興とか、もう何やってもダメだこりゃっていうようなところの飛び道具として、H系のえげつないものをやることがあります。
沢辺 でもそれってどの程度えげつないんですか? 落語でえげつないっていうのは。エロ単語とか出てきちゃうのもあるんですか?
わか馬 いや、落語にえげつないっていうのは、世間で言えば全然えげつなくはないですね。エロ単語がでるのはあるにはありますね。はっきり言っちゃうのもありますよ。「おまんこ」とか。言わずにすみゃいいんですけどね。
沢辺 どっちかって言うと「さね」とかなんかちょっとこう隠すイメージがあるんだけど。
わか馬 貝がどうしたとかね。そういうのもあります。「さね」とか「ぼぼ」とかね。
沢辺 落語業界ではその破礼噺っていうのはやっぱり飛び道具っていう扱いなんですか? あんまりそう言うのに頼っちゃだめだよみたいな。
わか馬 飛び道具ですね。ましてや噺家が大勢出る都内での落語会とか寄席とかでは、まずやらないですね。それぞれが地方に行って、自分だけとか二人ぐらいでいわゆるドサ回り、なんか落語っていうものなんか理解されてないなっていうような所では、力技みたいに何でもいいからとにかく笑わせたほうがいいだろうって時にはそういうのを使ったりもしますね。最終兵器っていうか最後の切り札というのかな。ま、そこまでやらずに受けさせなきゃだめだよホントはっていうそんな感じです。
沢辺 そんな露骨なものまで使わなくたって笑わせるのが目標だろうみたいな扱い。
わか馬 そうですよね。そういう人前でしゃべっちゃいけない言葉をしゃべって。あるいはこう服脱いでケツ見せて笑わせる。そんなの素人でもできるじゃねえかっていうことになっちゃいますからね。
※今回お話いただいた鈴々舎わか馬さんは2010年9月、「五代目柳家小せん」を襲名し、真打に昇進します。
いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。