2010-03-02

談話室沢辺 ゲスト:山路達也 「電子出版時代の編集者」

電子出版時代の編集者の役割は、「必要/不要」では語れない。
2009年10月に、アルファブロガー・小飼弾氏との著書『弾言』『決弾』のiPhoneアプリ版を自らの会社から発売したフリーのライター/編集者の山路達也さんに、書籍の執筆・編集から電子書籍発売後のフォローアップまで、それぞれの段階で何を考え、何をしてきたかを話してもらった。
「2010年代の出版を考える」、編集者編。
(このインタビューは、2010年1月19日に収録しました)

プロフィール

●山路達也(やまじ・たつや)
1970年、三重県生まれ。フリーのライター/編集者。
パソコンやインターネットに関する書籍を中心に活動中。
著書に『頭のいいiPhone「超」仕事術』(田中拓也との共著、2010年、青春出版社)、『マグネシウム文明論』(矢部孝との共著、2009年、PHP新書)など。
binWord/blog
Twitter:@tats_y

●『弾言』『決弾』の下地

沢辺 まず山路さんの経歴を教えてくれますか。

山路 93年4月に大学を出て新卒でソフトバンクに入ったんです。当時は今ほど有名ではなく、出版事業とPCソフトの卸売をやっている会社でした。その出版事業の、『Oh! PC』というPC-98専門雑誌の編集部に入ったんです。

ソフトバンクに入って1、2年目が、ちょうどQuarkXPressというDTPソフトで雑誌をつくり始めたころでした。その頃の私はMacに詳しくありませんでしたが、入社したころは、出版社が経費削減のためにDTPの作業まで編集者に押し付けていた時代でもあったので、編集者の作業だけじゃなく、DTPもやりました。それでDTPに慣れた部分もありましたし、ガジェットやITっぽいものへの知識もつきましたね。

3年と3カ月勤めてからソフトバンクを辞めて、1年ぐらいオーストラリアに行っていました。
ワーキングホリデーのビザをとって、メルボルンの近くのジロングという小さな町のレストランで働いたんです。キッチンハンドといって、皿洗いみたいなものでしたけど。

その後外国人向けの専門学校に通って英会話をやり、オーストラリアをぐるっとバスで1周した後日本に戻ってきて以来、何となくフリーの編集者兼ライターとしてやってますね。

沢辺 もっと遡って聞いてもいいですか。生まれはどちらですか?

山路 三重県の四日市です。

沢辺 小さいころはどういう子供だったんですか。

山路 本はよく読んでましたね。おやじは普通のサラリーマンでしたが、とにかく本をよく買う男で、休日に出掛けても、紙袋にいっぱいに中古の本を買ってきました。

沢辺 お父さんはいくつ?

山路 昭和9年生まれだから、今75歳です。ただ、父親が読んでいた本は気に留めていませんでした。そんなに仲が良かったわけでもないので、父親が薦めるものは読まなかったり(笑)。
父親の書棚にあった本で覚えているのは、松本清張と、ノーベル文学賞を取ったようなものですね。
沢辺 じゃあ、文学が多かったんですかね。

山路 でも、週刊現代のグラビアも大好きで、写真集もいっぱいありましたよ。

沢辺 いま山路さんは謙遜してそう言ったかもしれないけれど、俺は携帯小説だって何だって、日常的に読んだり書いたりすることは、自分の問題を考えたり解決したりする力をつけるために大切だと思う。本を「文化」にするのはあんまり好きじゃないんですよ。佐伯泰英でもエロ小説でも、日常的に文章を読む習慣があるほうがいいんですよね。

山路 私も「本は高尚なもの」という考え方は違う気がしますね。「目の見えない方向けに世界名作文学を点訳して読ませよう」なんて人もいますが、ふざけるなと思います。名作文学だけが本ではないですから。
でも、子供としては破格に本を読んでいたかもしれません。1〜2週間に1回図書館に行って、借りられる限界の冊数を借りてきてました。

沢辺 そのころ、勉強はできたんですか?

山路 小学校の時はできましたね。ただ、勉強をする習慣はなかったんですよ。だから小学生の時はよかったんですけど、勉強する習慣はずっとなくて、中学校に入ってからも最低限でしたね。

沢辺 だけど、最終的に東大に入ったんですよね?

山路 勉強したのは高3になってからですよ。進学校ではありましたけど、中高一貫だったから入ってから5年間は勉強をする習慣がなかった。

沢辺 大学は何を専攻したんですか。

山路 文学部でしたが、文芸批評ではなく、言語学でした。
ただ、言語学に進んで「やっぱり違うな」と思ったんです。その当時、脳に電極をつなげて活動を見たり、人はどのように考えているのかを心理学的に追求したり、いろんなアプローチで言語を探ろうという動きがあったのですが、自分が進んだのは本当に旧態依然とした言語学だったので、幻滅してしまったんです。
もちろん、向学心にあふれる学生ならば自分で学際的な分野を見つけて研究するだけの話なので、単純に私に向学心がなかっただけですけどね。

大学卒業が93年なのですが、89年から90年代前半は16ビットパソコンが出てきて、MS-DOSも出たころですね。
それを使って自分なりに簡単なプログラムを書いて言語学の仮説を分析したりしていました。

●なぜ「iPhone」だったのか?

沢辺 でも、それが昨年発売したiPhoneアプリの『弾言』『決弾』にも繋がっているわけですよね。今日一番聞きたかったのはiPhone版の『弾言』と『決弾』をなぜ自分の会社でiPhoneアプリにして販売までしたのかということと、実際やってどうだったのか、やる過程で何を考えたのか、その3つです。

山路 深い考えはないんですよ。単純に、iPhoneはユーザーの側から見て面白いじゃないですか。Appストアにも、既に「電子書籍」というカテゴリーがありましたし。最初のころはグラビアとかコミックぐらいしかなかったですけど。
それ以前にも、ちょっとした文章のPDFを転送したりしていました。iPhoneなら文庫本と遜色ないサイズで、PDFでも結構読みやすいですよね。
そういうこともあって、これで本を出さない手はないな、と思いました。

今回iPhoneアプリにした『弾言』は、自分でも「いい出来だ」と思った仕事で、本の中で小飼氏が語っている考え方は、若い人にももっとアピールしたいと思っていました。iPhoneを使っている層は特にITに興味がある人だし、小飼さんとのマッチングもかなり高いと思うので、その点でも適していました。

沢辺 iPhoneについて、もう少し詳しく聞かせてください。山路さんは今、iPhoneをどんなふうに使っているんですか?

山路 怖いぐらい生活に溶け込んでいるので、「何が」と言われると、逆に悩んじゃうぐらいですね。

ひとつずつ挙げていくと、まず、MobileMeでPCと連動させて、予定やアドレスの管理をしています。

沢辺 メールはどうですか? 僕はiPhoneは読むにはいいんけど、書くのが面倒くさいから、本当に必要最小限で、特に社内のメールのやりとりだと「よし」や「OK」の2文字で済ましちゃいます。

山路 私も、iPhoneではあまりメールは書かないですね。読んで重要なことを振り分けたり、ちょっとした返事に使っています。メールは全部Gmailで管理していて、読まなくていいものはその場で処理して、後で返事をするものにはラベルを付けて、改めてPCで処理したりしています。
会社のメールもプライベートのメールも全部Gmail上で一元管理できますから。
Gmailなら検索も早いし、iPhoneからも過去のメールのすべてを呼び出すことができます。

スケジュール管理も、とても便利になりました。例えば取材に行く場所の住所をメモ欄に貼り付けておけば、それをクリックすると地図が表示されて、そのまま経路検索までできちゃう。

あとはEvernoteというサービスを使えば、情報を集めるだけじゃなくて、同時にメモにもなります。仕事のメモや気になった記事をとりあえず全部放り込んでおくことができるから、「あの情報はどこにあったんだっけ」ということがなくなるのがいいですね。

沢辺 僕はこの6〜7年、すべてのことがなるべくメール上で完結するようにしているので、Evernoteに乗り換えるかどうか迷ってますね。
原稿もテキストエディタを使わずにメールソフトのThunderbirdで書いて途中経過を保存しておくくらい。
書き終わったら社内の一斉配信アドレスに送ります。絶対読まなきゃいけないわけじゃないけど、「社長がこんな原稿を書いたぞ」というのを知っておくことができるように送っています。さらに俺は、できるだけブログに公開するようにしてるんだよね。

山路 それは素晴らしい。

沢辺 ブログで公開しておけば、ブログが自分にとってのデータベースになるんです。例えば雑誌の場合は、1カ月後には次号が発売されますよね。だから原稿を編集部に送るときはメールに直接貼りつけて送って、「1カ月後に公開させてもらいます」と一応断っておくんです。そうすると、自分の記録がブログとメールで全部見れる。
Evernoteのほうが良いところがあるのもわかるんだけど、今身についてる習慣を変えるのが面倒くさくて。

山路 でも、Evernoteはメールと連動していますよ。Evernoteの自分のアドレス宛にメールをすれば、それがどんどん蓄積されていきます。社内に送っているものを、Evernoteの自分用の投稿用アドレスにccしておけば勝手にたまっていくので、同じ習慣のままEvernoteにもアーカイブができていくのではないでしょうか。
Evernoteなら、音声や出先で写真、ウェブ上のクリップ、あるいは名刺をスキャンしたものなど、何でも入るので便利ですよ。でも、人それぞれのスタイルがありますから、それに合ったものが一番いいですね。

他にiPhoneでよく使うのは、手書きメモとTwitterです。Twitterのクライアントは、以前はTweetieでしたが、最近はTweetDeck

沢辺 なぜ変えたんですか?

山路 個人用やブログからの情報を発信する用など、複数のアカウントを使い分けているので、それを切り替えて見るのにTweetDeckがいいんです。例えば私だったら、最近出した『マグネシウム文明論』(PHP新書、2009年)という本の評判が気になりますよね。だから、「マグネシウム」というキーワードを自動で検索して集めるカラムもあれば、Green Techに関するキーワードで検索しているものもあって、そのすべてがTweetDeck1つで見えちゃう。今日(2010年1月19日)日本の開発者が出したTweetMeというソフトもTweetDeckと同じことができるらしいです。

●編集者も著作権者になる

沢辺 紙版の『弾言』『決弾』を出すにあたって、山路さんはどのようなポジションだったんでしょうか。

山路 言わば、ゴーストライター兼編集者ですね。人間、普通に話していて頭から終わりまでがきれいにつながることはないですよね。だから、著者と話しながら引き出したいことを聞いたり、難しいところでは、「その話は、例えばこういうことなんですか?」とキャッチボールをして相手の言葉を引きだしていきます。文字に起こした後もさらに私のほうで例を足したり、もっとスムーズに伝わる文書表現を考えながらドラフトを書いて、著者に確認してもらいました。

沢辺 そもそも言い出しっぺは山路さんだったんですか?

山路 「小飼さんと本をつくろう」と言い出したのは出版社の人です。私は、出版社の人から「小飼さんの本を出したいから企画を考えてくれ」と言われたかたち。そこから企画書を書いて小飼さんにアプローチして受けてもらいました。話をしているうちに企画書とは全然違うものになっていったので、今のかたちにしたのは「誰」ということでなく、「共同作業」ですね。

沢辺 印税は「編集」としてもらった?

山路 たしかに「編集」もしているのですが、出版社側の編集者がいて、原稿を見て直したり、「ここはこうしたほうがいい」ということも言います。校正も出版社側がやりました。
だから『弾言』と『決弾』に関しては、「著者印税を分割」した感じですね。私はあくまでも書き手として参加しているという考え方です。

沢辺 じゃあ、著作者は小飼弾と山路達也の2名だと明示された契約書を交わしたということですね。

山路 はい。ただ、多くの出版社が同じだと思いますが、契約書を交わしたのは本ができた後でした。
著作権者として契約を結んだからこそ、iPhone版を出すことができたんです。iPhone版『弾言』『決弾』のポイントの1つは、著者自身が本を売っているということだと思うんです。

沢辺 著者だから、iPhoneでやりたいというのも言いやすかったと。小飼さんは二つ返事だったんですか。

山路 はい(笑)。「いいですねえ。どんどん進めて下さい」と。

沢辺 出版社はどうでしたか。

山路 出版社にiPhoneアプリについて打診してみたのですが、会社的にはあまりiPhoneアプリに乗り気ではなくて。

沢辺 じゃあ、最初から自分でやろうと思っていたわけではなかったんですね。

山路 そうです。どうも出版社から出なさそうだったので、私が出版社に使用料を払って、私の会社から文庫本を出すかたちにするんだったらどうですか、と提案しました。正直、出版社としてリスクはない代わりにうまみがあることでもないから、普通の出版社だと「うちでも将来やるかもしれないから」みたいな返事をするところが多いと思うのですが、長いこと一緒に仕事をしてきた編集者だったことと、出版社としてもどんな反響があるのか興味があるということがあったので、OKになりました。

できればiPhoneに限らずPCや携帯も含めた「電子書籍」を考えていたのですが、「全部はちょっと」ということだったのでiPhone限定で、使用権の許諾を得ました。

実は、そのために会社設立もしたんですよ。仕事をするときに法人のほうがスムーズに頼めることが多いから、どのみち会社にしたほうがいいかなと考えていたタイミングだったし、それほど深い考えがあったわけじゃないですが。
ついでに会社申請をオンラインでやって、法務省のオンライン申請システムがいかにアホかという記事を書くこともできるかなと(笑)。

●電子書籍化にかかったコスト

沢辺 では今回は、本が出た後に電子書籍のことを考えて、本が出た後に出版社に相談したということですよね。最初にこの本をつくるとき、電子書籍を展望してなかったわけですか。

山路 全くないということはないですね。数年前から、本をつくるたびに、電子書籍の展開はできないかということは頭の隅にありましたよ。

数年前にある本をつくったとき、私は「将来的にPDFなり電子的な形態で配布できるように絶対しなきゃいけない」と主張したんですね。出版社の人にもそう言ったんです。後で別の判型にして再利用したり、あるいはそのままの判型だけどPDFのかたちで売れるようにしたい、と。再利用は今後絶対に大事になることだからと強く主張したのですが、デザイナーが「このフォントでないとやりたくない」といってきたフォントが、埋め込みのできないOCFフォントだったんです。とにかくそのフォントにこだわりがあって、「読者はそこまでフォントにはこだわらないから、ちゃんと再利用できるかたちでつくってくれ」と何度も言ったんだけど、結局説得できませんでした。

沢辺 では、数年前から電子化を考えていたということですね。

山路 そうです。将来的な流れとしては、そうならざるを得ないと思っていたので、その時から、再利用できるかたちでと思っていたんです。それも説得できずという例なんですけど。

沢辺 でも、そういう思考があったから、『弾言』『決弾』に繋がってるんですね。僕が聞きたいと思ったのは、例えば書いている段階で「電子化権を僕にくれませんか」という話は出てこないのかな、と。
これが村上春樹だったら、著作権契約する時に「電子出版権は私にください、そうじゃなかったらサインしません」と言えば、出版社も同意せざるを得ないですよ。だけど、大半の著者と出版社の間には、実際上、力関係がありますよね。

山路 私は村上春樹みたいな力はないですからね。

『決弾』の出版社の契約書のフォーマットは、紙以外の発行形態に関しては、その時に著作者と協議する、という1項が入ってるんです。電子化のことは頭の片隅にあったので、その点は確認しておきました。

沢辺 iPhone版にしたとき、出版社には何%払ったんですか。

山路 大体、文庫化と同じ相場ですね。

沢辺 じゃあ、僕の相場観だと2%〜3%前後かな。

山路 ほかに、イラストレーターとデザイナー、装丁家にiPhone版を出す時の2次使用料、オーサリング会社に技術使用料を、私の会社から払っています。

●アップルによるiPhoneアプリ審査の問題点

沢辺 ここまででiPhoneアプリ化に向けて権利関係は処理したわけですよね。次は、具体的な作業とアップルとの交渉ですか?

山路 「交渉」ではないですね。ほとんど自動ですから。年間99ドル払ってiPhone Developer Programに登録すれば、誰でも販売できるんですよ。

沢辺 登録してしまえば、あとはアプリ個別の審査だけ、と。

山路 ただ、大谷和利さんがアップルのことを書いた本をAppストアで出そうとしたらリジェクトされたことがありましたね。今の基準はわからないですけど、少なくとも、最初はアップルのことを書くとリジェクトされることがあった。

沢辺 エロとかグロに対する感覚も日本とはズレがあるそうですね。例えば日本ではスカトロのエロ雑誌もあるけれど、アメリカではスカトロに対する排除感が強いらしく、雑誌では出せないそうです。その一方でモロ見えは年齢制限があればオーケーだったり、日本とはわいせつに対する基準が違うらしいんですよね。

山路 でも最近、エロいアプリが増えている気がしますけどね。けっこう過激なグラビアもあるし、息を吹きかけるとスカートがめくれたりするものもある。それが審査を通っているのに、文章でエロ表現があったらリジェクトするのはどういうことなのかと。(注:最近AppStoreの審査基準が変更になり、セクシー系アプリはほとんど削除されています)

沢辺 混乱期だし、迷いもあるでしょう。基準をどの程度に設定するのがいいのか。
ともかく、『弾言』『決弾』に関しては、審査はどうってことなかったですよね。

山路 そうですね。ただ、どれぐらいの期間がかかるかや、今どういう段階にあるのかがわからないので、そこはドキドキしました。2〜3カ月経ってからリジェクトされることもあり得ると聞いていましたし。それこそ、Developer Programに申し込んだ時の銀行口座の確認にしても、「ちゃんとやってるのかい?」とわからん不安感はありました。

沢辺 アップルもそうだし、GoogleもAmazonもそうだけど、お客さんに対するサポートは丁寧なんだけど、パートナーに対しては不親切さがありますよね。

山路 売るなら、売れば、みたいな。
アップルの製品は、すごくスムーズで格好いいユーザーインタフェイスじゃないですか。でもiPhoneデベロッパープログラムのサイトは、売上を確認するページと、その他の登録を行なうページとで、ユーザーインターフェイスが全然違ったりするんですよ。とてもアップルがつくっているとは思えないぐらいの手抜きっぷりで、本当に不親切です。
表の部分の顧客の部分に力を入れていて、手が回らないのかもしれないですけど。

沢辺 顧客の部分が大切だというのはわかるけどね。

●電子書籍の未来はフォーマット次第

沢辺 さて、電子書籍をつくってAppストアで売るという方針が定まった上で、フォーマットはなぜドットブックにしたのでしょうか。

山路 フォーマットは、結構悩みました。青空文庫のビュワーアプリを開発している人にお金を払って、テキストを埋め込んだかたちでのアプリをつくってもらうことも考えました。そうすれば文字の拡大・縮小も自由ですし、読みやすいものができます。その代わりに、高くつく。

電子書籍を出すんだったら検索機能やフォントを切り替えをやりたいのは山々だったんですが、コストのことを考え、一番低コストでなおかつ読者から見栄えがいい。とにかく読書体験としてスムーズに読むことができるものとして、ボイジャーさんのドットブックを使ったアプローチを選んだんですね。

ボイジャーさんは、販売の条件など、さまざま柔軟に対応してくださったことも大きかったです。社長の萩野さんは1993年のエキスパンドブックのころからずっと電子書籍をやっていらした方で、すごく理解のある方でした。

沢辺 ちょっといかれたおじいさんだけどね(笑)。

山路 (笑)。一般の作り手にあれだけ安くソリューションを提供して、企業からはそれなりの金を取って何とかビジネスとして回して、なおかつそれを普通の本の文化の作り手に還元するって、普通の人ではできないことですよね。それに対して感情的に共鳴した部分もあります。

『弾言』を出したときはフォントの切り替え機能はなかったですが、今多くの人が読んでいる文庫本だって、多くの人が読めるサイズにしてあって、「どうしても読めない人は老眼鏡を掛けてください」というメディアですよ。だから、9割の人が満足できるフォーマットという意味で、妥協できる範囲かなと。
一応、目次から該当箇所にジャンプできますしね。

これもドットブックの問題点といえば問題点ですけども、表現力がすごいわけじゃないじゃないですか。TTXというドットブックのソースファイルにHTMLのようなスタイルシートを使って装飾できるのかと思ったら、全然できないんですよね。凝った見出しをつくろうと思ったら、画像で貼り付けるしかない。でも、画像で貼り付けるとなると、今後、解像度の違う機種で展開する時にどうするんだ、とさまざま問題が出てくる。そこは悩んだんですが、あまり凝った見出しにしないということで妥協しましたね。

沢辺 僕は小見出しとか、飾りつけについては、どうでもいいかな、とい個人的には思っています。でも、例えば、表組みはHTMLのようにしてほしい。現状、InDesignでの組版で表を入れる場合、Illustratorでつくった見栄えよくつくった表を「画像」にして貼りこんだりしているわけですよ。

最終的には、僕は電子書籍はテキストに戻っていって欲しい。出版されるのは大元のテキストで、ビュワーの側でCSSのようなものを適用させることで、見栄えがよくなる。

山路 私も、それが実現されないといけないと思います。新しいHTML5はグラフもきれいに生成できるし、動画もそのまま動きます。電子書籍のフォーマットも、純粋なテキスト部分と装飾部分は分離されるべきだと思います。

そういった普遍性のあるフォーマットができないと、電子書籍の可能性は本来の100分の1も出せないと思います。共通のフォーマットがあれば、書籍間で相互に参照できるようになります。相互に参照することができれば、ある本の中に別の本から引用している文章があったとして、そこをタップしたら引用元の書籍の該当部分が表示することができるし、さらに該当部分のページを買いたければ買えるようにもできます。もちろん、丸ごと買うこともできる。フォーマットが一社の独自の形式だったら、書籍間の相互参照はできないですよね。それこそHTMLのリンクのような形式は整えてくれないと、豊かな電子書籍の利用の世界は開けないと思います。

今はGoogleも本に関しては「Googleブック検索」という仕組みの中での検索結果を出していますが、情報を知りたい人にとって、それが本であるか、ウェブであるかはどちらでもいいことですよね。ウェブと本を同じように扱うためにもフォーマットは必要でしょう。

沢辺 でも、本と名乗っていようが、EPUB形式であろうが、何形式であろうが串刺しできるようになると、検索の結果が膨大になってしまわないですか?

山路 それは純粋に技術的な問題だと思いますね。
今後「本」という言葉は、ものすごく広い範囲の言葉になると思います。「文字が印刷されたものを綴じた」という定義じゃなくて、「ある程度の、ある集まりの人たちによって編集された情報の集まり」のような定義になり、「ここはきれいに編集されたコンテンツですよ」ということを識別するのに「本」というラベルが貼られるだけになる。そういう世界に参加するためにも、やっぱり共通フォーマットが必要だと思いますね。

12.jpg

●本はどこまで構造的にできるのか

沢辺 実際に電子書籍をつくってみて、悩ましかったことは他にあります?

山路 専用のエディタがあると便利だと感じました。私は見せ方にもうちょっと凝りたかったので、自分でソースコードを書くことを選んだのですが、やはり面倒だったので。ただ、まだ工夫次第で何とかなるレベルの面倒なので、それほど大きな問題ではないですね。

沢辺 僕は技術的なことではなくて、編集的な面で、文章の構造化が課題になると思っています。章・節・項、大きいところから小さいところへという概念が、今はいい加減すぎると思う。
逆にいうと、今の山路さんのような編集的ポジションにいる人に求められるのは、本の構造をきっちりつくることではないでしょうか。

山路 現状でも、それを考えてつくってはいます。
でも、紙の本をつくる際は、デザイナーに渡される時点で構造はある意味、破壊されていますよね。渡される時には大見出し、中見出し、小見出しとあっても、デザイナーはそれをざーっと流し込んでいくイメージじゃないですか。
多分、最初にざっと流し込んだレベルでは、まだ階層構造は保たれていると思うんです。でも後から修正するときに、GUIのインターフェースで修正すると、論理構造が完ぺきじゃなくなっていくんですよね。

結局どうしたかというと、InDesign上のテキストだけをエディターに貼り付けて、自分なりに「これは大見出し、これは小見出し」と手でマークを付けていき、マークを正規表現で一括置換してタグに置き換える、という作業をしました。
そこのところはAdobeやほかのソフトウェア会社に頑張ってもらいたいですね。

沢辺 俺は、Adobeなどのソフトウェア会社が何とかする余地は十分あると思いますけれども、重要なのは人間だと思ってるんですよ。著者も編集者もデザイナーも、三者が文章の構造の重要性をふまえてつくってないと、電子書籍にするのは難しいと思うんです。

もしくは、三者全員が構造を考えてつくるのはあきらめて、デザイナーだけがオペレーターとしてこだわりを持って徹底的に構造化するようになるかもしれない。

山路 私は、最初の著者の段階で論理構造を持っていないと、デザイナーがこだわりを持っても難しいとは思いますけどね。
だから、今後は著者から出版社に原稿を送る時にタグを付けたものを送るのがマナーになってくるんじゃないでしょうか。

沢辺 いや、そんなことができる著者はほとんどいないんじゃない?

山路 タグといっても、そんな難しいことじゃないですよ。今だって「大見出し」「小見出し」くらいは書いているのではないでしょうか。私が書くときは、プレーンテキストで送る時でもマークをつけるなどして、必ず構造がわかるようにして送っています。

沢辺 でも今は、例えばWordで原稿を送ってもらったら、見出しはフォントがでかくなっているとか、そのくらいですよ。Wordが浸透したので、著者も見た目を意識するようになったとも言えますが。

山路 そのWordにだって構造化を前提にした機能があって、「見出しレベル」を設定しておけば、その見出しだけ一括してスタイルを変えることもできるんですけどね。

沢辺 でも、誰も使ってないよね。

山路 Wordは書くツールとして使いづらすぎるから、構造化を意識した機能があっても、物書きが物を書くツールとしては使い得ないところがありますよね。

でも、せめて大見出し、小見出しさえ意識しておかないと。

テキストエディタによっては、行頭にピリオドを付けておけば見出しに、2つピリオドを付ければ、小見出しにということもできます。

沢辺 Wikiみたいにね。でも、僕はWikiが嫌いなんですよ。
構造化は大切だと思うんだけど、Wikiを見ていると、プログラム屋さんの発想のままのような気がするんです。

山路 沢辺さんの言いたいこともわかるのですが、そこで一般寄りにすると、結局Wordになってしまうんですよ。

まだGUIで工夫できる部分があるということかもしれませんが、そのバランスは難しいですね。

沢辺 そうそう。だから、そこは技術が解決してないなと思っています。僕も自身はテキスト派なので、ピリオド1個は大見出しで、ピリオド2個が中見出しと理解したほうが自分の中に入っていくんだけど、これまでの著者との付き合いを考えると、それを著者全体に求めるのは無理じゃないかと思う。

●著者が文章を書かなくなっていい

山路 でも、だからこそ編集者が著者と一緒に本を書いていくようになってくればいいんじゃないかな、と思いますね。つまり、必ずしも著者は文章を書く人ではなくて、その起点となるようなアイデアの種をどんどん吐き出す人であればいいんです。文章を書かなくてもいいんですよ。思い付いたことを言って、私のような編集者が、その構造化をすればいい。

私が2009年の12月に出した『マグネシウム文明論』も、研究をしてるのは大学の教授で、私は研究には何もかかわっていません。でも、先生自身が書くと固くて難しいんです。だから、私のような編集者が入って普通のビジネスマンが新書として読んで面白いものに解体して、構造をつくって、流れをつくって、文章として整える。

本を書くことは教授の本質ではないんです。先生はマグネシウムの研究をするのが本分。

最近、小説でもプロジェクトチームでつくることがあるようです。漫画は、既にチームでつくっていますよね。だから、著者自身が文章を書かないことの何がいけないのかよくわからないし、構造をつくる人がいないと駄目だと思います。

沢辺 俺も、ひとりの人がすべてをやるのは無理だと思う。学会誌に載った論文ですら、構造化されてないものがありますよ。

山路 学術書では、読みづらいものが多いですよね。編集者が仕事をしていないだけではないかとも思いますけど。
わかりにくい表現だったら、「こういうことですか」と聞き直して、もっとわかりやすい表現に直して読者の下に届けるのが編集者の仕事ですから。とにかく読み手が最重要だから、顧客に届くかたちに変形するプロセスは、誰かがやらないといけないことです。

沢辺 でも、そのことについての合意はまだできていないですよね。古い年寄りの編集者だと「そんなのは本じゃない。書き下ろしに価値がある」と言いますよね。養老孟司の『バカの壁』(新潮新書、2003年)も「しょせん聞き書きじゃん」と馬鹿にする人がいた。
書いたものに手を入れられることが嫌だという考えも、根強く残っていますよね。

山路 だからこそ、最初の時点で「実際の文章は私が書きます」という合意をつくってから進めていくことが大切です。

沢辺 小飼さんの場合も、その合意があったんですか?

山路 そうですね。小飼さんは、こちらが誘導する通りに大人しく動く人ではなかったですが(笑)。

沢辺 でも、最初に「原稿はこちらがつくりますよ」という合意が成り立っていれば、原稿に手を入れられることの抵抗感もなくなるので、編集者が自由に動き回る余地がありますね。

山路 その場合も、著者が何を考えてどういうことを言いたいかを共感して、理解するスキルが求められると思いますね。
そしてそれは画一的な役割ではなく、本ごと、著者ごと、案件ごとに変わってくるものでしょう。

沢辺 今までのような、「著者は書く人で、編集者は書いたものから」という暗黙の前提を疑うべき時代がきているということですね。

14.jpg

●電子書籍の相場観

沢辺 では次はドットブックを出した後のことを。

山路 大してお金を持っていない私が自分の会社で出しただけなので、大々的に広告を打つことはなかった。じゃあどうするか。そこについては「アルファブロガー」といわれている小飼さんの知名度に頼っているところがあります。他にも私の知り合いの出版関係者やブロガーにリリースは送りましたけど、一番大きいのは小飼さん自身がブログで「『弾言』と『決弾』をiPhoneで出しました」と書いたことですね。あとは、最近流行っているTwitter。TwitterとiPhoneはものすごく相性がよくて、TwitterのユーザーはiPhoneからつぶやいている方が多い。そうすると、例えば、「iPhone版の『弾言』を読みました」とつぶやく人がいるんですよね。そこで@dankogai(小飼弾さんのアカウント)と付いていれば、小飼さんが1冊、1冊お礼を言うようにしてくれました。そうすることで、小飼さんを身近に感じた読者の方が「小飼さんが直に礼を言ってくれたよ」とつぶやいて、またそれが話題になってTwitter上で広がっていきました。

沢辺 今の時代だったら、小飼さんのサイン本を買うよりもTwitterで一言お礼がくるほうが価値は高い感じがしますよね。

山路 私もそう思います。小飼さんは「コピペですると感謝が伝わらないので、このお礼の文章は全部自分で打ってます」と書いてました(笑)。
でも、そんなちょっとしたことだけど、著者と読者が場を共有できるんです。単にお客さんとして本屋で買ってくるのではなくて、確実に直につながっていると考えられる。これは新しいことだと思いますね。

結果として、紙の本にもちょっといい影響があったみたいです。TwitterでiPhone版が出たという話が広まったので、紙の本の売れ行きも伸びた、と出版社の社員が言ってました。

沢辺 実際売れ数は数千単位ですか、それとも万単位?

山路 万はいかないですね。まあ、4桁です。

沢辺 その数字では、なかなかつらいものがありませんか。1冊350円だから、仮に1,000ダウンロードだとしたら末端で35万円。アップルの取り分が3割だから、手元に来るのは22〜23万円。2,000としたら40〜50万。新しく書き下ろしたわけではないし、悪いとまではいいませんが。

今後は書き下ろしの電子書籍を出すことも考えられるわけですよね?

山路 もちろん。でも、いきなり電子版を出すのはまだ無理だと思います。350円という価格も、電子書籍だけで出す価格ではないです。
Appストアは低価格の圧力が掛かっている、特殊な場所です。「シムシティ」が数百円で売られている隣に置いてある1,500円のビジネス書を買う人は誰もいない。

でも、電子書籍が相当増えてきたら、価格相場観も変わってくると思います。今の350円というのは、結構きつい価格ではあります。

沢辺 ポット出版は「理想書店」での価格を950円にしたんですけど、どう思います?

山路 出版社として950円にするのもわかるのですが、読者だったら「もう一声」と思うでしょうね。ワンコインが1つの壁だと思いますし、文庫の価格も基準になっていると思います。文庫が出ていない本だったら文庫と同じくらい、文庫が出ている本だったら文庫よりもやや安いくらいが、買う人の値ごろ感のような気がします。これは純粋に自分が買って読む場合の意見ですけどね。

本音のところでは、それこそ1万円とかつけて10万人に買ってほしいと思いますよ(笑)。

●電子出版時代の著者、編集者、出版社

沢辺 最後に、書き手として電子書籍のパブリッシュをしてみて、今後本の世界や出版の世界をどんなふうにしたいと思っているのか。その中で、著者が直接読者に販売することなどを含めて、どういうことをやっていきたいですか?

山路 『マグネシウム文明論』で試してみていることではあるんですけれども、1冊1冊を売るために、もっと著者や編集者がコミットしていかないといけないと思っています。今の出版社は、こう言ってはなんですが、本を出したらあとは、あまりフォローしないじゃないですか。だけど結局、ぽんと置いておくだけでは、これだけいろんな本がある中で誰も見てくれない。

例えばあるブログにすごく面白い記事が1つ載せてあっても、更新がなかったら、もうそのブログは興味を持たれなくなってしまうのと同じように、継続的に情報をサポートして盛り上げることが必要ではないかと思っています。
『マグネシウム文明論』に関しては、WordPress(ブログ作成ソフト)でサイトをつくりました(http://www.mgciv.com/blog/)。単に書籍の情報だけではなくて、マグネシウム研究に関するQ&AをTwitterやメールで受け付けて、教授自身が質問に答えるということをやっています。

そしてもう1つ、同じサイトの英語版もつくったんですよ。英語でも同じ内容が全部見られるようになっていて、英語でも質問も受け付けています。そうすることで海外からの注目を集めたいというのがあって、手作業で翻訳してつくっているんですけど、既に問い合わせがあったんですね。海外から「この研究はこういうことに応用できないか」という質問があったり。だから、単純に本の出版のことだけではなくて、先生の研究自体を広めたいという気持ちも大きいです。

とにかく、紙の本をつくっておしまいではなくて、コンテンツを商品として出したら、その後のフォローアップもしていく流れをつくらないといけないと思っています。

沢辺 おっしゃるとおりだと思うのですが、例えば、今、日本の編集者の平均の月産タイトルは約1冊ですよね。その中で、山路さんが『マグネシウム文明論』でやっているようなフォローアップはどこまでできるでしょうか。

山路 すべての本について同じことができるとは私も思わないし、力の入れかたも緩急をつけないといけないと思います。ただ、1冊に1つサイトを立ち上げるところまでいかなくても、シリーズものであったらシリーズもののサイトとしてフォローアップする程度のフォローアップは必要だと思います。

あと、書評は追跡して、それに関してはTwitterでつぶやき、「書評ありがとうございます」と言うぐらい、どんなに忙しい編集者だってできるわけですよ。そうやって読者と共有できる場をつくることは、多分、どんなに忙しい人でもできる。

沢辺 僕は「どんなに忙しい人だってできるとは思えない」という考えです。だからといって、そういうことをやるべきではないとか、やらないほうがいいんというわけでは全くなく、むしろ集客でいえば何十人規模のリアルな場でのイベントを積極的にやっていこうと思います。イベントをやればTwitterやウェブサイトで書けますからね。どこで何をやったとか、来た人がこういうことを言っていたということがなく、ただ本のことを書いていても興味は持ってくれないですからね。

その意味では山路さんが言うようなプロモーションをもっとちゃんとやっていこうと考えています。ネットは新聞広告などと比べて、圧倒的にコストがかからなくなっていますから、小さな出版社でも大きなところと同じようにアプローチできるという意味では、自由な道具ができたと思っていはいます。ただ悩みは、それをやるのも結局人的コストなので。

山路 でも、それは今後の出版社のかたちにかかわってくると思います。出版社が今後、今と同じようなかたちで存続していくとはとても思えないんですよ。

将来の出版において、現状の出版社の「紙の流通に流すための窓口」としての役割は要らなくなりますよね。そこで出版社が何をやるかといったら、先ほど沢辺さんはプロモーションにリソースは割けないとおっしゃいましたけど、そのプロモーションをやることで生き残ればいいと思うのですが。

沢辺 いや、ごめん。リソースがないという意味ではなくて、山路さんがいうことは「その程度ならできるでしょう」というレベルではできないと思うのです。ちゃんとプロモーションやるための思考の改革が必要だし、今編集者がやっている素読みやファクトチェックといった日常的な労働の見直しとセットにしないと。

山路 もちろん、もちろんです。それも含めての話ですよ。

沢辺 ところが、そういうことを変えよう、見直そう、というところに視点を持っている人はあまり多くないと感じているんです。

山路 でも、変わろうと思うか思わないかにかかわらず、多くの出版社に勤めている編集者はおそらく食えなくなります。

独立して著者的な役割をしたり、著者とチームを組んでプロモーションの役割を持ったりする必要がある。「出版社に勤めてないとできない仕事」、学術書や、スパンが長く書かれるもの、雑誌的なものは、多分、個人の集まりでは難しいですから依然として残るでしょう。しかし現在の編集者の多くは、今の仕事を続けて食えるとは思えません。
沢辺 山路さんの言っていることはすべて正論だと思うし、僕も同意する部分があるから電子書籍にチャレンジしたりしているつもり。だけど、いま山路さんがしたような話になると、つい否定的な立場に立っちゃうんだよね。

特に書き手を中心に「出版社不要論」を言うけれど、書き手そのものも同じ競争原理にさらされるわけですよね。
いま進んでいるのは小林弘人さんの言う「誰でもメディア」化で、例えば「電波の免許がないと参入できない」という壁がどんどん壊れて、既得権がなくなっていっているわけですよね。極端にいえば、誰でもテレビ局になれる。出版社だったら「書店に配本できる」という既得権が壊れている。しかし放送局や出版社といった既得権者が稼げなくなるのと同じように、プロの書き手だって、今までは自費出版・ミニコミとの間にあったかなり深い川がなくなり、競争せざるを得ない世界になると僕は思ってるんですよ。

山路 私も、そう思いますよ。

沢辺 ということは、今、雑誌に400字8,000円で書いているライターがいたとしても、もっと安くても書きたい人がいっぱいいるから、どんどん下がっていくんですよ。

山路 だけど、マネタイズの方法も多様化しているので、個々人が探していかなきゃいけないと思いますよ。

例えば、本を出して講演につなげる人は、別に本の収入をあてにしてなかったりしますよね。極端に言えば原稿料は全部タダでもよくて、ちょっと高い金を出して名刺を刷っている感覚の人もいます。本を読者に売って金をもらうビジネス以外の食っていき方もさまざまあると思うんです。

沢辺 僕が言いたいのは、もちろん出版社も既得権が奪われるけど、それはライターも同じなんだということ。ところがライターの人たちは、どちらかというと、Amazonで3割とれる、いや7割とれるとか、そっちに行きがちで。「あんたたちの商売も、実はものすごく厳しいんですよ」と言いたい。

山路 それは間違いないですよ。紙の書籍なら刷り部数で印税がもらえても、電子書籍だと実売部数ですから、売れない本だと一銭も入らない。

沢辺 僕も、出版社が生き延びる必要はないと思うんです。結果的に生き延びられるところがあるとは思うけど。

もう1つ言いたいのは、複数の人間がチームワークでコンテンツをつくることは、ますます重要だということ。

山路 出版社は、ある意味プロジェクトチームの集まりになっていくとも思います。

●電子書籍でパンが食えるか

沢辺 そういうふうに考えると、山路さんはたまたま特殊に能力があるので、著者の本質をわかりやすい文章にすることから、文章の構造化、プロモーションまで一人でやってしまったけれど、そこまで縦横無尽にできる編集者はいないし著者もいないと僕は思っているんです。だから、今までの出版社は自覚的ではなかったかもしれないけど、プロモーションできる人と研究者と普通の人をつなげるような人が「編集者」になる。

山路 うまく絵が描ける人とかね。

沢辺 そうそう。本当にごくごく少数の人以外は、うまくチーム化した作業にはやっぱり勝てない。

山路 はい、私もそれは完全に同意ですよ。

沢辺 出版社という呼び方でなくても、コンテンツチームでも何でもいいんだけど、既存の出版社がチームを動かす役割をきちっと果たしていけるなら、結果的に生き延びるでしょう。

山路 僕も、電波権と同じように持っているだけで飯を食える状況ではなくなると言っているだけなので、同じですよね。

沢辺 そうそう。その中で山路さんは何をやりたいのかが聞きたい。

山路 自分が担うところは、恐らく著者、アイデアを持っている人と読者をうまくつなげるパイプなのかな、とは思っていますね。

沢辺 そうだね。僕も山路さんの仕事を見ていて、そこはすごくうまい人だと感じます。

山路 ありがとうございます。

沢辺 あえていやらしい言い方をすれば、研究者にはなりたくてもなれないわけですよ。

山路 もちろん(笑)。

沢辺 だけど、研究者は普通の人に通用する言葉で自らの研究の社会的な意味や技術的に優れている点を語り尽くせない人が多い。その研究者と読者の橋渡しができて、なおかつプロモーションもできるという山路さんの仕事はすごく重要だなって。

山路 そのチームの中に入るピースとして、もっと研鑽していかないといけないと思うんですけどね。

沢辺 でも、多くの編集者と決定的に違うのは、既に自分で電子書籍を出しているということですよ。

山路 はっきりいって誰でもできることです。

沢辺 だけど、現に周りを見渡して、その誰でもできることをやっている人はほとんどいない。

山路 いや、今は沢山のツールがあります。例えば、プロモーションサイトをつくるのに使ったWordPressにしても、オープンソースで無料ですよ。レンタルサーバーを借りていますけど、それも月額500円。子供にだって出せるお金です。WordPressの使い方だって、1冊の本をざっと読めば、誰にだって理解はできる。

沢辺 理解できないね。それはちょっと違うと思う。現に僕はWordPressでサイト作れない。まあ、胸を張ることじゃないけどさ(笑)。

山路 そんなに難しいものじゃないですって。WordPressでサイトを立ち上げるくらい、ネットで探せば「ごろごろいる」レベルで、特別なスキルではありません。

沢辺 僕の感覚では、プログラムに明るい人も、ある種普通の言葉が通用しない人がいると思っているんですよ。
僕が長い間一緒に仕事していて、版元ドットコムのシステムをつくっている日高だって、だいぶ柔らかくなったけど、やっぱりオタクの世界にいっちゃうこともある。PCオタク。

山路 ひとつのことに集中してやることも必要だと思うんです。直接多くの人に伝えられなくても、その人の言葉を解釈できる人に伝われば、その人が多くの人に伝えればいい。

沢辺 そうそう。だから、「あいつだけ」でも駄目だし、「俺だけ」でも駄目。ドラッカーが「組織社会になる」と言っているとおりになると思う。

山路 しかも、昔の組織のように上から「おまえはこの役目」といわれるのではなくて、恐らくそこにいるメンツがそれぞれ「この中で自分はこれができるかな」と考えながら有機的につながっていく組織になると思います。

沢辺 ここまでは何となく見えるけど、一番見えないのは、その組織をどうやってパンを買う金に換えるのか、というところ。例えば、あまり大きな声でいいたくないけど、1月15日に「理想書店」(http://www.dotbook.jp/store/)から2冊の電子書籍を出して、片方は無料で280ダウンロードくらい、有料のほうは10本しか買われなかった。値段が950円と高かったという問題もあるのかもしれないけど。
山路 電子書店で売る場合、電子書店に並べるだけでは駄目で、その外でのプロモーションや、電子書店へのトラフィックをつくないといけないでしょうね。そのためのプロモーションの機能も、チームに必要なことだと思いますよ。イベントをやったら、その参加者を理想書店の本棚のところまで道筋をつけて引っ張ってくる行為が必要です。

沢辺 理想書店個別の露出度の弱さもあると思いますが、今のところ、電子書籍そのものの露出がまだまだで、紙の本、Amazonには圧倒的に敵わないですよね。だから、電子書籍市場を育てることも必要でね。みんながAmazonに行ってしまうのもどうかと。

山路 Googleで本のタイトルを検索すると、大抵はAmazonが1番ですよね。だから、単純にSEOをやるだけでなく、イベントと絡めて大きな話題をつくることも含めて、新しい出版社の仕事の1つになってくると思います。ある意味、ネット広告代理店の役割を果たさなくてはいけなくなる。

●2010年代のライフスタイル

沢辺 それから、電子書籍のコンテンツの絶対量が増えるとか、ビュワーが進化してもっと読みやすくなることも必要ですよね。

来週アップルのタブレットが発表されるという噂があって、すごく楽しみにしているんですよ(2010年1月19日収録時。アップルのタブレット型パソコンiPadは1月27日に発表された)。iPhoneのときがそうだったけど、発売直後に1日でも早く欲しいと思ってる。最近こんなふうに思う製品は珍しい。

山路 それはありますね。昔は新しいものが出るとちょこちょこ買っていたのですが、最近は本当に、本ぐらいしか買わなくなりました。あとはiTunesストアで音楽を買ったり、アプリを買ったりで、物は買ってない。いろんなものが欲しいという欲求がなくなったかもしれません。
電子レンジはあるし、生活に生きていくものはあるんだから。

沢辺 みんな内需拡大とか、日本は貧乏だから消費が伸びないとか言うけど、「買うものがない」という理由も大きいと思いますよ。

山路 最近読んだ『経験経済』(B・J・パインII&J・H・ギルモア著、岡本慶一&小高尚子訳、ダイヤモンド社、2005年)という本は、クリーニング屋のようなサービス産業はどんどんコモディティになっていき、その次にくるのは経験を売ることだ、ということを説いた本でした。つまり、旅行に行って単にホテルや交通機関のサービスを提供するのではなく、素晴らしい経験を売ることがこれからの産業の主力になってくる、ということです。素晴らしい経験こそが大切な意味を持つ。多分、アップルはそういうところを突いているんだと思います。iPhoneや、iPod。iPodが出た時だって、「自分の部屋でずっと聞いているライブラリーを全部持ち出せて聞ける」という、製品というよりは経験を売っていた。そういう変化が起こっているということだと思いますけどね。

沢辺 僕も電子書籍に関していうと、沢山の本が小さなデバイスの中に詰まっていて、飲み屋でお姉ちゃんとおしゃべりしながら、「この間読んだ宮部みゆきの『英雄の書』(毎日新聞社、2009年)、ファンタジーみたいでなめてたら、最後のセリフがむちゃくちゃよかったんだよ。ほらこれ」って実物を見せられたらうれしいな、ということですよ。今は「最後のせりふが良かったんだよ。何だっけな」となっちゃうけど。

山路 最初に使う目的がキャバクラなんですね(笑)。でも、そういう新しい経験をさせてくれそうな気がするから、わくわくするんですよね。

沢辺 山路さんが目をつけている「環境」も、広い意味での経験のために割高な買い物をしてますもんね。安い電球なら100円で買えるのに1,200円ぐらいする蛍光灯にしたほうがいいと思って高いものを買ったり。

山路 そうですね。電気代が安くなるという理由だけではなく、ムーブメントに参加している喜びもあると思います。

沢辺 500円ジーパンも、生活に困って500円のジーパンしか買えないのではなくて、「ジーパンを500円で買う」ということがウケているという感じがします。ある種ゲーム的なね。

山路 100円ショップの社長がまさに同じことを言っていました。「これだけのものが100円で買えるのかという驚きを提供するのがうちの商売なんです」と。なるほどと思いましたよ。

沢辺 でも、それはもたないよね。「話題だから試しに買いにきました」なんて言ってる500円ジーパンのお客さんが、うちに帰ったら着れる洋服を捨てているわけでしょう。

山路 そこも難しいですよね。これは単純にものを買う話ではなくて、いろんな衣装を取っ換え引っ換え着たい人にとって、クローゼットのために部屋を用意しておくのか、あるいは500円で服を買ってきて使い捨てるのか、どっちが得かという話です。もしかしたら、使い捨てで服を買ったほうが安上がりになる人もいるかもしれない。だから、安い商品というより、高い付加価値を付けるものを見つけられないことが問題なのかと思います。
値段だけで言えば、もう限りなく安くなっている。それはデフレじゃなくて、自動でつくれるようになっているからで、その流れは止まらないでしょう。それより、「このジーパンは遠い国の貧しい人がつくりました」というような物語を付けてないと売れない。

沢辺 500円じゃなきゃ、着るものがなくて困る社会じゃないですからね。
若いやつはまだ貯金がないから「安い」も大切だと思うけど。でも、俺の使っている電子レンジは、もう15年使っているわけですよね。買った当時は何万円かしたけども、15年で割れば、1日当たり何十円という世界になってる。
でも、若いやつらはこれから買わなきゃいけないから、初期投資が掛かっちゃう。現に品物が良くなったから、10何年平気で持ったりして買い換える意欲もないわけですよね(笑)。壊れるまでいいやと。だから、生産の過剰でデフレが起こっているというよりも、僕たちそんなに欲しいものがないって感じがする。

でも、お金に余裕があるから本屋に行って無駄遣いをするかというと、そういう無駄遣いも嫌だから、図書館で借りられるなら借りるという合理的な行動を思わず取っちゃう。

結局一種のゲームみたいに、図書館で借りて得した私がうれしいとか、話題の500円ジーパンを買えたのがうれしい、ということなんじゃないかな。ジーパン1本を持てないわけはないんだもん。

山路 それに、ジーパンの原価自体もともとそんなに高いわけじゃなかったというのも、あるとは思いますね。今までは、「リーバイス」のようなブランドを付けて、原価は数百円のものを数千円で売っていたわけですが、今はブランドという物語を面白いと思わなくなったのではないでしょうか。それよりも、すごく安いものを買えるゲームに参加するほうに価値を見いだすようになったのかなとも思うんですけどね。

沢辺 ありがとうございました。すごく面白かったです。いろいろ考えているし、適切ですよね。

山路 誰の言葉だったか、「フリーランスは、存在をみんなが忘れたら死ぬ」そうです(笑)。試行錯誤をやって、ちゃんと動いたことを人に見せていれば、その関係性の中で生き延びることができるみたいなところがあります。そうやって生き延びながら、ちゃんと金につなげていかないといけないですね。

沢辺 でも、金はあとからついてくるような気もします。最終的には、飢えなきゃいいわけで、それよりもAppストアで『弾言』『決弾』を売ることに価値を置きたいですよ。(了)

このエントリへの反応

  1. [...] 談話室沢辺 ゲスト:山路達也 「電子出版時代の編集者」 | ポット出版 [...]

  2. [...] いてはどう思う? この前山路達也さんという、小飼弾さんの本を共同著作者として作ったフリーの編集者に話を聞いて、それもこの「談話室沢辺」に載せたんですよ。そうしたらある人 [...]