2011-09-02

岩本・植村・沢辺の電子書籍放談

沢辺×植村×岩本
何度目かの電子書籍元年といわれた2010年も終わり、
「電子書籍」という言葉の物珍しさもなくなった2011年。
改めて、いま出版社が置かれている状況を捉え直す。
電子書籍とはなにか? 電子書籍でなにができるのか?
小学館社長室顧問・岩本敏、東京電機大学出版局・植村八潮、
ポット出版代表・沢辺均の3人が語る、電子書籍をめぐるあれこれ。
(この鼎談は2011年6月14日に収録しました)

◎いま、出版社が電子書籍に取り組む意味

沢辺 岩本さんは、いま出版社が電子書籍に取り組む意味は、どのへんにあるとお考えでしょうか?

岩本 2つあって、1つは僕自身がここ10年ぐらい、コミックの電子版を営業も含め前線でやってきたなかで実感したのは、紙の本の売り上げが落ちていく一方で、デジタルコンテンツが支えてきたということ。これには前例があって、電子辞書がそうでした。リファレンス系は、もうとっくに、デジタルのほうが紙の売り上げを上回ってるわけです。それは読者の利便性を考えてももっともなことで、核家族化が進んだ日本の家庭のなかで、20巻も30巻もあるような百科事典を置くスペースはない。日本の辞書文化は立派なコンテンツをたくさん生み出してきたんだけれども、それをうまく使おうと思うと、紙ではもう無理。コミックを見てると、紙がたとえ売れなくても、あるいは紙の文化を守るためにも、デジタルをやっておかなければ売り上げを維持することさえできない時代になってきている。
もう1つは、読者の側に、「電子(デジタル)なら買ってもいいよ」という人がいるんだったら、それに応えるべき。この2つの点です。
前から沢辺さんと議論の的になってるんだけど、僕は、電子で書籍を読む人たちの数って思ってるほど多くないと思ってるんです。ITリテラシーの高い人たちがおもしろがってるだけで、本当の本好きが「デジタルでいいからたくさん本を持ち歩いて、どこでも本が読めるような状態にあってほしい」という意識でデジタルの本を買ってることって、そんなに多くないと思ってるの。いまは物めずらしくて、「ほらほら、こんなにして本が読めるんだよ」って人に自慢したい人とか、たまたまiPadやKindleを買った人たちが、そこに入れるものがなきゃといって買っている。だから、巷間で言われてるほど電子書籍に対するニーズが高いかっていうと、一般書籍に関してはまだそんなにないと思う。とくに文芸ものは、僕自身がデジタルでは読めないんですよ。ただ、新書だとか実用書、語学系の図書は、デジタルのほうが便利だと思ってる部分もあって、密かに愛用したりしてる。だけど、本当の意味での電子書籍の便利さをわかってる人は、読者のなかにまだそんなに多くはない気がする。

沢辺 岩本さんが、ぼくと議論の的になってるとおっしゃった部分については、よくわからないと留保をつけてきたつもりだけど、いまは正に岩本さんのおっしゃったあたりと同じくらいの感覚。ぼく自身は正直いって、電子書籍で読み通したのは1冊しかない。宮部みゆきの『おそろし』は短かったから読めた。村上龍と京極夏彦の電子書籍も買って、どちらも大ファンとまではいかないけど馴染みのある著者なのに、読んでないの(笑)。毎晩寝る前に本を読む習慣があるけど、そのとき読むのは、相変わらず紙の本。iPadは寝ながら読むのには持ちずらい。重たくて、うまく掴めないしさ。そのへんは技術的に解消できると思うんだけど。

岩本 植村さんがよくおっしゃってるけど、調べるものと楽しみで読むものとでは、明らかに電子書籍に向き不向きがある。調べるものは、絶対電子のほうがいい。

植村 辞書とか百科とかは明らかに電子のほうがいい。ただ、いまのところ、紙の本・紙の辞書・紙の百科辞典を作るプロセスは廃れてない。むしろ編集者の、信頼性のあるものを作りつづける手続きは、まだまだ機能している。百科とか辞書のアウトプットとして電子にもしたら売れちゃった、という時代にいま移ってると思う。
次に来るのは、最初はひと通り読むけれど、あとで調べられればいいコンテンツ。日本人は、人文・社会学系の専門書は読まなくても、新書はすごく読むじゃない? 新書って、文芸と違ってほとんど知識。いわゆるビジネス書の中でも、ドラッカーやコトラー、マーケティング理論とか「経済学の基礎知識」となるものも多い。その手の本はかなり電子書籍向けの作りになると思う。そういった電子書籍が有効な分野が、あと5〜10年すると辞書に続いて立ち上がってくるだろうというのが1つ。
もう1つは、移行期において、紙の本が電子データとセットだと使いやすい領域があると思う。文芸は別にセットにしなくてもいいと思うし、辞書は電子だけでいいと思ってる。ただ、実用書の領域は両方揃うとすごく使いやすい。これは当面続くと思う。

◎レベニューシェアの本質とは

沢辺 AppleがiCloudっていうのを始めたよね。オレがおもしろいと思ったのは、CDで買った曲を、どこでも聴くことができるところ。たとえばボブ・ディランの「My Back Pages」のCDのデータを自宅のMacでiTunesに取り込んだとする。そうすると、Appleがあらかじめクラウド上に持っている「My Back Pages」のデータと、「沢辺はこれをCDで買っている」という記録を結びつけて、外出先のiPhoneからクラウド上のデータにアクセスできる、ということらしい。データは自分でクラウド上にアップロードする必要はなくて、自動でやってくれるんだ。詳しい仕組みはわからないけど、おもしろいと思う。

植村 話から外れてしまうけど、それはどういう仕組み? CDをどこから買っても、コンテンツホルダーと契約するという話ではないでしょう。

沢辺 そこは疑問だね。

植村 そこまでAppleにやられたら、音楽産業は全部Appleになっちゃうよ。

岩本 アメリカではそれがもう始まるんだよ。

植村 たとえばビートルズのレコードを全部Appleが買ったとすると、AppleのiTunes Storeから買っていなくても、それを聴かせてやるよっていう話になるの?

沢辺 うん、そうだよね。

植村 いまiTunesに自分で買ったCDを入れることで、そのCDを持っていることを確認しているところがあるじゃない。iCloudは、レンタルCDを借りてきても、持ってることになっちゃうじゃん。

沢辺 俺はなると思う。それを排除するシステムを考えつかないもん。なので、逆にレンタルCDが音楽業界から問題にされるようになる気がするけどね。

植村 いまはレンタルCDを借りてきてiTunesに入れちゃうと、もうOKなんだよね。

沢辺 そう。うちの娘はそうやってるよ。CD屋に行かず、TSUTAYAに行く。10枚借りてきてガンガン取り込んで返却するわけだ。だから、iCloudのようなことになると、レンタルCD屋をつぶさざるを得ないんじゃないかな? 音楽出版社がAppleにそれを許諾したということは、レンタルにはもう供給しないと考えているんじゃないかな。

岩本 アメリカには基本的にCDレンタルはないんだよ。だから、アメリカ市場ではレコード会社がOKしちゃった。だけど、日本はまだそれはできないと思う。

植村 でも音楽会社から見たら、レンタルCDを借りてきてガンガンiPodに入れられるのと、レンタルCDを借りてきてiTunesから落ちるのは、どっちも一緒じゃない?

沢辺 iTunesから落ちればお金が入るよ。

植村 今だってレンタルCDを借りるときにお金が入るよ。

沢辺 音楽をコピーするのは、昔はカセットテープだったのがMDになって、今はハードディスクになっているわけでしょ。どんどん簡便さが進んだ。「こんなにコピーが簡便になった時代にレンタルCD屋に音楽CDを供給していていいのか?」ということが、音楽会社の課題になると思う。
アメリカではそもそもCDレンタルはないから、音楽会社が許可したとする。だけど日本にはレンタルがある。じゃあ、日本の利用者だけiCloudが利用できない、というのは可能なのか。

岩本 やれる、やれる。それは今でもそうで、アメリカのiTunes Storeと日本のiTunes Storeとは全然違うもん。

沢辺 でも利用者はiCloudを求めるよね。俺の想像では、日本の音楽会社はレンタル会社に対してCDを供給することに後ろ向きになっていくだろうな。簡単にいうと、どこかでつぶす。

岩本 つぶれるよね。というのは、出版社と一緒で、本音でいうと、レコード会社はもう新規でCDをつくりたくないと思っているよ、たぶん。物流も含めて。

植村 だから、音楽出版社があれば、原版をプレスする会社は要らなくなっちゃうんだよね。プレスする価値がない。もちろん、レコード店はすでに水面ギリギリのところまで来ているわけだけど。ただ、CDの契約のことは知らないけど、ビデオと一緒でレンタル店に対しては、小売価格より数倍高く売っているんでしょう?

岩本 そうか。

植村 音楽もビデオもそうでしょう。だから、TSUTAYAとかのレンタル店は、普通よりCDを高く買う。
アメリカだって、レンタルビデオはすごい売上がある。ハリウッドの収入で、今、一番多いのはレンタルビデオ収入ですよ。映画館での興行収入って確かケーブルテレビの次の3番目だよ。

沢辺 昔はビデオメーカーがTSUTAYAの本部に行って、何千枚とか仕入れてもらう。その値段が高かったのか、安かったのか知らないけど、一定のお金を払うわけだね。俺が聞いた話では、今は全く違って、1,000枚って言われたら、それを最初はタダでTSUTAYAに渡すんだって。それでまず1年間レンタルしてみる。1年後、何回借りられたかPOSレジで全部わかるから、1貸出◯◯円とかでお金を払うんだって。それから、「1,000枚もらったけど、500枚廃棄する。残りの500枚に関しては1枚◯◯◯円で手を打とう」といったように所有権を移すらしいよ。

植村 三田誠広さんが盛んに言ってるけど、電子書籍もそれと同じで、印税が売上に対して支払われるようになる。東京電機大学出版局は、もともと実売印税だけど、大手さんは発行部数印税で払っていた。それが変わるよね。

沢辺 うちは実売印税だけどね。

植村 ある文芸出版社は、刷った数より多く報告して払っているっていうんだよね。純文学の先生に3,000部なんて恥ずかしくて教えられないから8,000部とか、1万部っていうんだって。で、言った分の印税は払うんだって。だけど、それで食えてる。三田さんは「電子書籍の実売印税にすると食えないからアドバンスをくれ」と言っている。

沢辺 レベニューシェアの本質に気付いたわけだ。

植村 そう。買い手のない作家は成立しないですよ。しかも、電子になると積ん読が要らなくなる。積ん読がなかったら、書店もかなり厳しいよね。正直いうと、専門書出版はもっと厳しい。専門書出版は積ん読でもっているようなものだから。

沢辺 だけど、電子書籍で積ん読もあるでしょう。現にオレは京極夏彦とか、買っておいて、いつか読もうと思ってる。

植村 あるね。iPodがそうだった。1万曲持ち歩いて、聞かなくたっていい。

岩本敏

◎クラウド・サービス、使ってる?

沢辺 ごめんなさい、ちょっと話をずらすと、DropboxEvernoteって使ってます?

岩本 使っているよ。

沢辺 僕、使えないんですよ。DropboxやEvernoteは本に代わる知識のページをネットワーク上で保有しておくわけでしょう? だけど、俺は情報を見て、保存しておくのに適正かどうかをジャッジする自信がないんだよね。一応やり始めて、電子書籍に関するページをEvernoteに保存したんだけど、結局、中途半端に終わって自分なりのコレクションを形成できない。俺は佐々木俊尚さんみたいに、自分の目に自信がないわけよ。

岩本 DropboxやEvernoteは、本に代わるものじゃない。資料の整理箱、整理ノートではあるけれど。僕は、だからこそEvernoteにため込んでいるんだけど。

植村 Evernoteって何なの? 単にたくさんためていくだけとは違うの? フォルダ分けはしないの?

岩本 Dropboxはため込んでいくだけなんだけど、Evernoteっていうのは資料整理ですよ。

植村 単にフォルダを分けるのとは違うわけですか。

岩本 Evernoteというぐらいでノートなんだよ。例えば、社会学のノートをつくる。そこの中に自分が社会学だと思うものはどんどん入れちゃう。ノートはいくらでもつくれる。紙のノートやスクラップブックと異なるのは、とりあえずどこかに放り込んでおけば、あとでいくらでも他のノートやスクラップブックに移したりコピーできたりする点だね。
ブログの記事から、自炊したPDFから、音声から、全部入れることができる。

植村 Wikipediaも?

岩本 もちろん。入れようと思えば一発ですよ。
それと、PDFの場合は自動的にOCR掛けてくれるんですよ。だから、自分がタグを付けて分類しなくても内容が検索できる。

植村 Macはもともとずっと前から持っていたの?

岩本 DropboxもEvernoteも最初からハイブリッドですよ。Windowsでも、どんな端末でも、Androidでも、iPhoneでも、混在していても使える。これは便利よ。植村さんなんかには、もう最高に便利だと思う。

植村 DOSから始めた人間は、どうしてもフォルダが見えないと落ち着かなくてさ。いまだにせっせとフォルダをつくっていっちゃうのよ。
DropboxとEvernoteってつくった会社が違うの?

岩本 違う。Evernoteは日本法人があるけど、Dropboxはまだないはず。

沢辺 Evernoteはタグを付けるとか、ノートの便利さにシフトしていて、Dropboxはクラウド上にあるハードディスクのようなものだよ。

植村 Dropboxに入れると、そのコンテンツはクラウドにあるの?

岩本 クラウドにある。

植村 Evernoteは手元にある?

岩本 いや、両方とも設定ができるんですよ。ローカルにもクラウドにもある状態にもできるし、クラウドだけに置いておくこともできる。ものすごく便利ですよ。

植村 金はどういう契約になるの?

岩本 Evernoteは転送量で月間60MBまでは無料。Dropboxは総量で2GBまでは無料。

植村 2GBは必要だわな。

岩本 でも、Dropboxは総量に2GBという限度があるけど、いっぽうで、Evernoteは無料会員が月にアップロードできるのは60MBまでだけど、たまっていく総量に制限がなくて、永遠と続くんだよ。

植村 自分のハードディスクに落としておけば、クラウド上のデータは要らなくなるから、クラウドの容量は小さくていいでしょう?

岩本 発想が違う。逆ですよ。自分のところに基本的には何も置かないでもすむ。

植村 そうすると、クラウド上のデータ量はどんどん大きくなって、お金が掛かるんじゃない?

岩本 Evernoteにとって重要なのは、月ごとのデータ転送量なんです。月に60MBまでなら無料。
僕は今、月5ドル(年間なら45ドル)の会員で、月間の転送量の上限が1GB、総量に限度はないという契約をしている。

植村 じゃあ、毎月1GBを転送していって、1年後に12GBのコンテンツがクラウド上にあってもいいわけ?

沢辺 そうそう。

植村 それが5ドル×12カ月でいいの? 全然安いじゃん。

岩本 月間1GBというのはかなり多くて、普通に使っていても、とても使いきらない。一時、自炊した本をぼんぼん放り込んだ時には800MBぐらいまでいったけどね。

植村 Evernoteというのはクラウド上のデータと、それを管理するソフトとセットのものなんだね。

岩本 Evernoteは、データなんだけど、ノートブックなんだよ。

植村 テーマは分けておいてね。

岩本 1つずつのデータにはタグがいくらでも付けられるから、自分が関係あるものをどんどん放りこんでいける。

植村 タグは自分で付けられるの? 例えば、「ネットアドバンス」というタグと「電子書籍」というタグの2つのタグをつけたりできる?

沢辺 できますよ。

岩本 タグ以外でも、検索をすれば、いろんなノートから図書館にかかわるものを全部持ってきてくれる。

植村 いいね。もうそれにしよう。やってみよう。

岩本 本当便利ですよ。

植村 これから、EvernoteやDropboxのように、クラウドのサービスが主流になっていくと思う。iCloudが出た時に、電通さんがものすごく気にしていると聞いた。なぜかというと、広告代理店は広告そのものというよりも、商品と結びついた顧客情報で商売をしているわけです。それを全部アメリカのAppleやAmazon、Googleに持っていかれている。この間、電流協(電子出版制作・流通協議会)で次のテーマを話し合ったときも、やっぱり「iCloudの日本版、日本型クラウドサービスをみんなで研究しなきゃ駄目なんじゃないの」という話になった。向こうはシステムは1個で世界中にサービスをするから開発効率がいいじゃん。もちろん金はかかるんだけど、AmazonもAppleもGoogleもそれだけのお金を使えるところじゃん。ところが日本には、「クラウドつくります」といって1社でやれるようなところはないんですよ。コンテンツを1社に集めましょうっていうのは無理でしょう。
その時に水平分業的なクラウドサービスの話になる。例えば、電通のクラウド、大日本のクラウド、凸版クラウド、あるいは紀伊國屋書店のクラウドがあるけど、それをユーザー側からは1つに見えるようにすればいいんじゃないのと。これをぜひやろうよ、と。

沢辺 いきなりそれは難しくない? 話を元に戻しちゃうと、自分たちが主導権を持てるものがないと、Appleと一緒にやりましょうという話にならないんじゃない? それが俺は、スキャン電子書籍だと思う。

植村 Appleに提供するかどうかは別として。

沢辺 いや、Appleとつなげるっていう話でしょう。今後は提供しなくてもいいんだ。

植村 Appleと対抗してもいいよね。

沢辺 もちろん、当面対抗ですよ。独自で俺たちには俺たちの顧客情報とひも付いたクラウドサービスがあればいい。本でもさっきのiCloudのようなサービスができないかな。要は、出版社がスキャンPDFのデータを用意しておいて、紙の本を買ってくれた人には100円、200円で提供できないかと。それを一定以上の範囲でやって、ボリュームのある顧客情報を持っていれば、AmazonやAppleのクラウドに統合されるんじゃなくて、「複数のクラウドを結び付けるうちのサービスに入らないか?」という交渉が互角にできるんじゃないのかな。

岩本 今、Googleがいいだしているのは、データもソフトウェアも全部クラウド上にあるパソコンだよね。

植村 ちょっと前に100ドルパソコンとかあったけど、技術が進歩すると、夢のような話があっという間に実現できるようになるよね。

岩本 うん。Googleはその端末をアメリカの大学生に無料で使ってみてくれって配っているんだよね。だから、今度ChromeというOSまでつくっちゃったんですよ。その端末で全世界の図書館のコンテンツが読めるっていうことになると、俺はGoogle怖いと思うよ(笑)。

沢辺 MacOSの次期バージョンはほぼそれでしょう。

岩本 マイクロソフトもそうするって言いだしているね。

◎電子書籍で編集者の仕事は変わるのか

沢辺 今回の話は、「出版社が電子書籍に取り組む意味はどこにあるか」から始まっているんですが、とはいえ、今、電子書籍の市場はほぼないといっていい。これをどうするかについて、岩本さんはどうお考えになっているんでしょうか。

岩本 今の結論付けはおかしいよ。日本には、世界一の電子書籍市場がある。ただ、日本の今の電子書籍市場にとって不幸なのは、あまりにも世間一般の目も行政も出版社も、文芸系のものを電子書籍と呼ぶという狭い範囲にしか向いていないこと。確かに、文芸の電子書籍市場はほとんどないに等しい。だけど、さっき植村さんが言ったように、教育の分野ではこれからますます必要になってくるし、電子化が進むと僕は思うんですね。マルチメディアの良さも教育の分野では絶対必要だと思う。
だから、既にある辞書とか、コミックとか、実用図書の電子コンテンツにヒントがあると思うんですよ。その部分を伸ばしていくことによって、読者も「これはさすがに便利だわ」と思ってくれるはず。「小説を電子で読みましょう」では、「いや、俺は紙のほうがいい」という人のほうがまだ絶対多いよ。だから、実用書やビジネス書で、電子書籍の良さをもうちょっとアピールしようという方向です。

沢辺 植村さんはいかがですか。

植村 同じだと思います。基本的には今出来上がって世に出てるコンテンツは紙の本をつくる手続きで出来上がっているから。僕は今の本のように編集者と著者がつくる手続きは当面続くと思っている。なぜかというと、僕らはその枠組みの中で知識や学びを理解してきたし、文芸も楽しんできたからね。
ただ、この間もちょっと話が出たんだけど、とある出版社さんが、1000万円くらいかけて電子書籍のコンテンツをつくったんだ、と。そうして金を掛けたものは、自分たちで売りたいと言ったんだ。
でも、1000万円で云々言ってるけど、ゲームソフトはいくらかけてつくられてると思ってるんだ。ゲームのようなマルチメディアコンテンツは、デジタル雑誌と称しながら、紙の本をベースにちょっと動画が見れますとか、音楽が聞けますというレベルの比じゃないですよ。今の若い子たちは、そういう質の高いゲームを小さい頃から楽しんでいる。だからマルチメディアコンテンツと称するデジタル雑誌のライバルは、ゲームになるわけですよ。

岩本 そのとおり。

植村 でも、出版社の人間は「俺たちがこんな金かけてつくったコンテンツは、立派なマルチメディアコンテンツだ」と思っているの。でも、そんなのが売れるんだったら、とっくに売れているよね。だから、作家と作品をつくるとか、「こんな切り口があったのか」と思わせるようなショッキングな出し方とか、そういうノウハウを電子でいかに売るかになってくると思う。つくりは変えないまま、売り方に新しいチャンネルを設けるのが当面の仕事ですよ。

沢辺 さっきDropboxの話を出したけど、本の世界は、いったん編集者の手をくぐっているけど、Dropboxは自分で再構築しなきゃいけない。

植村 例えば、岩波新書を書くのは大家で、光文社新書は小粒だけど切り口は面白いというようなイメージがあるじゃない。そういう枠組みは出版社がつくってきたブランドで、これを手放したら駄目だと思う。

沢辺 それが、佐々木俊尚さんが言っているキュレーションということ? 美術館の学芸員が「このゴッホがいいよ」とか集めてくれる。その機能は出版社でいうと、中公新書の人がやっている。中公新書に載せるべきかとか、光文社新書だったらこういうターゲットだとか。それがキュレーションだったら、従来編集者がやっていることだよね。

植村 僕は肩書きに片仮名の名前なんか持ち出さなくて、「編集者」でいいと思ってるんだけど。

岩本 そうです。だって、編集っていうのはプロデュース力なんですよ。

沢辺 でも、「キュレーション」を主張している人にも一理ある。それは編集者という名刺を持っている人たちがみんなひたすらまじめにやってきたかっていうと、必ずしもそうではないから。例えば、「岩波新書をつくっています」という名刺だけに寄り掛かってきた実態も無きにしもあらずだから。

植村 それはすべて組織がそうだよ。だから、いつも言うんですけど、すべての出版社を生き残らせるために無理する必要はないんですよ。「こんなやつもいるよ」と言いだしたら、しょうがないよ。

沢辺 だけど、キュレーションを主張する人はそこを突いていると俺は思うよ。

植村 大手出版社を非難している連中はいつもそこばかり突くけど、じゃあ大手がやっていることを全面否定できるかというと、できないじゃない。僕は突くところを否定する気はなくて、「おっしゃるとおり」だと思う。でも、「そこを突いていて次の議論にいくんですか」と聞きたい。

沢辺 それと、オレが今日から「沢辺の選んだブログベスト10」とかやりさえすればキュレーションになるかというと、そうじゃないじゃない。そういうことを100人がやったら、その中で2〜3人が、「いいキュレーションだね」と言われるだけの話であって。

植村 それは「アルファブロガー」もそうだったわけでしょう。新しい言葉が出てくるともっともらしく聞こえるけど、僕はむしろ、今までやってきたことをちゃんと評価して、「こういうことだよね」と言ってくれたほうがしっくりくる。バズワードを持ち出すやつはあんまり信用しないのよ。何か目先の格好いいことを言って、俺が新しいことを見つけたみたいに言うじゃない。

沢辺 ただ、新しい言葉をつけることによって、「編集者」が大衆化するとは思うよ。今までだったら、就職試験を通ったことによって編集者としての機能があるかのようになっていたけど。

植村 うちに入った新人には「おまえ、今日から編集課員だけど、自分が編集者だと思うなよな」と言うよ。出版社に就職して編集課に配属されれば、編集会議には出るけど、自負を持って自分が編集者だと感じるのは、肩書きじゃないわけですよ。そこを勘違いしてるやつも多いけどね。出版社の編集にいると「編集者だ」と思うかもしれないけど、「編集者」の中にはものすごい差があるわけじゃない? 俺だって、上にいるとは思わないけど。

沢辺 だから、出版社の編集者はある種のキュレーターだけど、編集者になるにはこれまで就職試験を通る必要があった。でも、これからはネットでやっちゃう道も広がっているということだよ。かといってブログさえやればキュレーション機能を持てるわけではないのは、これまでと同じだけどね。

植村 いい意味でも悪い意味でも、敷居が下がったということかな。誰でも発表できて、誰でも発言できる時代。だけど、金は取れないよね。

岩本 そう。金を取るところが難しいんだよ。

植村 携帯小説が金を儲けようとすると、紙の本にして売るしかないということだよね。完成されたビジネスモデルに落としていくことはできるけど、新たに金を儲けるビジネスモデルをつくるのはすごく大変。

岩本 そのとおりだよ。

植村 かすみを食っては生きていけないから、やり続ける、つくり続けるために、お金を回していかないといけない。出版は産業として、ビジネスとして、永続的に続けるために清濁併せ持ってやってきたわけだから、その仕組みづくりは必要だと俺は思うの。そこがうまくいかなくなりつつある時に、電子の世界ですごくうまくいく金儲けの方法があるということなら、みんながそっちに移ればいいかもしれない。でも、今成立している出版の仕組みが急速に衰えて、本づくりが立ち行かなくなるのは困るわけよ。困るというか、良くない。だとしたら、電子との組み合わせの中で、今の本づくりの残しておきたい部分は続けていきたい。
繰り返しになるけど、「すべての出版社をつぶさないように」なんて1回も言ったことがない。つぶれるところはつぶれてくれていいし、やらなくてもいいことをやっているならやめてもらってもいいと思う。必要か必要じゃないかの評価はさまざまで、例えば、ある人にとっては風俗がすごく面白くて価値があるもので、誰も手掛けないからやらなきゃいけなかったりする。さまざまな価値観を持った人間が入ってきて仕事ができたのが、今までの出版社のおもしろいところだと思うんだよね。特に70年闘争以降、めちゃめちゃいろんな人が参入して面白かったわけじゃない? あの時代に比べれば、今の出版界は活性化してない。そういう意味では昔のほうが得体が知れない人はいっぱいいたような気はするよね。

岩本 デジタルコンテンツを巡る現状報告』の中でも言ったけど、そのころの編集者はメディアは何でもよかったんですよ。でも、今出版社に入ってくる連中は紙が好きなんだ。

植村 それは本当にそう。出版界もバブルを味わって、小学館も講談社もブランドになったから、ブランド会社に入りたいやつが入っている。もちろんすべての人がそうじゃないけど。でも、昔は小学館や講談社には「出版」をやりたいやつが来たんだと思う。今はそうじゃなくてブランドに入りたいやつが来ている。

岩本 それと同時に、今は使おうと思えば、デジタルのツールを編集に使える時代でしょう。そうすると、紙でできることの範囲で一生懸命あがいていた連中のほうがアイデアは豊富なのよ。要するに、「もしこれが動いたら」「もし音が出たら」と思いながら、紙でしか表現できないことの悔しさをずっと味わってきているから。彼らに、「もし、音を加えたら、あるいは動画を加えたら、あなたはどんなものをつくります?」って言ったら、アイデアがいっぱい出てくると思うよ。
だけど、ここ数年で出版社に入ってきた連中に「あなたはどうする?」って言ったら、「そんなことができるんだったら出版社に来ません」と言うよ。

植村八潮

◎技術の変化はコンテンツを変える

植村 このあいだ出た画像学会(日本画像学会)で桂川潤さんという岩波新書の表紙をリニューアルデザインした人が言っていたけど、ツールが良くなっちゃうと、機能が多すぎて不便極まりないって。やっぱり写植だとかの不便さの中の表現力のほうが、工夫があって面白かったよね。ツールがどんどん出てきて誰でも作れるになったことによって、結局クオリティーが落ちていくっていう話。

岩本 マルチメディアに近いメディア、つまりテレビが駄目なのはそのせいですよ。要するに、彼らは何でもできると思っているから、工夫がない。例えば、ある女優のスキャンダルを追いかけて、そのコメントが取れなかったら、週刊誌では記事にできないわけよ。でもテレビ局は、何もコメントが出なくて、ピンポン、ピンポンと玄関のチャイム押してるだけで15分もつんだよ。それは、UFO関係の某有名プロデューサーさんと一緒に仕事をした時に気づいたんだよ。テレビはUFOが1機も出てこなくても「出るぞ、出るぞ」で2時間もつ。でも、UFOの写真が1枚もない雑誌のUFO特集って考えられないわけよ。

植村 タレント探検隊がジャングルに行って、「わー!」って騒いだところでコマーシャル。再開したら、ただ転んだだけだとか、いくらでもあったもんね。

岩本 だから、テレビ局はネットの時に戦えないんだよ。だって、早送りしたら終わっちゃうから。ところが、僕らは出版の世界で早送りしてもいいようなコンテンツのつくり方をしてきたわけ。だから、ランダムアクセスがデジタルの良さと言われているけど、逆もあるんだよ。要するに、ランダムにアクセスできないデジタルの良さっていうのがあるの。例えば、アラーキーさんが最初のCD-ROM写真集を出した時に、ある写真を見なければ、次の写真が見られないようになってた。そうすることで、紙ではできなかった、展覧会の雰囲気の再現ができた。紙はヘアヌードだけ見ようと思えば、見られるからさ。テレビ局はその辺りの本質がわからない。

植村 例えば、小説は文字だけで表現するメディアで、しかも読み手の判断に任せる部分が大きい。だからこそ、文字だけの表現に血のにじむような努力があり、編集者もそこに手を貸し、一方、解釈にも努力がいる。読む力がない人は「つまらない」というけど、読書家にはすごく評価される作品があったりするわけじゃない?
マルチメディアの幻想って、なんでも入れられるようになればなるほど、つくる人の努力は足りなくなって、めちゃめちゃイージーなものが出てくる。そうしてつくられたものは、別にしょっちゅう見てなくていいから、チャンネルをパシャパシャ切り替えておしまいになっちゃう。そういったときに、やっぱり本をつくるプロセスには意味があるんだ。僕はどちらかというと専門書だから、間違いがあったら大変だとか、著者が書いてきたことを疑ってみるとか、裏取りするとか何度も繰り返すよ。そういった部分を、いかに電子の中で金の取れる仕事にするか。電子で金を取らなきゃいけない。

沢辺 最近面白いと思うのは、小説が厚くなっているでしょう。例えば『ミレニアム』という小説では、病院に閉じ込められた主人公に、外部の味方から掃除夫を使って連絡がくる場面がある。そうすると、その掃除夫の背景が全部書いてあるの。クルド人で、イラクで政治犯でジャーナリストだったんだけど、逃げてきて、みたいにね。そこに何かすごい意味があるのかと思うと、その人は連絡役だけで終わる。すべてがそういうふうに書かれていて、ちょっとした登場人物にも背景が見えてくるわけよ。そこに、これまでの小説とは違う面白さがオレには感じられたのね。そんなことができるのは、ワープロがあるからじゃないかなって思うわけ。

植村 それを1回賛成した上で、新しいものではないと思う。最近、息子が電子辞書で付録にあった『レ・ミゼラブル』完訳版を読んでたんだけど、スゲー読みにくかったというの。なぜかというと、話の筋に関係ない戦争の話とか、パリ・コミューンの話とか、めちゃめちゃ書き込んであるんだよ。ヴィクトル・ユーゴーは著作権のベルヌ条約の起草者で、政治家でもあるから、そういう背景をめちゃめちゃ書き込んであるんだけど、サイドストーリーが長すぎてストーリーを忘れちゃうの。

沢辺 じゃあ、俺が感動したのは実は先祖返りってことかな。

植村 いっぽうで、ワープロのような新しいツールが出てきたら、コンテンツも明らかに影響を受けていく。携帯で書いた携帯小説は、携帯で読むから面白い、とかね。魔法のiらんどはマネタイズがうまくいってなくて角川さんに買収されちゃったけどさ。

岩本 具体的に名前を出すとまずいけど、某有名作家は、自分の小説を自分で電子化する時に、「俺の小説はこういう音楽が背景に流れてほしい」なんて考えちゃうんだよ。僕は、「それなら小説じゃなくて映画をつくれば?」と言いたくなるの。

植村 小説に音楽をつけたりすることって、我々の想像の幅を狭くしていくよね。

岩本 そう。それは佐野眞一さんが指摘している。今までの小説は行間を読者に任せてきたわけだから、それがなくなったら、小説と呼べるのかと。僕もそう思う。絵を動かして音も入れて、ということを突き詰めるんだったら、最初から映像でつくればいいじゃないかと思っちゃうんだよ。

植村 多くの人が、ボーンデジタルというとマルチメディアだと思うけど、それは間違いですよ。ボーンデジタルで今のところ一番成功したのは、ビジネスかどうかは別として、携帯小説でしょ。あれほど若い子たちが読んだ携帯小説は、「引き算」だよ。表現も引き算だし、画面も引き算だし、文字数も引き算で、見事にボーンデジタルが成功した。だから、ボーンデジタルだからリッチにするとは限らない。

岩本 そのとおり。リッチという言葉がそもそもごまかしなんだよな。

植村 紙でできない1つのやり方として、山ほどサイドストーリーを書き込んだ小説の中から好きなストーリーを紡いで読むというつくり方はあると思うんだよね。一時期、分岐のある小説が流行ったけど、エッチ系のゲームがまさにそれだと思う。女の子を、「レストランに誘う」、あるいは「一気にホテルに誘う」というような選択肢をクリックしていって、最後にその子とエッチできたり、嫌われちゃってできなかったりする。そのタイプのゲームは画面で文字を読むんだけど、その文字総量がすごい量なの。これを最初に見たとき、「これこそマルチメディアの小説じゃないか」と思ったわけ。ストーリーを自分で選んで、いろんなストーリー展開が読める小説だよ。

岩本 僕の発想でいくと、それは小説のかたちをとったゲームでしかない。実用図書がなぜデジタルに向いているかっていうと、例えば地図帳がそうだけど、地図帳って端から端まで必要じゃなくて、自分が行く方向だけつながっていればいいわけでしょう? でもそれは、デジタルじゃなければ、実現できないですよね。

植村 地図帳は紙の制約の中でいかに再現しようか苦労していて、その制限が取れた時のほうが広がりがあった。だけど文字モノって、制限を外しても広がりがあるとはあまり思えないんだよね。

岩本 そうなんだよ。

植村 実は広がりがあるかもしれないんだけど、それにはかなりの才能が必要でしょう。小説だって、いまの小説に到達するには山ほどの才能が苦労する必要があったんだからさ。たとえば江戸川乱歩でも横溝正史でも、今読むと、サスペンスとしてはとてもプアじゃない? それは、表現に関するスキルが上がってきているということだからね。文字表現の中だけでも、すごい努力をした結果、現在の推理小説がある。そのタガを外してマルチメディアになったとき、その表現が今の小説ほどの水準に到達するのに、どれだけの才能と、どれだけの時間が必要になるか。

◎電子書籍に向くジャンルとは

沢辺 ここまでの話は、電子書籍市場を成立させるには、デジタルだからこそのコンテンツをどれだけ生み出せるかが重要なポイントだということですよね。ほかに何かお考えのことはありますか?

植村 将来はデジタルならではの市場が大きくなるけど、そこにいくまでのプロセスとしては、紙を電子に乗せることで成立する市場があると僕は思っているのね。今、とりあえずやるべきところはここにあるんじゃないかな。

沢辺 それはスキャン電子書籍。

植村 スキャン電子書籍ですべての本ね。それがメインになるかもしれないけど。

沢辺 既刊本はスキャン電子書籍。今つくっているものはタグ付きテキスト。できれば、そっちのほうがいいよね。

植村 あと、専門書は少しばかりマルチメディア的に。iPadアプリの「元素図鑑」の何が魅力的だったかというと、マルチメディア的なつくりもあると思うんだよね。理工の図鑑はマルチメディア的に売ったり、検索ができたりしたほうがいいし、あるいはファッション雑誌は立体的に見えたほうがいいかもしれない。ベクトルはあちこち向きながら市場をでかくする。

岩本 一緒くたに語らないっていうことですよね。電子書籍を全部同じように語ることはまず不可能だもの。料理本なんて、絶対マルチメディアのほうがいいね。

植村 そうだよね。レシピとかさ。このあいだ、久々に棒タイを締めなきゃいけなくなったんだけど、締め方を忘れちゃってて。そういうときにネットを検索したらYouTubeの「棒タイの締め方」動画が出てきて、それ見ながら締めていったときに、なるほどなって思った。

沢辺 料理も同じだということですよね。

岩本 料理や着物の着付け、ネクタイの締め方みたいなものは、そのとおりですよ。

植村 今まで書籍の中で閉じ込められていたもので、書籍から外れていくものはあると思う。地図や辞書、あと僕はよく例に出すけど、時刻表。乗り換え案内ってデジタル時刻表だよね。時刻表は、デジタルじゃなければ要らないよね。

岩本 そのとおり。

沢辺 ただ、オレの使い方が下手なのもしれないけど、品川駅を出て大阪に行くとき、途中の駅で寄り道してたこ焼き食べたいとか、ちょっとイレギュラーなことをしようとすると、乗り換え案内では検索できないんだよね。昔の時刻表はそのあたりの融通がきいたんだけどね。

岩本 それは効率だけだからね。一番安い路線とか、一番早いとか、乗り換えが少ないという選び方しかできない。

植村 でも、紙の時刻表ってリテラシーを求めるじゃない? リテラシーを求めるもののほうが深いのは、すべてのものに共通しているよね。人間が能力を持ってやったほうが、深読みできるんだよ。新聞もそう。今だって紙の新聞は機能しているけど、紙が必要なのはリテラシーのある人だけであって、多くの人には、もはやYahoo!ニュースのほうがいいわけよ。時刻表も、初めての人に本を渡したって調べられないし、乗り換え案内のほうが簡単なのは間違いない。だからデジタルは底辺を広げていくと思う。底辺を広げると、どうしても深みがなくなるというトレードオフになっているよね。
そうはいっても、今はまだ、紙とデジタルの両方の領域をやる必要があるでしょう。だから、すべての本はスキャン電子書籍をつくっておいたほうがいい。僕がつくっているような、理工書で図表や数式も入っているものは、特にスキャン電子書籍はありだと思う。

沢辺 もうちょっと立体的に語ったほうが良くない? この鼎談は、ある種のアジテーションだと思っているんですよ。

植村 スキャン電子書籍を作ろうっていう話?

沢辺 まず、既刊本はスキャン電子書籍。この先はタグテキストになると思うけど、当面はInDesignから書き出した透明テキスト付きのPDFも使えるかもしれない。この3つの路線がある。電子書籍を考えるときには、もう1つ軸が必要で、それは文芸や時刻表、地図といったジャンルの違い。この2つの座標軸で考えるのがいいんじゃないかな。

植村 ジャンルの軸として、一方に文芸、一方にマルチメディアというとらえ方もいいし、文芸と実用で分けてもいいんだけど、僕は昔から3つに分けてる。1つは楽しむもの。これは文芸とか、エンターテイメント。2つ目は調べるもの。これは辞書や辞典、電子ジャーナル的なもの。3つ目が学ぶもの。実用書は全部「学ぶ」だし、料理本からやビジネス書もそう。
日本では低く見られているけど、「学ぶ」ための本は、すごく多いの。なぜかというと、学ぶ本はレイアウトが重要だから。そして、日本は表意文字の文化だから、明らかに海外の本よりレイアウトが強い。実用書とかムックという領域を開発したのは日本だしね。

岩本 図とテキストが混在でね。

植村 この前、マンガ雑誌の元編集長から聞いたんだけど、ギャグ漫画はページをめくったところで落ちがくるようにつくっているんだって。そのように、見開き単位で本をつくるのは、日本が表意文化だから。欧米は表音文字の文化だから、「見開き」というものに対して意識が低いので、Kindleのようなリフローの電子書籍に向いているんだと思う。でも日本人はやっぱりレイアウトの本を求める。逆に言うと、ここをつくり込めば、お金を払ってくれる可能性がある。最近は見開き単位で構成されたビジネス書がいっぱいあるじゃない?

沢辺 新聞もある種そうだよね。右上の1面トップに何がくるかが重要。

植村 日本の出版社は日本の読者を相手にしているんだから、アメリカで成立していても、日本でうまくいかないという部分は、独自にやらないといけない。
僕は、日本の書籍で電子化が進むのは、次は「学ぶ」の領域だと思う。この領域は、レイアウトで見ていた雑誌にデジタルのものをプラスアルファすることで、市場がかなり広がっていくと思うんだよね。調べるの部分は、もう勝負あり。専用端末の電子辞書を、日本は見事に成功させているからね。

岩本 「調べる」の部分は、これからクラウドになるんだよ。自分のところに全部のデータがある必要はなくて、その時必要なものだけ見られればいいわけだから。

沢辺 じゃあ、ネットアドバンスがジャパンナレッジで大儲けっていうことになるわけですよ(笑)。

岩本 そうです。僕は、そういう意味では先進的な事業をやっていると思っているんだよ。

植村 逆にいうと、iCloudに一気に持っていかれる可能性もあるよね。

岩本 その可能性はあるよ。

植村 Yahoo!だって、自分たちのビジネスを考えなくちゃいけないよね。いまYahoo!では三省堂の辞書がタダで使えるけど、それはYahoo!と三省堂の間でお金が発生しているからですよ。でも、使う側から見て「タダです」というのが本当にいいかどうかは、よくわからない。辞書の再生産がうまくいく仕組みが成立していればいいんだけど。

岩本 事典・辞典というのは、リフレッシュしていかなければ意味がないんだよね。

植村 知識が主張されるのも「学ぶ」領域の本だと思う。知識は体系化したり、構造化したりするじゃない? 僕ら編集者は構造を目次で考えたりするし、大学の先生だったら、どのような順番で教えようか考えてシラバスを組むよね。
学ぶ領域の本が面白いのは、最初は1章から6章まで順を追って読んでいったとしても、1回理解したら、次はランダムにアクセスするところ。小説は極端なことをいうと、構造化されていないから、巻物で読んでもよくて、、常に頭から読むしかない。調べる本は、「学ぶ」本のような構造化がなくて、全部並列に並んでいるものにランダムにアクセスするだけだと思うんだよね。

沢辺 小説の1章、2章っていうのは単なる幕か。

植村 ちょっとトイレ行ってきてください、みたいなもんだよね。もちろん、村上春樹の作品のように主人公が交互に入れ替わるような構造を持つ小説もあるけど、どちらかだけを読むことは基本的にはない。そういう意味において、やっぱり文芸の領域の本は巻物なんだよね。
逆にいうと、巻物の時代からあるコンテンツが文芸の領域で、その後、ページをめくる冊子体の本ができたことによって成立した分野が「学ぶ」や「調べる」だと思う。だって、巻物じゃランダムアクセスは不可能だもの。
新しい形態が出てきたことによって、新しいジャンルの本が成立するというのが、デジタルでも起こると思う。でも、それは正直俺たちの世代じゃなくて、次の世代に期待している。
当面の市場と確実にあるのは「学ぶ」領域だと思う。ここは今、デジタル教科書とか、いろいろアプローチがされているよね。

沢辺均

◎デジタルで偶然性は演出できる?

岩本 植村さんの言う事で「それは違うんじゃないか」と思うところが1つあるんだ。それは雑誌だよ。雑誌って、自分が欲しいものがなにかわかってる人が読むのかというと、そうじゃないんだよ。

植村 正直いうと、これまでの分類で、雑誌は考えてないの。

岩本 Googleと一番闘えるのは雑誌なんだよ。なぜかというと、Googleは知りたくないものを出してくれないから。雑誌は知りたくないものも教えてくれるんだよ。

植村 知識と対比する言葉は検索なんです。知識は誰かによって体系立てられて、頭からおしまいから学びましょうというもの。いっぽう、Googleはダイレクトにキーワードを取ってくるけど、キーワードの意味がある分野でどのように位置付けられているかがわからない。でも本の中の検索であれば、2章の第1節から引いてきたという情報があるので、全体の中のどこに位置付けるかわかる。ネットで検索していると、取ってきた言葉は確かにあって解決はするけど、それがある全体の中でどこにあるるかという知識にはならない気がするんだよね。
もちろん、今の人たちは体系化よりGoogle的なものを求めているから、それはそれで重要だと思うよ。

沢辺 うーん、求めているかな?

植村 もしかしたら、知識の体系や、知識の世界の大きさを知らないで満足しているのかもしれない。でも、俺はやっぱりあると思う。

沢辺 知識って、こういうものだと思うんです。「H2O」のような化学記号って、最初は単なる暗記ですよね。暗記の段階では、だるいだけです。だけど、そうやって覚えていったものが、ある時、広大な地平が開けたように結び付けられるようになる。知識ってそういうものだと思うんです。

岩本 うん、そうだよ。

沢辺 植村さんも岩本さんも、それを体験していて、知識というものの実感があるんだよ。

植村 なるほど、そうだよね。僕がラジオ少年だったころ、電気回路図は文章を読むより面白い、と言ってた先輩がいた。
音楽家は「楽譜は完全なる言語なんだ」と言うよね。作曲って、メロディーが流れるだけだと思うじゃない。でも違うんだ。誰が言っていたのか忘れたけど、楽譜と挌闘するんだって。だから楽譜抜きに音楽はできないって言うんだよ。楽器を弾いて音楽が流れていくんじゃなくて、文章の推敲と同じことを楽譜の上でやるらしいよ。

沢辺 そうそう。だから、頭の中に宙ぶらりんで置いていたら、ものになっていかないんだよ。文字にすることと、それを新しくすることと、常に往復なんだよ。

植村 抽象を具体化するということだよね。その時に楽譜や文字を使う。僕は理工系だから、すぐ図解したくなる。レイアウトにすると、少しわかるようになる。そういうものを、みんなそれぞれ持っているんだと思う。そういった知識を持っている人が検索を使いこなせばいいけど、初めに検索から入っていくと、やっぱり駄目だよね。
もっとも、Googleは「もしかして」で余計なことまで探してくれるよね。「セレンディピティ(serendipity)」という言葉を知ってる? 俺も最近知ったんだけど、辞書を引くと「予期せず、偶然、運良く見つけた、発見した、出会った、偶然発見する才能のある。良いものを見つけるのが上手だ」という意味。「セレンディプター」は、見つけるのがうまい人。予期せぬ発見がある場所と言ったら書店なんだよ。目的の本を探しに本屋に行って、隣に並んでいた本に思わず手にしたり、何冊も買って出てきて、今日は収穫があったなと思えたり。これがセレンディピティ。こちらが予期したものしか返ってこないのは予定調和だけど、書店という存在は予期せぬ出会いをつくり出した時にもっと大きな意味があったりする。

沢辺 それが、さっき岩本さんが言っていた「雑誌」ということだよね。

植村 そうそう。そして、本とか本にまつわる世界は、実は知識に対してずっとセレンディピティを提供してきているんだ。でも、人がつくったWebの「リンク」にはそれがない。コンピュータがやると、今度は膨大なごみのようなリンクができる。どっちかだよ。

岩本 それがAmazonのリコメンデーションのうざったさだよね。こんなもの勧めるなよって言いたくなる。「あなたはこれに興味があるでしょう」という押し付けだけど、自分の感覚と随分ずれていると思う。

植村 Webに意味を持たせようとやっている人たちは、セマンティックWebなんかを主張しているけどね。あの人たちは、コンピュータであいまいなものを実現したいと思っているから。

岩本 そんなの、もう書籍にあるよね(笑)。

植村 高野先生がやっている「新書マップ」は、本を介在させてセレンディピティを演出しているよね。思わぬ媒体を間に挟んでいる。Amazonのリコメンドも同じ技術的発想。従来なら著者やキーワードでしか繋げなかったものを、全然違う僕という「以前の購入者
を通すことによって、僕の好みの本が出てくるという仕組みでしょ? でも、「僕」にあたる人が山ほどいるから、必ずしも岩本さんと同じような好みの人がいるとは限らない。

沢辺 それを本当に解析していけば、うまくいくのかもしれないんだけどね。俺はAmazonでリコメンドされたときに、「これ、俺のことじゃん」と思うことがありますよ。
例えば、Amazonでアンプを買ったり、電子書籍に関する本をや香醋を買ったりするわけですよ。そのとき「これを買った人は……」に、最近別のところで買ったものが出てきたりね。でも、相変わらず人間のほうが理解してくれる可能性が高いですよね。例えば、俺の知り合いのほうが、俺のことを理解してくれる。

植村 そうだよね。例えば雑誌でも、自転車が好きな連中はちょっとエコロジーだったり、あるテイストをにおわせる。野球雑誌とサッカー雑誌で、そこにおける集まる人の違いがありそうじゃない。

◎電子書籍の著作権管理

沢辺 電子書籍の市場が拡大していくためには、著作権の処理が円滑に進まないと駄目じゃないかと思うんです。

植村 著作権の処理というのは、著作者から権利を取るほう? それとも利用するほう?

沢辺 全部含めてかな。

植村 以前は「出版社はとにかく作家から著作権を取りましょう」という話がされていたけど、最近は「どう利用しましょう」「利用を促進しましょう」という「利用円滑化」の方向に話が移っている気がするのよね。

沢辺 岩本さんも、そういう気がします?

岩本 まあそうだね。

植村 ついこのあいだまで、村瀬拓男さんとかは「出版社はとにかく著作権契約しなきゃ駄目ですよ。電子出版に関する権利はないんですから」と言って旗を振ってきたけど、最近はコンテンツを再利用するときに、ブレーキにならないような許諾の出しかたをしましょう、という話になってきた。もちろん、不正利用の話は別で、不正はやったらいけないのは前提でね。
電通が去年と今年にやっているプロジェクトが、著作物流通円滑化の仕組みなんだよね。円滑化というのは、フェアユースのように「使えばいいじゃないか」という議論ではなくて、権利がちゃんと行使されながら、円滑に回る方法がいいよね、ということ。

沢辺 カラオケを歌う人はただ歌うだけだけど、1曲歌われたら、作曲者、作詞者に1円いきますよとかね。

植村 そう。意識しないでお金が回るようにね。DRMって、気づかれないのが一番いいんだよ。だって携帯はそうだった。コンテンツをダウンロードすれば、毎月の携帯代に上乗せされてお金が払われて、ちゃんと回るように出来上がってる。そういう意味においての「利用円滑化」がうまくいくための仕組みづくりを、もうちょっとみんなで考えたほうがいいんだよね。そのためには、たとえば「すべての著作権に何らかのIDが入っている」という仕組みが必要になってくるんじゃないかな。

岩本 著作権があったほうがいいとか、ないほうがいいという議論の前に、今の話ですよ。要するに、著作権の集中管理機構は利用を円滑にするために必要だもの。今の日本のようながちがちの著作権が必要かどうかという議論は、今のところその先だな。僕は不要だとも思わないし、かといって今のままでいいかというと、それはそれで出版社にとっては足かせが大きいと思う。集中管理をすることによってお金の分配や集金の仕方が今以上にスムーズになればいいんじゃないかな。

沢辺 僕が著作権について腹立たしいと思っているのは、自分の書いたものに文句を言わせないために使う権利みたいになっちゃっている面ですよ。一度世に出した以上、どんなことを言われるのも背負っていくのが書き手だと思っているんだけど、どちらかというと、著作権を盾にとってものを言わせないようにする書き手が多い気がする。著作権は経済的な問題だけでいいじゃないかと思うよ。

岩本 本音でいうと、僕もそうだね。それから今、管理・分配の仕組みが一本化されていないから、同じことを別々の会社がやってたりする無駄をなくさないといけない。

沢辺 具体的にはどういうことですか?

岩本 例えば、ある電子書籍の単行本と文庫本を発行しているところが違ったりする場合。著作権管理が一本化されてないので、全然違う料率で別々の会社が計算をして、数百円の支払をするために数百円のコストを掛けているわけ。それは無駄でしょう?

沢辺 岩本さんは、それを小学館、講談社からポット出版のようなところろも混ぜて、集中処理をしようと考えているの?

岩本 著作権の問題だけじゃなくて、書誌データや販売データもある。それらが1つの組織でできたら、もっといいよね。
沢辺さんが言っていたジャパニーズブックダムも、書誌データや販売データまで含めて一括管理ができて、個々の販売店にリンクをされていれば、利活用は進むよね。

沢辺 出版業界が進めている近刊情報は、例えば著者の情報のところには名前が入っているだけなんだよね。でも同姓同名なんていくらでもいるわけで、「岩本敏」が小学館にいた岩本敏なのか、岐阜県に暮らしている岩本さんなのかわからない。ましてや、その人の銀行口座は何っていうのはね。

岩本 だから、賛否両論はあるけど、韓国のような背番号制のメリットはそこですよ。韓国でなら、著作権の分配なんてすごく簡単。ユニークなナンバーが作者にも読者にも振られているからね。

◎「読者」と「ユーザー」は世界が違う

沢辺 植村さんは、そのへんはどうですか?

植村 あまり意識してない。電子書籍になって便利になる時に、技術的なプロセスで番号が必要なのはしょうがないんじゃないかな。もちろん、技術が進歩したら番号もいらなくなるのかもしれないけど。

岩本 背番号制への反発は、さっきの匿名・実名の問題と似たところがあるかな。日本人の感性として共通の部分があるのかもしれない。

沢辺 でも、国民IDができたら管理はむちゃくちゃ楽ですよね。

岩本 楽だよ。そして、一部では既にやっているわけ。例えば自動車の免許はユニークなナンバーを振られているわけでしょう?

植村 世界の人口を一番補足するのはパスポートなんだってね。なおかつ、世界で最もパスポート所有率が高いのは日本らしい。意外にも低いのはアメリカ人で、アメリカ人は海外へ旅行に行かない。

岩本 そうだね。カンザス州の人間なんて、海外を見たことないのがほとんどだよ。僕、日本で一番個人情報を持っているのは旅行代理店だと聞いたことがある。確かにそうだな、と思ったよ。

植村 旅行に行きたかったら、何から何まで出すもんね。何か起こった時の連絡先とか。

沢辺 暴論かもしれないけど、今すでに「プライバシー」なんてないんじゃないかと思うんですよ。今だって、ある権力を使えば、かなりのところまで探っていける。僕はむしろ「自分の情報を使ってOKですよ」という許諾権と、逆に「あなたの情報は何月何日に国税庁が使いました」「小学館が使いました」という情報を開示する仕掛けをつくれば、かなりの問題はクリアできると思う。

植村 逆なんでしょう。利用したことがわからないようにしたいからこそ、どんどんアンダーグラウンドにいくんですよ。今は僕らがどういうデータに載っているか絶対にわからない。
そうすると、自分の奥さんがどこで浮気をしているかわからなくても、警察は僕がどこにいるかがわかっちゃう。そういう時代だよ。

沢辺 ということで、国民IDはともかくとしても、著作権の一元管理は実現させないと、電子書籍の利用は進まない、ということですか。

植村 話が変わるけど、僕が最近思ったのは読者とユーザーは別だということ。読者というのは、著者と流通と小売が生む価値にお金を出してくれる人。ユーザーというのは、SNSとかブログとか携帯小説とか、フリーで動くところにいる人。読者とユーザーというのは属性で、僕らはユーザーになる時も読者になる時もある。そういうもの。
僕はこれまで何となく、出版社はユーザーまで手が届くと思っていた。でも、最近は届かないんだなって思ってる。届ける理由もないかもしれない。僕らは信頼性があって価値のあるものを読者まで届けるだけ。
ユーザーがいるところで成立する著作権の仕組みは、例えばクリエイティブコモンズみたいな世界だと思うの。みなさん、大いに読んでください、という仕組み。
繰り返しになるけど、僕らはある時は読者になるし、ある時はユーザーになっているけど、ユーザーという読者と比べるとはるかに巨大な存在に向かって出版社の手が届くと思うのは、幻想なんじゃないのかなと思う。僕らはお金を払う読者のいる場所でやればいいんだよ。ユーザーの世界がどんどん出来上がっていて、僕らは色気を出しているけどね。
ユーザーは消費するだけなんですよ。読者はちゃんと作品に対して対価を払って感動したり、味わってくれたりする。

沢辺 エリック・クラプトンが来日したら、コンサートに来てくれる人ね。

植村 そうそう。そこの場に行くことに対してちゃんと価値を払ってくれる人ね。だけど、それは別の人間としているんじゃなくて、1人の人間が、ある時はリスナー、ある時はユーザーになるんだよね。別にユーザーを下に見ているわけじゃないよ。そうじゃなくて、ソーシャルという世界観を新たにつくってくれた人たちだと思う。でも今のモデルは読者までしか見てなくて、ユーザーに対して色気を見せても意味がないかな。最近そう思っているんだ。
逆に言うと、ユーザーは放っておいたらユーザーのままで、決して読者には上がってこない。だから、魔法のiらんどの携帯小説の読者たちは、読者として育たなかった。僕らはソーシャルなコンテンツを利用することの良さやコミュニケーションの価値に気付いたけど、それとこれはちょっと別かなって。
やっぱりちゃんと手続きをやる著述業が一方にないといけない。すべてが広告モデルにいっていいとは思わない。

岩本 植村さんの見立ては正しくて、ユーザーのほうが数としては圧倒的に多い。でも、出版社は読者のいる場所でビジネスを成り立たせてきたんです。ところが、いまIT産業から提案される「プラットフォーム」というのは、「買ってくれなくてもいい。自分たちを利用して、利用料を払ってくれればいい」というものだよ。

植村 彼らはユーザーの世界でつくり上げたものを、読者の世界に落とし込んでビジネスにしようとしている。ユーザーには無料で使わせる仕組みね。それをされると、ものをつくり上げる仕組みが弱っていくんじゃないかな、という懸念はある。

岩本 ユーザーの世界で商売をしている人たちは、アクセス数だとか、そういうことを言うわけですよ。

植村 だから、電子書籍っていくつかの定義があるけど、僕は「コンテンツが有料で販売できる」というのを最初の定義にしておいたほうがいいと思ってる。電子書籍は、あるパッケージに対してお金を払ってくれるもの。そう定義しておくと、あとはそこからどれだけ広げるのかだよね。無料で山ほどつくり出されるものは、電子書籍じゃないし、議論が別。そこまで議論を広げてもいいけど、それは「ネットユーザーにおける情報流通はどうあるか」という議論で、「電子書籍」の議論は別でしなくちゃいけない。

岩本 世界的な調査機関が調査をした結果を日刊工業新聞か何かで見たんだけど、「お金を払ってでも正しい情報を見たいか、無料のほうがいいか」というのを世界中の国民に聞いた結果、一番金を払ってもいいと言っているのは中国だったんだよ。日本も含めて欧米は「払ってもいい」の割合が非常に低い。それは理由がはっきりしていて、中国はそれだけ正しい情報が出ていないっていうことなんだよ。

植村 コントロールされている。

岩本 そうそう。だから日本や欧米とは状況が違うから一概には言えないんだけど、ユーザーの世界で商売をしてきた連中が、読者の世界まで手を出してくると、価値観として相いれない部分があるよね。だから僕は長い間、それを一緒にしようとしてきた新聞社は良くないって言い続けてきたんだ。新聞社は今になって金を取ろうとしてるけど、いったんユーザーの世界に手を染めたら、もう無理だと思っている。既に世の中は、ニュースは無料だと思っているわけだ。そこから改めて金を取るのは難しいよ。
僕らは情報が売り物なんだよ。その情報を無料で流してしまった新聞社の罪は大きい。そう言い続けてきたんだけど、僕らがつくっていたのは、情報だけだったんだろうかと、今思うわけ。本当に情報に価値があっただけなんだろうか。実は紙の本というあの物体に結構価値があったんじゃないか。

植村 そうだよね。ニュースは無料をやってしまったけれど、僕らはやらない。

岩本 そう。それだけは守りたい。

植村 ニュースは自らが無料で出しているけど、例えば、辞書だってネットの中で無料で使えてるよね。でも、それがなかったら、紙の辞書だってもうちょっと売れたんじゃないかな、という気もする。

岩本 僕もそう思う。

植村 1回無料にしたら、もう駄目だよ。

沢辺 そこには俺、異論があるけどね。逆に新聞社には結構期待してるんですよ。朝日新聞とか日経の逆襲に。だって、自由何とか協会の記者は、興味のあるところだけ、記者会見を取りにいくわけでしょ?

植村 バイアスのかかったね。

沢辺 一方で朝日新聞は、例えば経産省がやる記者会見は全部押さえた上で報道するわけじゃない。

植村 仮の話だけど、朝日新聞の信頼度も、ネットニュースの信頼感も、どっちも100じゃないっていう悲観があるじゃない。「朝日新聞だって1の間違いがあるからネットと一緒だ」ってさ。でも、100%の精度なんてあり得ない。

岩本 うん。

植村 そういう中で、新聞とネットの絶対的な違いは、新聞は間違ったら叩かれるんだよ。でも、ネットは匿名だから、間違ったって誰も責任は取ってくれない。

沢辺 匿名とか実名の問題じゃなくて、無料だからじゃないの?

植村 それでもいいけど、基本的には信頼性のあるものは実名で。やっぱり、叩かれたり怒られたりすると嫌だからしっかり根拠に基づいてやりましょうよ、という力は結構強いと思うんだよね。だからスキャンダラスな記事を出す週刊誌も裏を取っていくわけじゃん。それが大事だと思うんだよね。

◎図書館は電子書籍に対してなにができるか?

沢辺 僕のほうから最後に図書館の問題を聞いていいですか。図書館は出版社のつくったネタを商売の材料にしているところだと思いますけど、電子書籍になった時に出版社、もしくは出版業界は図書館に対してどういう商売があり得るでしょうか。あるいは、どういう商売が望ましいでしょうか。

岩本 今、いみじくも沢辺さんが言ったけど、図書館はそれが商売だという感覚はないでしょう?

沢辺 ない。そこが問題。

岩本 そこが問題なんだよね。

沢辺 問題だけど、彼らも崖っぷちに立っている。出版業界はそんなことをする必要はないと思うけど、国立国会図書館に電子本を納めて、国立図書館から全部の図書館に無料で配信することに、仮になったとしたら、図書館の機能の85%は要らなくなりますよ。だから彼らも電子書籍を巡っては崖っぷちだと思う。
その時にもう1回思い返さなくてはいけないのは、図書館のネタは出版業界なわけです。僕が腹立たしいのは、図書館とかに行くと、「当館のリクエストベスト10の1位は『1Q84』です。2位『◯◯』です。これらを持っている人はぜひ寄贈してください」とか書いてある。ふざけるなと言いたい。

植村 それ、本当?

沢辺 本当だよ。それはすごく腹立たしいわけよ。

植村 「寄贈してください」はすごいな。

沢辺 ベストセラーばっかりをリストにしてさ。

植村 無料貸本屋論争で決着が着いていたかと思ってたけど、まだ終わってないんだね。

沢辺 全然終わってないですよ。僕はベストセラーを貸し出すのが悪いとは思ってないんだけど、図書館の商売のネタが、出版社が生産活動をしたものであるという認識がない。

植村 土屋俊がよく言っていたけど、図書館の人たちって、本は空気と一緒で自然界にそのまま存在していると思っているんだよね。もちろんそんなことはないのに、本がつくり出されるプロセスにあまりにも無理解、無評価なんだよ。本がつくり出されているところに対する尊敬はほとんどない。なぜかというと、図書館の人たちは「俺たちが選書したから本が生きている」と思っているんだよね。選書をした本がどうつくり出されたかについて、あまりにも無理解。本というのは世の中にただあって、その中から俺たち図書館員が選んで並べたから価値が出たという思い込みがある。

沢辺 最初の問に戻らせていただきますと、とはいえ、電子書籍に市場は図書館にも拡大していこうよ、という話です。そうすると、Aという電子書籍に1,000円という値段を付けたら、それを渋谷区立中央図書館に1,000円で売るのか。その場合、渋谷区内の10何館の図書館はそれを何回貸し出してもいいのか。それから、それを極端にした場合、国立国会図書館に1,000円で売ったら、全国で何回読まれても1,000円ポッキリでいいのか。それは図書館の業務から考えて、違うと思うんですよね。ましてや税金でやっているものだから、こんな民業圧迫はないです。じゃあ、どう対処するのがベターなのか。

植村 アメリカでは書籍もライブラリープライスがあって、通常価格の4倍ぐらいで売る。日本には何でライブラリープライスがないかというと、再販制度があるからだよね。電子書籍はそれを逆手に取って、ライブラリープライスとして大体4倍ぐらいで売ればいい。だって、現にビデオはTSUTAYAとかに高く売ってるんだから。

沢辺 図書館も高く買ってるよ。図書館では「図書館で貸し出す権利を買っています」ということを示す「貸出許可」のシールを貼ったCDを並べている。

植村 大学図書館も公共図書館と権利者団体の契約を援用させてもらって高く買っているんだよ。だから、電子書籍はライブラリープライスで高く売るというのは1つの手だと思うんだよね。

沢辺 岩本さん、どうですか?

岩本 僕は、ポイントは地方図書館。前に沢辺さんが言っていたのが正しいと思うけど、要するに国会図書館にあるようなものを置いておくんじゃなくて、地域にとって役に立つ書物だったり、電子のデータだったりを置いておくのがいいんじゃないかな。その前の段階として、有料か無料かという問題もあるけど。俺は著作権問題よりも、実は図書館法を変えてほしいと思っているんだよ。
例はいくつかあって、これがベストだというのはまだ僕も固まってないんだけど、アメリカは、電子書籍の貸し出す回数を紙の本と同じにして、二十何回で図書館に権利がなくなるようにした。出版社と図書館の間で、そういう合意に達したんだ。二十何回というのは、紙の本を二十何回か貸し出すと、もう貸出ができないぐらい劣化してしまうので、買い直さないといけない。それと同じことをデジタルにも適用したということ。
それから、韓国では紙の本と同じ数しか図書館にアクセス権がない。だから、紙の本を5冊買ってくれた図書館はデジタル版への5つのアクセス権が付いてくるんだよね。ただ、この場合の欠陥は、デジタルがオリジナルの出版物が出てきた時にどう対処するかが決まっていないこと。紙の本があった上でのデジタル版についてしか決められていない。
それが書いてある韓国の著作権法を、モバイルブックジェーピーの佐々木さんに見せてもらったんだよ。確かに、「図書館がデジタルを配信する場合は、その図書館が購入した紙の本と同じアクセス数しか権利が付与されない」と明記されてた。
日本でも、とにかくルールをつくらないといけない。さっきも言ったように、どれがいいのかは言えないけど、ルールがないまま「とにかくデジタル化」と進んでいこうとしているのは、ちょっと問題だよね。

沢辺 そこは進んでますかね?

岩本 そうだね。実態は進んでないと思うけど、それこそ国立国会図書館の長尾構想をはじめとして、「図書館のデジタル化」という話ばかりが一人歩きをしているじゃないですか。

植村 いろんなところに目配せすれば、AppleやAmazonのビジネスが、いかに日本の出版が今まで本をつくり続けたシステムの源泉を枯らすような方向に動いているかがわかるじゃない? 泉が枯れたら元も子もないのに、誰も泉のケアをしないで、平気でたばこを吸ったりごみを捨てたりしている。「泉のケアをどうしよう?」ということ話をしなきゃいけない時に、「俺はちょっとごみを捨てるけど、いい?」みたいなのが多過ぎだよね。

沢辺 岩本さんがおっしゃることがよくわかる一方、こういう状況になってきたことによって、図書館業界から公貸権の議論も出る可能性が生まれている気がするんですよ。

植村 公貸権をどうしようっていうの?

沢辺 公貸権というのは僕の理解でいうと、「紙の本でも図書館で貸す場合の対価」のことだと思う。つまり、「公共的に貸し出す場合は割増しを払うよ」というものです。イギリスでは紙の本で、それが成立しているわけだ。
でも電子書籍になると、もう一度公貸権が浮上してくる。「電子書籍は減るものではないから何回でも貸してもいい。同時に何冊でも貸していい」という主張は、図書館業界だってできないと思うよ。1,000円で買ったら、たとえ渋谷区だけだとしても。それは、もしそういう状況ができてしまったら、1つの図書館が全国に貸し出せばいいわけで、ほぼすべての図書館が要らなくなってしまうから。

植村 あるいは、出版界かどこかが有料の電子図書館をつくればいい。

沢辺 難しいのはそこだと思うんですよ。図書館で貸し出した場合には、出版社の取り分、あるいは著者の取り分も含めて1回100円だけど、電子書籍として売る時は1,000円だったりする。この差はどうやってつけるのか。

植村 そもそも、図書館における電子書籍のレンタルはなくていいんじゃないかと思うよ。

沢辺 もちろん、俺もそう。当面はね。

植村 ただ、そのためには出版界がすべての本を用意しないと。

岩本 そういうことなんだ。

植村 だから、長尾構想に対抗しようと思って「これは民間がやるビジネスです」と言ったけど、民間からの代案が出てないよね。いま民間側がやってる電子書籍のビジネスって、各社が2万か、3万というタイトル数でやっているわけじゃない? でも、そのへんの図書館に行ったら何タイトルあるの?

沢辺 タイトル数は覚えてないけど、複本も含めた蔵書数でいうと、地域館で6万から10万が多いんじゃない?

植村 丸善は300坪店で8万タイトルだと聞いたかな。16万冊で大体2冊ずつ置くから8万タイトル。それに対して2万タイトルじゃ、貸しようもないよ。出版業界は、せめて10万タイトルは用意しないと。

沢辺 資料の網羅性の話になると公立図書館の人も必ず言うんだけど、国立国会図書館と都道府県立図書館は網羅性を意識しないといけない。現に、町場の図書館には都立図書館に行かないとないような本は、なくていいんだよ。タイトル的には丸善に置いてあるような本で十分だと思いますよ。

植村 だからこそ、すぐにはできないけど、出版社も自らのサービスするところをみんなで手を組みましょうって。

沢辺 図書館と手を組むということ?

植村 図書館に対して、出版社がつくり上げたものを貸せばいいわけでしょ。

沢辺 図書館に対して出版業界が手を組むと。

植村 出版業界が一本化してさ。だって、各出版社と各図書館が個別にやったら大変なことになるんだから。出版界の窓口で1団体あれば、公共図書館の団体はどこかわからないけど、そこと契約すればいい。

岩本 長尾さんは、そのために「国会図書館がつくったデジタルのデータは民間で活用してほしい」と言っているんだけど、いまはその受皿がないんだよね。でも、全部もらえばいい。ものによっては有料で買ってもいい。それを民間から発信すればいいんだから。

植村 まず預かっておいて、利益が出てからお返しするくらいのことをやってくれてもいいと思うけどね。

岩本 もともと税金だからね。

植村 国会図書館の中で1回完結しているんだからね。ただ、海外企業が、国会図書館に対して正式に「貸せ」と言ってきてる。

岩本 うん。

沢辺 120何億でスキャニングしたやつを?

植村 そう。そのときに、有料であるなら「No」と言えないんだ。断る理由がないんだもん。

沢辺 断る理由がないから、貸す方向でいってるわけ?

植村 うん。もちろん著作権が切れているものに限ってね。著作権が切れていないものに関しては、「お金を払いますから」と言ってきても制度がないからね。著作権が切れてパブリックドメインになっている電子書籍については、拒絶する理由がない。

沢辺 それはそうかもしれない。

植村 整合性のある対価が出てくれば、貸し出すことになるでしょうね。

◎最後に

沢辺 最後にランダムにお二人から何か。

植村 取りあえずは、もう少しスキャン電子書籍の必要性をみんなに理解してもらおうと思う。やっぱり大手さんって、スキャン電子書籍の価値がわかりにくいと思うんだ。社によっては電子書籍は新刊からしかやらない。過去の本は一切しませんって。
だけど、中堅から下の出版社にとって、図書館事業やGoogleの価値がどうしてあんなに評価されるかといえば、かつて出てしまったすべての本があった上での価値観だからじゃない? 「両方やりましょうよ」と思うんだけどね。

岩本 本当に付け加えることはないんだけど、まとまればビジネスになる部分は、実は日本の出版界がちゃんとチャレンジをしてないんです。個々にやったビジネスモデルはいくつかあって、そのうちの辞書やコミックは多少ビジネスとして成り立っているけれど、アーカイブとしてまとまったものがビジネスになるかどうかは、まだテストもしていない。そこには、やってみる価値が十分にあると思うよ。
そこを多くの出版社がわかってくれれば、ビジネスが生まれる可能性はあると思う。ビジネスモデルを何らかのかたちでつくって動き始めれば、賛同するところはいっぱい出てくる気がする。

植村 このあいだ、慶応の石岡先生が言っていたけど、書籍は音楽に比べて、まだまだプラットフォーマーに対して対抗できる枠組みが残っている。だから、対抗軸をどうつくるのかだという。石岡先生は独禁法学者だから、「みんなで相談したら駄目ですよ。みんな一人一人がやらなきゃ駄目なんです」と言うんだけど、相談するしかないんじゃないかな。