2010-01-04

オイルぬりぬりマンの夏 [北尾トロ 第15回]

季節は巡り、暑い夏が近づいてきた。去年の今頃はパインの家に居候してプール通いをしていたのだ。あれからもう1年。相変わらず生活はカツカツだが、ライター稼業で持ちこたえてきたのは上出来のような気がする。

キンキンに冷房を効かせた部屋で、ベッドに寝転がってハイライトに火をつける。イシノマキのときは風呂なしアパート住まいだったことを思えば、ずいぶんマシになったもんだ。たまたま出会った仕事だけれど、辞めてしまいたいと思わない。最近はもっとうまく書けるようになりたいと欲も出てきて、自分でも驚く。こんなの初めての経験だ。

親父が典型的なサラリーマンだったため、ぼくは幼い頃から2、3年おきに転校を繰り返してきた。そして、平日はほとんど顔を合わせることもなかった親父は、ぼくが19歳のとき、目標だったマイホームを持つ前に、48歳で突然この世から去っていった。何だろう、この人生は。ぼんやり過ごしていたぼくに、親父の生き方はひどく虚しいものに思え、自分はその轍を踏まないようにしようと誓った。

といっても、特別に好きなことがあるわけでも、やりたい仕事があるわけでもない。引っ込み思案な性格で、新しい環境に飛び込んでいくのも苦手だ。そこでぼくは、親父を否定するために“絶対にサラリーマンにはならない”という決意にしがみつくようになり、大学卒業後もプータロー生活を続けてきた。元来不器用で、フリーライターなる職業も知らなかった自分が、こうしてその仕事をするようになったのは幸運なことかもしれない。

ただ、そのように考えて、よりよい生活とか一流の書き手になろうとかいう建設的な考えに至らないのがダメ人間。何とか食えるのであればそれで良し、あとは公園で昼寝したりして30歳までは遊んで暮らそうと浮かれてしまうのだった。しばらくは余分な金も家庭もいらない。我が人生のテーマは、“いかにフラフラするか”なんだからそれでいい。親父の呪縛はまだ生きていた。

『ムサシ』からまた仕事を頼まれたと増田君から電話がかかってきて新宿で会った。前回やったパネル子との同棲生活みたいに、くだらないのがいいと言う。

「あと、今度は生身の女の子で記事にしてくれって。夏だし、遊びがてら海にでも行くかね。ビキニの女の子でも適当に撮影してさ」

いいねえ、『ロンロン』で鍛えた女の子撮影の腕が活きるってか。だけど、女の子の写真を並べるだけじゃつまらないよな、記事としては。

「そこなんだよ。ナンパ企画にしないと。トーンはお笑いでいいんだけど、裸は無理でもそれなりにエロさが欲しいね」

「なるほど、もっともだ。で、増田君はナンパしたことあるの?」

「ないよ。伊藤ちゃんは?」

ない。まったくの未経験。

「…… やり方もわからないようでは成功はおぼつかないね。それに成功したって、その先どうするかってこともあるよね。キャンプでもするかね。うーん、普通過ぎておもしろくない。何か仕掛けが必要だよね。そうだ、浜辺で焼いてる女の子にサンオイルを塗ってあげるのはどう? 男の夢を実現、とかさ」

「それだー! オイルを塗らせて下さいって看板持って浜辺を営業するんだよ。いまなら無料で、とかさ。オイルぬりぬりマン参上! いーねー、まっさん冴えてるよ」

「よし、それで行こう。この企画は絶対とおるよ。じゃ、伊藤ちゃん頑張って下さい」

「え、ぼくがぬりぬりマン?」

「当然でしょう。パネル子の企画でもキミが被写体だったんだから、キミじゃなくちゃ編集者が納得しないよ」

まったくそんなことはないと思うが、いいくるめられてしまった。

鎌倉の由比ガ浜に到着後、すぐ水着に着替え、看板を持ってビキニの女の子のまわりをウロウロする。

「えー、浜辺で日光浴中の皆さん、サンオイルの補充は充分でしょうか。背中、太ももを無防備にさらしますと後で大変なことになりますです。そこでワタシ、オイルぬりぬりマンにお任せ下さい。塗って差し上げます。無料です。塗らせて下さいビキニの貴女」

道中、増田君と考えてきた営業文句を口にしてみたが、振り返る人は誰もいない。

「セリフはいいんだけど声が小さいねえ。それじゃ誰にも聞こえないよ」

 そんなこと言われても、恥ずかしくて大声など出せんわい。出したとしたってヘンな眼で見られるだけ。ヘタすりゃ監視員が飛んでくる。

「こうなりゃ個別にアタックするしかないな」

「おぅ、ノッてるね伊藤ちゃん」

なわけないだろ。でも、ここまできて収穫なしでは帰りたくない。自分はライター、これは仕事なのだと言い聞かせ、2人連れの若い子に近づいた。

「ちわ。オイルぬりぬりマンです。サンオイルを背中に塗るサービス業っていうか、そういう企画で雑誌の仕事してて、良かったらオイルをですね、塗らせてもらえませんか」

「は? あんた誰」

「ですから私、オイルぬりぬりマンでして」

「やだっ」

「だよね。見知らぬ男にオイルを塗られるなんてカンベンしてほしい。わかる、わかるけどそこをひとつ、すぐに終わるから」

「いいです。友達に塗ってもらうから」

あっけなく玉砕だ。でも、こんなのはいいほう。ほとんどは話しかけても無視、聞こえないフリだ。その様子を冷静に撮る増田君の顔も次第にしょっぱくなる。

「どうもイカンね。伊藤ちゃんには照れがある。こんなバカな企画考えちゃったんだからもっと弾けていかないと」

「そうだな、明るく声をかけないとな」

何組も断られてヤケになってきたのか、もはや羞恥心はない。気持ち的にも、オイルぬりぬりマンに成り切ってきた。そして通算10組目。

「オイル乾いてるんじゃない? 塗ってやるよ。いいからいいから、オレそういう仕事だから、そのままの姿勢でいいんだから。頼むよ。お願いします!」

「えーっ、じゃあお願いしようかなあ」

ぬ、塗らせてもらえるのか。OK出たってことなのか。

「写真も撮りたいんだけど。顔出るのまずかったら下向いててくれればいいから」

背中だけだったが夢中で塗った。時間にして1分くらいのものだったが、終わったときには全身に汗をかいていた。

これで自信がついたせいか、打率が上がった。こうなると図に乗りやすい性格である。ブラひもの下に手を差し込んだり太股をマッサージしたり動きも軽い。同時に女の子のカラダを触っている実感も湧いてきて、いい仕事だなあなんて思ったりもする。幸いトラブルもない。話術に長けていないため、終わると逃げるように立ち去るからだ。

「もうページはできるね。欲を言えばあと一人、綺麗どころが欲しいかなあ。あそこに白ビキニがいるから塗らせてもらおうよ」

「了解。もう誰にでも塗っちゃうよ」

白ビキニの隣にはサングラスをしたヒョウ柄ビキニもいてオトナのムードだ。しかも、いずれも写真映えしそうな美人でスタイルもいい。よし、勝負だ。

「こんちわ、オイルを塗らせてもらえませんか。ずっと浜を移動しながら塗ってるんです。怪しいものじゃなりません、はい。もう、オイルさえ濡れればいいってわけで」

「へー、この人がサンオイル塗ってくれるんだって。あそこにカメラ持ってる人がいるけど、雑誌かなにかの企画?」

ここで趣旨を説明。すでに何度もこなしたパターンだ。

「でもなんか怪しい〜」

顔を写したいわけではないし、警戒心さえ取り除ければ案外、うまくいくのである。もう一押し。粘り強く口説くのみ。気配を察したのか、増田君も離れたところで妙なポーズを取って二人を笑わしてくれている。

「ねえ、どうしよっか。この人たち、撮らないと帰れないんだって。もう2時間もこれやってるらしいよ」

「オイル塗るだけなら別にいいと思うんだけど……」

よし、OKが出そうだ。増田君、撮影の用意を。と、白ビキニが立ち上がって砂を払って歩き始めた。

「でも、いちおう聞いてくる」

聞くって誰にだ。行き先を目で追うと、すぐそばの海の家。白ビキニがその中に向かって声をかける。

男が二人出てきた。げ、カップルだったのかよ。しかも屈強そうというかパンチ系というか、こわそうなお兄さんたちである。まずい。一からまたオイルぬりぬりマンについて説明して、わかってもらわないといけないのか。はぁ〜。

そこに増田君が駆け寄ってきた。

「そんなのが通じる相手じゃないね。ヘタすりゃ殴られるよ。撤退、てった〜い! お姉さん、失礼しました!!」

お辞儀マシーンのように頭を下げながら後ろ歩きし、追いつかれない距離まで離れたところで走り出す。

「楽しいねえ、最高だよ」

増田君が走りながら笑い出し、つられてぼくにも笑いがこみ上げてきた。

つま先さえ海に浸さないまま引き上げ、翌日には上がってきた写真を見ながらオイルぬりぬりマンの奮闘を書いた。女の子に塗ることばかり考えていて自分では塗らなかったので、背中が焼けまくり、しばらくは身体がほてってしょうがなかった。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

このエントリへの反応

  1. [...] ター専業になったかと言うと、答えはノーである。相変わらずエロ雑誌のカメラマンはやっていて、1985年の夏は伊藤ちゃんと鎌倉の由比ガ浜で「オイルぬりぬりマン」を撮影していた。 [...]

  2. [...] 夏に伊藤くんと「オイルぬりぬりマン」をやって以来、『ムサシ』では仕事をしていなかった。 [...]

  3. [...] れど、僕らの頃からはライターも写真を撮ることが多かった。街頭や海水浴場で女の子の写真を撮り続けた『ムサシ』の仕事も無駄ではなかったのだ。この取材でも、伊藤ちゃんは高橋 [...]