岩松了『溜息に似た言葉』

1月30日(土)岩松了さんトークイベントレポート@渋谷・大盛堂

先週土曜日、渋谷駅前の大盛堂書店さんで、劇作家・演出家・俳優の岩松了さんによる『溜息に似た言葉』刊行記念のトークイベントを行ないました!

岩松了さん

大盛堂書店といえば、ファッションやジャニーズ関連の雑誌が充実し、「センター街だなー!」といった雰囲気の縦に長いお店ですが、3階がまるまるイベントスペースになっていて、40人ほどのお客さんが入ることが出来るのです。

『溜息に似た言葉』刊行記念トークショー

当日はお陰さまで超満員! 約90分間、岩松さんのトークを楽しんでいただきました。
個人的には、岩松さんが1970年代の始めの頃に大学に入って、初めて自分から演劇に触れた頃の話が面白かったです。木造校舎の教室で行なった岩松さんの初舞台は、同じ学内の過激派演劇集団「族」の襲撃によって炎に包まれて終わったのだとか。観客が慌てて逃げ出した後に残されていた片方だけのハイヒール…。

サイン中

終了後のサイン会にも、多くの方に参加していただきました。
どうもありがとうございます!

その後、2月1日(月)にお手伝いさせてもらった「2010年代の出版を考える」ではUstreamやニコニコ生放送、Twitterとも連携し、会場だけに留まらない広がりを感じました。

岩松さんのファンの方、岩松さんの演劇に興味のある方、Twitterにいらっしゃるでしょうか?
今後もイベントを行なう際は、@ota_pot@potpubでつぶやいていきますので、もしよければチェックしていただければと思います。

それでは!

『溜息に似た言葉』フェア&イベント●リブロ名古屋店

ポット出版が9月に発行した『溜息に似た言葉』(岩松了著)の関連書フェアが、リブロ名古屋店で開催中です。

『溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が40本の文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
リブロ名古屋店のフェアでは、本の中で取り上げた40作品を、絶版のものなど一部を除いてほぼ全て揃えて展開しています。
岩松了が読み解いた40の作品/セリフに合わせた若手写真家の作品もポップとして展示し、見た目にも楽しい展示になっていると思いますので、名古屋近辺にお住まいの方は、ぜひお立ち寄りください。

また、フェアの開催に合わせて11月1日(日)の19時より、岩松了によるトークイベントも行ないます。
著者岩松了自身が、セリフを与える劇作家として、セリフをもらう俳優として、そして名作を読む読者として、古今東西の小説や戯曲に現れるセリフの魅力を語ります。

◎イベント詳細
『溜息に似た言葉』刊行記念
岩松了が語る「セリフの魅力」
【場所】リブロ名古屋店 下りエスカレーター横イベントスペース
【日時】2009年11月1日(日)19:00開演(30分程度) ※参加無料です
【イベント内容】
劇作家・俳優として活躍する岩松了が40の文学作品に
書かれたセリフを読み解いた、『溜息に似た言葉』。
その刊行を記念して、リブロ名古屋店で岩松了が話します。
セリフを与える劇作家として、セリフをもらう俳優として、
そして名作を読む読者として、古今東西の小説や戯曲に現れる
セリフの魅力を語ります。

【プロフィール】
岩松了(いわまつりょう)
劇作家、演出家、俳優。1952年長崎県生まれ。
自由劇場、東京乾電池を経て「竹中直人の会」、「タ・マニネ公演」等、様々なプロデュース公演で活動する。1989年『蒲団と達磨』で岸田國士戯曲賞、1994年『こわれゆく男』、『鳩を飼う姉妹』で紀伊國屋演劇賞個人賞、1998年『テレビ・デイズ』で読売文学賞、映画『東京日和』で日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞。上記の他、主な映画に「たみおのしあわせ」(脚本/監督)、主な出演作に「天地人」(真田昌幸役)「時効警察」(課長・熊本役)、主な著書に『食卓で会いましょう』、『船上のピクニック』(すべてポット出版)など多数。

◎『溜息に似た言葉』の目次など、詳細はこちら
◎岩松了と『溜息に似た言葉』の写真を撮影した若手写真家5人の対談はこちら

対談:岩松了×若手写真家 第5回●石井麻木/旅とは何か

『溜息に似た言葉』とは?

『溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
ただし、抜き出された言葉は、意味を重ねた数々の言葉よりも多くのことを伝える、ひとつの溜息に似た言葉──。

連載を単行本化するにあたって、岩松了が読み解いた40のセリフを、5人の写真家が各々8作品ずつ表現した写真も収録しました。
撮影後に岩松了と写真家が行なった対談は、対談の中で写真家が発した1つの言葉から描く人物エッセイ「写真家の言葉」として単行本に収録しましたが、ここでは劇作家・岩松了と若手写真家の生の言葉を掲載します。

第5回目、石井麻木との対談は「旅とは何か」。世界中どこにでも一人で出かけてしまう石井麻木と、喫茶店めぐりが好きな岩松了。どちらにも共通する「旅」の気分とは? 岩松了と若手写真家の連続対談は、今回が最終回です。

溜息に似た言葉
すべての収録作品など、詳しくはこちら


写真家●石井麻木

プロフィール

1981年 東京都生まれ。
2009年 『みんな、絵本から』柳田邦男著/石井麻木写真/講談社

Web:http://www.ishiimaki-photo.com/

撮影した作品

「ともあれ、それはただの私事にすぎない」
─『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド/村上春樹訳/中央公論新社
人の心のヒダに触れたくば、その溜息に似た言葉に耳を傾けよ

「そんなら、エッキス光線かけとくなはれしまへんか」
─『猫と庄造と二人のおんな』谷崎潤一郎/新潮文庫
人の心のヒダに触れたくば、その溜息に似た言葉に耳を傾けよ

「主婦をつれてきてくれよ、早く」
─『抱擁家族』小島信夫/講談社文芸文庫
身勝手を羨むことはない。言いたいことを言う悲劇もあるのだ

「今に重くなるよ」
─『夢十夜』(『夢十夜 他二篇』より)夏目漱石/岩波文庫
貴方を程よく怖い女にしてくれるのは怖い話の中にユーモアを探す貴方の姿勢

「僕と共鳴せえへんか」
─『夫婦善哉』織田作之助/新潮文庫
軽口の一言では片づけられぬ。そこはかとない人の知恵が感じられるよう

「喰べては悪いかへ」
─『にごりえ』(『にごりえ・たけくらべ』より)樋口一葉/新潮文庫
無力な子供の訴えは、やがて抵抗そして祈りとなり、俄かに政治性を帯びる

「自分の重要さをいつも大きく見過ぎる男だったからな」
─『日の暮れた村』(『紙の空から』より)カズオ・イシグロ/柴田元幸編訳/晶文社
何者かでありたいと希うのが若さ。でもそれは愚かさの証でもある

「そこにいるのは俺か?」
─『十二夜』シェイクスピア/松岡和子訳/ちくま文庫
襲いくる運命に立ちむかうためには、それに対して“演技する”手があるぞ


対談●旅とは何か

岩松 今回の撮影は大変だった?

石井 大変でした。どれが、ではなくて、全部大変でしたね。すごく楽しくて、すごく難しかった。

岩松 この『十二夜』いいね。どこかの洞窟ですか?

石井 モンサンミッシェルという、フランスの陸の孤島の修道院の中から外を撮ったものなんですけど、全部石の壁なんです。影で真っ暗になってますけど。

岩松 これは、黒くしちゃったの?

石井 いや、黒く写ったんです。撮っている場所は本当に真っ暗で、真っ暗なところから明るい外を撮っているので。

岩松 すごい雰囲気あるよね。これで決め撃ちだった?

石井 すごく迷いました。「そこにいるのは俺か?」だから、鏡を撮ったり、水たまりを撮ったり。これが一番色んな種類を考えました。最終的に、2枚使いで。

岩松 「今に重くなるよ」は、月だね。

石井 これは前に映画の現場にスチール撮影で入った時に、夜中まで撮影が続いた日に撮りました。

岩松 原作も、この写真のように森の中だもんね。
本は全部読んだんですか?

石井 全部読みましたよ。2回ずつ。

岩松 嘘!? 本当!? 長いのも?

石井 そんなに長いのはなかったです。

岩松 そっか。それにしても、2回ずつ読んだのはすごいね。

石井 1回読んで、撮ってから、もう1回読みました。撮ったのを頭の中に入れて。

岩松 『にごりえ』は読み難かったでしょ。文体というか、言葉が古いからね。

石井 読みにくかったですねえ。途中で投げ出しそうになりました。

岩松 戯曲は読み難くなかった?

石井 いえ、すごい面白かった。

岩松 そうか。石井さんは戯曲は1本なんだね。土屋さんなんか戯曲が4つもあった。しかも、チェーホフが3本。

石井 すごいですね! たまたまですか?

岩松 後で気づいた、みたいな。

石井 でも、固まってたら固まってたで、また面白いかもしれないですね。

岩松 そうなんですよ。高橋さんも戯曲が4本あったんですよ。結局、戯曲から一杯取ってるってことだよね。中村さんは戯曲が1本もなくて、インベさんが1本。たまたま女の人は戯曲が少なくて、男の人は多いですね。

でも、連載するときは、自分の世界にあまりにも近いから、戯曲は止めようと思って始めたんですよ。ところが持ちネタがなくなってくると、どうしても身近なものからやってしまって。
でも、元の本を読んで面白かったのがなによりでした。

石井 面白かったです。私本当に活字中毒なので、おふとんに入ってから本を読まないと眠れないんですけど、毎晩、1日1冊読んで、1週間で読み終えて、カンボジア行って帰って来て、また一通り読んだんです。最初は「8冊も?」と思ってたんですけど、読み終わっちゃったら「あれ、次は?」ってなっちゃって、関係ない本を本屋さんに買いに行っちゃいました。

岩松 でも2回ずつ読んだ人はいないでしょ。全部読んだ人はいるけど。インベさんは全く読んでない。

石井 あ、そうなんですか? すごい。

岩松 1個だけ読みかけて、わからないから止めたって(笑) インベさん以外はみんな読んでる。5人それぞれ世界があって面白いですね。

石井 本当に、「ここまで違うか」と思いました。

岩松 そっか。石井さんって、今いくつだっけ?

石井 今、28です。

岩松 作品はバラバラだけど、年は28くらいの人が多いんだよね。高橋さんと土屋さんも28でしょ? インベさんが29で、中村さんが30。3年間に固まってる。
石井さんは、写真を始めたのはいくつくらい?

石井 18です。だからちょうど10年くらい。

岩松 なんで写真を始めたんですか?

石井 17歳まで絵を描いていて、「私はきっと絵の道に進むんだ」と思ってたんですけど、その頃父親に貰ったNicon F2というアナログのカメラを持って一人旅に出たら、そこから毎日写真を撮るようになって、本当にいつの間にか絵を描かなくなっちゃいました。

岩松 一人旅はどこに行ったの?

石井 北海道を回りました。それから青森と岩手を、10日間くらい。

岩松 その時に、一杯撮ったんだ。その、最初に北海道に行ったときの写真も、ちゃんとスクラップしてあるの?

石井 いや、スクラップはしていなくて、函に入れてドカッと積んであります。ちゃんと整理しなきゃ、と思うんですけど、あまりに多すぎて……。

岩松 最初に撮った写真は、対象はなにが多いですか?

石井 最初は風景です。ほとんど人物はいなくて、いても小さかったり、後ろ向きだったり。子ども以外の人物を面と向かって撮れるようになったのは、ここ最近ですね。

岩松 10年くらいの間に、写真に対する考え方って変わりました?

石井 そんなに変わってないです。

岩松 僕がカメラマンやるって言ったら、助言することはなに?

石井 助言なんて出来ないですよ! 「好きなものを撮ってください」としか。私、好きなものを撮りたいだけで、写真に詳しくないんですよ。

岩松 気をつけてることはない?

石井 人を撮るときは呼吸ですね。タイミングを合わせないと。

岩松 やっぱり、大人の人間は面倒くさい?

石井 面倒くさい(笑)

岩松 色んなものが間に入っちゃう?

石井 そうですね。

岩松 ライブだったら、向うは撮られてるっていう意識ないから大丈夫でしょ?

石井 ないです。されないようにしないと。居ないように。

岩松 活字中毒って言ったけど、普段どういうものを読むんですか?

石井 本当に色々読むんですけど、長田弘さんとか好きです。

岩松 それは、珍しいかもよ。今の若い人に長田弘と言っても知らない人が多いでしょ? 詩人の名前なんてほとんど知らない。

俺が大学生の時って、もっと詩がフィーチャーされてましたね。吉増剛造とか。学生運動とかやってる人たちは、結構詩の世界に近かった。富岡多恵子さんとかね。俺、「カリスマ」という言葉は、富岡多恵子の「カリスマのカシの木」という詩で覚えたよ。大学生くせに知らなかったから、「何だ、カリスマって」って思ったのを、よく覚えてる。

『現代詩手帖』に映画の評を何回か書いたこともあるし、あと、劇作家の仕事を始める前に、雑誌に2回だけ投稿したことがあって、『現代詩手帖』にも詩を投稿したことがあるのよ。ボツになったけど。もう1つは、『キネマ旬報』か何かに映画評を書いた。それは大学生のときかな。それもボツになった(笑)

石井 『キネマ旬報』に送ったのは何という映画ですか?

岩松 長谷川和彦の『青春の殺人者』。『現代詩手帖』に書いたのは、居候の話かな。「居候、三杯目にはそっと出し」みたいなフレーズあるじゃない。あれにちょっと近い世界。

石井 読みたい……。『食卓で会いましょう』も、本当にものすっごく面白くて、読んだことのある友達から「面白い」とは聞いてたんですけど、本当に面白かった。ありがとうございます。

岩松 いやいや。それにしても、長田弘が出てくるとは思わなかったな。自分で詩は書かないの?

石井 書いてます。写真と詩を合わせたものを、サイトで書いてます。(『ひとりごと』http://fotologue.jp/ishiimaki

岩松 今、写真以外で興味あることは何かありますか?

石井 やっぱり、カンボジアですね。

岩松 前回はいつ行ったんだっけ?

石井 前回は3月です。3、6、9、12と、全部の季節に行こうと思っていて。

岩松 なかなか行動的だね。

石井 思い立ったら本当にすぐ行動しちゃって、最初の一人旅のときも、「明日から行こう」って。いつもそうなんです。いきなりいなくなるから、友達から電話がかかってきても、「今、どこ?」と最初に聞かれます。だから、興味があることは旅ですね。旅行ではなくて。

岩松 旅と旅行は、どう違いますか?

石井 旅行は、白い帽子被ってワンピース着て、メイクもして行くようなものだというイメージ。旅はもう、ぐちゃぐちゃの、着の身着のままカメラだけ持って行く、という感じですね。

岩松 カンボジアみたいなところと、フランスのパリみたいなところ、それはどちらでもかまわないですか。

石井 はい、どちらでも。場所は関係なくて、自分の家の隣の駅でも良くて、旅だと思って行くというか、そう感じながら行動に出ることが旅だと、私は思っているので。

岩松 僕も昔「旅」というテーマで取材されて、「岩松さんにとって旅とはなんですか」と聞かれたから、「いや〜、喫茶店巡りですかねえ」って(笑) 「俺、旅しないし、喫茶店はあちこちよく行きますよ」という話をしたことがありましたよ。

石井 そういうことだと思います。

岩松 でも、外国行くのがすごく好きで、それこそこの間『たみおのしあわせ』という映画を撮ったから「岩松さんにとって幸せってなんですか」とよく聞かれたのよ。「いや〜、外国に行くことですね」と答えたたんだけど、なぜかというと、外国に行くと本当に馬鹿になれる、という感じがあって。「わ〜、エッフェル塔だ〜!」って、日本じゃなれないじゃない? それに、周りに知らない人が一杯いて、そこを歩いている自分というのがまた心地いいし、外国って本当に精神を洗浄してくれると思いますよ。石井さんに比べたら邪なんですけどね。カンボジアなんて行ったことない。

……写真の話に戻ろうか(笑)
『抱擁家族』の写真も良いよね。これも仕込みなしで、そのまま?

石井 全部仕込みなしです。仕込みは好きじゃないので。『抱擁家族』の写真はそれはカンボジアの小学校で撮りました。

岩松 『日の暮れた村』の写真は、まさに日の暮れた村だね。

石井 これもカンボジアで、メコン川のほとりです。沈むところをずっと撮っていて、最後の沈んだ瞬間です。

岩松 メコン川は、俺、行ったことないのに芝居に使ったことがあるんだよね。「メコン川ではどうのこうの」って。この小説も面白かったでしょ?

石井 面白かったです。色んな情景を想像しちゃいました。『猫と庄三とふたりの女』の猫の写真も、カンボジアの道路で撮りました。

岩松 カンボジアが役に立ってるね。『にごりえ』もけっこう笑っちゃったんだよ。こう来たか、という感じで。

石井 そうですか? 私は結構、これしかないっていう感じで。これは、男の子が飴の棒のところを舐めてるところ。

岩松 カメラで撮ってると、子どもたちは興味を持って近づいてくるでしょ?

石井 最初フィルムで撮ってたんですけど、デジカメで撮ると、すぐ見れるじゃないですか。だからみんなキャアキャア言いながら見る方に回っちゃって、撮る方が誰もいなくなっちゃったり(笑) でもみんな喜んでたから、今度写真を持って行って、ひとりひとりにあげたいなと思います。

岩松 でも、その子たちを探せるかな。

石井 探せますよ。一回撮ったら覚えてるので。

岩松 次は『夫婦善哉』だね。これは1個の傘だよね?

石井 そうです。岡山にある茶屋みたいな休む場所で撮りました。カンボジアに行く前の日に岡山で仕事があって、そのとき1時間だけ自由時間をもらって。初めて行った場所だったので、とりあえず公園の中の休む場所を見つけて、炎天下だったので一休みしてたら「あっ!」って思って、上を向いて撮りました。

岩松 これも、言われれば「共鳴せえへんか」という感じだよね。和風だし。

石井 そうなんです。『夫婦善哉』も難しくて、古い街並のある場所に行った方がいいのかな、とか思ったんですけど。

岩松 『グレート・ギャツビー』は迷ってるんだよね。

石井 私的には、遠景か、金魚を上から撮ったもののどちらかですね。金魚の方は、空き地に置いてある金魚鉢なんです。あるミュージシャンのPVの撮影のときに、スチールをやったんですけど、金魚鉢を通して向うを撮るシーンがあったので、撮りました。

岩松 遠景も、ある意味「それはただの私事にすぎない」の感じを伝えてるんだよね。

石井 イメージ的には、セリフが遠景にあってて、タイトルが金魚にあってるんです。

岩松 確かに、言った人の心情に近いのは、遠景の方かもね。全然違うものだし、迷うね。石井さんの中の写真のバランスとか、並びもあるよね。

石井 そうですね。私、本当は赤って珍しいんですよ。ほとんど青か黒か白い写真なんです。今回自分でも並べてみて「あれ?」って思ったんですけど。カンボジアはそういう色だから、自然とそうなるのもあるんですけど。

岩松 今回石井さんが撮った8本以外に、ちょっと自分で写真撮ってみたかったな、とていうのはありました?

石井 ありましたよ。吉行淳之介『砂の上の植物群』の「いつもと違うわ」と、岡田利規『三月の5日間』の「私は今日、もう絶対、火星に行くんだ!」ですね。あと谷崎潤一郎の『小さな王国』の「さあ、一緒に遊ぼうじゃないか」。

岩松 『小さな王国』は、ちょっと谷崎っぽくないんだけど、すっごい面白いよ。「いつもと違うわ」は、石井さんだと何撮る? まだ、そのときになってみないとわからない?

石井 そうですね。自分が何を撮るか楽しみ、っていう感じですね。でも、本当に今回は難しかったですけど、楽しかったです。

岩松 それは、ありがとうございます、ですな。ありがとうございます、と、すみません。

●対談を終えて

文:石井麻木

とある隠れ家なごはんやさんで 偶然 隣の席にすわったのが 岩松さんとの出逢い
この本の企画のお話は そのときにぼんやりきいていて その一ヶ月後には 正式に決まり 撮り始めていました

出逢いは そこらじゅうにある
すてきな出逢い
不思議な出逢い
すべての出逢いが すべてにつながっている
毎日が 旅 であるように
風景にしろ ひとにしろ 感情にしろ 音楽にしろ いい本にしろ
毎日が 出逢いの 連続
あらためて感じている きょうこのごろです
いろとりどりの 日々

この本に携われて とても たのしかったです
とても むずかしかった
けれど とても たのしかった
なぜなら 本がすき 写真がすき 岩松さんもすき
だから ことわる理由がなかったです
ありがとうございました
作品については 語りません
みていただけたら うれしいです

『なぜ 写真を 撮るのか』
よく聞かれる 問い

聞かれる度に 考えるけれど

ただ すきなものをのこしたい だけ

いつも それにいきつくのです

『どんな写真を撮るのですか』
これも

みてください

としか言えません

『カメラがほしいんだけど どんなカメラがいいかなぁ』
『なにを撮ればいいかなぁ』
これもよく聞かれるのです

もちろん アナログの カメラがすきだとか
このカメラに思い入れがあるとか
あのカメラはかっこいいなあとか
私のなかに ぼんわり あります

それは そのひと個人の想いやすききらいであって
ひとになにか言えるものではないとおもっています

すきなもので すきなものを 撮ればいい

うつるんです であろうと
写メールであろうと
ポラロイド、銀塩、デジタル、一眼、指でつくったカメラ、
ちいさいカメラ、おおきいカメラ、こころのカメラ、なんでもいい
自分がすきでもっているものなら
自分がすきで撮っているものなら
それ以上のものはないとおもいます

写真 というもの を 撮る ことで 一瞬を 永遠にすること に 変わりはない

写真 は 写心
こころを 写すもの

なので
私に カメラのこととか 写真のこととか きかないでください 笑

私は カメラがすきとか どういう写真がすきとかいうより
すきなものが すきなのです

撮る 被写体 風景 色 音 風 空気 表情 ひと
すきだから 撮っていたい
一瞬しかない 一瞬を
撮って のこしたい
わすれたくない
そのときの 感情を 表情を 空気を 温度を 音を 色を
だきしめていたい

それだけです

すきなものを 写真に 写心に 閉じこめたい
そして わすれたくない

一瞬を 永遠にできる

それが カメラだった
それが 写真だった

ただ それだけです

バセドウ病から 橋本病になって 通院しながら 撮影をしてはたおれ たおれては撮影をし……をくりかえしていたら
ついに 先日 本気でドクターストップのかかった 石井麻木でした

石井麻木オフィシャルサイト
http://www.ishiimaki-photo.com/

fotologue (写真と共に  ひとりごと など 書いています 写真を2回クリックすると ことばがでてきます)
http://fotologue.jp/ishiimaki

地雷原を綿畑に!Nature Saves Cambodia!
http://www.naturesavescambodia.org/

今年 カンボジアの地雷被害者の方達 農民たちの自立支援を促すNPOを たちあげました
カンボジアや 発展途上国を支援する NPOやNGOは たくさんあるけれど
ただ 物資支援をするだけじゃ おかねを援助するだけじゃ 学校を建てるだけじゃ
ほんとうの意味で 彼らの生活を根っこからたすけることはできません
彼らが 自分たちのちからで 収入を得て 自分たちのちからで生活していけるよう
希望と自信をもって生きていってもらえたらいいなと

地雷原を綿畑に!Nature Saves Cambodia!
http://www.naturesavescambodia.org/

というプロジェクト を はじめました

知ってもらいたいです
ほんとうの 現状を

そして ほんとう を 写しつづけていきたいです


溜息に似た言葉─セリフで読み解く名作

溜息に似た言葉
著者●岩松了
写真●中村紋子、高橋宗正、インベカヲリ★、土屋文護、石井麻木
定価●2,200円+税
ISBN978-4-7808-0133-0 C0095
四六変型判 / 192ページ / 上製

目次など、詳しくはこちら

対談:岩松了×若手写真家 第4回●土屋文護/ゴダールはいちいちカッコいい

『溜息に似た言葉』とは?

『溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
ただし、抜き出された言葉は、意味を重ねた数々の言葉よりも多くのことを伝える、ひとつの溜息に似た言葉──。

連載を単行本化するにあたって、岩松了が読み解いた40のセリフを、5人の写真家が各々8作品ずつ表現した写真も収録しました。
撮影後に岩松了と写真家が行なった対談は、対談の中で写真家が発した1つの言葉から描く人物エッセイ「写真家の言葉」として単行本に収録しましたが、ここでは劇作家・岩松了と若手写真家の生の言葉を掲載します。

第4回目、土屋文護との対談は「ゴダールはいちいちカッコいい」。演劇に関しては「好き」と言えない岩松了が、惜しげもなく語るゴダールの魅力。アルモドバル、侯孝賢(ホウ・シャオセン)と、映画の話は尽きない。

溜息に似た言葉
すべての収録作品など、詳しくはこちら


写真家●土屋文護

プロフィール

1980年 長野県生まれ。

撮影した作品

「あたし、わかってた……」
─『三人姉妹』(『桜の園・三人姉妹』より)チェーホフ/神西清訳/新潮文庫
妥協の結婚をしたとて麗しい女になる道は残されている

「わが人生の喪服なの」
─『かもめ』(『かもめ・ワーニャ伯父さん』より)チェーホフ/神西清訳/新潮文庫
男を値踏みしたが故のこんな言葉をあなただって吐いたことがあるはずだ

「(耳をすます)いいや……荷物を取ったり、何やかやあるから……」
─『桜の園』チェーホフ/小野理子訳/岩波文庫
子供のころ、親に叱られることをして親の帰宅が怖かったことありますよね

「人生の本当の瞬間というものは、いつも怖いものさ」
─『永すぎた春』三島由紀夫/新潮文庫
そうは言われても怖い瞬間をどうしても避けたい私達を弁護する言葉はないの?

「びーふーてーき」
─『鍵』(『鍵・瘋癲老人日記』より)谷崎潤一郎/新潮文庫
谷崎先生の『鍵』を読み、賢愚両刀の夫婦生活に早いうちに慣れておこう!

「ええ、よくわかってます──女の横暴さは!」
─『ガラスの動物園』テネシー・ウィリアムズ/小田島雄志訳/新潮文庫
自分のことはさておきのつもりでも、結局は自分のことを語ってしまう人の性

「さあ、一緒に遊ぼうじゃないか」
─『小さな王国』(『金色の死 谷崎潤一郎大正期短篇集』より)谷崎潤一郎/講談社文芸文庫
生活があり遊びがあるのか、遊びがあって生活があるのか、時に見失う?

「学生さんがたくさん泳ぎに来るね」
─『伊豆の踊子』(『伊豆の踊子・温泉宿 他四編』より)川端康成/岩波文庫
さよならも言えず別れた、あぁ踊子よ舟が出る──、それは伊豆のブルース


対談●ゴダールはいちいちカッコいい

岩松 今回、色々と読んでみてどうでしたか? やっぱり、戯曲っていうのは読みにくいでしょう? 慣れないと。

土屋 そうですね。登場人物が、誰だ誰だかわからなくなっちゃって。セリフも、どんな感情で言ってるのかわからないセリフもありました。

大田 普段は小説とかは読むんですか?

土屋 最近、全然読んでないですね。学生時代とかは読みましたよ。周りも読んでるし、時間もあるし。最近は読んでないですね。僕、マンガを全く読まないんですよ。読み切ったマンガも1個しかない、くらいで。だから、何も読んでないってことですね(笑)

岩松 そうですか。写真を撮る時に気をつけることってありますか? 自分の中で肝に銘じていることとか。

土屋 うーん。ないです。

岩松 僕が「カメラやりたい」と言ったら、助言することはなんですか?

土屋 助言することも別にないんですけど、自分でいつも気をつけているというか、「あっ」と思うのは、「もうちょっと素直に撮った方が良いな」ということで。どうしても何かを狙いがちになってしまって、他人が見てわかるかどうかは別にしても、自分の中の狙った感があると、後から見て残念だったりするんですよね。

岩松 自分でがっかり、みたいな。

土屋 そうですね。でもいつも、後から思うんですよね。撮ってる最中は夢中になっちゃって、忘れて狙っちゃったりして。

岩松 それは、「びーふーてーきー」というセリフの作品に、ビフテキそのものを撮った(後に変更した)こともちょっと関係してきますか?

土屋 そうですね。『鍵』は、今回の写真のようなさわやかな話ではなくて、性生活の話ですから。だから、何だろう。自分の写真としては、あんまり湿っぽい感じが好きじゃないんです。

岩松 僕は、この対談の前に土屋さんの写真を全部パッと見てみて、「わかりました」と言って返して、後から振り返ってみた時に、写真の印象として、「引き絵だった」というのが強かったんですよ。

でも、今改めて見てみたら、そんなに遠くから撮ってるわけでもない。なのにすごく引いて撮ってる印象があって、それももしかしたら関係あるのかな。色の感じも関係あるかもしれない。そんなにどぎつい感じじゃないじゃないですか。まさかそれだけで遠くから撮ったと思ったわけじゃないだろうけどね。

「狙って撮ると自分で嫌になる」というのは、以前はそういうことがもっと多かったということですか?

土屋 そうですね。今もどこかで狙って、色々考えながら撮ってるんだろうけど、例えば構図にしても、「カッコよく見せよう」という撮り方をすると、「別にかっこ良くないじゃん」って後から気づいたりするんです。普通に撮るというか、良いと思ったらそれをそのまま撮ればいいんじゃないかと思います。

岩松 それを実感したことって、言葉で言えるものでありますか?

土屋 ありますね。とても魅力的な人間がいて、それを作品として撮ったことがあって。ポートレートで人の内面を写すのは難しいと思うんですけど、その撮影の時は「もうちょっとこういう感じに写したい」というのを指示しすぎたり、構図もちょっと変わった構図にしてみたりして、現像から上がって来た写真を見たら、僕が考えてることばっかり写っていて、その人自身が全く見えなかった。

岩松 一枚も使えるものなかった?

土屋 ほとんど駄目でしたね。それは仕事じゃなくて、自分の作品として撮ったものでしたが。

岩松 でも、その問題っていうのは演劇もそうで、小説でも何でもそうだと思いますね。騙すんだったら上手く騙してくれないと、バレちゃうよ、っていう感じはある。
写真以外で、何か最近特に興味があることとか、あります? 映画とか観ないでしょ?

土屋 映画は観ますね。ビデオを借りて来て、時間があれば観るくらいですけど。

岩松 好きな映画はありますか? あるいは、ハリウッド系が好きとか、フランス系が好きとか、昔の映画が好きとか。

土屋 学生時代はフランス映画ばっかり観てましたね。古いのから新しいのまで観ます。

岩松 監督でいうと、どの辺ですか?

土屋 ゴダールとか、ヌーヴェルヴァーグの辺りから、今ならレオス・カラックスとか。

岩松 じゃあ、『ボンヌフの恋人』も観てるんだ。フランス映画は、どこに惹かれてたんですか?

土屋 多分、女優に惹かれてたんだと思います。女優みたいになりたいじゃないですけど、ああいうのが可愛いな、って思って。

岩松 僕は昔、アンナ・カリーナっていう女優が好きでしたね。

土屋 僕も、可愛いと思いますね。不思議な可愛さですよね。

岩松 フランス人じゃなくて、デンマークの人なんですよね。それでパリに出て来て女優になろうと思って、ゴダールとかに出会って行くんですけど。

映画の世界って、映画こぼれ話がいっぱいあるじゃないですか。ゴダールとデキたアンナ・カリーナは、モーリス・ロネとデキて振られたとか。ゴダールがデビューして『勝手にしやがれ』を撮る時に、トリュフォーが色々言ったとか。

『勝手にしやがれ』は、トリュフォーが原案を書いてるんですよね。それで、本当はクロード・シャブロルが撮るはずだったんですけど、結局ゴダールが撮ることになった。トリュフォーが書いた台本では、警官を殺したジャン=ポール・ベルモンドがずっと逃げて、最後、キオスクみたいなところに指名手配の写真が載った新聞が挿してあるのに気づかずに通り過ぎる、というラストだったらしいんですよ。それをゴダールが全部なしにして、警官に追われて背中を打たれて死ぬ、と変えたんですね。その時の、逃げたジャン=ポール・ベルモンドに向けた警官のセリフで「背骨を狙え!」っていうのがあるんです。トリュフォーは、ラストを変えられたことについてはどう思っていたかわからないけど、「背骨を狙え!」っていうセリフについては残酷すぎるから変えてくれ、と言ったらしくて。

他にも、その時ゴダールは、ジャン=ポール・ベルモンドに、「行けるとこまで行って倒れてくれ」っていう演出をしたそうなんですよ。だから延々と走って、やっと倒れて、という感じになってる。そういう映画こぼれ話が、すごく好き。

それから、トリュフォーとゴダールって、すごく仲良かったんですけど、後でけんか別れをしたんですよ。トリュフォーがお金持ちの娘と結婚したので、ゴダールが映画を撮る時に、トリュフォーに「お金を貸してくれ」って言って断られたとか。それが原因じゃないだろうけど、それから結構トリュフォーの悪口を言ったコメントがあってね。

『未知との遭遇』というスピルバーグの映画に、トリュフォーが博士役で出てるんです。ゴダールは、『未知との遭遇』について「宇宙人と会ってどういうことを話すかというビジョンがないやつは、ああいう映画を撮っちゃ駄目だ」って言ってるんですよ(笑) 『未知との遭遇』はただ会うだけだから、会って何を話すかの考えがないやつは、ああいう映画を撮っちゃ駄目だって。スピルバーグの映画に、ですけどね。
ゴダールでは『女と男のいる舗道』も大好き。何がカッコいいって、言う言葉がいちいちカッコいい。

ある時、寺山修司か誰かが、世界の映画監督に、「映画の画面のサイズが何インチ×何インチになっていることをどう思いますか?」っていうのを訪ねて歩いているものがあって。色んな映画監督がそれぞれ答えてるんですけど、その中でゴダールは「いや、それは考えたことがなかった」って言ってるんですよ。「これカッコいいな!」って思ってね。そういう風に言えるといいな、と思う。普通、何とか答えようとするじゃないですか。それを「考えたことがなかった」と言うのがすごい。

あと、この前ノーベル賞を取ったル・クレジオというフランスの作家が、ゴダールと対談したものあって。僕はル・クレジオが当時好きで、その対談が載った雑誌も買って読んだんですけど、クレジオもゴダールの映画がすごく好きで、「あなたの映画を観ると混沌と何とかを感じます」みたいなところから始まるん対談なんです。

その時クレジオがゴダールに「あなたは自分のことをモラリストだと思いますか?」という質問をしたら、ゴダールがちょっと考えて「いや、人間は皆モラリストだと思う」ってなことを言っていてね。その返しがすごく粋だというか、無理にひねくり出さないですごく自分に正直に言っている感覚が、やっぱりその人の才能に関係があるような気がして。「映画が映画じゃなくなるところに、僕は行きたいんだ」とか、言うことがいちいちカッコいいんですよ。だから、自分の戯曲でもゴダールのフレーズをいじくって使ったこともあるし。ちゃんとは理解出来ないけど、この人の言うことに付いてこう、という気にさせる。だから、映画は難解で少しわからないくらいでいいんですよ。「俺が馬鹿なだけだから、付いて行きます」って感じ。

あとは「共産主義者の怯えが僕にはよくわかる。なぜなら、僕は若い頃に知識が及ばなくて、ジャック・リヴェットが言うことに反論が出来なかった。その時の感じは、共産主義者の脅威に等しいにちがいない」というようなことを言ったりするんですよ。

っていう風に、映画や物語を語ったりする中で、ゴダールという人がすべてを壊して、またやった、という力強さに、若者としてはすごく憧れた。

おかしいのは、カラックスもゴダールが好きらしいんですよ。ゴダールはすごく難しい映画を撮ってるじゃないですか。なのに、カラックスが自分の映画を撮ってゴダールに観てもらいに行ったら「映画はもっと単純でいいと思う」って(笑) ほとんど直接聞いた話じゃないから、自分のフィルターがかかってますけどね。

土屋 でも本当に、ゴダールの映画は難解なものもありますよね。「何なのこれ?」みたいなの。

岩松 音楽の使い方も、いきなりブツッと切って、またブツッと始まったりね。ゴダールの『勝手にしやがれ』を、自分の映画の編集中に観て来た有名な映画監督がすごく落ち込んで帰って来て、「もういい、これはもう止めだ!」って言ったとか、そういうエピソードがおかしいじゃないですか。黒澤明の『酔いどれ天使』を観た溝口健二が夜通し彷徨ったとか。ヌーヴェウヴァーグのエピソードには、面白いものが沢山ありましたね。当時自分が集中して知りたがっていたから、そういう知識を得るんだろうけど。

土屋 他に何か好きな映画監督とかいますか?

岩松 映画監督は、好きな人一杯いますね。今はとにかく小津安二郎が好きだし、アキ・カウリスマキ好きだし、エリック・ロメールも好きだし、ジョン・カサヴェデスも好きだし、ペドロ・アルモドバルも好きだし。演劇はあんまり「好き」って言えないんですけど、映画は惜しげもなく「あの人好き」って言えるんですよね。なぜか。ペドロ・アルモドバルも好きですねえ。僕、『バッド・エデュケーション』という映画がすごく好きで。よく極端に「観終わって席を立てなかった」と言うやつがあるけど、本当にそれに近いものがありました。

あと、侯孝賢(ホウ・シャオセン)もすごく好きなんですよ。台湾の映画監督で、一青窈を使って『珈琲時光』っていう映画を撮った人ですけど、元々は『童年往事』とか『恋恋風塵』とか『非情城市』といった映画を撮ってる人なんです。

僕、あるとき台湾の「ぴあ」みたいな雑誌から取材をされたんだけど、日本語が喋れない人が、通訳もつけずに取材に来たんですよ。「どうすんだよ、俺?」と思ったけど、片言の英語で喋るしかないじゃないですか。

向うが「あなたの芝居はどういう芝居ですか?」と言うから、この人にどう説明すればいいんだろうと思って「小津安二郎」って漢字で書いて「この人の映画に似てるって言われます」と言ったんですよ。そうしたら、「じゃあ、あなたの芝居はこの人に近いかもしれない」と名前を挙げたのが侯孝賢で、侯孝賢は実際に「小津安二郎の映画が好きだ」と言ってるんですね。

その時に侯孝賢という名前を知ったんだけど、似てるものはあまり観たくないと思って、観ないようにしていたんですよ。それがある時、高田馬場でブラブラしてるときに早稲田松竹という映画館で、侯孝賢の二本立てをやってたんですよ。『恋恋風塵』と『非情城市』と。ちょっと観てみようかと思って入って、最初の『恋恋風塵』のときから「いや、この映画は違う」と思いましたよ。

俺、横浜に住んでるんですけど、次の日また高田馬場まで行ってもう一回観ましたもん。それから侯孝賢がすごい好きになって「自分に似てるなんておこがましかった」と思った(笑)

それで2004年に、侯孝賢が『珈琲時光』という映画を日本に来て撮ったんですよ。そのときの宣伝活動の中で、「キネマ旬報」で侯孝賢が僕と対談することになったんですよ。すっごい緊張して、「今年最大のイベントだ!」って自分の中で盛り上がって、侯孝賢の映画全部見直して、侯孝賢はときどき役者もやってるんですけど、友達の映画に出てたりするのも全部インプットして会いに行って、お話しして来ましたね。

土屋 侯孝賢は岩松さんのことは知ってたんですか?

岩松 いや、知らないでしょう。でも、対談は「じゃあ、僕の映画の本を書いてくださいよ」「喜んで」というところで締めになってるんですけどね。その時に一緒に写った写真をケータイの待ち受けにしようと思っていた時期もあったんですけど、その写真は今どこに行ったか……。

今はもう、映画祭の審査員とかやってるくらい偉い人。最近は、あまり撮ってないですね。でも、僕が最近出た『空気人形』という映画のカメラマンをやったリー・ピンピンっていう人がるんですけど、その人は侯孝賢の映画をずっとやってる人だから、打ち上げの時に「侯孝賢の映画をやってる人に、役者として撮ってもらったことは誇りです」って伝えましたよ。

映画に関しては、本当に一杯「好き好き好き」って辺りかまわず言えるんですよ。舞台は「自分以外、好きな人はいない」みたいな言い方しか出来ない(笑)

最近若い映画監督が「観てください」って言ってビデオ貸してくれたりするんだけど、若い人のやつを観ると全部面白く思えちゃって。

前に作品を送ってくれた深田晃司くんの映画も結構面白かったな。『東京人間喜劇』っていうタイトルを付けてるんだけど、3本話があってオムニバスっぽくなっていて。最初、男の子と女の子がいて、男の子が自分の部屋を出て行くところから始まるんです。「じゃ、7時ね」とか待ち合わせの時間を言って。その待ち合わせの時間の前に、一人で海に行くんですけど、向こうの方をパッと見てタタタッと走って行って、がっかりして戻ってくるんですけど、そこの波打ち際にあるコンビニの袋みたいなのをカメラが写すんです。「何だろう、あれは」とか思いながら話は進んで行くんですけど、ずっと後で、男の子に女の友達が出来ちゃう。彼氏が来なくてチケットが余っちゃって困ってる女の子とたまたま会って、友達になっちゃうんだけど、その二人で話しているときに、「飼ってた猫が逃げちゃって、白い猫なんですけど、いつか戻ってくるんじゃないかと思ってるんですよ」という話が出て、「あ、白い猫だと思ったんだ」と、後でわかるわけよ。打ち上げられたコンビニの袋がね。それが3本のうちの1本で、「白猫」というタイトル。

今回、土屋さんも含めて5人の写真家に会ったけど、やっぱり面白いね。それぞれ世界があるし、年代的にも若いし。

若い演劇関係者には会うけど、若くて違うことをやっている人には、なかなか会う機会がないじゃない。「この本どうしよっか」という話をしている時に、「じゃあ写真載せようか」という話をしたのが正解だったかな、と思う。今回5人と知り合いになるって、画期的だね。

●対談を終えて

文:土屋文護

俳優とは別の岩松さんが拝見できたことが嬉しかったです。
本当に本当に緊張しました。楽しい時間をありがとうございます!!


溜息に似た言葉─セリフで読み解く名作

溜息に似た言葉
著者●岩松了
写真●中村紋子、高橋宗正、インベカヲリ★、土屋文護、石井麻木
定価●2,200円+税
ISBN978-4-7808-0133-0 C0095
四六変型判 / 192ページ / 上製

目次など、詳しくはこちら

対談:岩松了×若手写真家 第3回●インベカヲリ★/本を読まずに写真を撮る

『溜息に似た言葉』とは?

『溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
ただし、抜き出された言葉は、意味を重ねた数々の言葉よりも多くのことを伝える、ひとつの溜息に似た言葉──。

連載を単行本化するにあたって、岩松了が読み解いた40のセリフを、5人の写真家が各々8作品ずつ表現した写真も収録しました。
撮影後に岩松了と写真家が行なった対談は、対談の中で写真家が発した1つの言葉から描く人物エッセイ「写真家の言葉」として単行本に収録しましたが、ここでは劇作家・岩松了と若手写真家の生の言葉を掲載します。

第3回目、インベカヲリ★との対談は「本を読まずに写真を撮る」。『溜息に似た言葉』では、5人の写真家8作品ずつを担当してもらったのだが、インベカヲリ★だけが1作品も本を読まずに撮影を行なってきた。しかも、8人の女性を被写体にして。

溜息に似た言葉
すべての収録作品など、詳しくはこちら


写真家●インベカヲリ★

プロフィール

1980年 東京都生まれ。
2005年 日本広告写真家協会・APA公募展
     エプソン・カラーイメージングコンテスト
2006年 『取り扱い注意な女たち』(インベカヲリ★&出町つかさ著/インベカヲリ★写真/あおば出版)
2007年 新宿ニコンサロン「倫理社会」個展
2008年 大阪ニコンサロン「倫理社会」グループ展
     ロサンゼルス 「VICE PHOTO SHOW」
     バルセロナ「ARTZ 21 〜FANTASIA EROTICA JAPONESA〜」出展
     ニコンサロン三木淳賞受賞奨励賞
2009年 新宿・大阪ニコンサロンbis 三木淳賞受賞作品展  「倫理社会」グループ展
     六本木スーパーデラックス「Beau・ti・fied Ta・boo 2」出展

Web:http://www.inbekawori.com/

撮影した作品

「いつもと違うわ」
─『砂の上の植物群』吉行淳之介/新潮文庫
思い出せますか? 少女から女へ変わるとき、あなたはどんな反応を示したか

「じゃ私、なんの話すればいいの」
─『可愛い女』(『可愛い女・犬を連れた奥さん 他一篇』より)チェーホフ/神西清訳/岩波文庫
自分の意見がないとお嘆きのあなた。この小説を読めば、気持ちが変わる

「車の運転、習いたいなぁ」
─『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳/早川書房
相手を言い負かした後、背のびなどしてこんな科白吐く貴方はズルいだけか?

「目玉にする? それとも、ボロボロ?」
─『初舞台』(『初舞台 彼岸花 里見弴作品選』より)里見弴/講談社文芸文庫
あなた、彼との間に、ふたりだけしか通じない言葉をもっているのでは?

「私は今日、もう絶対火星にいくんだ!」
─『三月の5日間』岡田利規/白水社
ひきこもりだなんだというけど、そんなもの絶対あなたの中にもあるはずだし

「話をしながらご飯を食べるのは楽しみなものね」
─『濹東奇譚』(『ちくま日本文学全集 永井荷風』より)永井荷風/筑摩書房
底知れぬ女の色気は無自覚なうちに生まれるにちがいない

「何もおまえに許可してもらいたいんじゃないわ──結婚するにきまってるんだから」
嵐が丘(上・下)』エミリー・ブロンテ/田中西二郎訳/新潮文庫/絶版/新訳版あり
矛盾を惜しげもなくさらすオンナも魅力は魅力だが、先はいばらの道と心せよ

「好きになってしまったんでしょう」
─『本格小説(上・下)』水村美苗/新潮文庫
人の恋愛は誉めるのもけなすのも難しい。秘めたるそれならなおのこと


対談●本を読まずに写真を撮る

岩松 インベさんの写真は全部女の子がモデルですけど、どうやって選んだんですか?

インベ 自分のホームページでモデルをやってくれる女の子を募集していて、いつでも撮影させてくれる女の子が沢山いるんですよ。その子たちの身長とかプロフィールが書いてある一覧があるんです。こういうセリフを言うのはこういう女の子だよな、というのを選んで、その女の子たちの中から選んだんです。

岩松 『三月の5日間』の女の子はかなりインパクトあるね。ホキ徳田みたい。8本を見ていくと、わりとぷっくり系の人が多いですけど、そういう人が好きですか?

インベ そんなことも…。でも、言われてみればそうかもしれないですね。

岩松 女のどういう面が好きですか?

インベ 割と複雑な内面を持っている人、浮き沈みがあったりする人を好んで撮っているんですけど、顔にそれが出ている人が好きですね。顔のいい悪いはそんなに気にしないんですけど、内面が目つきとかに出ている顔を撮りたいと思います。賢そうな目というか、すごくものを考えていて、その、今まさに何かを考えているときの目を、色っぽく撮るのが好きです。

岩松 さっき『三月の5日間』の女の子をホキ徳田と言ったけど、インベさんの写真は70年代っぽい印象もちょっとあるよね。僕らが学生時代に先を走ってた女の子のような印象があるかもしれない。モデルの女の子達は、普段は知り合いじゃないんでしょ? 電話して「これこれこうで」と言って会いに行くんですか?

インベ 色々ですね。最初に応募のメールをもらってから2年くらい撮らない人もいます。撮りたい気持ちはあるんですけど、何となく今じゃないというか、「じゃあやりましょう」という決断がずるずると出来なくて。撮ってみたら「何で今まで撮らなかったんだろう」と思ったりもするんですけどね。

岩松 インベさんの家に、ファイルみたいなのがあるんですか?

インベ あんまり整理するのが得意じゃないので、パソコンに入れてあります。100人はまだいっていないくらいです。

岩松 そもそも写真を始めたのは、どれくらい前ですか?

インベ 20か21なので、7、8年前ですね。それまでは学生で、短い期間編プロで働いて、その後に写真を始めたんですよ。

岩松 写真は、編プロで働いているうちに、「そっちの方が面白い」ということになったの?

インベ 編プロは、「才能ないから、辞めるなら早い方がいい」とか言って辞めさせられて(笑) 自分では書く方が好きだったんですけど、編プロ時代に唯一誉められたのが写真を撮った時で、辞めたときも、別にやりたいこともないし、すぐに転職する気分では全然なかったので、「なんか写真展でもやるか」と思ったんです。家の近くに展示の出来るカフェがあったので、そこで展示をしたのが最初です。

岩松 それは知り合いの喫茶店だったんですか?

インベ 知り合いというか、何度も行っていたところで。

岩松 じゃあ、行き当たりばったりではなかったんだね。その時は写真はかなり大量にあったの?

インベ いや、全然撮ってなくて、写真展の日程を決めたら撮り始めるだろうと思って……。

岩松 そこで何となく手応えがあったんだ。

インベ 最初から結構手応えがあって、「これまで何をやっても評価されなかったのに、こんなに簡単なことで人が興味を持って声をかけて来たりするんだ」と思って。だから、ただ続けてた、という感じですね。止めなかったというだけで。

岩松 続けている間、考え方は変わって来ましたか?

インベ そうですね。最初は本当に、自分が「こういうように撮りたいな」と思ったものにモデルをはめて、演技をしてもらって作り込む写真が多かったんです。でも最近は、「このモデルだからこういう写真になった」というものじゃないといけないと思うようになりました。その人の人間性が、より活きるように。

岩松 対象に対して、対応出来るようになったということだね。
自分で「書くのが好きだ」と言うくらいだから、本を読むのは好きなんでしょ?

インベ そうですね。たまに。あんまり読む方ではないと思うんですけど、ドキュメンタリーとか実話が好きで、『救急精神病棟』という本は面白かったです。

岩松 僕はドキュメンタリーってほとんど読んだことないんだけど、一番ショックだったのは『宿命』かな。それは完璧にドキュメンタリーなんだけど、よど号をハイジャックして北朝鮮に行った人たちの話で、本当に怖かった。

よど号のハイジャック犯のグループを、駒込の喫茶店でたまたま目撃した一人の女の人から始まる話なのよ。ハイジャックをした人たちの色んな末路が書いてあるんだけど、その中に例えばこういうエピソードがあるんです。

よど号のハイジャックの時に、人質の代わりに大臣が一人だけ身代わりになったんですよ。「自分一人を人質にして、他の人たちを解放してあげろ」ということで。その大臣が人質になった後無事に戻って来て、日本でヒーローになったわけ。空港に凱旋して来た時に、母親に抱かれた生まれたばかりの子どもと一緒に写っている写真があるんですよ。その後何年も経てから、この大臣が北朝鮮に改めて行く日があって、さっきの小さい女の子はもう20代の大人になっているんですよ。正確にはわからないけどね。その、大臣が北朝鮮に行くという日に、この女の子が父親を殺してるんですよ。その描写が、600ページくらいの単行本のうち、たった1行しか書いてない。何があったかとかは書いてないのよ。なぜそうなったのかもわからないし。

拉致問題についても、全部書いてあるのよ。フランクフルトでどうしたとか、アムステルダムでどうしたとか、奥さんたちが向うに行って、向うのバックパッカーみたいな人に動物園で声をかけたとか。一人気が狂ってベランダで変な歌を歌い出した人がいるっていう話とか、「何故そこまで書けるだろう?」というくらいのところまで書いてあって、この人はよくここまで調べた書いたなって思った。「ここまで書いちゃやばいだろ」というくらい。

ただもう、滅茶苦茶興奮する本で、これを読んだ時にはとにかく色んな人に勧めて。デザイナーの知り合いの本を良く読む人に勧めたら、600ページの文庫本を一晩で読んだって言ってた。僕はたまたまそれを手に取ったのが、それこそ宿命、みたいな……(笑) 『西へ行く女』という本を書いた頃だから、2003年頃かな。

インベさんは写真以外で、好きなものはあるんですか? フットサルが好きとかさ。スポーツはやらないでしょ?

インベ いや、身体を鍛える程度だったらやります。ジムだったり、プールだったり。

岩松 あ、プール行くんだ? 俺もプール行くんだよ。

インベ でも私は泳げないので、水の中で踊ったり歩いたりとか。

岩松 俺もあんまり泳げなかったんだよ。でも一人でやってるうちに、泳げるようになったよ。自分でマスターしたの。インベさんは、歩くだけなんだ? 俺が行くジムは歩くのは別のところがあって、コースは泳ぐのだけだから、最初歩いて、泳いで、最後もう一回歩いて上がって、お風呂に入る、みたいな感じ。

インベ 身体を動かすと、やっぱり気持ちが楽になりますよね。

岩松 「だから、人間身体動かさないと駄目」ということに、ある時気づきますよね。人は簡単に鬱病になるんだ、と思うと、その前に身体動かさなくちゃ、と思う。7年前、僕は初めてその自覚を持って、毎日プールで泳いで回復した記憶があってね。

「脳ドックに行った方がいい」とか色々言われて脳ドックに行ったら「一週間後に来てください」と言われたんだけど、その時は大阪でひと月くらいの仕事があった。それで、「自分で出来ることは何だろう」と考えて、「もう泳ぐことしかない」と思って。精神を直すためにね。

毎日ホテルの脇のプールに、朝起きて9時半くらいに行ってさ。「ほなそやでー」みたいな声が飛び交う中で、独り泳いで。ひと月ずっと演出の仕事だったから、泳いで演出に行って、ちょうど良い天気が続いていたから、一時間の休憩は公園のベンチに座ってずっと青空を見て、戻って演出をして、終ったらすぐホテルに戻って、また泳いで。ひと月くらい続けてたら何となく回復していった。

横浜に戻って来てからもずっと続けてたんだけど、ホテルだとすぐ横だけど、家からだとちょっと歩かなきゃいけないでしょ? それが面倒くさくなっちゃって、だんだんね。今年の頭くらいになって、「やばい。これは泳がなくちゃ」となって、また近くのプールで泳ぎ始めたんですけど。

だから練習をすれば泳げるようになりますよ、多分。少しは泳げるでしょ?

インベ 10年くらい泳いでないので、勇気がなくて。周りの人はみんな上手だし。

岩松 でも、パタパタくらいは出来るでしょ? 10メートルは泳げる? とりあえず25メートル泳げれば、端から端まで行けるじゃない? 俺なんて25メートル泳いだら休んで、25メートル泳いだら休んで、っていう泳ぎ方してるから、1日に泳いでるのはせいぜい200メートルくらいかな。

でも、水泳のオリンピックとか見てると、すごい軽く泳いでるでしょ? ずっと「何でああやって軽く息継ぎ出来るんだろう?」と思ってたんだけど、7年前に、何故ああいう風に上手く出来るのかが自分でわかったときには、自分で自分を誉めましたよ(笑) 「えらい!」と思って。手をかく時に、下でもどかしく手を動かせば軽くなるんだ、と発見出来た。

インベ 単純なことですけど、出来なかったことが自分で出来るようになると、嬉しいですよね。

岩松 そうそうそう。自分でわかってきたのが嬉しいよね。だから本当はもっと違う正統的なものがあるのかもしれないけど、自分なりにそれを死守しているというか、まったく自分のペースでつかんだことだからね。

…………

岩松 今回、写真を撮りながら感じたことってありますか?

インベ 今回、元の本は読まずに岩松さんのエッセイからイメージをふくらませて、「こういうセリフを言う人間は、こういう顔をしているだろう」という女の子をモデルにしたんです。本を一冊も読まなかったので、私が撮ったものと本の内容がズレているものもあるだろうな、と思ったんですけど、でもそれが逆に面白くなるかと思って撮りました。

岩松 みんな、おおむねズレているといえばズレているよね。高橋さんはズレていなくて単刀直入なところがあるけど、それはそれでおかしい。

特にインベさんみたいに人物が入ると、人物の印象が大きいからね。セリフを言った小説の中の人物と、インベさんが撮った人物が、どうしてもズレていると感じたりもする。でも、そもそも昔の小説が大半だから、現代の人とはリアルにシンクロしなかったりするじゃないですか。

インベ そうですね。年齢も、登場人物と全然違うので。でも、私みたいなのってちょっとやり過ぎだろう、とも思うんです。それは「色んな読者が強制的にこの意味に持って行かれちゃう」という意味で作り過ぎだと思うんですけど、書いた岩松さんとしてはどう思われるんですか?

岩松 でも多分、読者は僕が把握出来ないことを感じると思うから。僕が思わないことを読者は思うかもしれないし、投げかけるような感じですよね。「こういう風に考えた人がいるんだけど」って。

だから、僕が写真に対して色々言い出すと、だんだん話とシンクロして、全部説明説説明みたいになってたかもしれないし、かけ離れていると言っても、そんなにかけ離れていることにはならないと思うんだよね。

高橋さんという男の人は、割とストレートに写真を撮ってくれたんですよ。お金のセリフだと、ボンとお金が出て来たりね。それはそれでおかしいし、「この写真?」というのも、時間をかければ、もしかしてジワジワくるかもしれないし、どっちが良いのかは、ちょっとわからないですね。

逆に、「そういう面白さが、この本にあるんだ」と考えた方がいい。5人の写真家はそれぞれタイプが違うしね。
他の人は全部作品を読んだと言っていたけど、インベさんは、この中で一個も読んでないんですよね? 一番短くて簡単に読めるのは、何だろうな……。

インベ 『三月の5日間』だけ読み始めたんですけど、全く理解出来なくてすぐ止めちゃいました。

岩松 『濹東綺譚』が一番わかりやすいんじゃない? あと『可愛い女』も短いかな。小説は普段読まないんですか?

インベ たまに読みますけど、基本的には読まないですね。自分で面白いものを探そうとすると、かならず失敗する傾向があって。

岩松 でもたまには、成功するのもあるんでしょ? それは何かありました?

インベ この前直木賞を取った、桜庭一樹の『私の男』ですね。

岩松 なるほど。

●対談を終えて

文:インベカヲリ★

その日は、岩松さんと私が対談を行うという日だった。前夜、私は岩松さんのエッセイ本『食卓で会いましょう』を読破し、その面白さに感動し、ある程度話す内容も想定して対談へと挑んだ。

が、ふたを開けてみれば私が話そうとしていたことは、悲しいほどに質問されないのであった。岩松さんはマイペースに自分の話を織り交ぜながら、私だけではなく編集者を含め4人で会話を進めている。あまりにも想定していたことが聞かれないので、自分から今回の写真について話をしてみるが、それに対してもあまりリアクションされないという始末。むむ、私があまりにもつまらない人間なので、興味をもたれていないのか。時間が進むにつれて不安にかられはじめた。

対談も終盤に差し掛かると、今度は編集者の方から「岩松さんに聞きたいことはありますか」と問われた。私はここぞとばかりに昨夜読んだ『食卓で会いましょう』についてどう思ったかを話してみた。何の回が特に好きだとか、自分もあんなふうに日常の一コマを細かく切り取って面白く書いてみたいと思ったことなど。岩松さんはニヤリとしたが、特に私の感想に興味はないといった風にもとれた。私は、だんだん自分の言葉が安っぽいように感じてきて、ひどくうろたえた。こんな誰にでも言えるような台詞では、賢さも何も感じられない…。どうしよう。そして自分の名刺に「写真・文筆」と入れていることを思い出し、なのにその程度の言葉しか出てこないのか、と岩松さんに笑われているような気がして、目をそらしてしまった。つまり宙を見ながら相手を絶賛するという、とてもアンバランスな状態が出来上がってしまったのだ。まずい。これじゃ大物相手にこびへつらって、下手なお世辞を言っているような構図ではないか。違う。そんなんじゃないのに! どうしよう、誤解されたら。

脳内を激しく右往左往させたのち、結局、私はある結論にたどり着いた。そう、岩松了さんという方は、演出家であり俳優であり作家なのであり、私のような若輩者よりもずっとずっと長い年月をかけて、人間という生き物に焦点を当てて仕事をしてきた人物なのだ。私が考えていることなんて丸々お見通しに違いない。それこそ会った瞬間、どんな性格で、どんな家庭環境に育ち、何にコンプレックスを感じているかぐらい手にとるようにわかるのだろう。だから私が今話そうとしている本心と、それに失敗して困惑している理由も、丸透けなのだ。どう取り繕ったって、取り繕うだけ無駄じゃないか。ならば正々堂々と困惑した顔を見せていればいいのだ。なんだシンプルじゃないか。はっはっは。
と思うことにして、この場を切り抜けた。

結局、話が弾んですっかり打ち解けた、という状態からは程遠く、いったいどんな文章を書かれるのかまったく想像がつかないままに、対談を終えたのだった。

「では」「そうですね」という感じで、皆が一斉に席を立つと、岩松さんは「ちょっとトイレ」と言って、一人スタスタと部屋の奥へ行ってしまった。私はそのことの意味について考えた。これは帰る時間をズラすための時間差攻撃だろうか。岩松さんがトイレから戻ると、すでに私は編集部を出ているというのが理想的なのだろうか。いやでも、正式にお別れの挨拶をしないまま勝手に帰るというのは失礼に当たる。熟考したのち、岩松さんを待つことにした。

そして戻ってきた岩松さんと私は同時に編集部を出て、必然的に駅までの長い長い道のりを一緒に帰ることになったのだ。

問題はここからだった。

岩松さんは、一緒に帰っているのか、バラバラに帰っているのか、そのどっちとも取れない微妙な距離、約2メートル先をスタスタと歩いているのだ。ちょっと待ってくれ!せめてどっちかに決めてほしい。むう、と悩んでいると、ふいに岩松さんが話しかけてくる。

「インベさんはタバコは吸いますか?」

それは編集部にいた約3時間、一度も吸わなかった人間への質問であった。案の定、会話は二言三言で終了し、長い沈黙へと突入した。3分…5分…。時間がたつにつれて今度は、岩松さんの背中から、あろうことか“何を喋っていいかわからない! 今困っている!”というオーラがモクモクと立ち込めはじめた。なんてこった。私は何か話題を振ってみなければ、と思ったが、微妙に離れた位置にいる岩松さんに話しかけるのはとても勇気のいることだった。どうしよう。そもそもこんなに惜しげもなく気まずい信号を出してくる大人がいるものだろうか。まるで不器用が服を着て歩いているようではないか。対談のときはあんなに堂々としていたのに。これは…なにか裏があるかもしれない。不安に感じていると、唐突にまた、岩松さんは話しかけてきた。

「インベさんはあれですか。写真を撮るときはいつも自分で場所を考えるんですか?」

と言ったかどうかは忘れたが、とにかくそれは間を持たせるためのどうでもいい話そのものであった。よし! これをきっかけに会話を盛り上げようと気合を入れて答えたものの、「あ、そうなんだ」という、これまたどうでもよさそうな返事とともに会話はあっけなく終了した。そして私は確信した。これは岩松さん流のいつもの意地悪な実験なのだと。そもそも『食卓で会いましょう』に描かれていることは、まさにこのような場面じゃないか。岩松さんは人の行動や会話から、あらゆる想像を練り上げて文章を書く人である。今この瞬間、まさに岩松さんは、「会話に困った気まずい二人が、駅までの長い道のりをテクテク歩く」ということがどういうことなのかを分析しているのだ。そして私の出方を観察し、楽しんでいるに違いない。沈黙に耐え切れなくなった私が困った顔をし、無理やりに作った話題を振る、その愚かしいまでの気遣いを心の中で笑ってみているのではなかろうか。その結論は私の中でどんどん確信を帯びていき、ならばその通りにさせてはならぬと堅く決意させた。私はカっと前を見ると「無言なんてちっとも気になりません」といった体を装いながら、ズンズンと駅までの道を歩き続けた。

そしてついに道は二手に分かれた。どっちの道を通っても、原宿駅へ向かえるという場面である。岩松さんは立ち止まるとこう言った。

「竹下通りから帰りますか?僕はまっすぐ帰りますが、こっちからでも駅はありますよ」
なんと、私に選択肢を与えたのである。なんてズルい大人なんだろう。
私は迷ったが、この沈黙ゲームをいつまでも続けるのは耐え難いと判断し、「竹下通りから帰ります」と、別方向を選択した。

すると岩松さんは、「え? あ、そうなの」と、意外な顔をして「ではお疲れ様」というのであった。やられた!! このまま歩き続けたら、何か答えを用意されていたというのか。別の展開が待っていたというのか。これじゃまるで、ことのてん末を見る前に私が逃げ帰ったようではないか。なんてことをしてしまったのだ!!

私は後悔に悶々と包まれながら竹下通りを歩くうち、どっと疲れが出てパスタ屋へと逃げ込んだ。

妙に脂っこい1000円のペペロンチーノを食べながら、とことん自分がダメ人間のような気がしてきて、ひどく落ち込んだ。


溜息に似た言葉─セリフで読み解く名作

溜息に似た言葉
著者●岩松了
写真●中村紋子、高橋宗正、インベカヲリ★、土屋文護、石井麻木
定価●2,200円+税
ISBN978-4-7808-0133-0 C0095
四六変型判 / 192ページ / 上製

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対談:岩松了×若手写真家 第2回●高橋宗正/嘘のつきかた

『溜息に似た言葉』とは?

『溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
ただし、抜き出された言葉は、意味を重ねた数々の言葉よりも多くのことを伝える、ひとつの溜息に似た言葉──。

連載を単行本化するにあたって、岩松了が読み解いた40のセリフを、5人の写真家が各々8作品ずつ表現した写真も収録しました。
撮影後に岩松了と写真家が行なった対談は、対談の中で写真家が発した1つの言葉から描く人物エッセイ「写真家の言葉」として単行本に収録しましたが、ここでは劇作家・岩松了と若手写真家の生の言葉を掲載します。

第2回目、高橋宗正との対談は、「嘘のつきかた」について。シェイクスピアは登場人物に「私は嘘をついている」と言わせるが、チェーホフは「人が話す言葉は必ずしも本当のことではない」という前提の元にセリフを言わせる。2人の劇作家の対比とともに見えてくる、人が嘘の言葉を吐く事情。

溜息に似た言葉
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写真家●高橋宗正

プロフィール

1980年 東京都生まれ。
2002年 写真新世紀優秀賞(SABA)
2004年 「hinterland」art & river bank(個展)
「チャウス展1〜導かれし者たち〜」CASO(グループ展)
2007年 フリーランスになる
2008年 littlemoreBCCKS第一回写真集公募展リトルモア賞
Web:http://www.munemas.com/

撮影した作品

「だんだん、いゝお友達が減ってくぢゃないの……」
─『屋上庭園』岸田國士/絶版
思い出せばあなたも、追いつめられて真実の言葉を吐いて素敵かも

「大金持ちってときには孤独になるものだから!」
─『欲望という名の電車』テネシー・ウィリアムズ/小田島雄志訳/新潮文庫
必死に嘘をつくとき、この世に絶対などないという普遍に近づいている貴方

「顔に血がついてるぞ」
─『マクベス』シェイクスピア/松岡和子訳/ちくま文庫
大きいことの始まりはいつも小さなこと。いいことも悪いことも

「さめが……」
─『老人と海』ヘミングウェイ/福田恆存訳/新潮文庫
人と人との隔たりに絶望するなかれ。もしやその隔たりにまた救いもあるものだ

「同じ話がだんだんへたになる」
─『勝負の終わり』(『勝負の終わり クラップの最後のテープ ベスト・オブ・ベケット2』より)サミュエル・ベケット/安堂信也、高橋康也訳/白水社/新装版あり
同じ話を繰り返しするとき次第に白けゆくのは人の常、と言いながら……

「御縁でもってまたいっしょになろう」
─『雪国』川端康成/新潮文庫
無関係であることは、残酷なことでもあり、また救いでもある。と肝に銘じよう

「どこって、おれは全体をみていたよ」
─『逢びき』(『鳴るは風鈴・木山捷平ユーモア小説選』より)木山捷平/講談社文芸文庫
同じものを目にしても人は見てるものが違うから

「これからだんだん寒くもなりますし……」
─『蓼喰う虫』谷崎潤一郎/新潮文庫
この本を読めば、あなたも男の優柔不断を許容できるかもしれない


対談●嘘のつきかた

岩松 高橋さんの写真は、結構直球ですよね。『老人と海』なんて、「さめが……」というセリフに、サメの写真で。

高橋 もう、これしかねえやって(笑) 『雪国』も、雪しかねえなって感じだし、なるべくシンプルにしたいと思って。「そのままじゃないかよ」くらいシンプルにしないと、見てる人がわからないというか。

岩松 「顔に血がついてるぞ」の血は本物ですか?

高橋 本物です。これも、血を出さないといけないのかな、と思ってまして。「ちょっと切るかー」とか思ってたんですけど、あるロケに行った時に、結構ハードなロケだったせいか、ホテルで朝起きたら鼻血が出て。「ああ、拭かなきゃ、間に合わない、間に合わない」ってなって、結局、鼻血がたれちゃって。「……血だ!」って(笑)

岩松 『屋上庭園』は、やっぱりデパートの屋上ですか?

高橋 そうです。渋谷駅の上の、東急の屋上です。この人形の顔が物悲しくて。『屋上庭園』では、「人のすることってあまり変わらないな」と思いました。友達に「金貸してくれよ」と言いたいけど、言えないとか。

岩松 俺、この戯曲を最初に読んだとき、おかしくて笑っちゃってさ。「だって、あなたは、だんだん、いいお友達が減ってくぢゃないの……」なんて最高の喜劇だよ。「けだし真実!」じゃないですか。お金がなくなると、本当に友達が減っていく。

高橋 僕は同じ会社で働いていた先輩と、同じ時期にフリーランスになったんですよ。一緒に失業保険を貰いにいったりして。ただ、僕の方がちょっと早く活動をしていたので、少し生活が安定していた時期があったんです。その頃に、先輩が「お金がない」と言うから「5万円貸してあげようか」と言ったら、一瞬悩んで「いや、いい、いい」ってなったんですけど、「金がないというのは人間関係もえらい狭めてるな」と思って。

岩松 真実なんだけど、喜劇的でしょ? 「あなたも、何時までもぶらぶらしてないで、早く仕事をして頂戴ね」「だって、だって、あなたは、だんだんいいお友達が減ってくぢゃないの」の後に「急に夫の胸に顔を埋めて泣く」とありますからね(笑)

高橋 暗くなりすぎないところが良いですよね。

岩松 俺、自分がデビューしたときに「岸田國士に似てる」と言われたんですよ。でも岸田國士を読んだことがなかったから、「岩波から全集が出てるので、買ったらどうですか?」と言われて、買ったんですよ。1回配本5千円くらいのやつを、ばーっと。家にある一番作家らしい持ち物って、それなんだけどね。でも、それを読んで岸田國士には詳しくなった。結構おかしいセリフもあるしね。
谷崎潤一郎の『蓼喰う虫』は、この本のために撮ったんでしょ?

高橋 そうです。女の手の上で踊らされる男です。「踊らされるだけじゃなくって、最終的には抑圧もされるよな」と思って、上下から挟まれる形にしました。まあ、手法としては昔からあるものですけど。男性の動きは、サザエさんのオープニングテーマの最後にタマが果物を割って出てきて踊るのを完全コピーしようと思って、現場にiPodを持って行って研究しました。

岩松 女性2人は、モデルさんですか? その辺にいた人じゃないでしょ?

高橋 これは、前の日に友達同士で飲んでいて、そのまま「暇でしょ? 行こうよ?」と言って、雨の中頑張ってもらいました。この右側の子の顔が、冷たいこと冷たいこと……(笑) 「抑圧ってこのことか」という顔です。

岩松 『欲望という名の電車』のお金は、また単刀直入だったね(笑) これ、全部本物?

高橋 本物です。ちょうど100万円ですね。これも本当にいろいろ悩んだんですけど、「お金だろう」と思って。僕みたいにフリーで仕事をしていると、親はすごく心配をするんですね。リーマンショックとかあったし。このお金は、親が「困ったときに使いなさい」と言って封筒に入れてくれたお金です。

一回断ったんですよ。「いらない」と言って。でも僕も大人になったので、「ありがとう」と受けとるのが安心するのかな、と思って貰って、とりあえず写真撮っておこっかなって(笑) 撮って、ずっと放っておいた写真ですね。今回、「ああ、いい機会だ」と思って。

岩松 せっかくだから、本物だってわかるように、下のも2、3枚見せたかったね(笑)
『勝負の終わり』の写真は、すごいなと思いましたよ。

高橋 『勝負の終わり』は悩みましたね。文字だけ読む限りでは、絵のあるような内容ではないなと思っていて。多分これは何かが終っちゃった世界に違いないけど、それってどういうことだろう、と考えて、その分、夕日とかがもの凄く綺麗なんじゃないかと……。

岩松 なるほど。これはベケットの世界にかなり近いと思いますよ。

高橋 かなり不条理な物語ですよね。きっとノーマルじゃないことが起こっているに違いない、なんだろな、とずっと思っていて。何でも起こりうる、ということは、流れが反転して繋がっていくこともある、というところから1枚の写真を反転させてつなげているんですけど、やってみたら顔に見えてきた。怪獣にも見えるし。

岩松 見えるね。それに、コウモリ系のやつが飛んでいる風にも見えるね。

高橋 今回の8本で僕が一番好きだったのも『勝負の終わり』でした。こういうところに取り残されて、窓からしか外が見えない世界。

岩松 『勝負の終わり』は、車椅子に乗った男が、両親をドラム缶に詰めているという、とんでもないシチュエーションですよね。

高橋 かなり奇抜ですね。でも、僕らの世代って、ジュラシックパークだったり、ディズニーのアニメだったり、ジブリだったり、色んな物語や映像を浴びるように見てるので、そのくらいの方がいいのかもしれません。例えば、今僕が『マクベス』を読んで、「これって本当に悲劇なのかな?」と思ったりするんですけど、『勝負の終わり』くらい本当に見たことも聞いたこともないような世界だと、刺激がありますね。

岩松 『勝負の終わり』は、撮りたい作品の希望を聞いた時、誰も手を挙げなかったんじゃないかな? 高橋さんは希望してなかったでしょ?

高橋 確かに、「希望者がいなくて僕になりました」というメールをもらいました。

岩松 ベケットは人気がなかったんですよ。誰も○をつけてない。演劇をやってる人でも、ほとんど読まない本ですけどね。「ベケットってどういう人だろう?」と思って、やっと読むくらいだから。読んでも「よくわかんない」という反応がほとんどだし。
高橋さんは、『勝負の終わり』と『マクベス』と、あと『屋上庭園』で、戯曲が3本あったんですね。写真をやってる人って、そんなに活字を読んでなさそうですけど、どうですか?

高橋 僕は写真より小説の方が好きかもしれないですね。小説って、フィクションじゃないですか。フィクションの方が、共通することを掘り当てる感じがします。現実だと、その現実が何かの答えみたいなものになっちゃうけど、小説だと、受けとった側に答えが出来るというか。

岩松 そうだね。芝居もそうだし、演劇もそうだし、小説もそうだし、もしかしたら写真もそうかもしれないんだけど、自分の中で嘘を作るわけだからね。
だから例えばドキュメンタリー風の芝居を作ろうとしたとき、史実をずっと連ねていくだけでは、どうしても自分と関係ないものになってしまうから、そこに一個だけ嘘を入れようとする。それは自分の中から出てきたものだから、嘘なんだけど、自分にとっては本当なんだ、という風に、嘘と本当は結構逆転するんですよね。

だから、「作品は嘘だ」とは言いながら、「自分の中の何かが生んだもの」と考えると、逆に「作品が本当で、史実は嘘だ」という逆転したものになる。

だいたい、劇場の中でやる限り、外のシーンはまるで嘘ですからね。「家の外」に立ったところで、舞台の上に立っている限りは外じゃないわけだし。映画の場合は外に出て立つシーンは実際にそうすれば成立するんだけど、舞台の場合は、すごい極端なことを言うと、「家の中ではなく外に立つとはどういうことか」と考えないと成立しないところがあるんですよね。「お前ただ立ってるだけじゃねえか!」みたいな芝居もある(笑)

映画はそれでいいんですよ。「ただ立ってて。変なことすると、変になるから」みたいな。ところが演劇の場合は逆に、例えば「外に立ったときの感情になる」のが映画だとすると、「外に立ったときの感情」は舞台にはないから、外に立った時に人間の身体が受けるものを自分の中で再構成しなきゃいない。そんなことすごい緻密にやるわけじゃないんだけど、理屈で言うとそういうことになってる気がするんですね。

そういう風に、すごく本質的なところまで遡っていくのが演劇だから、実際問題、映画の役者は現場に来てその日に撮影出来るけど、舞台の役者はひと月くらい稽古をしないと成立しないものだし、稽古してないものを観ると客として腹が立つね。「どけ、お前!」って(笑)

高橋 例えば小説を映画化する場合、文字で読んでいる限りは現実感を感じる表現でも、映像化したら、ものすごく陳腐でおかしいものになることがありますよね。文字としてはすごく美しくて、雰囲気があって、物語としては入ってくるけど、いざ映像化しちゃうと、「お寒い」というか。それは小説としての表現コードみたいなものがあるからだと思っているのですが、舞台にも近いものがありますか?

岩松 『勝負の終わり』が面白いと言っていましたけど、やっぱり、わからないものに向かっていくという、基本的なアプローチがないと面白くないですよね。わかったものを説明していく作業をやられた日には、さっきの役者じゃないけど、「ちょっと退いててくれる?」ってことになると思うんですよ。完結して答えが出ちゃってるものに対しては、まったく興味を持たないし、緊張感もない。「どういうことなんだろう? わからない?」というものがないと。

でも、ただわからないのが面白いかというと、そういうわけでもないから、そこに謎と、その先を見てみたいとそそのかされる何かがあると思うんですよね。例えば、「ベケットの本を解読せよ」と言われても本当に難しいけど、ある印象とか、例えば今回のような写真の1枚を考えた時には、逆に広がりがある。

高橋 今日はひとつ、岩松さんに聞きたいことがあって来たんです。僕はシェイクスピアは今回の『マクベス』しか読んでないんですけど、岩松さんはシェイクスピアの舞台をやってみたいと思ったことはありますか?

岩松 あんまりないんですよ。『シェイクスピア・ソナタ』という本は書きましたけどね。あれは松本幸四郎さんから話をいただいたもので、松本さんはシェイクスピアの四大悲劇を実際自分で演じていて、「ついては岩松さん、シェイクスピアの四大悲劇をやった役者の話を書いてくれませんか」と言われて。最初、「僕、シェイクスピア、よく知らないんで」と言ったんですけど、「この際勉強するか」と思って書いたんです。

シェイクスピアや演劇についてもう少し話すと、16世紀から17世紀に活動したシェイクスピアに対して、19世紀末から20世紀にかけて作品を発表したチェーホフという人がいて、この人も、個人的な見解ですけど、偉い人なんですよ。

シェイクスピアの劇は、権力闘争があって、事件が次から次に起こって、というような万人にわかる話じゃないですか。ところが、チェーホフは事件がほとんど起こらない話を書いたんですね。自分が書く戯曲は限りなくチェーホフに近いと思っているんだけど、そうすると人からは「シェイクスピアはどうなの?」とよく言われます。

例えばシェイクスピアが「何かしないと始まらない」という演劇で、「世間の荒波に対して、人はどうやって動いていったか」を描いて大衆性を得ていったのだとすれば、チェーホフは「何もすることがない」という時間を演劇に変えた人だと思うんですよね。

簡単に言うと、今の時間に四畳半でぼーっとしてる学生もいれば、人殺しをした人も、同時にいる。そこでシェイクスピアはおおむね人殺しの方選んだんだけど、チェーホフは「明日良いことないかな」って言ってる人間の方を書いたんですよ。まあこれは、全部僕の解釈ですけど(笑)

つまり、「人というのは生きている限りにおいて、人を殺そうが、『つまんないな』と言おうが、一緒なんだ」とチェーホフはまず考えた。ところが「演劇は見世物だから、わかりやすく定義した方が良い」という演劇の流れが、チェーホフが出てくるまではあって。それに対して、「ちょっと待ってください」と。舞台の上だけが演劇じゃなくて、観てる観客も芝居じゃないんですか、という考え方をしたのがチェーホフのような気がするんですよね。

チェーホフの後は、今度はベケットという人が出てきて、「いやいや、どこを見たって一緒、死ぬも生きるも一緒」という演劇をやった。これはベケットの個人的な資質もあるかもしれないんだけど。シェイクスピアの劇は、言葉にすれば「人は死んでも生き返る」みたいな発想があるわけですよ。ところがチェーホフで、「人が一人死ぬことは大変なことだ」になって、ベケットになると「いや、死んでも生きても一緒」になった(笑) 自分は、そういう演劇の流れがあると思うんですよね。その中で自分に一番近いと思うのがチェーホフなんです。

例えば「演じる」ということに関していえば、「あの人は凄い演技が上手い」と言われる役者がいるじゃないですか。チェーホフの芝居は、「もしかしたら、芝居が出来ない人がやってもいいんじゃないか」と思わせることもあるんだけど、そこにはちょっとからくりがあって、「何もしないということは、逆に芝居が上手くないと出来ない」という理屈もあるわけですよ。シェイクスピアの劇なら素人がワーッとやっても通じるけど、例えば、黙って食事をしていて、何も起こらないで、「……ちょっと、そこの醤油とって」と言うセリフの面白さを出すには、役者が上手くないと駄目でしょ、やっぱり。色んな含みを持たせる力がないと。

高橋 普通に見えて、でも離れててもわかるような普通、ということですか。

岩松 「余計なことをするとマイナスなんだ」という理屈がこの人の中にないとね。シェイクスピアなら、余計なことをしても大丈夫なんだけど。だけど、シェイクスピアを無下に切り捨てることも出来なくて、セリフがあまりもカッコいいんですよね。「顔に血がついてるぞ」もそうだけど、『十二夜』の「そこにいるのは俺か?」というセリフもカッコいい。
『十二夜』は男と女の兄妹がいて、船が難波して、別れ別れになるんですよ。その後女の方は、ある王様みたいなのに、男の格好をして仕えてるんです。そして生き別れになった兄と、ある時ばったり遭遇するんですね。その時、兄のほうが、男装している妹に、「そこにいるのは俺か?」と言うわけよ。普通言わないじゃない(笑) チェーホフだったら、「……え?」ぐらいしか言わない。だけどそれをちゃんと言葉に代えて、ちゃんと意味を込めて、「そこにいるのは俺か?」というわかりやすさと、「わかりやすさ」と無下に切り捨てられないカッコよさね。『オセロー』の「剣を納めろ、夜露で錆びる」も、なかなか言えない。そういうカッコよさと、普遍的に人間が陥るストーリーラインがちゃんとあること。単純なんだけど非常に真実を得てるでしょ?

『マクベス』の「顔に血がついてるぞ」は、シェイクスピアのセリフの中ではスケールの小さな話なんですよ。それも、小声のセリフですよ。宴会場で、人殺しを頼んだ奴がもてなしをしていて、そこに仕事を終えて来た刺客に「おい、顔に血が付いてるぞ」と言うセリフだから、言ってみれば小振りなセリフですよね。そこに面白さを感じたんです。

一方で、チェーホフの芝居なんて、「この2人なんなの?」みたいな感じで始まるから、逆に難しいんじゃないかな。

高橋 チェーホフはどういう人だったんですか?

岩松 1904年に、ロシア革命の直前に亡くなった。最後、肺の療養に行ったドイツのホテルで死んだんですけど、死ぬ間際に「私は死ぬ」、ドイツ語で”Ich sterbe”と言ったそうです。本当かどうか知らないけど(笑)

その「私は死ぬ」も有名なんだけど、その前に、見舞いに来た奥さんに、「そういえばシャンパンをずいぶん飲んでいないな」と言ったらしいんですよ。作家のレイモンド・カーヴァーという人は、そのエピソードから、ホテルのボーイが夜中にシャンパンを買いに走らされる、『使い走り』という小説を書いてるんですよ。それを僕は、柴田元幸さんに教えてもらった。

そのエピソードは『夏ホテル』という、チェーホフが死んだホテルを舞台にした芝居を書いたときに使わせてもらいました。「夏ホテル」は南ドイツのバーデンワイラーという町にある、「ホテル・ゾンマー」というホテルで、そのホテルではチェーホフのシャンパンを買いに走ったボーイの子孫が訪ねてくる度に行なわれるお出迎えの式典があって、たまたまその日に居合わせた、日本から来たマジシャン一行がいて……、という話なんですけどね。重鎮が来るからと、マジシャン一行は泊まっていた部屋を空けなきゃいけなくなっちゃったり。

高橋 そういうのって、繋がっていくものだなって思いますね。チェーホフから刺激を受けたレイモンド・カーヴァーが小説を書いて、そこから岩松さんが戯曲を書いて、という風に。それって、すごく正しいことのような気がするんですよね。著作権がどうこうというのとは別に。

舞台って、再演はあまりしないんですか? 僕は今『夏ホテル』を観てみたいなと思っても戯曲を読むことしか出来ないんですけど、舞台と戯曲の違いは、どういうところがあるのでしょうか?

岩松 それは例えば、嫌いな役者が出てたら本の方がいいだろうしね(笑) 「役者が余計な芝居をするから、余計わかんないじゃないか。本を読んだ方がよっぽどわかるよ」ということが結構あるんですよ。本を読むと面白いんだけど、舞台がつまらないってことがね(笑)

逆ももちろんあって、本を読んでもわからなかったけど、舞台を観たらすごく面白かった、ということもある。でも、書く人間は上演を前提に書くので、書いたら上演、という段階を踏むんですけど、高橋さんみたいに外部者として接する時には、どっちがいいかは一概には言えない感じがしますね。

例えば『欲望という名の電車』の舞台は、僕は観てないんですよ。そうすると、自分なりの想像をしているわけです。だから実際に観たら、「俺の想像の方が面白いぞ」ということは、多分にあり得る。

高橋 例えば小説の映画化の話とか、よく出るじゃないですか。原作の方が良かったよね、みたいな。でも小説を先に見ちゃった時点で、初めて見る楽しみは味わえないので、両方をちゃんと並べては見れないですよね。

岩松 さっきの「嘘」の話じゃないけど、原作に対して自分なりにコンセプトを作ってやると「原作を壊している」と言われたりね。だから難しいですよね。そういう意味で本当に成功しているのは、例えば『浮雲』で、原作どおりに作っているのに、映画も面白い。

高橋 舞台をやったときに、「原作の方が良かった」というようなことを言われたこともあるんですか?

岩松 前にチェーホフの『かもめ』を、自分で翻訳してやったんですよ。その舞台のアンケートをチラッと見せてもらったら、その舞台は衣装も現代風にしてたんだけど、「19世紀ロシアの雰囲気を味わおうと思って来たのに……」と書かれたりした。そういう人にとっては「今、変に19世紀っぽくやっても仕方がないじゃない」という考えは、ほとんど敵対するじゃないですか。

高橋 そういうときは、どう思うんですか? 「てめー、このやろー」とか?

岩松 いやいや。そのときは「そういう人もいるんだ」と思うしかないですね。チェーホフの芝居は、「読んでもわからない」と言われることも多いけど、すごいクオリティが高いと思う。シェイクスピアは全部表で事柄がわかるように進むんだけど、チェーホフは水面下に隠れている問題が多いから。

チェーホフの芝居には、「人が話す言葉は、必ずしも本当のことではない」という前提があるんですよ。シェイクスピアは、「俺は嘘をついている」と言うから、「あ、この人、嘘ついてるんだ」と、ちゃんと記号としてわかる(笑)

だけどチェーホフの芝居は、「人は本当のことを喋らないよね」という前提があるような気がするんですよ。人は事情によって言葉を吐くんだ、というような。

例えば、結婚を申し込もうとする男が、「うちは生活が貧乏で、米代もかかるしどうのこうの……」と言うとするじゃないですか。でもそれは、「女の気を引くために自分の生活の窮状を訴えているだけかもしれない」という読み方も出来るわけで。だから、「弱気な男は自分の惨めさを見せて女の気を引こうとするんだ」という読み方をしないと面白くならない場合がある気がするんですね。

『かもめ』の出だしはまさにそういう場面で、「あなたはどうして黒い服なんですか?」「我が人生の喪服なの。私、不幸せな女だから」「いや〜、わかりませんね。だってあなた、生活に困らないし……」というような話から始まるんですよ。「我が人生の喪服なの」というのも、ある意味洒落たセリフなんだけど、男を見くびらないとなかなか言わないセリフじゃない? 「本当に好きな男には言わないだろ」という印象になっている。

だから、人間関係を想像しながら読まないと面白味が伝わっていかないような気がするんです。人間の取り巻かれている状況を想像する、というか。

もしかしたらチェーホフは、まったくまっさらで読むより、「こういう話だよ」とわかって読む方が面白いかもしれないですね。シェイクスピアは、そんなこと知らなくてもわかっていくけど。

●対談を終えて

文:高橋宗正

この仕事は、まず自分が興味を持ったことのない本を短期間に
グワっと読んだってことが楽しかったです。
シェイクスピアっていうのはこんなくだらない男の話を書いていたのか!
と身近に感じることができました。
その上で1冊に1枚、自分のイメージをつけるっていうのは
なんだか学生のころの課題を思い出して懐かしかったかったです。
テーマに対して一番しっくりくる写真を考えていくという、
やっていること自体は同じなのに、それが本になってお金も
もらえるんだから自分もなかなか成長したもんだと思いました。

岩松さんとはとてもダンディで会話もとても面白かったです。
あれ以来テレビで岩松さんをみる度、ぼくは画面に釘付けであります。


溜息に似た言葉─セリフで読み解く名作

溜息に似た言葉
著者●岩松了
写真●中村紋子、高橋宗正、インベカヲリ★、土屋文護、石井麻木
定価●2,200円+税
ISBN978-4-7808-0133-0 C0095
四六変型判 / 192ページ / 上製

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対談:岩松了×若手写真家 第1回●中村紋子/世間に対してどう立ち向かっていくか?

『溜息に似た言葉』とは?

溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
ただし、抜き出された言葉は、意味を重ねた数々の言葉よりも多くのことを伝える、ひとつの溜息に似た言葉──。

連載を単行本化するにあたって、岩松了が読み解いた40のセリフを、5人の写真家が各々8作品ずつ表現した写真も収録しました。
撮影後に岩松了と写真家が行なった対談は、対談の中で写真家が発した1つの言葉から描く人物エッセイ「写真家の言葉」として単行本に収録しましたが、ここでは劇作家・岩松了と若手写真家の生の言葉を掲載します。

第1回目、中村紋子との対談は、主に「人に見られるとはどういうことか/世間に対してどう立ち向かっていくか」。「演技をする/言葉を発する」とは、どういうことなんでしょうか?

溜息に似た言葉
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写真家●中村紋子

プロフィール

1979年、埼玉県生まれ。
2003年、東京工芸大学芸術学部写真学科卒。
2005年、東京工芸大学大学院メディアアート専攻写真領域卒。
Web:http://ayaconakamura.sub.jp

撮影した作品

「房子はまた風呂敷をさげてもどるんでしょうか」
─『山の音』川端康成/新潮文庫
不意の目覚めのひと言が、あなたの深層心理を表出させているとしたら?

「女って、お金をかけてくれる人がなくちゃ、綺麗にはならないもんなのね」
─『浮雲』林芙美子/新潮文庫
女にあっさりとこんな言葉吐かれたら、男はヘラヘラ笑うしかありません

「あたしちょっと散歩をしてきます」
─『死の棘』島尾敏雄/新潮文庫
無表情こそがケンカの王道。静かに勝利したくば「散歩に出る」と言うべし

「そんな笑いを浮かべちゃ、厭」
─『ある平凡』(『金輪際』より)車谷長吉/文春文庫
人が精神のみで生きてゆけるなら、とりあえず滑稽からは逃れられよう

「こんなに生きることの有難さを知った以上、それをいつまでも貪るつもりはございません」
─『豊饒の海(一)春の雪』三島由紀夫/新潮文庫
恋をして生活から遠く離れた言葉を吐くとき、あなたはだれかを救っている

「ねえ、私の顔、どう?」
─『秋風記』(『太宰治全集2』より)太宰治/ちくま文庫
自分の姿を客観的に見ることが出来ないしあわせを放棄する不しあわせ

「おい大変だ、伊藤さんが殺された」
─『』夏目漱石/岩波文庫
結婚して口をきかなくなったって、そんなこと……ふたりが賢いだけのこと

「真剣になるなら、自分ひとりでなりたいわ」
─『花のワルツ』川端康成/新潮文庫/絶版
この言葉に得心するあなたなら、私はあなたの人生に幸多かれと祈るだろう


対談●世間に対してどう立ち向かっていくか?

岩松 今回、小説全体を読んでる時間なんてなかったでしょ?

中村 いや、読みました! 高校以来の読書に明け暮れて、風呂の中でも、ご飯食べてるときでも、必死で読みました。最初は苦行になるかと思ったんですけど、川端康成の『山の音』から読み始めたら面白くて「あれっ」って。川端康成は『花のワルツ』も面白かったです。

岩松 この中で、小説として一番面白いと思ったのは川端康成ですか?

中村 続きを読む…