2009-01-24

お部屋1764/瀬戸弘幸とは 10・ルサンチマンとしての右翼活動

ここまでのおさらいです。

1719/瀬戸弘幸とは 1・「集団ストーカー被害者」との共振

1720/瀬戸弘幸とは 2・名乗らない癖

1721/瀬戸弘幸とは 3・オレ様ワールド

1723/瀬戸弘幸とは 4・誇大妄想と被害妄想

1724/瀬戸弘幸とは 5・誤字不感症

1725/瀬戸弘幸とは 6・事実の拒絶

1730/番外・3羽の雀とは

1739/瀬戸弘幸とは 7・全体像の不在

1740/瀬戸弘幸とは 8・陰謀論に走る人たち

1742/瀬戸弘幸とは 9・批判を受け入れない体質
 
 
エアフォースの「右翼を煽動した矢野穂積の虚偽説明シリーズ」は、矢野穂積という人間、瀬戸弘幸という人間、千葉英司という人間を実によく表現しています。必読です。

これを読めば、瀬戸弘幸が情報を見極める能力もなく踊らされるだけの滑稽きわまりない痴れ者であることがよくわかります。これを読まなくてもすでに知れ渡っていることですが。

チェックを入れておかないと、自分の愚かさに気づけない瀬戸弘幸とその周辺の人々はまた踊らされて、妄想をまき散らし、弱い者イジメに走りかねない。多くの人たちがそのチェック作業をやっているのですが、これまでのように毎日じゃなくとも、私も時折はやっていかなきゃいけないと改めて思った次第。

突っ込みどころが多すぎて、どこから話を始めていいのかわからないのですが、最新のエントリーからいきますか。

1月24日付け「米国の復活はなるか?」で、瀬戸弘幸は「チャールズ・シュワツブ」という人物のことを取り上げてます。これは「シュワブ」あるいは「シュワッブ」のことでしょう。

瀬戸弘幸は昭和6年の本の表記「シユワツブ」を見て、中途半端に「シュワツブ」と読んだようです。伝記ものを読み漁ったと書いてますが、戦前の本を読み慣れていないとしか思えません。

誤解している人たちがよくいますが、歴史的仮名遣いにおいて、「シユワツブ」という表記が正しく、「シュワッブ」は間違いというわけではありません。

片仮名先習の時代、尋常小学校の教科書は片仮名から始まります。それを見ると、拗音や促音を小文字にしています。「持ツタ」ではなく、「持ッタ」と小文字で書かれているわけです(ネットでは、このような日本語の小さな文字を「小文字」というのは間違いとしているものがありますが、国語学者でも「小文字」を使用しているので、ここでも「小文字」を使用します)。

しかし、学年が進むと、「持つた」となります。どっちでも間違いではないのです。「なぜふたつの表記が併用されていたのか」については、かつて「マツワル」で詳しく見ていったことがあるのですが、長くなるので割愛するとして、国語調査会の方針を見ると、「正しくは”持った”、しかし、“持つた”でもいい」ってことだったようです。歴史的仮名遣いの必然として、小文字を使わなかったわけではないのです。その証拠に、戦前でも、本のタイトルや広告では小文字を使用しているものが多数あります。

今の時代に歴史的仮名遣いをする人たちの中には、わざわさ「持つた」「言つた」と小文字を使わない人たちがいますが、これは「なぜ戦前、小文字を使わない印刷物が多かったのか」の事情を考えたことがないためであって、郷愁以外の意味はありません。

古い時代の活字は、今見ると、バランスが悪く感じられることがあって、おそらく瀬戸弘幸は「シユワツブ」とあるのを「シュワツブ」と書いているように読んだのでしょう。だったら、「シュワッブ」であると気づけばいいようなものですが、言語感覚の鈍い瀬戸弘幸は、気づけないのですね。

外国語をどう発音し、どう表記するのも勝手ではあるのですが、瀬戸弘幸は「シュワツブ」という稀な表記で検索したために、【この人物をネットで検索したら残念ながら一つしか見つかりませんでした】なんて結果になってしまったわけです。

残念なのはご自分の知識や思考力があまりに乏しいことだと早く気づいた方がよろしいでしょう。

証券会社の名前などに残っているためでもあるのですが、「シュワブ」でググると6万件、「チャールズ・シュワブ」で8千件近く、「チャールズ・シュワッブ」で1230件ひっかかります。歴史的仮名遣いをよくわかっていない人が昭和6年の本を読むまでもなく、ネットで調べれば済むことです。

チャールズ・シュワブは日本版のウィキペディアには出てないですが、アメリカ版には当然出ています。ベストセラーになった『金持ち父さん・貧乏父さん』にも出ているそうですよ。

いつものように、ネットを使っても、この程度のことさえ調べられない瀬戸弘幸なのでした。能力、低すぎ。道具が悪いのでなく、使用する側に問題があります。

ここまで何度か瀬戸弘幸が書くことの幼稚さを指摘してきました。一般論としては、勘違い、書き間違いをあげつらうことはあまり褒められたものではないわけですが、すでに書いたように、瀬戸弘幸やその周辺の人たちが、こうも誤りを乱発することには彼ら特有の理由があるのだと思っています。これについては「 1724/瀬戸弘幸とは 5・誤字不感症 」でも書いた通り。

単なる間違いなら批判しようとは思わないですが、彼らは、しばしばそれを根拠に他者を批判します。資料を読まずに、洋品店に対する嫌がらせまでする。無能であるだけなら放置すればいいのですが、行動する無能者はタチが悪い。

自分らが日本語を破壊し続けているにもかかわらず、外国人受け入れに対しては「日本語の消滅の危機」なんてことも言います。だったら、日本語をまともに使えないてめえらはとっとと日本から出ていけよ。彼らの論理から言えばそういうことになってしまいましょう。

「草の根」も同じですが、なぜ彼らはこうも自分を棚上げできるのか。すでに書いたように、彼らには「客観」という視点が欠落しているのだと思われます。すべての基準は「オレ様」です。他人がやったら許さないが、自分がやるのはいいってことになっている。

この特性ついてはもんさんが「めくるめく集団ストーカー被害者の世界にようこそ 出張所」で指摘していてます。

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ところで「反日議員を落選させる会」。これは秀逸です。万年落選の瀬戸さんたちがやってるわけですから。カンパとして座布団を送りたい気分です。こういうセンスは真似の出来るものではありません。
あなたは圧倒されるようなデブのセールスマンが「私も試したオススメの方法」とダイエット食品を売りに来たら買います? ツルピカ禿丸君が育毛シャンプーを売りに来たら買います?

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政治家になろうなんてことを思っていない有権者がこの運動をやるのはいいとして、いやしくも選挙に出たことのある人がこれをやるのは確かに滑稽。他人のことをとやかく言う前に、自分自身、政治家にふさわしい言動をやってはどうなのか。

しかし、彼らの行動原理を考えれば、これはいたって自然なことです。負け犬が「なぜ自分は負け続けているのか」について考えることなく、それを克服しようともせず、勝っている人たちの足を引っ張る。それがこの人たちの「右翼活動」です。

彼らの言う「憂国」「愛国」なるものの本質はルサンチマンでしかありません

もんさんはこんな指摘もしています。

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松沢呉一さんに対する妙に卑屈な態度から、私は瀬戸センセーが文化人的スタンスに憧れを持っているのではないか、と感じています。鈴木邦男さんみたいな位置を目指しているのかもしれない。
でも、それも無理でしょう。根拠すらない完全な妄想で一般人を攻撃してしまった連中を詭弁にもならぬ言質で擁護する人物を文化人として支持信奉するメンタリティは日本人には無い。
瀬戸センセーが東村山事件以降、全く関係ない立場の人たちから袋叩きにされたのは何よりの証拠です。そして、それらの批判を創価の工作員と言いつのる姿で再び失笑の渦。ナノゼリーの経過同様のものでした。一言で言うなら、日本人が嫌う卑怯者の姿をここでも晒け出したわけです。

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なるほどね。目指すは鈴木邦男か。考え方はともあれ、面識のある人間がマスコミで活躍するのを見て、身の程知らずの瀬戸弘幸は自分もああなれると誤解したのでしょう。

瀬戸弘幸が鈴木邦男になれなかったのは、能力がないためですが、冷静に自分を見ることのできない瀬戸弘幸は、これをマスコミ批判につなげることで、その現実を直視しないようにしているのでしょう。「オレ様が悪いのでなく、マスコミが悪い」ってわけです。

こう考えれば、マスコミ批判をしながら、都合のいい記事については無批判に新聞や雑誌を丸写しすることの意味、実質が伴わないのに「ジャーナリスト」と自称する意味、記者クラブに属していることをことさらに誇る意味、読売新聞が発行した人名録に掲載されたことをいつまでも語ろうとすることの意味もよくわかります。コンプレックス丸出しの権威主義者である瀬戸弘幸は、実のところ、マスコミの端っこに入れたことが嬉しくてしょうがない。

よく考えていただきたい。的確なメディア批判をやれば、執筆を依頼するメディアが出て来るでしょうが、瀬戸弘幸程度のメディア批判をいくらやったところで、瀬戸弘幸は自分の理想には近づけない。なにしろ「シュワツブ」で検索して1件しかひっかからないと書いてしまうような人間です。このレベルでメディア批判をしようとも、調べることもできず、考えることもできない特性はなんら変わらず、どこまでもバカ右翼です。

反日議員とやらが落選したところで、瀬戸弘幸が国会議員になれる日は来ないのです。今から福島に帰って地道に農業をやって信望を得れば、30年後に市会議員に当選することはあるかもしれないですが。

クロダイさんが「 雑誌の取材がきたぞ〜ぃ 」と、「国際グラフ」の取材を受けたことの喜びをバッカみたいに書いたのも同じことでしょう。自分を認めてくれる媒体にはなんら疑いを持たずに金まで払ってインタビューを受ける。

ネットで検索すればどういう媒体なのか、すぐにわかるのに、「取材したい」の一言で舞い上がってしまって金を払い、それをブログに書いて恥をさらす。「国際グラフ」にとっては理想的なお客です。

行政書士もいろいろで、同じ行政書士がこう書いてます

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取材などこちらからお金(宣伝費)を払って来てもらうようなモノなら、
却って恥ずかしいだけですから。

何しろ既にネームバリューを勝ち取っている企業、
ブランドにはこの雑誌の取材はありえないでしょう。
「国際グラフに取材されました!」などとHPに喧伝したり
会う人ごとにその雑誌を謹呈したら笑われるだけです。

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事実、クロダイさんは笑われるだけでした。

自分の思い通りにならないのは、社会が悪いのではなく、マスコミが悪いわけでもなく、まして、中国人や韓国人のせいではなく、自分らの能力がないためです。そろそろこの厳然たる事実と向かい合って、それを克服するための努力をした方がいいと思います。じゃないと、同様のルサンチマンを抱えた連中か、「集団ストーカー被害者」しか残らないですぜ。すでに残ってないわけですが。
 
 
追記:さっき見たら、もんさんも「ショワツブ」の件を書いてました

そりゃ、普通気づくべ。でも、ご本人はまだ気づいてないようです。早く直した方がいいのに。【愛読者は澤田謙という戦前の作家です】という文章も直した方がいいし。

このエントリへの反応

  1. 歴史的仮名遣いに慣れてなくても、1件しかなかったらおかしいな?と気づくでしょう。そしたら小さい文字で入れてみるまではすぐそこです。
    だいたいカタカナ通りに自分で発音してみたら「シュワッブ」よりも言いにくい。
    アマゾンで買い物をしたりウィキで検索したことことのある人ならすぐ気づきます。
    「応用」の問題であって、それがまるで効かない、というのも「メタ視力」の表れでしょう。
    選挙などというものは、まさしく自己評価なんてクソの役にも立たないですしね。

  2. [...] もし私がヤクザだったら、右翼団体にでも金を渡して騒いでもらうでしょうね。住民や商店に嫌がられようとも知ったことではありません。シノギのためです。あくまで「私がヤクザだったら」という仮定の話であり、現実にそうだと言っているわけではないですから、誤解なきように。 さて、前回の「1764/瀬戸弘幸とは 10・ルサンチマンとしての右翼活動」に対して、なめぴょんさんが、コメントを書いてくれていて、これを踏まえて、補足を書いておきます。 [...]

  3. [...] 以前簡単に書いてますが、戦前、拗音や促音を小文字にしていない文章が多いのは活字の都合でしかない。その証拠に、小文字を使用している例はしばしば見られ、ある時期から、国語辞典でも小文字を使用しているものが主流になります。つまり、便宜上、「どっちを使ってもいい」ということになっていて、歴史的仮名遣いの必然として「もつとも」が正しいわけではありません。 [...]

  4. [...] 「唐沢俊一 検証blog」「トンデモない一行知識の世界」をやっている方々に対して、「よくもああも見つけるな」「よくもああも続くな」と感心していたのですが、得意分野であれば、私もP&Gを大量に見つけられそうです。パクリはともかく、ミスに関しては、私もそうは人のことを批判できる立場ではないので、ほどほどにしておきます。     注:「1764/瀬戸弘幸とは-10」「1814/際限なく広がる瀬戸妄想」に書いた「戦前、拗音・促音が小文字ではなかったのは、歴史的仮名遣いの必然ではない」という話はこういったところでも確認することができます。 [...]