2008-12-08
お部屋1730/3羽の雀とは
お知らせ1:メルマガ「マツワル」の購読者募集は終了しました。次回は3月を予定しています。
お知らせ2:新刊『風俗お作法』(しょういん)が一部書店で大変好調です。お近くの書店にない場合は取り寄せするか、アマゾンでご購入ください。この影響で、「風俗ゼミナール」シリーズの「女の子編」がアマゾンでまた動いているようです。在庫は少なく、こちらはこれ以上、増刷はされないと思いますので、お早めに。
お知らせ3:私も企画に関わっているDVD「嗚呼、涙のハードコアお笑い劇場」(大洋図書)が先日が発売になりました。こちらも書店流通で、アマゾンでも取り扱い中です。
お知らせ4:品切れになっていた書店もあるかと思いますが、『エロ街道をゆく』の4刷が決定しました。私の文庫では『魔羅の肖像』に続く好成績です。どっちかといえば、売れてないものが売れてくれた方がいいんですけど、この際、なんでもいいです。
突如勃発した「チンコ論争」については、「ベーナスの研究」と併せて長文を書いています。この一文によって、「ベーナス」という言葉が、日本の方言学研究にとって、いかに重要な意味をもつのか、皆様にも理解していただけるかと存じます。なおかつ、チンコ研究者として知られ、つい数時間前にも、四人の女性らと、立派なチンコを鑑賞していた私が、こう見えていかにTPOをわきまえているのかがイヤでも伝わるでしょう。チンコなんて言葉を無闇に書いてはいけません。
しかし、話が進まなくなっているので、「瀬戸弘幸とは」シリーズを先に出しておきます。
ここまでの話とつながる内容で、なおかつこのあとの展開ともつながる内容なのですが、これまた長くなったため、半分は次回に回したら、3羽の雀さんが中心の話になってしまいました。今回は「瀬戸弘幸とは」シリーズの番外とします。今回も私が何を言いたいのか、わからない人、わかりにくい人がいるかと思います。飛ばしてください。
なお、年末進行で忙しいため、このあと数日、更新が滞りそうです。
知り合いの出版関係者には、「3羽の雀はどこの誰か」との興味を抱いている人、「あの人はすごいね」と評価している人がいます。たしかに彼の能力は高いです。
内輪で褒めるこのはみっともないですが、内輪と言っても、3羽の雀さんとは一度も会ったことがない。実は会っているのかもしれず(エルドラドの待合室で)、あるいは、メールのやりとりをしたことのある人物ではないかと私は疑っていたりもするのですが、3羽の雀さんがどこの誰か知らないです。
「仲間」と呼べるほどの親密な仲だったら褒めにくいですが、現にそうではないので、ここは遠慮なく褒めておくとします。
3羽の雀さんの情報整理能力には定評があって、整理能力のない私は常々感心しています。情報処理能力が高いってことは、さまざまな立場からの情報を照らし合わせ、検証する能力があるってことです。
実際、東村山で起きたこと、起きていることは非常に込み入ってますから、理解しようと思っても十分に理解できない人たちがたくさんいそうです。私だって調べ直さないとわからないことが多々あります。
入ってきた複数の立場からの複数の情報を整理してアウトプットするためには、また、どこがどうおかしいかを指摘するためには、全体像を把握しなければならず、その中で、個別の事象の位置関係を把握する必要があります。おそらく3羽の雀さんは、すでに書いた「視点を置き換える能力」「複数の視点から見る能力」「俯瞰する能力」に秀でているのだと思われます。
位置関係をどうつなげて見渡すかにおいて、その方法や能力は個人差が大いにあって、これは空間の把握能力と似ているところがあります(空間を把握する能力と、それ以外の事象を把握する能力が一致するというのでなく、そのありようが似ているという意味です)。
空間把握能力についても「マツワル」で証言を集めまくったことがありまして、その方法と程度には驚くほどの個人差があります。
誰もができるし、現に日常的にやっているのは言語的な理解です。
「今どこ?」
「新宿二丁目」
「また遊んでいるのか」
このように、住所を聞いて、その街の特性を知識や体験から理解します。また、しばしばその住所から位置をも知るわけですが、ここでは必ずしも地理的な位置を正確にわかっている必要はなく、過去の体験から、「電車で30分だな」「新幹線で行ったな」「日帰りじゃ無理だな」といったことが理解できます。
続いて、ふたつの場所を地理的にどう関係づけるかについては、大いに差が生じます。人に道を教える時に「駅を出て右に行ってください」と説明するのか、「駅を出て南に行ってください」と説明するのかで大きく二派に分かれます。前者は相対的な基準、後者は絶対的な基準で位置関係を把握している。
ここは環境に影響されるところがあって、先日乗ったタクシーの運転手は「関西からのお客さんは南北で指示するので戸惑う」という話をしてました。大阪はキタとミナミで市内を大きく区分します。京都は碁盤の目であることに加えて、山が絶対的な基準になっていることもあって、東西南北の感覚が強いわけです。
対して東京は、「下町」「山の手」と、東西で大きく分けることはあっても、目印になる山がなく、一部の地域を除き、「海側」という感覚も薄い。そのため、東西南北の絶対的な基準で指示することが少ない環境にあります。
そんな環境にもかかわらず、絶対的な基準を使いたがる人たちの中には、精緻な方向感覚をもっており、それによって自分の位置を常に正確に把握できている人たちがいます。
今まで二名のとてつもない能力者を発見していて(一人は東京に住んでいるわけではないですが)、この二人は、方角を常に当てられます。初めて行った場所でもどちらが北か言えるのです。
この二人はタイプが違っていて、一人は意識せずにこれができます。その話は以前本人から聞いていて、ある時、そのことを言わずに車に乗せて、彼女が行ったことのない場所の建物の中で、「北は?」と聞いたら、見事に当たりました。
昼間であれば山や建造物が目印になりますし、太陽の位置で方角を知ることもできますが(太陽で自分の位置を確認している人たちが現にいます)、この時は夜で、しかも、窓があるとは言え、建物の中です。
本人もそれができる理由はわかっておらず、私もその理由が今にいたるまでわからない。「地図を読める/読めない」とは別の能力です。
もう一人は常に頭の中に地図があるタイプで、こちらはまだしも理解しやすい。彼はどんなところにいても、その地図上のどこに自分がいるのかを意識せずとも意識している。行き慣れている場所では多くの人が方角を意識できているわけですが、彼は初めての場所でも、一度方角を認識すると、微妙に道が曲がったり、建物の中に入って階段やエレベーターを使ってもなお頭の中の地図上をきれいに自分が移動していくので、方角がほとんど狂わないのです。
当然道には迷いにくいのですが、この彼が面白いのは、頭の中に地図が作りにくい場所、目印がない場所で、方位磁石がないと自分の居場所がわからなくなって不安になることです。絶対音感の人が、わずかに音がズレるだけで気分が悪くなるようなものです。いいことばかりではありませんね。
こういう人たちもいるかと思えば、方角をまったく意識せず、意識しようとしても意識できない人たちもいます。頭の中に地図が作れず、俯瞰で自分の存在を把握することがない。方角というもの自体、ほとんど把握しておらず、家や職場にいても、東西南北がわからない。
点と点のつながりはわかってますから、移動することはできるのですが、三つの場所の関係を正しく地図上に落とし込むことができない。電車の路線図くらいは頭に入ってますので、渋谷と新宿と池袋の位置くらいはわかっているとして。
これと同じく、人、事物、事象をどう把握するのかについては、能力、方法ともに個人差があります。
人の関係で言えば、俯瞰力の弱い人たちは、人間関係が錯綜していることを理解しにくいようです。自分を中心とした放射線状に理解しているか、グループがそれぞれに点在しているとしか理解できない。だから、属性への執着が強く、「敵/味方」「右翼/左翼」というわかりやすい二元論を持ち込むことで「自分と他者」を理解できたような気になれる。人間の存在、人間の関係はもっと複雑なんですけど、複雑であることの実感が得られないわけです。
もちろん、対象の性質にもよりますが、「デタおた」には表やグラフで全体像をつかもうとするタイプが多いでしょう。全体の中で、その対象がどこに位置づけられるのかを数字で見極めないと納得できない。私もそうです。私の場合は、言語的な抽象力が弱いために、このような基準で全体像を把握したがるのだと自覚してます。
チャートみたいなものや集合図で全体をつかもうとする人もいます。あくまでもこれはイメージの話ですが、実際にそういったものを描かないと理解ができにくい人もいます。ちなみに私は図形的に理解する場合は、集合図やチャートよりも、階層の図を作りがちです。条件の違いをフロアで区別する。もちろん、これも対象の質によりけりではありますが、これを好むのは、やはり抽象力が弱いためだろうと思ってます。現実的なものに置き換えないと理解しにくいのです。
3羽の雀さんはどういう方法によってああも全体像をきれいに見渡し、その中で個別の事象がどこに位置しているのかを把握し、複数の事象の関係を位置づけているのか、以前から興味があります(これがまた意識しにくく、言語化しにくいため、じっくり話を聞いていかないとわからないのですが)。
3羽の雀さんの視点の移動能力は、「内部告発」とやらに対して、いち早く内部告発者の立場から見た時の不自然さを指摘していた時にも感じました(「続・『賞金一千万』の謎」参照)。
言われてみれば当たりまえのことなのですが、「内部告発があった」という時に、すぐに「告発者」の立場から検証し直す発想は出てきそうで出てこないものです。この時は誰もここに続かず、私も感心しつつ出遅れてしまったのですが、この視点からの指摘が他の人たちからも出てくるようになったのは、2ヶ月くらいしてからです。
この視点がある人なら、自分のところに不自然な「内部告発」とやらがあった時に、疑うと思うんですよね。疑わなくても、「『草の根』にはもう言いましたか」「なぜ私をその対象にしたのですか」「国会議員には言わないのですか」「創価学会に批判的なマスコミもあるのに、なぜそこには言わないのですか」くらいは聞くでしょう。私もここが知りたくなると思います。
ある条件の元では、これを聞かないこともあり得て、瀬戸弘幸の場合もその条件が整っていた可能性があると想像するのですが、最初っからこのような視点が欠落している可能性もあるので、ここはなんとも言いようがない。
このような視点がない人たちは、物事を見極めていく場合に、決定的な欠陥を露呈させます。これについては次回。
さて、P2Cさんの公開質問の回答期限がいよいよ迫ってきました。瀬戸弘幸がこれにどう答えるのか楽しみで楽しみで。答えないと思いますが、それはそれで楽しみで楽しみで。
松沢様初めまして。いつも楽しく読ませていただいています。
が、しかし今回ばかりは松沢さんに苦言を呈したい!!!!
「たしかに彼の能力は高いです。」と松沢さんは書かれていますが、
3羽の雀さんが男性であるという「100%の確証」はあるのですか!!!
もしかしたら3羽の雀さんは、
「スカトロプレイ好きな29歳の人妻(3歳男児と1歳女児の母)」
かも知れないじゃないですか!!!!!!
確たる証拠もなしに男性であると決めつけるとは、
松沢さんは男根秘密結社の工作員であると思わざるを得ません!!!!
説明をお願いしたい!!!!!!!!!
こんにちは、朝早くから近所の痴話げんかの声で起こされてベーナスな気分のpipiです。
さて下記の箇所
>「仲間」と呼べるほどの親密な仲だったら褒めにくいですが、現にそうではないので~
もし、瀬戸界隈の方々が読んでいても信じないと思います。
「あの文章は我々を騙す為の偽装文だ!!!!!!(!多め)」
とか考えているんだろうなぁ、と考える私は、瀬戸氏の虜なのかもしれません。
>P2Cさんの公開質問の回答期限
瀬戸氏からは絶対、真っ当な返事は無いと、私も思います。
なぜならば、敵の質問に答えることは敵を利する行為にほかならない、と、本気で考えていそうだからです。(敵味方だけってってどんな発想だと・・・)
かれこれ、瀬戸西村桜井界隈の暴走から三ヶ月「俺達訴えられないもーん」と言っていた方々のうち2名が訴えられました。
これからも続々訴えられそうな予感がします今日この頃です。
ああ彼等の将来をかんがえると・・とってもベーナスな気分となった所で筆をおきます。
拙文失礼しました。
>tmさま
「見た目の情報がない時に、その人が男か女かを決めるのか、決めないのか」というテーマはかなり面倒ですが、「彼・彼女」と性別を決定せざるを得ないように言葉ができている以上、なんらかの根拠で決定するしかないという判断はあっていいでしょう。
言葉の問題以前に、私らは、相手の属性を仮定することによって、その人物を位置づけていき、のちに調整していくという認識法をとっているため、「とりあえずどちらかに分類しておく」という行為を否定することは難しく、その場合の最大の根拠は自己申告です。
はっきりと性別を書いていないとしても、また、現実にどうかは別にしても、本人がどう自分を設定しているのか。
「スカトロプレイ好きな29歳の人妻(3歳男児と1歳女児の母)」がエルドラドの客になり得るかということを考えた時に、3羽の雀さんは、男であるという設定をしていることが想像できます。自己申告がそうなっているのですから、これを否定する根拠がない限り、ここに従うのが礼儀です。
数日前にも、取材で会ったエルドラドの女の子と「どうしてスカマニアは圧倒的に男か」という話をしていたところです。彼女自身、浣腸されることは好きでも、フェティッシュなスカではないのです(ピュアなスカマニアは浣腸を嫌うため、店でこの欲求は満たされない)。
スカ好きな女の子でも、異性との性的な関係にはならない傾向があって、わざわざ金を出して店に行くという行動にはなりにくい。仮にそういうのがいたとしたら、「だったら、うちで働かない?」とエルドのママである徳井さんは言うでしょうし。
以上のことから、スカ好きで、エルドラドに客として行ったことがあるという設定をしている人物を男とすることは合理的な理由があるのです。
>pipiさま
すでに私は彼らとのコミュニケーションは不可能と判断していますので、不可能を前提にして、どう彼らの暴走をセーブしていくか、ってことでしょう。
そう考えると、もっともっと彼らの妄想をかきたてることを書いて、暴走させて自壊を待った方がいいのかも。
wikiご紹介ありがとうございました。
書き始めてからPCが不調で、やはり工作員の妨害を懸念している
わけですが、ついにブート不能。マザーボード交換となりそうな
按配です。しかも保証期間切れ1ケ月後。敵の工作員は芸が細かいw
そろそろホスゲンを撒かれる頃なのかもしれません。
ところで空間認識ですが面白い話があります。私は「コ」の業界
の人間なのでPGさんやらSEさんやらとお付き合いがありますが、
群を抜いて優秀なPGさんは奇妙に方向音痴の割合が高いようです。
もう病的な人すらいました。記憶力や分析力は完璧なのに、乗って
きた地下鉄の駅に行くまでに迷ってしまう。実に不思議です。
もちろん、皆さんは道に迷ってアタフタする意外は実に優秀な社会
人として周囲の尊敬を集める方たち。アホウでは無いのです。
たまたま私の周囲だけなんでしょうかねぇ?
こちらにコメントするのは初めてですが、ほめていただいたことにブログで長々反応するのも何ですので、こちらでこっそりとお礼を申し上げておきます。
松沢さんとは、「エルドラド」の待合室かどこかですれ違ったことはあるかもしれませんが、直接の接触はないんじゃないかと。友達の友達はアル・カーイダという感じですかね。ちょっと古いですね。
なお私の性別は男という設定でいいですよ。
>もんさま
こういう話は意識されにくいがために、意識すると面白いですよね。
「空間認識」と「事物、事象、人物に対する認識」が関係しているのではないかとの指摘は、私が一目置いているtpknという人物がネットで書いていたことでありまして、そこから、「メタ視力」という考え方が出てきて、この両者がどう関係しているのかについて、「マツワル」でずっと論じていたのですが、結局のところ、「よくわからん」としか言えないです。
いずれも優れている人がいるのですが、もんさんが書いているように、いずれかがひどく劣って、いずれかが優れている人もいて、当然どっちも劣っている人もいます。
いずれかが劣り、いずれかが優れている場合は補完関係にあるとも言えて、これも「関係がある」ということの例になるかもしれない。それを含めて、なにかしらの関係があると私には思えていたりもするのですが、後者の能力を数値にし、認識の方法を分類する手段が今のところ見当たらないため、比較検討することができないのであります。
したがって、両者は文化の差、個人の差が大きくある点において、「ありようが似ている」ということでしかありません。ここに書いたのもその範囲です。前者に比して、後者は「認識方法には個人差があり、能力差もある」ということが意識されないため、空間認識を持ち込むことによって、まずは、それを意識していただくしかない。
両者の関係に踏み込むと大変なので、ここでは「認識方法には個人差があり、能力差もある」というところを押さえておいていただければよろしいかと。
>3羽の雀さま
プログで書き合うことはあっても、掲示板などで対話したことさえないので、初めましてってことになるのでしょうかね。
「AMUS」は面識のないバラバラの個人と見せかける計画はスタートしたばかりなので、次はどうしたらいいのか、全員で魚民に集まって打ち合わせしましょう。また、いらんことを書いてしまった。
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