2008-12-18

お部屋1739/瀬戸弘幸とは 7・全体像の不在

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お知らせ2:私も企画に関わっているDVD「嗚呼、涙のハードコアお笑い劇場」(大洋図書)が先日が発売になりました。こちらも書店流通で、アマゾンでも取り扱い中です。
 
お知らせ3:品切れになっていた書店もあるかと思いますが、『エロ街道をゆく』の4刷が決定しました。私の文庫では『魔羅の肖像』に続く好成績です。売れてないものが売れてくれた方がいいんですけど、この際、なんでもいいです。

 
 
 
間があいてしまったので、ここまでのおさらいです。

1719/瀬戸弘幸とは 1・「集団ストーカー被害者」との共振

1720/瀬戸弘幸とは 2・名乗らない癖

1721/瀬戸弘幸とは 3・オレ様ワールド

1723/瀬戸弘幸とは 4・誇大妄想と被害妄想

1724/瀬戸弘幸とは 5・誤字不感症

1725/瀬戸弘幸とは 6・事実の拒絶

1730/番外・3羽の雀とは

これらを通して読んでいただければおわかりのように、瀬戸弘幸とその周辺の人々、そして、それを支持する人々には共通した欠陥があります。同じような発想しかできない人たちだから、共感し、寄り集まることができるのでしょう。

第三者から見れば異常な人たちでしかない「集団ストーカー被害者」たちがネットワークを作り、時には行動をともにすることができるのと同じです。

あっちグループには、宇留嶋さん3羽の雀さん荒井さんらに匹敵する能力をもった人が一人としていない。「なんとかの会代表」などど名乗っている偉そうな人たちがわんさかいるのに。そんな意味のない「ごっこ」の会を名乗る前に、少しは頭を使ってはどうか。「なんとか会」なんてもんは単なるハッタリに過ぎないってことなんでしょうね。

かつてはもっとマシな人がいたのかもしれないですが、そういう人たちはすでに消えたのでしょう。賢明な人間であれば、瀬戸弘幸の言うことをいまなお信じるなんてことは考えにくいですから。

「日本よ何処へ」12月13日のエントリー「公明党の後ろにはカルト集団 」ではなおこんなことを書いてます。

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 東村山元市議の朝木明代さんが、創価学会を同じように社会悪として糾弾していた最中に、万引き冤罪事件をデッチ上げられ、そしてビルの上から突き落とされて亡くなりました。

 今から13年前のことでした。多くの国民の記憶から消え去ろうとしていた今年、我々がこの事件を取り上げ再びこの事件への関心が高まりました。しかし、まだまだそれは大きなうねりとはなっていません。

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瀬戸弘幸によって関心が少しは高まったこと自体は事実。その結果、あいまいに「他殺説」を信じてきた人でも、これがデマであることに気づいたことは瀬戸弘幸のおかげです。自分自身の評価をどん底にまで落とし、笑いの対象になってまで、これをやってくれた瀬戸弘幸には感謝しなければならないのかもしれません。

しかし、「万引きがでっち上げられた」「替え玉を使った」「アリバイがあった」「レストランもグルだった」「警察もグルだった」という主張をするのなら、それをつなげる全体像を矛盾なく組み立てる必要があります。じゃないと、それぞれの主張の意味もわからないし、検証もできない。

その作業は私が代わりにやってあげたわけですが(「1277/今日のマツワル37」「1667/バカ組織再び」)、自分らの主張を成立させる全体像を組み立てる人が、あっちグループに誰もいない。このことをやる人がいないことをおかしいとも思えない人間しか残っていないのです。

バラバラの点を線として統合していくと、彼らの主張は成立しなくなるとしか思えず、だからこそ、私は他殺は考えにくいと『東村山の闇』を読んだ当初から感じていたわけですが、そこに矛盾を感じず、願望に沿う点を探し出し、それらの点をバラバラのままで主張を押し通そうとするのが「草の根」であり、瀬戸弘幸であり、それを支持する人たちです。

では、ちょっと視点を退いた時に見えてくるはずの矛盾のほんの一部を見ていきましょう。

洋品店がグルだったというのなら、どうして替え玉をわざわざ使う必要があるのか。替え玉を使ったというのなら、洋品店はまったく無関係であったと考えるべきではないのか。

洋品店がグルだったとしても替え玉を立てた方が証言がよりリアルになるというのであれば、目撃者までを疑うのはなぜか。目撃者は第三者であった方がいいのではないか。

本当に矢野・朝木がレストランに行っていたのであれば、なぜレストランの人が覚えていないのか。レストランもグルだったというなら、どうやって市役所から距離のある、そのレストランに矢野穂積・朝木明代を誘導したのか。どうして彼らは店員の顔も、自分らが食事をした席も覚えていないのか。

そこまでのことをやって万引き事件で追い込んだのに、どうして殺さなければならなかったのか。警察も検察も裁判官もグルだったのであれば、朝木明代を確実に有罪にすることができるのに、なぜそれを待たなかったのか。

「人通りがあり、交番からだって見えかねないビルにどうやって朝木明代を拉致したのか」という批判が出てきたために、「トランクに入れた」なんてことまで言い出している呆れた御仁がいますが、大の大人をトランクに入れるは大変ですよ。そこに入れられようとする時に、どうして朝木明代は抵抗しなかったのでしょうか。薬物でも使ったのでしょうか。トランクで運んだら体中に痕が残るでしょうが、どうしてないのでしょうか。

乙骨正生によると、裸足で歩いていることでさえ不自然なくらいに人通りがあるところで、屈強な男たちがどデカいトランクを転がしていたら、それでも十分目立ちますよ。

内部告発者が実在するのであれば、なぜこの告発者は、たったの一カ所にしかコンタクトしていないのでしょうか。その一カ所がなぜ瀬戸弘幸という質の悪い人物なのでしょうか。

仮に瀬戸弘幸である必然性があったとしても、現状を見れば、その選択は間違いであったことがはっきりしています。大失敗の巻です。なのに、どうして改めて他の信頼できる個人やメディアにコンタクトしないのでしょうか。瀬戸弘幸に対する信頼関係が先にあって内部告発がなされたのだとしたら、内部告発者はなぜ瀬戸弘幸の窮状を救うために、さらになる情報を提供しないのでしょうか。

それらの疑問に答えられないにもかかわらず、「他殺だ」と言い続ける人たちは「おかしな点」に見えることを無理矢理探しているだけで、その「おかしな点」を別の視点から検証することができず、彼らの言っているさまざまをつなげる線が存在しないのです。

全体を見渡す地図がなく、線も見いださないまま、「あれもおかしい」「これもおかしい」「どれもおかしい」とおかしな点を挙げれば挙げるほど、それらの点同士が矛盾をきたしてしまい、他人から見れば「こいつらは頭がおかしい」となってしまう。

万引き事件に関して言えば、「別人を朝木明代と見間違えた」のか、「万引きした人物などいなかったのに、いたことにした」のか、「替え玉を使った」のか、どうして誰もはっきりとしたことを言わないのでしょう。これらはそれぞれに別の仮説ですから、同時に成立するわけがない。誰でもいいので、どうかこれに答えていただきたい。

もちろん、全体像の組み立てをやったところで推論にしかならないわけですが、これをやらない限り、自分たちの主張の正しさを他者に納得させることはできず、自分たちの主張の弱点を知ることもできない。しかし、現にそれをやろうとはしない。

やると都合が悪いことを知っているのではなく、やろうという発想と能力が彼らには欠落しているとしか思えない。矢野穂積だけはそんな全体像を組み立てようがないことを知っていると思いますけどね。表面的には同じことを言っていても、わかっていてやっているであろう矢野穂積と、わかる能力のない瀬戸弘幸とでは、格が違います。こんな低能力の助っ人を頼まなければならなくなったのが矢野穂積の現在ってことです。

まだ続く。

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