2008-11-30
お部屋1720/瀬戸弘幸とは 2・名乗らない癖
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自分の食生活について書いている分には罪がないので、いちいち突っ込みたくはないのですが、いつまでも回答をいただけずに話が長引いてしまい、瀬戸弘幸の何から何まで知りたくなっている当方としては、最新エントリー「【おうち御飯】節約のため、自炊が増加 」にもつい触れたくなります。
私もクジラは好きですが、コンビニで570円もする缶詰を買うなら、スーパーでミンククジラの生肉を買った方が安いし、うまいです。日持ちしないため、これも遅い時間のスーパーではよく半額になってますしね。
3羽の雀さんは瀬戸弘幸がパックのご飯を食べていることに批判的ですが、ここは瀬戸弘幸を擁護します。
私も以前は「あんなもんでメシを食えるか」と思っていたのですが、パックのご飯はうまいんですよ。少量炊くんだっら、パックの方がうまくて、手間がかかりません。歳をとるとそんなに食わなくなりますから、あのパックはちょうどいい。
しかし、瀬戸弘幸が使っているスーパーでは、ご飯のパックの三点セットがよく売り切れていることがあると書いていることに対しては批判したい。そんなスーパーは使わない方がよろしいですよ。
最近は、若い世代だけでなく、高齢者や単身赴任者の一人暮らしが増えているため、ご飯のパックは需要が伸びていて、赤飯、麦入り、雑穀入りなどの種類も豊富になっています。ほとんどすべてのスーパーでは、何種類もの商品を扱っていて、オリジナルの商品を開発しているチェーンもあります。それらの商品はしばしば三点ないしは五点セットになっていて、売り切れるような店は信用できない。そんなスーパーを使っていること自体、腰つきが甘い。真面目にメシを食う気があるのかと。
ご飯のパックの賞味期限は、製造から半年以上ありますから、常に買いだめしておくべきです。そのくらいの備えができなくて、どうして国の食料事情を語れましょうか。
また、お近くにショップ99、ローソンストア100があれば、それぞれのオリジナルブランドで、150グラム入りが99円、または100円で買えます。
私は「スーパーマニア」とも言われてまして、買う気もないのにスーパーに入っては、「どこで差別化しているか」「どんなオリジナル商品を開発しているか」「どこの産地のものを仕入れているか」「どの棚に力を入れているのか」「どういうバイトを使っているのか」といったことを調べて歩くことを趣味にしてますので、わからないことがあればご相談ください。
編集者で私同様のスーパーマニアがいまして、彼のイチオシはオオゼキの下北沢店で、私もこれに同意します。あの店だったら、一時間はいられます。オオゼキはレアな高級食材を探すにはあまり適していないのですが、大衆的な価格帯の商品を徹底的に充実させていることに特徴があって、米のパックも多数取り揃えてます。
瀬戸弘幸は、質素な生活をしていることを強調したいのかもしれないですが、食費に金をかけない生活が、中国産製品、中国産原料の多用を招いてます。荒井さんのように、メシに使う金を惜しまない生活こそが自国産の食料を守ることになります。酒を飲むなら、安い居酒屋ではなく、高くついても緑提灯の店に入る。提灯ライターの立場から言えば、緑提灯は色むらと文字の使い方が美しくないのですが、そこは目をつぶりましょう。
3羽の雀さんが指摘しているように、どこのスーパーでも、加工食品の特売品、目玉商品は、中国産が多いものです。私はそういうものも愛用してますが、瀬戸弘幸がそんなものに手を出したら、スーパー工作員たちから私のところにチクリが入りますので、ご注意ください。
それでも収入がないのだから、食費に金をかけられないという人もいましょう。それはしょうがない。
しかし、瀬戸弘幸の場合、全国あちらこちらを移動する金はあるわけです。宿泊費と交通費はどこから出ているのですか。
このテーマは荒井さんにキラーパスするとして、私としては瀬戸弘幸の特性を引き続き見ていきます(ここまでは長い前振りでした)。
2ちゃんねるの「【想像する】瀬戸弘幸氏へのメッセージ【ジャーナリスト】」では、瀬戸弘幸の奇妙な特性が論じられ始めています。
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761 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:2008/11/20(木) 21:03:28 発信元:118.8.34.222
ところで公開されてる動画から不思議なことに気が付きました。
政治家を目指すものなら、自分の名前は何はおいても覚えてもらいたいと
思うんです。事実、事有る毎に連呼している人は珍しくない。
ところが瀬戸氏は違う。これは驚いた。名乗らないのです。
たとえば司会者に紹介されて登壇したら「ただいま御紹介に与りました○○で
ございます」なんてやりとりが常識的なんだけれど、これが無い。
極め付けは政見放送。ここでも名乗らない。名無しさん。
どういう心理なんでしょう? 単なる非常識とは違う気がする。
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ここは確認をする必要があろうかと思い、昨年の参院選の政見放送を見てみました。
http://jp.youtube.com/watch?v=E3_ZHQPHj10
ここでは名乗っていますね。
仮に、政見放送で名乗りがないとしても、そうおかしなことではないかもしれない。目の前に相手がいない場では、「礼儀」といった感覚は薄くなりますし、名前は表示されるので、そこに任せるという判断もあるでしょう。時間制限のある中で、言いたいことを端的にまとめるために名乗りを省略したり、例えば「日本はこのままでは滅亡します」と、しょっぱなにどぎつい言葉をあえて口にすることで注目させるといったテクもありましょう。
街頭演説においても、聞いているのかどうかわからない歩行者を相手にする場合は、「ただいまご紹介に与りました」といったフレーズは省略することがあります。誰も聞いてないかもしれないのに、礼儀を先行させるとマヌケですし、「ご紹介に与りました」というフレーズは紹介してくれた人を立てる意味合いがありますから、選挙民からの視点で言えば、このフレーズを使わない方がいいようにも感じます。内輪っぽくなりますので。
それより、とにかくこちらを向いてもらうため、「皆さん、こんにちは。××の○○と申します。しばらく私の話を聞いてください」と始めた方がスマートです。
この場合、フルネームではなくても、名前や肩書きくらいは名乗ります。私のような無名の人間が名乗ったところでどうなるものではありませんけど、そうであるからこそ、「あの人は誰?」と思われないために名乗る。知り合いからいきなり「ちょっと来てよ」と頼まれて演説をする場合、選挙スタッフでさえ、私のことを知らなかったりするわけですから、これは必須です。
まして、自分が立候補者であれば名前をアピールしなければどうしようもない。比例代表の場合、政党に投票してくれればいいとしても、個人の名前での投票をも導くため、また、それ以前に、発言の責任所在を明確にし、最低限の礼儀を果たすため、名前は名乗るってものです。
本当に名前を言っていないのかどうか、街頭演説も確認してみました。
http://jp.youtube.com/watch?v=TFCFik-AnE0
http://jp.youtube.com/watch?v=1CWW0Uac9Sc
http://jp.youtube.com/watch?v=G3UL7lbOCzE
http://jp.youtube.com/watch?v=HgTG1xTsFdo
http://jp.youtube.com/watch?v=HgTG1xTsFdo
http://jp.youtube.com/watch?v=UFK8oKmwJiU
http://jp.youtube.com/watch?v=t-I9VfTmoa4
ホントだ。日常の街頭活動だけでなく、選挙演説においても同様です。「我々は〜新風です」という名乗りはあっても、自分の名前は一度も出してません。なんでだ?
選挙の際に、公約や主張を言わずにして、名前だけ連呼するのは意味がないという考えもあるでしょうが、連呼はせずとも、冒頭で名前は言うってものではないんでしょうか。
それにつけても、面白いですね、瀬戸弘幸の演説は。毎日新聞社に対して、「いいですか、毎日出版社」と呼びかけてます。間違うことは誰にでもあるにせよ、その頻度において、瀬戸弘幸は随一です。
抗議先の新聞社名を間違える、セイタカアワダチソウとブタクサを間違える、本のタイトルを間違える、「ぐうの音」を間違える、自分の肩書きを間違える、メールの宛先を間違える。
「名前を名乗らない」という特性は、瀬戸弘幸が宇留嶋さんに送ろうとして薄井市議に送ったメールに見事に表現されています。
前振りが長くなったので、今回はここまで。
そうか!漢字を間違えるから「ウルシマさん」と表記するのか!!
違うか。
名乗ることができないから、参議院選挙でもうっかり名前を名乗るのを忘れていて落選しちゃったなんてことはないですよね。
「日本よ何処へ」のコメント欄で、「せと」と書いた人がいたら、激怒していた信者がいましたっけね。「せと弘幸」って瀬戸弘幸自身が書いているのに。
対して「ウルシマ」なんて表記は本人がしていないのですから、その信者は、瀬戸弘幸に抗議していいはずなのに、信者もダブスタです。
なんでカタカナにするのか不明ですが、誤字、脱字、誤用が平気なことと関係しているのかも。
[...] 前回見たように、瀬戸弘幸は自分の名前を名乗らない奇妙な癖があります。このことは、宇留嶋さんに送ろうとしたメールにおいても同様です。 [...]
[...] 自己紹介はありません。テロップもありません。たまたま「ナノテクノロジー」で検索してこの動画にたどり着いた人にとっては、「誰だ、この人は」ってことになることを想定できてないわけです。他者の視点が意識できない欠陥がよく出ています。 [...]
[...] 1720/瀬戸弘幸とは 2・名乗らない癖 [...]