2002-01-28
IT革命と社会的関係性の変化
新しいタイプの電子出版の進展が社会的関係性の変化に影響をおよぼす、と前回書いた。それはなにも医療の分野での医師と患者の関係に限ったことではない。つまり、労働や教育の場面における上司と部下、教師と学生といった具体的な人間関係にも影響を与えることになるだろう。
たしかに現代日本の企業社会においてIT革命といえば、これまでのタテ型の人事組織を温存したまま、社内LANをひいただけという滑稽な事態もしばしば観察されている。情報の公開ではなく、秘匿することによってこれまでの権益を守ろうとする人々はかならず存在するからである。しかし、インターネットによる出版コンテンツのオンライン・サービスはさまざまな場面での情報公開を、おそらく不可逆的に進展させていくことになるだろう。
たとえば教師と学生の関係性を考えてみよう。
哲学者の黒崎政男氏は次のように書いている。
「従来、学者や教師など専門家の権威を形作ってきたのは、〈情報の独占〉と〈情報のタイムラグ〉であったと言える。情報をより早く所有し、それを自分たちだけで囲い込むことで専門家の権威は発生してきた。」
ところが「インターネット情報は、それとは正反対の〈開放性〉と〈同時性〉という特質を持っている」というのである。
つまり、「情報の支配的なメディアが書物からインターネットへと変わるのであれば、書物文化と深くリンクしていた大学制度が大きく変容・崩壊することは大いにありうる」という。
そこで、「情報の量や速さをいたずらに追い求めのではなく、情報を見きわめる判断力や、断片的知識の寄せ集めから統一的な意味を見いだす洞察力を身につける」ことしか、大学人には残されていないのかもしれないと結論づけるのである。
(「朝日新聞」2001年5月1日付け大阪本社版夕刊、黒崎政男・東京女子大学教授「大学制度 揺さぶるネット~情報の独占・落差の終焉」)
このように考えると、IT革命におけるデジタル・デバイド(情報格差)と同様の問題が書物というメディアにも起こっていたといえよう。つまり、従来の紙の本というメディアも、必ずしも多数の人々に開かれていたわけではなかったのである。明治期以降の日本の洋書小売業の歴史はまぎれもなく、このような学問のありかたと密接に関係していたといえるだろう。例えば、丸善を経由して日本国内に輸入された少部数の「洋書」を翻訳し、紹介するだけで業績となった時代を思い起こせばそれは分かるだろう。何ヶ月もかかって船便で届く高価な洋書を大学の公費で購入することによって、欧米の情報を独占的に入手し、それを少しずつ紹介することで、大学教授の学問的な権威は不動のものとなったのではないだろうか。
ところが今日では丸善もそれまでの書籍販売課を学術情報ナビゲーション営業課と名称を変え、ハードウェアとしての本の販売だけでなく、むしろ学術情報を提供する企業というイメージを盛んにアピールしている。その丸善が日本初のアグリゲータ・ビジネスを開始するとして「Knowledge Worker(ナレッジワーカー)」というサービスを展開していることは日本の大学関係者にはよく知られている。それはインターネットで世界の学術情報へのワンストップ・アクセスを実現する学術情報ナビゲーションシステムである。洋書・和書・外国雑誌コンテンツを自由に検索し、書籍や論文を入手することができる。しかし、皮肉なことに「Knowledge Worker」は〈情報の独占〉と〈情報のタイムラグ〉というこれまで学者や教師の権威を形成してきた歴史をそのまま保障するわけではない。
現在では、インターネットによって学生も同時に、あるいはさらに詳しく知っている情報だってあるからである。書物の権威性やその情報ルートとしての寡占状態がすでに崩れているといってよいだろう。
そうすると、情報の生産と消費の双方の場面においてこれまでのやり方はすっかり変わる可能性がある。これこそがIT革命が革命と呼ばれるゆえんなのだろう。
教育の現場におけるこのような変化は、出版メディアそのものに直接的にかかわってくるにちがいない。例えば、教科書という概念が変化するだろう。そこで次回はe-ラーニング、e-テキストについて考えてみよう。