2003-01-29

ライブラリアンの底力(そこぢから)

 前回、「公共図書館が大学生の生活の一部になっているようには感じられないのである」と書いた。それは図書館の利用に関するアンケート調査の対象者であった京都学園大学の「メディア論」の受講生たちが、それほど本を読んでいるわけではないことを私が知っているからでもある。

 同じ受講生を対象とした読書に関するアンケートでは、最近1ヶ月間に読んだ本の数が0冊という学生が38%(16人)、1冊が19%(8人)と、回答者42人のうち、0~1冊が57%と過半数を占める。しかし、一方で10冊以上が5%(2人)と読まない人と読む人がはっきり二極分解していることも事実なのである。

 すでにこの連載の第18回「大学生は『紙』派か、『デジタル』派か?」のところで私が中部大学の「メディア論」の受講生を対象に行った同じ調査でも同様の結果がえられている。クラスの学生を対象にしたアンケート調査なのでサンプル数があまりに少なく、この結果から大学生一般を語るわけにはいかない。しかし、この連載の第15回「若者・ケータイ・読書」のところで書いたように、大学生活協同組合連合会の読書調査などの結果とも合致しているので、全般的な傾向と見てよいだろう。つまり読書頻度に関する調査からは「本を読む人の方が少数派」になっているということである。

 そうした状況をふまえながら図書館の利用についてのアンケート結果をみれば、いわゆる「調べもの学習」があるので図書館を利用するという学生の姿が浮かび上がってくる。そして、大学図書館も公共図書館もどちらも利用しないと答えた学生の中には、「最近、必要な情報は全てインターネットで調べているので、図書館はほとんど利用しません」と答える新たな層が生まれてきていることにこそ、注目せねばならないだろう。

 一言でいってこれは大きな誤解である、と私は思う。大学生のような若い世代が本来、図書館が提供すべき多様な利用者サービスの存在を知らない。それゆえに起こっている悲劇ではないのだろうか。さまざまな本を次々と図書館で借りて読むといった読書の愉しみだけでなく、調べたり学んだりする時に資料を探してくれたり、必要な情報を提供してくれたりする有能なライブラリアン、その豊かなレファレンス・サービスに出会った感動がないからではないだろうか。

 ところで、私は先週の土曜日(2003年1月25日)、大学図書館問題研究会近畿4支部新春合同例会に参加した。尼川洋子氏(大阪府立女性総合センター・企画推進グループ・ディレクター)の講演「ジェンダー問題と女性情報~大阪ドーンセンターライブラリーの活動とサービス」を聞くためである。この講演の中で尼川氏は次のように語っておられた。「図書室のカウンターに人は必要ない。利用者が来たら出ていけばいいのではないか」とか「書架が本で埋まってきたから、もう本は要らないだろう」といった行政職の人の図書館に対する認識は、図書館=自習のイメージしかないところに原因があるのではないか。行政の担当者自身が学生時代に、図書館員はとっつきにくく、話したこともないというイメージがある。図書館サービスを受けた経験がないのである。そこで尼川氏は女性センターにいる職員といういちばん身近かにいる人にまずライブラリアンとして手厚くサービスすることから実践したという。例えば毎朝、新聞5紙から関連する必要な情報を切り抜き各係に1部ずつ回覧することや、新人が来ると「ジェンダー」とか用語の意味が分かるように資料を提供するとか、ライブラリアンが持っている力を次々と見せてあげているというのである。

 情報は必要な人に結びついてこそ意味がある。どんな質問が来てもなんらかの情報を提供できること。しかも、動きのある生の情報を提供できることを心がけていることを尼川氏は強調していた。女性センターの場合、利用者が情報を求める背景にはその人が抱える現実生活上の問題が存在する事例が多い。これまでの経験や知識で対応できないがゆえに女性センターの資料や情報が求められているのである。これはまさにカウンター業務としての貸出・返却だけではとらえきれない「情報相談」が女性センターの情報ライブラリーの中核をなしていることをあらわしている。この発想はたしかにビジネス支援図書館と相通ずるものがあるだろう。

 また一方で、私には尼川氏が図書に限らず原資料のもっている力の大きさについて改めて語っていたのが印象的だった。15歳の人たちが書いた太平洋戦争の手記を大阪府立女性総合センターでは所蔵しているが、この手記を実際に見て「学校の授業で習った時は戦争の話が嘘のように思えたが、この手記を実際に見て嘘ではないと思った」と中学生が感想を述べていたという。「デジタル化も大事だが、原資料も大事」、と尼川氏は言う。

 1967年から1992年まで神戸大学附属図書館に勤務し、1992年に兵庫県立女性センター、1994年に大阪府立女性総合センターと2ヶ所の女性センターの情報ライブラリーの立ち上げにかかわった尼川氏は、大学図書館員たちを対象としたこの講演で図書館の理念と実践を改めて熱く語っていた。それは大学再編の渦中で針路を見失いがちな図書館の人たちにライブラリアンとしての自信を呼び覚ます意図をもってして語られたもののように私には感じられた。そして私は図書館の役割をまだ十分に知らない利用者たちにもこの講演を聞いてもらいたかったと思う。

 インターネットで調べられるから図書館は不要、というのは大きな誤解である。尼川氏が講演で強調していたようにいまこそ「派手なライブラリアン」がもっと利用者の前に現れてその底力を見せてほしいと私も思うのである。