2002-02-04

教材の公開からe-テキストブックへ

いま、教育の現場ではさまざまなかたちでパソコンの使用を前提とした授業が行われている。従来から学校ではテレビ、ビデオ、スライド、OHP(オーバーヘッド・プロジェクター)などの情報機器が授業で用いられてきたし、またLL(ランゲージ・ラボラトリー)といった形で授業のやり方そのものが変化することもあったのだから、パソコンが教室に登場しても驚くことはないのかもしれない。

しかし、インターネットの急速な普及は教育のありかたそのものを大きく変化させる可能性がある。つまり遠隔教育やデジタル化したコンテンツを教材に用いるなど、いわゆるe-ラーニング、e-テキストブックが次第に実効性のあるものになりつつあるのである。

すでに今日の大学では、なにも情報工学の研究者でなくても教材をインターネット上で公開している人が次第に増えてきている。

例えば、関西大学法学部の園田寿教授はみずからのホームページ「電脳世界の刑法学」において刑法教材や論文、さらに「韓国法最前線」など多くの法情報を公開している。このホームページは1997年度関西大学重点領域研究「マルチメディアによる新しい教育方法と支援システムの研究」助成費による成果の一部であると明記されているのだから、大学としても研究者が学生や一般市民に研究を公開し、その学習を支援していくことを奨励しているのであろう。

このなかの「刑法教材」を見てみよう。まず、冒頭に次のように書かれている。

「以下の教材は、Microsoft(R)のPowerPoint(R)97を使用して作成したものです。ダウンロードして使用してください。 PowerPointがインストールされていませんと、利用できません。(中略)教材ファイルはLHAで圧縮されています。解凍してください。」

じつは現在の大学はPowerPointの全盛期といった感がある。PowerPointでのスライドショーを教室でおこなう教員が増えているのである。まるで企業のプレゼンテーションのように図表やグラフなどを交えながら講義が展開される。また、研究者のホームページ上で公開されることによって、学生は自宅にいながらいつでも見ることができるのである。

ただし、いくつかの問題点もある。パソコンに不慣れな学生にとってはPowerPoint のインストール、教材のダウンロード、解凍といった教材を見るまでに必要な操作がかなり煩雑であること。すべての学生がパソコンを操作できるという前提に立ったやりかたは、パソコンを所有していないために大学の図書館やメディアセンターに設置されたパソコンを利用しなくてはならない学生にとっては不利益を与えるという点である。

もちろん、就職するための企業資料の請求から内定の連絡まで自分のパソコンがなければ対応できないといわれる現状では、できるだけ早いうちからパソコンに習熟する必要があると大学は考えるであろう。そのために多くの大学では学内のIT環境を急速に整備しているのである。

また、教科書を補うものとして教材を使用するなど、教員の側でもさまざまな工夫がなされている点は評価できよう。変わりばえのしない講義ノートを読んでいるだけという、昔ながらの教員は決して学生から評価されることはない。

ところで、このようなデジタル化された教材が次第に一般化してくるといったいどのようなことが起こるのであろうか。まずは大学の教科書を刊行していた出版社はきわめて深刻な事態となるのではないだろうか。すなわち教科書の成り立ちそのものが講義ノートを活字化し、毎年新たな学生分が増刷されるといったものだからである。これが著者である教員その人が無料で公開するとなると、教科書市場のかなりの部分が消滅することになる。

たしかに教科書が紙の本であるがゆえに便利な部分はまだまだあるに違いない。機器を用いずに、ページを任意に飛ばしながら読め、アンダーラインを引くことも、メモを書くことも自由である紙の本はきわめて便利である。

しかし、最新のデータを入れたり、必要な部分だけをコピーして持ち運んだり、といったことにおいてはインターネットからダウンロードするe-テキストブックの方が優れている。

そうすると、これまで教科書の刊行を手がけていた出版社は講義、教材、教科書を一体化したものとしてとらえ、デジタルコンテンツ化する新たな編集技法を生み出さない限り、この領域における存続は困難になるだろう。

大学の教科書という一つの出版ジャンルが少子化の問題よりもさらに深刻な危機に見舞われているのである。