2010-03-08

会社の役員になってくれと頼まれた [下関マグロ 第20回]

パインが間借りしていた事務所には、パインの他に、伊藤ちゃん、伏木くん、坂やんなどなどのライターがいた。更にそこに三角さんという元編集者が加わって、なぜか経理のようなことをやっていた。

パイン以外の人間は、ずっとそこにいるわけではなく、勝手気ままに出入りしていた。なので事務所には、それまでワイワイといた人がふっといなくなるような瞬間があった。

パインが重要な話を持ちかけてくるのは決まってそんなときだ。

「増田くん、有限会社オールウェイの役員になってくれないかな」

僕が反射的に「金は出せませんよ」と答えると、パインは笑いながら首を振って否定した。

「ここにいつまでも間借りしているわけにはいかないだろ。だから、自分たちの事務所を借りようと思うんだ。で、その機会にオールウェイもちゃんとした会社組織にしようと思ってるんだよね」

「えっ、名刺には有限会社ってあったけど、今までちゃんとしてなかったんですか?」

「登記はこれからなんだ。で、役員が3人必要なんだよ。オレが代表取締役で三角と増田くんにも役員になってもらおうかと思っているんだ。名前だけだから、お金は要らないよ」

なんだかちょっと、おかしな話だと思った。三角さんのことはどうだかわからないが、僕よりもパインに近い人間はたくさんいるわけで、名前を貸すだけとはいえ、なんで僕なんかに声をかけてきたんだろう。そのことを単刀直入に聞いてみた。

「伊藤ちゃんなんかには金を出して貰うからさ、君ら、金は出せないだろ」

金の出せない奴は名前を貸せということである。まあ実際、僕はオールウェイに出入りしているが、まったく金を入れていない。というか、利益を上げていなかったので、当然金もなかった。

というわけで、僕は有限会社オールウェイの役員となった。といっても僕がなにかにサインをしたとか、そういうことはいっさいなかったし、会社関係の書類を見た覚えもない。本当に名前を貸しただけであった。

新事務所への引っ越しは1985年の暮れだった。場所は新宿5丁目にある靖国通り沿いのマンションの一室。けっこう大変なのかと思ったら、意外とあっという間に終わった。

引っ越し作業が終わったとき、伊藤ちゃんが「コーラをカーッと飲んでポテトチップスでもつまみたいねぇ!」と言ったのを皮切りに、「引っ越しなんだから、ここは蕎麦でしょ。もう夕飯時だし、出前でも取ろうよ!」というようなことをみんなでワイワイガヤガヤ言っていると、パインが意外なことを言った。

「じゃ、せっかくだから寿司でも取ろうか」

全員、いや、たぶん一番貧乏な僕と伏木くんの顔が曇った。寿司だなんてとても高くて……。

それを見透かしたパインは「心配しなくてもいいよ。代金は会社から出すから」と言った。

ホッとしたが、普段はケチなパインが、高価な寿司代を出してくれるというのはあまりにも意外だった。そして、自分の財布でなく、「会社の経費として出す」というのもなんだか意味がよくわからず、多少引っかかったりした。しかし寿司が到着すると、たちまちそんなことはどうでもよくなり、僕は桶からウニとイクラを立て続けに頬張った。

今思えば宙ぶらりんな1985年は、こうしてのほほんと暮れていった。

僕がライターとして独り立ちするきっかけとなる、青春出版社『BIG tomorrow』の仕事を伊藤ちゃんから紹介してもらうのは、この直後のことである。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

このエントリへの反応

  1. [...] 「ああ、キミの場合、会社の役員だからね。わかった、増田くんの名前を役員のところから消しておくよ」 [...]