2010-02-22

金はないが、時間だけはたっぷりあった [下関マグロ 第19回]

久しぶりに伊藤ちゃんから電話がかかってきた。その頃の伊藤ちゃんは単行本を執筆しているとかで、ほとんど顔を合わせていなかった。

「まっさん、どうしてんの?」

どうしてんのと言われても、どうもしておらず、その日も暇にしていた。
具体的にいうと、僕はテレビで「夕やけニャンニャン」を見ていた。電話のベルが鳴ったので、テレビの音量を小さくして電話に出たところだ。

秋の日の夕暮れで、東中野の木造アパート二階の部屋には西日が差し込み、テレビ画面の見え方もいまいちだった。

お互いの近況など、他愛のない話をしたあと、「じゃあ、ちょっと行くよ」と言い、電話を切った。

僕はジャケットを羽織り、財布を持って外に出て、ブラブラと歩き始めた。行き先は伊藤ちゃんの住んでいるマンションである。伊藤ちゃんが住む吉祥寺へは、電車で行くことにした。

途中の東中野駅前商店街で寄り道。本屋でパラパラ立ち読みしたり、パチンコ屋で少し打って負けたりしてから、総武線三鷹行き電車に乗った。

吉祥寺の駅で降りると、また駅前のパチンコ屋と本屋を冷やかして、その並びにある吉野家で牛丼を食べた。そういえば伊藤ちゃんは晩ご飯を食べたのだろうかと思い、持ち帰りの牛丼をひとつ買って、伊藤ちゃんの住む「コーポインマイライフ」へ。

僕が牛丼を差し出したら、伊藤ちゃんは言った。

「牛丼嫌いなんだよね」

そうだ、忘れてたけど、この人は牛丼が嫌いなんだ。普通は「しまった」と思う場面だが、僕はこう言った。

「でも、せっかく買ってきたんだから、少しくらい食べてよ」

まったくどうしようもないと今なら思うが、若いころの僕にはかなり押し付けがましい面があったのだ。結局、人のいい伊藤ちゃんは、まずそうに牛丼を食べていた。

たいていこの頃、集まって話すことといえば、「今後の仕事をどうするか?」ってことだった。

パインが、間借りしている四谷の編集プロダクションから独立して新事務所を借りるという話を、伊藤ちゃんから聞いた。

パインは、引っ越した事務所でも僕たちとバリバリやる予定にしているようだったが、僕は乗り気がしなかった。あまり長くパインの下で仕事をしたいと思わなかったからだ。せっかくフリーになったんだし、あんまり人から命令されてなにかをやるということに嫌気がさしていたんだろう。

話し込んで、時計を見たら11時を過ぎていた。そろそろ終電なのだが、またそこからダラダラと話しはじめる。

いい加減で切り上げなければならず、伊藤ちゃんが「じゃ、ちょっとそこまで」とサンダル履きで駅まで送ってくれたが、すでに終電は出ていた。まいったなぁ。

「ウチに泊まってってもいいよ」

伊藤ちゃんはそう言ったが、明日もなんの予定もないから寝る時間の心配もいらない。「東中野まで歩いて帰るよ」と僕は言った。

「じゃ、ちょっとそこまで送っていくよ」と伊藤ちゃんが言い、いっしょに歩き始めた。

「あ、トマソンだ」

伊藤ちゃんが指さす先を見ると、空き地にコンクリートの階段だけがある。建物もなにもない、無用の階段だ。

トマソンというのは赤瀬川原平が提唱した言葉で、「街で見かける立派なんだけど無駄なもの」という意味だ。

僕らは夜道を、「おお、あれこそトマソン!」「これぞトマソン!」と、持っていたカメラで撮影したりもしながらダラダラ歩いた。

そうこうするうちに、白々と夜が明けてきた。その先に駅が見える。おお、どこの駅だろうか?と近づけば、まだ阿佐ヶ谷の駅ではないか。深夜に吉祥寺駅から歩きはじめ、夜明けに到着したのが三つ先の阿佐ヶ谷駅。なんという牛歩だ。

ボクたちは阿佐ヶ谷駅前で早朝からやっていた立ち食いそばの店に寄った。伊藤ちゃんはとろろそば、僕は天ぷらうどんを食べると、総武線で、それぞれ逆の電車に乗って、帰宅した。

金はないが、時間は有り余っていた20代半ばの頃の話。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

このエントリへの反応

  1. 甘酸っぱい思い出か・・・・
    誰でも皆、そんな思い出がある。
    当時に映像にすれば、バックにチープなフォークソングが流れているような。

    半世紀も無駄飯食っていれば、今はこんな感じに思い出してくる。
    http://www.youtube.com/watch?v=8S1WKgUa56Q

    人それぞれに思い出して、たまに落涙したりして、
    また1つ無駄に歳を食うんだな。

  2. イー話じゃないですか。