2009-08-03

ライターのギャラについての話〜その1〜 [下関マグロ 第5回]

この原稿は北尾トロと僕が交互に書いているわけだけど、僕自身、北尾トロの原稿を読むのが楽しみである。あの頃は知らなかった新事実というものが、わかるからだ。

北尾トロの前回の原稿にあったイシノマキでのアルバイト料が月に11万円から12万円に騰がったという記述。これにはけっこう驚かされた。

すでに書いたが、僕はオナハマという会社で15万円の給料で雇われ、イシノマキに出向するというおかしな雇用関係だったが、北尾トロより僕のほうがたくさんもらっていたとは夢にも思わなかった。

ここで、大学を出てからの給料あるいは、ギャラについてのことにふれておこう。

まず、僕が1983年(昭和58年)に入社した出版社SESでのことだが、ここでは基本給が12〜3万円でそこに営業手当だとか残業代、出張手当のようなものがあれこれつき、月給は20万円前後だったと記憶している。すなわち地方出張などにたくさん行った月は20万円を越え、少ないと少し下回るというかんじだったろうか。

1年以上勤務すると、退職金が出る制度があった。1年の場合は一ヶ月分の基本給が出たので、12〜3万円はもらっているはずだ。こうして考えると入社して一年後の1984年(昭和59年)3月に会社をやめた時期もさほど金には困らないと思うのだが、実際、家計は火の車であった。あっという間に5万円の家賃も払えないほどになっていた。

そこで、2万円台の三畳のアパートに引っ越した。

さて、僕は1984年の4月から6月まで、衣浦氏という学生社長が経営するオナハマという会社からイシノマキという編集プロダクションに出向して、働いた。

この間にやったまともな仕事というのは、極めて少ない。すべてが『週刊ポスト』の仕事だった。前回の原稿に書いた、<今からでも間に合うゴールデンウィークの宿>という表組み作り、それから「裏ビデオを見たことがあるか」ということを当時のオールナイトフジという番組に出ていた女子大生などに電話取材をしたというのと、あともう一回は名前は忘れたが、ストリッパーの人に直接会って取材をしたというものだ。

『週刊ポスト』の取材原稿は、「アンカーマン」システムだった。データマンと呼ばれる取材者が、相手が言ったことをそのままデータ原稿に起こし、編集者に渡す。編集者は記者の書いたデータ原稿を、アンカーマンという、誌面に出る記事を書く人に渡す。

当時は、ペラという200字詰めの原稿用紙に手で書いた。僕がやった仕事はそれぞれ、せいぜいペラ3、4枚といったところであろう。

イシノマキから直接ギャラをもらっているわけではないので、これらの仕事が直接契約の場合は幾らになったのか僕は知らない。もし金額を憶えていれば、北尾トロの今後の原稿が楽しみなところだ。

僕自身が原稿料という名目でギャラを受け取るようになるのはもっと先の話である。

さて、僕はといえば、イシノマキではお手伝いというか、雑用のようなことばかりをやっていた。その雑用分が収益になったかどうかは不明だが、僕の想像では、原稿を書いた分くらいしかイシノマキからオナハマにはいっていないと思う。

6月の給料の入金が少し遅れていた。僕はそれをもらいにオナハマへ行った。あらかじめ電話してあり、衣浦氏は渋々といったかんじで僕に15万円の現金が入った封筒を渡す。そのとき、彼は外まで見送ってくれた。資金繰りがけっこう苦しいという話を聞いた僕は、衣浦氏に「やめさせてくれ」と言った。

衣浦は激怒した。僕の胸ぐらを掴み、「えっ、どういうことだよ、このヤロー」とゆさぶったが、当時の僕としては、金のことというよりもきちんとした仕事もできずにイシノマキにいる自分がイヤだった。

そこで辞めたことは、相手にとっても僕にとっても正解だったと思う。イシノマキからオナハマに対して支払われた金額は、僕の働きに応じた微々たるものであろうに、僕は月給15万円をもらっていた。衣浦氏の怒りは当然だ。一人前になってオナハマの初期投資を穴埋めする努力もせず、いきなり辞めたいとは何ごとかということだ。

しかし、ここで関係が終わってよかったんだと思う。僕はそのままそこにい続けても、オナハマに対して利益を生むことが無かった気がするからだ。実際、その頃の僕には、そういう自信もやる気も全くなかった。ライターや編集者というのが、自分に向いている仕事ではないと痛感していたからだ。

実のところ僕には、オナハマを辞めた理由が、もうひとつあった。イシノマキに出入りしていた広告代理店ハリウッドの社長である葛飾氏から、自分の会社に来ないかと誘われていたのだ。

僕は、向かないライターや編集への道を一切捨てて、広告代理店の仕事をしていこうと思った。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった