2009-07-21

編集プロダクション「イシノマキ」は天国か地獄か [下関マグロ 第4回]

編集プロダクション「イシノマキ」に籍は置いたものの、いったい何をどうすればいいかまったくわからなかった。

まあ、事情というのは、あとからわかってくるのだが、これは伊藤秀樹(のちの北尾トロ)がイシノマキを辞めたため、その穴埋め要員として僕が雇われたのである。

そんなことはまったく知らない僕だったが、とにかく何をどうしていいのかわからない。一応、イシノマキへは朝10時くらいに顔を出すのだが、ほとんどの人は出社していなかった。何がどうなっているのかがよくわからない。というより、僕個人として、社会人感覚が身についた段階でなく、「空気を読む」とか「気を利かせる」ということがまったく不可能だった。

社長の姫路さん(仮名)はいつもいる人ではなかった。仕方がないので、経理の女性の厳原さん(仮名)なんかと無駄話をして一日を終えるなんてことが何日か続いた。何日間そんなことをしていたのか記憶があいまいだが、とにかく最初のうちは退屈で居づらくてしょうがなかった記憶がある。

そして、数日経過したときにデスクの高松さん(仮名)という女性から

「増田くん、仕事なんだけど」

と、ようやく声がかかった。忘れもしない、それは『週刊ポスト』の仕事だった。その内容は、<今からでも間に合うゴールデンウィークの宿>で、僕が担当したのは、泊まれる宿の表組みであった。

こういう表組みをするのも、ライターの仕事なのだ。後にいくつもの表組みを作ったが、この時はまさに初体験であった。

〆切りまでは一週間あったので、最初の数日は本屋でガイドブックかなんかを買ってきて、リストアップしていたが、なかなか電話をかけられない。

わからないことがあっても、僕はライター経験者ということでここに籍を置かせてもらっているので、誰かにヘタな質問をするわけにもいかない。

わけのわからないまま、とにかく電話をしなくちゃいけないと思って、ガイドブックを見ながらあちらこちらの宿に電話をかけまくった。

「私、『週刊ポスト』の記者の増田と申しますが、ただいま<今からでも間に合うゴールデンウィークの宿>という取材をしておりまして……」

全部話さないうちから「あー、ゴールデンウィークはもうすべて埋まってるから」と電話を切られたのがほとんどであった。

「あ、ウチは間に合っているから」という御用聞きの断り文句みたいなのも多かった。

100軒の表組みを作らなくちゃいけないのに、一軒の掲載許可も取れないまま時間は過ぎて行った。

やっと、一軒の掲載許可が取れ、あちこちの宿の非協力的さの理由がわかった。

「あのー、いいんだけど、これ料金はいくらぐらいかかるの?」とその宿の人だけは少々不安げながらも率直に聞いてきたのだ。

ああ、なるほど、広告と思われていたんだと合点がいった。僕はそれまで出版社の営業社員だったから、電話の口調も営業っぽかったかもしれなかった。

なので、次からは「これは広告ではなくて、一般の記事なので、料金などは一切かかりません」と説明した。

それで少しは調子が上がったが、〆切りの日になっても半分くらいしか表組はできていなかった。まずいと思いながらイシノマキへ出勤していたが、高松さんは状況がわかると、怒るより先に、どうやって本日中にデータをあげるのかを考え、テキパキといろいろなライターに指示を出した。もちろん責任を感じている僕も、ラストスパートであちこちに電話をかけまくる。そして、なんとか〆切りの夕方には表組ができあがったのだ。

当時の原稿は、大きな方眼用紙に罫線を引いて、そこへ手書きで文字を埋めていくものだった。まだ当時は珍しかったファックスで、編集部まで送ったが、うまく届かず、担当の編集者が取りにきたことを覚えている。

僕のおかげで作業がギリギリになり、高松さんは一刻でも早く仕上げたことをアピールするため、信頼性のないファックスで必死の送信を試みたのだ。(実際のところ『週刊ポスト』編集部がイシノマキからかなり近く、歩いて10分もかからなかったことには後から気付いた)

とにかく、その夜は打ち上げということで、高松さんに神保町にあるロシア料理店へ連れて行ってもらった。生まれて初めて、あの壺みたいな容器にパンで蓋をした料理を食べた。

生まれてはじめてのロシア料理であったが、その夜の私には、堪能する余裕など1ミリもなかった。

なぜならその食事の場で、高松さんは、「あなた、経験者じゃないわね」と速攻で指摘してきたからだ。事実とはいえ、経験者というかっこいい立場から、ただの青二才にひきずり戻される現実に、僕の心は大いに揺れた。

そして翌日から、僕は最初の何日間と同じように、毎朝イシノマキへ行き、一日中ボーっと座っている日々に戻った。退屈であったが、あせりのようなものはなかった。なぜなら、私はイシノマキに派遣社員としてきている。月給15万円は仕事をしてもしなくてもオナハマという会社からもらえるのだ。

こういう状況は天国なのか、それとも地獄なのか……。自分でもよくわからなかった。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった