2009-06-08

序章 [下関マグロ 第1回]

「せっかく受かったんじゃから、そこへ行きなさい」

母親は、唯一合格した大学に行けと言う。もっともなことだ。僕は、一浪しており、その年に受けた大学もほとんど落ち、たったひとつだけ合格した大学なのだ。しかし、この唯一合格した大学は、たまたま予備校で試験があったので、受けただけで、まったく行く気がなかった。だいたい東京の大学に行きたいと思っていたのだが、その大学は大阪にあった。僕はどうにも気が進まず、母親の言葉にも黙っていた。

「おばあちゃんも心配して、どこでもええから、行きなさいって言うちょったよ」
と母親が言う。祖母は、病気で入院していた。そんな祖母に心配をかけちゃいけないなと思い、この大学へ行くことにした。

大阪の大学とは桃山学院大学であった。入学してもやる気は起こらず、僕は5年間も大学生活を送ることになった。1年留年したのだ。

つまり一浪一留で、僕は社会に出るのに通常の人よりは2年多めにかかったことになる。これだけ、時間を費やしたにもかかわらず、僕は自分がどういう仕事をしたいかとか、何をやりたいかということはさっぱりわからなかった。

でも、とりあえず東京へ行こうという考えはあった。不思議なことに東京に行けばなにかあると思っていたのだ。

就職活動というものはほとんどせず、とりあえず上京。高校時代の同級であった岡本くんの下宿先へ転がり込んだ。

岡本くんも僕と同様に1年浪人し、法政大学に入学していた。僕はここに少しの間泊めてもらい東京での住まいを探した。

おもしろいもので、東京はあれだけ広いのに部屋を借りたのは岡本くんの近所である荻窪であった。風呂はないが、一般の民家の2階部分がアパートに改装されたところで、きれいなところであった。

引っ越しをしたのは、1983年の3月のはじめだ。週刊就職情報などを見ながら、就職活動をした。

漠然とマスコミ系の会社に入りたいと思っていたのだが、なかなかめぼしいところはない。しかし、いくらなんでも、もう親に頼るわけにはいかない。なんとか就職し、自分で生活費を稼がなくちゃいかんなという気持ちはあった。最初に受けたのは、コンサート会場でスライドなどを映す仕事をしている会社だった。ここは不合格となったのだが、もしこの会社に合格していたら、自分の人生はまた変わったものになったのではないかと思う。人生というのは不思議なものだ。

後にフリーライターになったのは、次に受けた小さな出版社に合格したからだ。

会社は乃木坂にあった。(株)SESというところで、『スウィンガー』という雑誌を発行している会社であった。どういう雑誌かといえばスワッピングの雑誌である。

スワッピングというのは、日本では夫婦交換と訳されている。1975年に桐島洋子が書いた『淋しいアメリカ人』(文春文庫)で、アメリカにおける夫婦交換パーティが日本に紹介されたのだが、そらから数年後の70年代の後半から80年代にかけて、いくつかのスワッピング雑誌が創刊された。

内容的にはパートナーを交換をしたいカップルや夫婦によるメッセージの投稿というのがメインの雑誌である。まだインターネットもない時代、こういった雑誌がマニアたちの情報交換の場であった。

SESの社長はとてもユニークな人で、田中浩といった。彼は、以前、藤村有弘という俳優のマネージャーをやっていた人である。藤村有弘といえば、我々の世代にとっては、夕方、NHKでやっていた人形劇『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの声としてよく知っていたし、テレビドラマなどで個性的な役をこなしていた人であった。その藤村有弘が亡くなったのが1982年、48歳という若さであった。

とにかく、僕はこの会社に入社することになった。といっても、編集の仕事ではなく営業の仕事であった。

『スウィンガー』という雑誌は当時、取り次ぎを通さず、書店と直接取引を行っていた。配本は、宅配業者にまかせていたが、返品と集金は営業マンが訪問して行っていた。そのため、僕は関東を中心に全国の書店をまわる日々であった。そのためスワッピングの世界をのぞくということや、編集の実作業にふれることはなかった。

とはいえ、出版社にいたという経験で、次は編集プロダクションで仕事をすることになる。それが神保町にあったイシノマキ(仮称)という会社であった。ここで、僕は伊藤秀樹(後の北尾トロ)に会うのだ。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった