2009-11-05

お部屋1977/図書館の中では見えないこと 7・本は商品である

1963/多摩図書館廃棄本問題と「書影使用自由」の表示
1966/廃棄本・里親探しの実情
1967/改めて地域資料を調べてみる
1968/除籍予定本の大半は多摩の資料ではないのでは?
1969/図書館の中では見えないこと 1・図書館はコンビニである
1970/図書館の中では見えないこと 2・こんな図書館があったら
1971/【必読】多摩図書館廃棄本についての正確な情報
1972/図書館の中では見えないこと 3・図書館の本はC級品
1973/図書館の中では見えないこと 4・図書館と税金
1974/情報を訂正するためのツール
1975/図書館の中では見えないこと 5・断裁の現実
1976/図書館の中では見えないこと 6・私設図書館とコレクター

※「図書館の中では見えないこと」シリーズが長くなってきたので、それぞれにタイトルをつけました。
 
 
以前、ポットの沢辺さんがgoogleブック検索について書いた時に、googleが営利企業であることをもって批判する書き込みがありました。

googleブック検索をめぐっては、著作権の問題よりも、電子書籍マーケットをめぐる思惑で面倒なことになってきているように見えて、ここは営利だからこそと言えますが、営利がいけないなら、ほとんどの出版社は否定されなければなりません。

その運営において、公立図書館は営利ではないだけのことで、図書館にある本だって、大半は営利事業の産物、つまり商品だったものですから、営利事業の否定は、図書館の否定にもなってしまいます。書き手だって原稿料や印税をもらっていますから、仕事です。

潔癖な考えを持つのは自由ですが、そういう人は本について語るべきではないでしょう。

私はどういう形であれ、資料が保存され、次世代に手渡されればいいと思っていますから、金を介在させることのどこがいけないのか全然わからんです。保存には金がかかるわけですし。

たまたまですが、風俗求人誌「てぃんくる」のSNSで、ここしばらく、中野のタコシェについて書いています。昔から私の書いていることを読んでいる人で知らない人はいないと思いますが、最近はどこからか聞きつけて、「松沢さんはタコシェの創設者なんですか」と聞かれることがあるので、改めて説明しておこうかなと書いている次第。

そこに書いているように、タコシェは「需要があるのに販売する場がなく、眠っていたり、捨てられていたりするものを救済する」という意味合いがありました。それを実現したのですから、私もたいしたものだなと(今は月に1回か2回顔を出しているだけで、運営にはタッチしていません)。

例えば公演時に販売されて、あとは捨てるしかなかった演劇のパンフや台本をタコシェで販売することで、早稲田の演劇博物館が購入していったり。

小倉東(ドラァグ名・マーガレット)がやっているオカマルトもまさにそういう発想の店です(店のサイトがないようなので、各自、検索して、紹介しているブログを参照してください)。

ゲイ関係の資料は保存されにくい。そのため、『エロスの原風景』でホモ写真を取りあげているように、私もそっち関係のものまで積極的に集めるようにしてきました。古本屋に「売りようがない」と言われて箱ごと買い取るようなことも何度かありました。

古いものを手にしていると、かつて人々がそこに託した思いを受け取ることで幸せな気分になったりするのですが、同時に「保存しなきゃ」という使命感に近い衝動もあって、とりわけゲイ関係については、この思いが強いかもしれない。ずっと捨てられ続けていますから。ノンケのエロよりさらにゲイのエロは残りにくい。

そういったものが市場に出にくいのは、自分がゲイだとわかってしまうのを恐れて、所有していた人たちが売りにくいだけじゃなくて、需要が少ないので、古本屋も扱わないのです。三島由紀夫や中井英夫が書いていたため、文学史的な資料として値段がつく会員雑誌「アドニス」のような例が少しあるだけ。

新宿二丁目に店が集まり始めた頃を体験し、記憶している人たちが次々と亡くなり、記録も手渡されない。急がないと、すべて消えます。「散逸」ではなく「消滅」です。たまたま私のところに話が来れば保存しますが、そんなものは極一部です。

田亀源五郎編『日本のゲイ・エロティック・アート』も、そういった焦燥があって結実したものでしょう。

では、どうすればいいのかと言えば、市場を作ればいいわけです。店を作って、「こういうものも値段がつくんですよ」「買い取りますからうちにもってきてくださいね」とやることで捨てられないで済む。そういう店なら、自分がゲイであることがバレることを恐れる必要もない。

ずいぶん前から、私は知人たちに「資料保存のためにゲイの古本屋をやるべき」と言っていたのですが、なかなか踏み切れず。直接、私がアドバイスしたわけではないのですが、それをやり始めたのが小倉東です。実際、利益はなかなか出ないでしょう。でも、やるしかないってことです。

そういえば、オカマルトができるずっと前のことですが、「海外のものまでは手に負えない」と思って、所有していたアメリカの初期ゲイ雑誌をタコシェで販売したことがあって、それも小倉東がごっそり買っていきました。全部彼が買ったのかもしれない。

小倉東によると、アメリカでもレアな雑誌で、高い値段で売られているそうです。こうやって価値がわかる人に渡すことで資料を活用させ、保存する手助けをするのが店というものです。

どんなジャンルに対しても通用する話ではないのですが、図書館だけが資料を保存しているわけではなく、いろんな方法で図書館が見向きもしない資料を保存することが可能であり、現に多くの人たちが、それを実行しているのだということをわかってもらうために書いてみました。

ちなみに、「てぃんくる」は国会図書館に納本されていないようです。今の段階では古本価値はゼロですが、風俗や水商売の求人誌も、将来は貴重な資料になります。そう思って、ここ数年分については私が保存しています。編集部には全号あるはずですので、当面はご安心ください。

国会図書館にある資料は遠からずすべてデジタル保存されますが、国会図書館にないのですから、こういうものこそが貴重と私には感じられます。「専門のエロだから」ってだけではなくて、「今の時代に価値がないもの」とされているものが本当に価値がないのかどうかを私は判断ができません。

これについても、国際東京ブックフェアで話した通りで、推測はできても、未来の価値を私は判断ができないため、「なんでもかんでも保存しろ」と思っています。どうしたって人的、経済的、物理的な制限がある中で、それを実行するためには、今の時代に我々が「貴重」と思えるものを幾重にも保存することよりも、それらを最小限に抑えて、より広い範囲で保存すべきだと思うわけです。

今まで捨てられてきたものについては「捨てるな」と思うと同時に、公立の図書館が重ねて保存するのは「無駄」と思ってしまいます。

その点、廃棄本を「捨てるな」と言う人たちは「図書館が保存してきた価値があるものだから捨てるな」「図書館にないものはゴミだが、価値があるものは幾重にも保存していいのだ」と考えているのだろうと思います。ホモ写真や「てぃんくる」が国会図書館にないからと言って、彼らは「保存しなきゃ」とは決して思うまい。

さもなければ、ひとたび図書館に入ってC級品となったクズ本の里親を探すなんてことをする意味がわからない。

「価値があるものとないもの」を選別する発想の貧困さについても、次の単行本に出てきますので、参照してください。

その溝は埋められそうにないので、私は無料貸本屋として以上に図書館に期待するところなどほとんどなく、「そっちはそっちで勝手にやっていればいい」と思うのですが、納税者の立場からすると、「税金の無駄遣いをするなよ」と思ってしまうのをとめらず、こんなに話が長くなってしまいました。

で、図書館については期待するところはないと言いつつ、国会図書館については、どうしても言いたいことがあります。それがために、図書館に対する不信感が拭えないのです。これについては次回(あるいはさらにその次)。

このエントリへの反応

  1. [...] 私もその作業をやっているわけです。エロを保存しているというだけではないですよ。次回、この話を書きましょう。 [...]

  2. [...] このサイトの、「マガジンポット→松沢呉一の黒子の部屋→お部屋1977/図書館の中では見えないこと 7・本は商品である」 の図書館の資料収集・保存の話がおもしろい。 [...]

  3. フリーペーパーや女性用求人誌なら昔沢山保有していましたよ。今はモモコを店頭に置いているだけですが。
    そのフリーペーパーもニュースで見ますと高校生や子供が手にとってしまう事が理由とされていますが。
    暖かい日に外でのんびりしていると女性より、おっさんの方が持って行きますね。おそらくそのおっさんが捨てるゴミも問題やもしれません。
    この女性誌こそホストクラブの宣伝の場となっておりますがそのホストクラブも女性客の来店反響を媒体で獲得するのは困難なようですね。
    風俗案内所のチケットが都条例で禁止されたときにポケパラのパクリのような有料チケットブック(実質無料で配ってましたが)配布率の割に反響なく撃沈したのを思い出しましたいやはや

  4. [...] お部屋1977/図書館の中では見えないこと 7・本は商品である | ポット出版 2009/11/05 22:58 お部屋1977/図書館の中では見えないこと 7・本は商品である | ポット出版 [...]

  5. 祖父さま

    無料求人誌も時々繁華街をパトロールしながら回収して保存してます。おっさんがもっていくのは何パターンかあって、「ポケパラ」のような無料案内誌と勘違いしている人が大多数でしょうが、中には求人広告で店の状態を知ろうとする風俗マニアもいるでしょう。

    また、少数ながら、私の同志もいるはず。エロ専門の人ではないですが、古書マニアで、ピンクチラシを集めている人が現にいます。そういう人たちが無料求人誌を集めないわけがない。

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