2009-11-02

お部屋1974/情報を訂正するためのツール

他に論じるべきことがいっぱいあって、図書館のことなんてどうでもいいと思っている私ですから、こんなはずじゃなかったのですが、長くなってしまったので、ここまでをまとめておきます。

1963/多摩図書館廃棄本問題と「書影使用自由」の表示
1966/廃棄本・里親探しの実情
1967/改めて地域資料を調べてみる
1968/除籍予定本の大半は多摩の資料ではないのでは?
1969/図書館の中では見えないこと 1
1970/図書館の中では見えないこと 2
1971/【必読】多摩図書館廃棄本についての正確な情報
1972/図書館の中では見えないこと 3
1973/図書館の中では見えないこと 4

 
「図書館の中では見えないこと 5」の前に、ちょっと気になったことがあるので、それについて書いておきます。

ひつじ書房の社長さんが今回の一件について、ブログ「茗荷バレーで働く編集長兼社長からの手紙」の 「文学者、石原都政が文化の破壊をする。都立多摩図書館の廃棄」と題したエントリーのコメント欄で、【特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩が、公式的なコメントをすべきでしょう】と書いています。

どうなんだろ。コメントするならした方がいいかもしれないですが、知るべき人たちには正しい情報がすでに届いているでしょうし、津波のごとく広がったコピー情報は、すでに回収不能です。もうその人たちに情報を届けることは無理です。

私はNPO法人「共同保存図書館・多摩」の活動については、「廃棄本の里親探し」しかわかっていないので、誤解があるのかもしれないですが、趣味の盆栽の会みたいなものだと理解しています。

どこの古本屋でもゴロゴロしている廃棄本を送るための石油エネルギーを考えると、紙として再生した方が資源の無駄にならないように思いますが、税金を使わない限りは問題なしです。最初から趣味は無駄なことですから。

また、ネットを見る限り、「廃棄本の里親探し」は過剰評価されているんじゃないかと思いますが、これは盆栽の会が世界を救うかのようにとらえて過剰評価する側の問題。

その趣味の会がちょっと口走ったことが、まさかここまで広がるとは思っていなかったでしょう。意図的なデマを流したわけでもないのですし。なのに、責任追及みたいになるのはイヤだなと。

都立図書館が具体的な迷惑をかけられたわけでもなく。最大の迷惑は私の電話かもしれない。多摩図書館と中央図書館と合わせて三度も電話して、しつこく聞いてしまったので。

都立図書館も同様で、都立図書館に対する悪いイメージが広がったということはありますから、それを払拭したい、あるいは今後なお間違った情報が出ることを避けたいのなら、都立図書館は事情説明を公開してもいいですが、それは都立図書館が判断することで、周りがとやかく言うことではない。間違った情報を流された側が、「情報を公開しなければならない」とつつかれるのはおかしな話です。

それよりも、今回の問題で求められるのは、この情報にかかわった人たち自身の反省でしかないのではないかと思います。意見をした人はしたなりの、コピーした人はコピーしたなりの、アウトプットはせず、ただ受け入れた人は受け入れたなりの反省です。ベタベタに言えば、「メディアリテラシーを身につけましょう」ってことです。

ひつじ書房の社長さんも、【文学者、石原都政が文化の破壊をする】とまで書いているわけですが、誰もそこまでは言っておらず、こう書いたのはご本人です。その責任は、ご自身がとるしかない。私がそうしたように、誰だって調べられる程度の情報だったわけですから。

個人の意見ですから、このタイトルはそのままでいいとして、あとは単純な話、訂正すればおしまいってことでしょう。コメント欄でリンクされているので、これで十分とも言えますし。

私自身、「1969/図書館の中では見えないこと」の間違いを指摘されたので、訂正を入れておきました。それ以外にも訂正をチマチマと入れていて、間違えたら直せばいいってもんです。インターネットはいいですよね、こうやってどんどん修正できますから。修正するたび学習するってもんです。

しかしながら、「メディアリテラシーを身につけよう」なんてかけ声は実効性が薄い。無駄とは言わず、そう言い続けることも必要ですが、いくら言っても、多くの人たちは、何の反省もないまま、次々とコピーしていくわけです。私自身、疑えないこともあるし、検証しないこともあります。もちろん、能力の問題もあります。できない人にいくら言ってもできないです。瀬戸弘幸に「情報を検証しろ」といくら言っても能力的にできないです。

理想を掲げても現実は変わらないので、ここで必要なのは一気に拡大してしまった情報を回収したり、訂正したりする技術なんだと思います。つまりコピーされた情報を捕捉して、正しい情報を流すようなツールを作った方がずっと有効です。

しばしばインターネットを否定したがる人たちは、こういう事例をとらえては、「ネットの情報はいい加減」みたいなことを言いたがります。現象だけをとらえればその通り。しかし、それだけでは正しくインターネットを理解したことにはならないでしょう。

アメリカのアマゾンがkindleで販売した商品に著作権侵害の疑いがあって、ある日いきなり購入した商品が消えたということがありました。「返金するとは言え、買った商品を消していいのか」とか「メモまで消えた」といった批判が生じたわけですが、そういったことが簡単にできてしまうことの怖さと同時に、「間違ったものを回収することが容易」とも言えるわけです。

悪い面を改善して、いい面を利用していけばいいだけのことです。出版物と違って、ネットでは技術で情報のケアをすることが可能かもしれない。だったら、それを追求した方がいい。

ポットの日高君、来週中に情報訂正ソフトを開発してくれたまえ。

なお、次回の単行本(タイトル未定)は、「インターネットの情報とどうつきあうか」というのがテーマのひとつで、ここに書いたような「誰か情報を検証するのか」という話も論じてます。

今年中には出る予定です。宣伝してみました。

ポットの高橋君、そろそろゲラを出してくれたまえ。

このエントリへの反応

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