2009-10-28

お部屋1969/図書館の中では見えないこと 1・図書館はコンビニである【訂正・追記あり】

もう図書館の話は飽きました。今回からまとめに入って、もともと論じたかった書影の話に移行します。このまとめがまた長いんですが、都立多摩図書館の廃棄問題に限らず、私は図書館の何を問題だと考えているのかについて書いておくとします。今まで何度も書いていることですが、読んでいない人もいましょう。

本に対する興味はあっても、私は図書館に強い興味があるわけではないです。本当は強い興味があるのですが、現状の図書館には興味を抱きようがないとでも言った方がいいかな。したがって、図書館のことを書くと批判的なトーンにならざるを得ないところがあります。

だからといって、図書館の役割を否定する意図はないですよ。図書館を敵視する一部のバカな出版社や書き手とは違いますので、誤解なきよう。

「図書館のせいで本が売れなくなる」なんて言っている人たちは正気なんですかね。今現在はともあれ、子どもの頃に図書館に世話になったことがないのかな。

ひとつの図書館に何冊も本が入るような人たちは、十分印税を得ているわけで、どこまで金に貪欲なんかと。たぶんこういう人たちと、本のデジタル化に反対する人たち、著作権保護期間の延長をもくろむ人たちとは重なっていそうです。全部、バカみたい。

私の本はどんどん図書館に入れてもらいたい。「1933/エロの排除」で、「マツワル」の購読者が、都内の二カ所の図書館に『エロスの原風景』のリクエストを出したところ、どちらも「お断り」だったとの話を書きました。

早稲田大学の図書館にリクエストした段階ではすでに予定しているとの回答があったとの話もコメントされていましたが、ウンコの写真が出ている本なんざ、その辺の公立図書館には一冊も入らないのだろうと思ってました。

ところが、その購読者がまた教えてくれたところによると、入れてくれた図書館もけっこうあります。

「東京都公立図書館横断検索」で調べると、東京都立図書館、新宿区立図書館、杉並区立図書館、文京区立図書館、江東区立図書館、目黒区立図書館、八王子市立図書館、国分寺市立図書館に入っています。53館中8館です。地域によっては、中央図書館以外にも入っていますので、10冊以上入っているのかも。素晴らしいですね、図書館は。

書誌が充実していますから、そこを評価してくれたのでしょうが、いざこうなると、「いいのかな、あんな本を図書館に置いて」と思わないではない。

当然閉架書庫です。だとすっと、利用されていないのではないかと思って、いくつか調べてみたところ、貸し出し中だったり、予約状態だったりしていて、よく利用されているようです。

利用者がいなくなったら、すぐに廃棄していただければよろしいかと。私は反対しないです。

町の図書館はタダで本が読める利便性を徹底的に追求すればいい。人気のある本を優先して入れればよい。ただし、地域資料だけはまた別の意味合いがあって、だから、今回問題にもなったわけです。

それは私の行動においても顕著に表れています。インターネットが出てきて以降は、ほとんど図書館に行くことはなくなりました。行くとすれば、それこそ郷土史の棚を見るためです。

地方都市で大きな本屋に入って、まず見るのは、地元出版社の本です。遊廓や赤線に関する本が、地方出版社から出ていたりするものですから。

「ふるさとの艶笑譚」みたいなものは別にして、売春史の資料になるようものが出るのは数年に一回ですが、使命として見逃すわけにはいかないので、まずそこを見るわけですが、それ以外の売り場は、全国津々浦々、どこの書店も一緒ですから、そのまま店を出ます。何も地方都市まで行って本屋を見る意味はない。

図書館も一緒です。地図や市史の類い、地元で出ていた新聞の縮刷版やマイクロフィルムを調べたりすることはあっても、あとは興味なし。

古い新聞まではなかなか古本屋には出ないし、そんなもんを個人で集めていたら、キリがないです。カストリ新聞のようなエロ新聞は図書館にないので集めてますが、それで手一杯。だから、図書館。

あとは入手不能になっていて、古本で探している猶予がなく、しかし、図書館にはある場合に利用するくらい。今の私にとっては、ほぼそれだけの意義しかない。

次の単行本でも、このことを繰り返し強調しているように、同じ価値観で必要と思われるものだけを切り取っていくと、いくら数があっても、すべて同じになります。意味がわかりにくいかもしれないですが、コンビニは全国各地どこも一緒ですね。牛乳やパンのメーカーが違ったりはしますけど。あとはおにぎりを電子レンジで温める地域と温めない地域があるように、客の行動も違いますけど、品揃えはほとんど変わらない。

私は「スーパーマニア」なので、地方都市では必ずスーパーマーケットを覗きます。個性がはっきりとありますし、地域性もあります。生鮮食料品の産地を見ていると、時を忘れます。しかし、コンビニは面白くない。コンビニは便利だから存在しているのであって、客を面白がらせるために存在していませんから、そんなことを言われても困りましょう。

コンビニと図書館は限りなく近くて、「図書館として必要なもの」と信じられている基準はどこも一緒、地域資料に差が出るだけ。牛乳メーカーが違うのと一緒で、牛乳の質は同じです。

つまり、本をどう評価するのかの基準も一緒です。同じものが何十という単位の図書館や公共施設にあって、それについては大騒ぎをするのに、そこからはじかれている大量の本には意識が向かわない。

今回改めて、「図書館にはいかに本がないのか」を調べたのですが、ホントにないのですよ。

『エロスの原風景』で取りあげている本の99%は東京の区立・市立・町立図書館にはありません。取りあげているのと同じ号ではないですが、文藝春秋が出していた「漫画読本」が足立区立図書館に2冊あるだけかと思います。これが1%に該当。

都立図書館でも調べてみたら、「漫画読本」が34冊ひっかかりました。手塚治虫や長谷川町子ら、当時の代表的漫画家たちが描いていますから、漫画史として貴重なのはもちろん、売れっ子作家たちがズラリと名を連ねていますので、そちらの意味でも貴重。

私はヌード写真やトルコ風呂ガイドなどが掲載されたエロ雑誌としての興味でこれを所有しています。それがメインの雑誌ではないため、それほど力を入れて集めているわけではないですが、それでも都立図書館より所有しています。

そこそこ貴重な雑誌でも、区立・市立・町立図書館には2冊しかない。それでいいわけです。そんなに利用される雑誌ではなく、こういうものは都立図書館にあればよい。あるいは大宅文庫にあればよい。

もちろん、国会図書館にはなければならないものです。さすがに国会図書館には全号揃っています。

カストリ雑誌はプランゲ文庫のマイクロフィルムに入っていて、「りべらる」もこの中にありますが、当然、GHQの検閲がなくなって以降のものはマイロクフィルムにはなく、国会図書館は現物を揃えておく必要があります。しかし、「りべらる」の3巻5号までは1冊もなく、それ以降も「欠多し」になっており、復刊後は1冊もないようです。10年以上出版され続けた時代を代表する雑誌のひとつなのに。

復刊後のもので2号ほどないものがありますが、それまでの「りべらる」は全部うちに揃ってます。また国会図書館に勝ってしまったぜ。

戦前の実話誌系の雑誌で言うと、文藝春秋の「話」だけはそこそこありますけど、あとは見当たりません。連戦連勝。

昭和初期の軟派雑誌では、「変態資料」が1号と、ゆまに書房から出た復刻版のみ。このくらいは原本が全号揃っているかと思ってました。エログロナンセンスの時代を調べようと思ったら、避けて通れない雑誌であり、ネットで探せば全号揃いがすぐに入手できるのですが、それでさえこんなもん。

復刻があればいいとも言えますが、復刻されていないこの時代に膨大に出版された華やかな雑誌群はほぼないと言ってよさそう。

かえって江戸期の資料の方が充実しているのではないかとも思ったのですが、 『吉原細見』も現物は一冊しかないのですね。また勝ちました。

ついでに旭廓の細見である『きぬふるい』が名古屋の図書館にあるかどうか調べました。尾崎久弥コレクションの中に入っていないかと思ったのですが、蓬左文庫にはなし。だったら、どこにもないのだろうと思ったら、名古屋市立図書館に6冊ありました。意外です。

『エロスの原風景』に書いているように、これは明治から大正にかけて出ていたもので、今の風俗誌みたいなものです。当時の図書館員たちは誰もこんな下品で価値のないものを図書館に入れようとは思わなかったでしょう。今現在、買えば万単位しますから、図書館が自ら購入したとも思えず、おそらくコレクターかその遺族が後年一括で寄付したものだと思われます。

大学の図書館には入っている可能性もありますが、一般の公立図書館では、おそらくここにあるだけです。国会図書館には1冊もないです。私も3冊しかもっていないです。今度見に行こう。

感心しつつも、公立図書館に負けるとは悔しいことこの上ない。国会図書館には勝てても、名古屋市立図書館に負けたのが尾を引きそうです。(続く)
 
 
追記:私が書いたことを受けて、「書物蔵」で「近代名古屋の遊郭細見のたぐひは国会に何冊ぐらいあるか?」というエントリーが書かれていました。私も検索し直してみたところ、国会図書館には「きぬふるい」が3種4冊ありました。あと、江戸期の吉原細見も1冊ということはないかと思って検索したら、たくさんありました。私は「新吉原細見」で検索してました。大量に検索していたので、ミスりました。

以上訂正しました。

類書はともかく、30冊前後出たはずの「きぬふるい」のうちの3冊あることを「書物蔵」のように「結構ある」とすべきなのか、私のように「スカスカ」と表現すべきなのかは意見が分かれましょうが、大正以降のエロ系雑誌類に関しては(納本義務が定められて以降は別として)、改めて検索しても「1号もない」というものが多いので、スカスカと言っていいかと思います。改めて検索したら、実話雑誌だけじゃなくて、犯罪雑誌、健康雑誌もほとんど見当たらないので、大衆誌全般にスカスカと言えそうです。

国会図書館は、古いものに関して、ジャンルを絞って買い集めているらしく、ここ十数年、児童文学ものを買っているという話を以前古本屋に聞いたことがあるので、大衆誌まで手が回らないのでしょう。

雑誌に比べて本はまだマシではあるのですが、それでも今すぐネットで買える「変態十二史」のようなものでも欠があり、次のエントリーに出てくる森蒼太郎の本も3冊しかありません。私の圧勝です。この人は小型本の叢書を大量に出していて、私も未だ全貌がわからず。複数の叢書の通巻を合わせると、おそらく50冊は出していると思われます。

カストリ雑誌も未整理のものが大量にあるらしいので、検索にひっかからないからと言って、所蔵していないとまでは言えないでしょうが。

続きます。

このエントリへの反応

  1. [...] 前回具体的に見たように、マイクロフィルムや復刻を除けば、『エロスの原風景』に出ているものの、おそらく9割は、国会図書館にもない。でもなあ、『きぬふるい』は、名古屋市立図書館に6冊もあるのかあ。悔しいなあ。 [...]

  2. 俺ん家の近くの公民館の図書室に「風俗バンザイ」はありましたよ。あすこはいいとこです。
    国会図書館館には「DOLL」も全部は揃ってません。「ZOO」に至っては一冊もないです。音楽ものは案外最近のものでもないですね。

  3. いぬん堂さま

    この機会に、私も自著を検索してみたのですが、入っている図書館には数種類入っていて、入っていないところはゼロといった具合で、かなり偏ってます。図書館員の傾向なのか、リクエストを出している利用者がいるのか。

    揃っていないのは、納本していないからでしょう。特に「DOLL」の頃は取次を通していなかったんじゃなかったっけ。そうすっと、自分のところで納本しなきゃいけないですが、そんなことしないでしょう。罰則があるわけではないし。

    その点、今問題になっている地域資料のほとんどは国会図書館にあるはずです。だったらいいじゃんな。

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