2008-12-20

辻仁成『ワイルドフラワー』


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● 辻仁成『ワイルドフラワー (集英社文庫)

★★ 伏見には文学が本質的にわからないのです

ニューヨーク、破滅、ホモセクシュアル、インモラル、純愛…といった言葉がちりばめられた宣伝文句から、「過激なエロチシズムや風俗」を売りにした、ありがちな小説なのかという気がしていたが、『ワイルドフラワー』が問題にしているのは、今日の男としてのアイデンティティーとは何か? という極めて時代的なテーマであった。
 
肉体的にも想像力においても盛りを過ぎた中年作家と、自分がゲイではないかとおびえ、そのことに決着をつけようとニューヨークへやってきた青年。恋人の白人女にペットのように調教されてきた写真家の卵。その三人の男たちが、一人の女との関係を軸にして、自らに男としての存在証明を試みようと苦闘する物語が、同時進行していく。

ニューヨークにおける日本人男性という状況設定は、アメリカと日本という国家間の主従関係と同心円の構造になっている。白人女性に対しては卑屈にならざるをえない日本の男たちのありようは、まさに男らしさを奪われた男たちの極限の姿であり、その彼らが唯一、男としての自信を取り戻すことが可能なのが、ミニチュアな日本とも言える日本人向けバーで働く留学生の女との関係性においてなのである。

しかし、男たちが日本女性の幻影を託した彼女でさえも、現代をしたたかに生きる「私」であって、匿名の「日本女性」ではありえない。男たちの存在証明は挫折を重ね、最後に破滅的な終末を迎える…。彼らのアイデンティティクライシスは、まさに現在の男女間のジェンダー規範の揺れそのものである。しかし、この小説にいまひとつ力強さが足りないのは、その問いが結局のところ、男たちの愚痴のレベルに回収されてしまっているところではないか。破滅や逃亡ではない、現実との緊張を維持した答えは見だせない。時代が求めているのは、その先の展望だ。

そういう意味では、あいまいで逃避的な作者の視線そのものが、男たちの現在の限界を示していると言えるかもしれない。

*初出/北日本新聞(1998.11.15)ほか