2008-12-20

長山靖生『鴎外のオカルト、漱石の科学』


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● 長山靖生『鴎外のオカルト、漱石の科学』(新潮社)

★★ 現在も世の中の半分はオカルトですよね(笑)

『鴎外のオカルト、漱石の科学』、なんとも妖しい題名である。といっても内容はけっしてキワモノではなく、本格的な文藝評論、時代批評となっている。

著者のあとがきによれば、「二十世紀は科学の時代だったが、漱石や鴎外は、科学の成果や自然科学が提示した新しい思考法を、どのように理解し、また利用したのだろうか」という問題意識から、「時代を超えて読み継がれて、後世になっても同時代人のごとくに影響を与え続ける『不死の人』」としての彼らを輪郭づけている。

19世紀以降、近代社会は、科学技術の発展とともに、それと大衆との乖離を埋めるようなかたちでオカルティズムのような思想を不可避的に流行させてきた。その出自から言って、科学とオカルティズムはある意味で表裏であったと言えるのかもしれない。

漱石の時代、そうした流行は日本でも起こり、彼も大きな関心を払っていた。そして、科学そのものと社会化された科学的言説が異なることを大衆が区別できない以上、科学によって粉飾されたオカルティズムが科学によって否定されても、その暗示力が失われることはないということも理解していた。

鴎外自身、この著者によって周辺にオカルティズムに影響された人物がいた事実が明らかにされる。しかし彼はそういったものを信じるわけではなく、「『かくある』事実と『かのように』という願望を混同する人ではなかった」。鴎外はその危険性について自覚していたが、そういった資質が彼を幸せにしたのか、著者は深く思いを馳せる。

オウム世代であり、林郁夫被告と知人であったという著者は、まさに現在私たちが抱えている問題をここで問うているのだ。科学とオカルティズム、そしてそこから導きだされる「リアルとは何か」という命題を、近代を遡行することで、そして漱石と鴎外という近代と格闘した巨人たちを鏡として、あぶり出そうとしている。

*初出/山形新聞(1999.11.8)ほか