2008-11-26

田口ランディ『被爆のマリア』


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● 田口ランディ『被爆のマリア』(文藝春秋)

★★★★ こんなに上手に小説を書いてみたい

「川の水はいつも流れているが、川は変わらない。変わっているのに変わらないもの。それが川だ」。ここに収録された4つの短編小説は、原爆と今、戦争と平和の間を流れている川の水音を聴き取ろうとした物語である。

著者の田口ランディは「イワガミ」で、広島を取材する作家、羽島よう子に自分を託したのだろうか。羽島は、平和記念式典が形骸化している様を目の当たりにしたことで、心のひっかかりを得、広島について書きたいという気持ちを強くする。「私の知らないリアルに触ってみたかった。私にとって戦争はいつも遠い国で起こっているバーチャルなもの。悲惨さと自分との距離感がわからない」。

いまや修学旅行の見学コースの一つでしかなくなった原爆ドームのように、戦争も平和もリアルではなく、形式としてしか理解されていない。けれども過去は現在と断絶しているのだろうか。戦争はただの歴史にすぎないのか。いや、そんなことはない。記憶の暗渠で、それらは密やかにつながっている。

「永遠の火」に出てくる父親は、娘の結婚式のキャンドルサービスに、受け継いだ原爆の火を用いることを望んでやまない。「思想とか理念とか、そういうものと関わらずに生きてた」娘は、それを拒絶しようとしながらも、父親の執着の裏側にある何かを感じる。

「時の川」では、被爆者のミツコと、小児ガンで成長の遅れた中学生の人生が、修学旅行での講演会を通じて交叉する。そこには、それでも生き残ってしまった人間の生命力と、生きることのとば口でとまどう頼りない生が、図らずも共鳴し合う。

「被爆のマリア」に描かれたのは、原爆によって生み出されたもっとも悲惨な像に、自分を重ねざるを得ない現代の若者の闇だった。

田口は、一見復興したかのような街並の地層を、用心深く掘り下げる。そしてそこに隠されていた過去と現在の絆を露にしてみせる。その祈りにも似た文体は、戦争の記憶に新しい命を与えた、と言っていい。

*初出/時事通信→茨城新聞(2006.6.11)ほか