2002-03-11

電子文藝館と作家

学術情報を中心にここまで見てきたが、オンライン出版やオン・デマンド出版などのいわゆる電子出版物はなにも学術的なものに限定されているわけではない。むしろ、今日ではあらゆる分野に及んでいると考えた方がいいだろう。また、そのことが社会的な関係性の変化をもたらすという点でも共通しているのである。
 
例えば、文学である。アメリカの人気作家スティーブン・キングが電子ブックだけで『Riding the Bullet』や『The Plant』を発売して話題になったことは記憶に新しい。日本でもすでに東西の名作古典を提供する「グーテンベルク21」や「青空文庫」のような無料のサイトや、「電子文庫パブリ」やイーブック・イニシアティブ・ジャパンなど文学作品を有料で提供するサイトが現れている。また、一方では作家たちが共同で小説をインターネット上で「産直」する「e-NOVELS」もスタートしていた。
 
しかし、最近になって文学そのものを変えていくのではないかと予感させるいくつかの事例が現れてきた。その一つが2001年11月26日に「開館」した日本ペンクラブの「電子文藝館」である。
 
じつは私自身も2001年9月17日、井上ひさし・小中陽太郎両氏の推薦で日本ペンクラブに加入したので、この「電子文藝館」には今後かかわっていきたいと考えている。
  
「電子文藝館」の総目次を見ると「歴代会長、詩、短歌・俳句、戯曲・シナリオ、ノンフィクション、評論・研究、随筆、小説、児童文学、オピニオン、翻訳、外国語、索引」となっている。完全に無料公開されており、閲覧だけではなくダウンロードも自由である。
 
そして、ここに作品を発表することを日本ペンクラブとして会員に呼びかけているのである。そもそもこの構想の推進役であり現在、電子文藝館の主幹である作家の秦恒平氏は次のように書いている。
 
「『電子文藝館』という『場』で、過去・現在の会員が『地方・中央』『有名・無名』『ジャンルの違い』超えて、全く平等・対等に自愛・自薦の『自作』を呈示し、読者の鑑賞ないし評価を求めている、ということでもある。」(「出版ニュース」2002年3月中旬号・「電子文藝館への招待」)
 
実際、このような試みはおそらくその期待通りに作品のデータベースとして機能することは間違いないだろう。もちろん、だからといって何も紙の本がただちになくなるわけではない。しかし、これまで文芸という領域のもっていた閉鎖性に風穴があくことは間違いないだろう。これまで文学者の生活を支えていた出版資本が文芸作品という商品を、インターネットでの無料公開とどのように折り合いをつけていくのか、価格付けの整合性を見出していくのか、興味は尽きないのである。
 
私としては作家というものは近代の所産であり、すでにその職業的な役割は終盤に近づいているような気がしてならない。出版業界ではよく冗談でこう言われていた。作家にとっては雑誌が月給で、単行本がボーナスで、文庫が年金だ、と。ところが、すでにそのようなサイクルは出版業界では破綻している。雑誌は創刊と廃刊を激しく繰り返し、ジャンルは細分化され、それぞれのフリーライターとその予備軍が数多く存在する。単行本はごく一部のメガヒット以外は以前に比べて初刷部数は減少し、芥川賞作家の名前さえ多くの人は知らない。文庫は評価が定まったから出版されるのではなく、まるで単行本の価格破壊のためにタイムリーに出版されては品切れになって、しかもなかなか増刷されない。
 
こうなってくると、作家は講演など出版以外の部分を当てにするよりほかはないだろう。なぜなら1000円の本が1冊売れるごとに作家に入る印税を100円とすると、書いた本が3万冊売れたとしてもようやく年収は 300万円にしかならない。毎年、毎年3万冊売れる本を書き続けることはごく一握りの作家にしかできないのである。
 
ところが、一方で現在は読みたい人よりも書きたい人の方が多いのではないかと思えるほど、書く人が出現してきている。
 
例えば文芸社が2000年12月に開設したサイト「ブーンゲート・コム」にウェブ作家登録した人は1ヶ月で約270人に達したという。また、トランネットが運営する翻訳者のオーディションサイトでは、オーディション参加料2000円を払ってまで、メールで訳文を送る人たちが多いときで約150人も競い合うというのである。(「朝日新聞」2001年2月19日付け・大阪本社版夕刊)
 
つまり、文芸という領域は今後、おそらくインターネットによる作品の応募、デビュー、配信、作品のデータベース構築といった流れの中で、紙の本が主流であった時代では考えられなかったようなものに変質していくのではないだろうか。そして、ここでも大量のコンテンツと作品の質の問題についての議論が高まっていくことになるのである。