2002-02-18
論文のネット上での無料公開
前回、著者である大学の教員は教科書執筆から得られる印税がゼロになっても、多くの読者を得られるのであればみずからの講義ノートをインターネット上で無料公開するだろう、という趣旨のことを書いた。すると、ポット出版の沢辺さんより、教科書のバリエーションはいっぱいあって、ほとんど自費出版に近いスタイル、何部か著者買い上げがあるもの、かならず学生に買わせることを前提に出版されているものなどがある、とのご指摘をいただいた。つまり、印税なしのケース、教科書の買い上げで印税と相殺しているケース、印税が支払われるケースがあるというわけである。
なるほど教科書と呼ばれる出版物のもう少し厳密な定義が必要だったかもしれない。ここでは大学の教科書に限定して話を展開したが、もちろん専門学校やカルチャーセンターのようなところで使われる教科書や教材など、教育関連出版物の幅は広い。この種の教科書や教材は塾や資格試験などにおけるe-ラーニングの展開の問題とあわせて、また、いずれ触れることにしたい。
話を戻すと、たしかに大学の教科書を執筆したからといって著者である大学教員に印税が入るとは限らないことは私も知っている。出版してくれるだけでありがたい、と教員が考えるケースがあるのは事実である。しかし前回、私が取り上げたのは、一般的に大学の教科書として発行され、その教員の講義を受講する学生数の部数をいわば基礎票としながらも、一般の読者にも販売されるような種類の本についてであった。そして、私がそこで主張したかったのは大学教員が「印税より引用」を選択するということである。そうすると、これまで紙の本として大学の教科書を出版していた出版社は、教員がこれからは教科書を執筆してもインターネット上で無料公開すると言い出せば、打つ手はないのではないだろうか。
では、教科書ではなく、論文の場合はどうだろう。
論文の公開に関しては、二つの流れがある。一つは教員みずからが自分のホームページ上で論文を公開する場合。そして、もう一つは教員が所属する大学や研究機関が紀要などをその機関のホームページ上で公開する場合である。
まず、教員みずから公開することは今日ではかなり広く行われるようになってきた。例えば、岡本真氏(Academic Resource Guide編集兼発行人)は次のように書いている。
「手元の私的なデータベースに記録してあるだけでも、文科系だけで実に2000人を超える研究者がウェッブサイトを開設している。(中略)いずれも論文や書評、文献目録、データベース、年表等、なんらかの学術情報を公開している。」
(岡本真「これからの学術情報流通におけるインターネットの役割」『大学出版』No.49・2001年夏号・大学出版部協会)
これだけの研究者がすでに論文などの学術情報をインターネット上に公開しているのである。そして、この数は増えることはあっても減ることはないだろう。
岡本真氏はこの論文の中で、特に「二村一夫著作集」と「森岡正博全集」という二つのサイトを取り上げ、「専門分野も世代もだいぶ違う二村氏と森岡氏だが、同じように既発表作品の電子化を進め、それにとどまらず新作の公開を試みているわけだ」と書き、読者に論文を読んでもらうためにはこれまでの学術出版では不十分であるという認識が研究者にあることを指摘している。
第二の、大学や研究機関が公開する場合はどのようなものだろうか。
現在では研究者が大学の発行する紀要などに論文を書く場合、あらかじめ著作権上の許諾条件に同意を求められることが多い。すなわち、著作物をデータベース化し、それを学内で公開することや、CD-ROMやDVDなどの電子媒体に複製して配布すること、さらにインターネットなどを通じて配信することに関して、大学や研究機関に許諾を与えるのである。もちろんデータベース化された著作物の著作権は著者である研究者に帰属することが明記されている。また、許諾期間は70年間と定められていたりするのである。
このように紀要に掲載された論文が公開されるのが常識化してくると、紀要に発表した論文を集めて出版社から刊行するということが成り立ちにくくなるのではないだろうか。従来から論文集の読者は研究者仲間である。それが個々の論文単位でダウンロードすることができるのだから、単価の高い論文集を購入する意欲は減退するにちがいない。
論文単位で入手できるシステムが従来の学術出版に与える影響について、さらに詳しく次回考えてみたい。