2002-08-26

デジタル化と劇場化―福嶋聡『劇場としての書店』に寄せて

福嶋聡氏が『劇場としての書店』(新評論)を7月に出版した。すでに『書店人のしごと』(1991年6月)、『書店人のこころ』(1997年2月、いずれも三一書房)という著作において福嶋氏は、プロの書店人がPOS(販売時点情報管理)システムを活用すれば本と読者はもっと出会うことができるという主張を展開してきた。

今度の本はそうしたこれまでの論をさらに書店の劇場化という観点から深化させたものと言えよう。「舞台としての売り場」「役者としての書店員」「演出家としての店長」というこの『劇場としての書店』という本の基本構造は、ジュンク堂書店を舞台に見立てた演劇論的書店像を浮かび上がらせているのである。

1990年に私が『書店論ノート―本・読者・書店を考える』(新文化通信社)を、そして1991年に福嶋氏が『書店人のしごと』を相次いで出版した時、二人の論点はおおいに異なるように思えた。福嶋氏は『書店人のしごと』の中で私の『書店論ノート』を次のように批判している。少し長いが批判の部分を引用しておこう。

「具体的な数字をあげての検証は大いに参考になるし、著者の総括と意見には概ね賛成であるが、不満な点が二つある。

一つは、『書店の情報機能の問題が改めてクローズアップされるのは当然のことである』としながら、書店SA化構想について、その否定的側面ばかりが強調されている点である。確かに現状では、発注時に融通が効かない、検索に手間やコストがかかる、商品によっては疎外されるおそれがある、POSレジが『売れた!』と叫んでいる本が確実に入荷する保証がないなど、著者の指摘するように問題は山積みにされている。『取次間の帳合争いの一つの武器』にすぎないと言われても仕方のない面がある。 POS情報に頼り過ぎると書店のCVS化が進んでしまう可能性も十分にあり、そのことが本という商品には馴染まないという意見もよく分かる。しかし『可能性』はあく迄「可能性」であって、それを現実化するのは書店人である。機械やシステムにその責を負わすのはフェアではない。膨大なデータとさまざまな加工、分析結果をどう読み、どう活用するかは書店人の仕事であり、本来そこには書店人の個性が大いに反映される筈なのだ。そうした能力も含めた人材育成が急務だと思われる。無論現在のシステムには大いに不満だが、ならばより積極的に真に実のあるシステムに取り組むべきではないか。マイナス志向ではなくプラス志向を、と言いたい。(以下、略)」

論点になっている書店SA化とは、一言でいえば、レジスター系としてのPOS、事後処理に重点を置くパソコン、取次などを結ぶ業界VANの通信系を組み合わせて、販売管理、受発注、書誌検索の合理化をはかり、ストア・オートメーション(SA)化しようとするものである。また、私が『書店論ノート』で批判した「書店SA化構想」とは日本書店商業組合連合会(日書連)が提唱していたもの。日書連は1983年にそれまでのISBN(国際標準図書番号)特別委員会をSA問題特別委員会に改組し、以降、業界VANを前提としたSA化に力を注ぎ、BIRD-NETを開発しようとしていたが、『書店論ノート』執筆時点ではそのBIRD-NETも本格的に稼動はしていなかった。

私は福嶋氏から『書店人のしごと』を寄贈されたとき、面識はなかった。さっそく、お礼と共に本の感想を書いた手紙を送り、不幸な形での書店SA化にならないようにするために反論を書きますと予告しておいた。そして、その反論は結局、出版業界紙「新文化」に依頼された書評の中で書くことになった。「SAの本質見落とす」と題されたその書評記事において、私は次のように書いている。

「SAが『人減らし』を意味するのではなく、省力化の目的は書店人の質的向上にあると著者は主張するが、SA化の目的の一つには作業の標準化と労働生産性の向上にあるとみるのが普通であり、商業における小売店の現状も少人数管理・長時間営業の方向に進展してきている。POS管理の各種データは生業店では店主が、大型店では各売場責任者が、FC店では店長や本部スタッフが利用するだろうが、現場の仕事自体はより”作業”化すると私は思う。『SA化によって余裕の出来た時間』を労働者が創造的に使っている小売店の例を教えてほしいものである。」(「新文化」1991年8月8日付け)

ところがこの書評が掲載されてから1ヶ月もたたないうちに、「新文化」の加賀美編集長が突然解任されるという出来事があり、福嶋氏との論争は「新文化」紙上では展開されないままになってしまったのである。(「新文化」では連載コラムの「独断批評」も突然連載打ち切りとなったが、その「独断批評」を集めた『出版界「独断批評」』(1991年、第三書館)の中で北川明氏が次のように書いている。「私たちが書いていた出版業界紙『新文化』のコラム『独断批評』の唐突な中止が起きました。『新文化』編集長の更迭と同時に行われたこの処断の原因として新文化通信社の社内事情があったことはもちろんですが、外部の大出版社、大取次の『圧力』も否定されていません」同書366ページ)

一方、私が発起人であり事務局をつとめる書店トーク会では福嶋氏を1991年7月29日ゲストに招き、「SA化時代の書店―『書店人のこころ』を出版して」というテーマで話していただいた。そして、それ以降、世話人まで引き受けていただいて、書店トーク会を共に運営する時期もあった。しかし、残念ながら当時、ジュンク堂書店京都店にいた福嶋氏はその後、仙台店、池袋店と転勤されたので、鳥取の大山緑陰シンポジウムで会うなど、たまにしか会えない状態が今日では続いているのである。

ところで、私たちの論争はというと、ミネルヴァ書房のPR誌「ミネルヴァ通信」で展開されることになった。福嶋氏が1993年10月から12月までの3回、私が1994年2月から4月までの3回、連載することになったのである。

この中で福嶋氏は要約すれば次のような論を展開している。

1●POSシステムはコンビニエンス・ストアなどで大いに力を発揮している。 2●本という商品は一度見ればそれで終わりであり、一人の顧客が、何度も、場合によっては毎日同じものを買う食料品、日用雑貨とは違う。
3●しかし、雑誌や継続の書籍などではPOSデータはかなりの力を発揮する。
あるいは同一著者の前著がどれだけ売れたというデータも無意味ではない。 4●書店のSA化によって「書店人」はもういらないという考え方には反対である。POSデータを有効に利用できるのは「真の書店人」だけである。
5●SAからSIS(戦略情報システム)は可能か。小売店のPOSデータを即座に吸い上げ、生産過程に反映させるSISを出版業界にもち込めるか。さまざまな店からのデータを集積し、流通現場でのPOSも含めてどこにタマがどれだけあるかを把握出来れば、本を売るという「いくさ」を断然有利に戦える。

このように福嶋氏は書店のPOSデータを出版社が活用する必要性をすでに1993年時点で説いている。これは日本の出版業界の中でも特筆すべきことだろう。

一方、私は福嶋氏に対して次のように反論している。

1●書店にPOSレジを導入してSA化すれば便利だという議論は、「だれにとって便利なのか」「どの規模の書店で有効なのか」ということが論者の視点の違いによって異なる結論が導き出されている。
2● 1991年の日本書店商業組合連合会の調査に現れた典型的な書店は「60歳近い店主が個人経営する20坪ほどの店で、商店街に位置し、雑誌を7割・書籍を 3割の比率で売っており、他に文房具も置いている。夫婦でやっているが女性のアルバイトかパートを雇い、売上げの2割ちょっとは外商」、といったところである。
3● 70年代後半より異業種参入や再開発商業地域への大型書店の出店、郊外型書店・複合型書店の誕生、コンビニエンス・ストアにおける文庫の取扱い、書籍宅配便の登場など、これまでの生業的書店のあり方をくつがえす状況が次々と現れ、「雑高書低」などといわれる読書環境の変化とも相まって個人店舗の書店に大きな打撃を与えてきた。
4● このような中で書店SA化の思想が登場してきた。日本の書店のほとんどを占める中小零細書店を常に念頭においた議論をするとすれば、SA化は回転率の悪い少部数出版物をますます書店の棚から排除することになるのではないか。つまり、書店のコンビニ(CVS)化である。
5● SA化をめぐる楽観論に対して3つの疑問がある。第1に、取引上の力関係による矛盾(例えば「売れ筋商品が入荷しない」など)をSA化によって解消できるかのように語ることは問題の本質を見誤ることになるのではないか。第2に、個性的な書店が画一化・標準化された上で出来るというのは幻想にすぎないのではないか。第3に、書店労働の質を向上させるのではなく、「パートで出来る店」が目的となっているのではないか。

1993年11月、ジュンク堂書店三宮店(当時340坪)において、大型書店では先駆的ともいえるPOSレジ導入が話題となった。これまで中規模店がほとんどであったPOSレジがついに大型書店での販売データの把握に使われはじめたのである。そして、1994年3月には紀伊国屋書店本店にもPOSシステムが導入され、それ以降、SA化による書店間競争の時代へと突入していく。1998年6月に稼動した文教堂の出版社向け情報システムなどに象徴されるように、書店から出版社へ販売データを提供することによって出版社と書店が強い関係で結ばれることになったのである。つまり、物流と直結していなかった書店のPOSシステムは新たな段階を迎えた。発注業務や書誌検索業務の迅速化、低コスト化だけでなく、再販制崩壊後をにらんだ大型書店の販売戦略にとって必要不可欠なものに変貌してきたのである。

この流れを見ると、大型書店に関しては福嶋氏が主張していた通りの「戦略情報システム」化が実現しつつある。しかし、中小零細書店について言えば私が危惧していた通りの展開になった。つまり、小規模の書店ではいくら販売データを蓄積しても出版社や取次による物流支援なしではSA化のコストに見合わないのである。もちろん、京都の三月書房のように売れ筋の新刊を追い続けることをあえてせず、店独自の仕入れをすることによってその販売データを出版社に送り、読者だけでなく出版社からも「三月書房ファン」が現れるという個性的な書店が存在することは事実である。しかし、POSレジによって得られた膨大なデータを分析して次の販売に活用できる書店、SA化が目的でなくSA化によって多様な読者の要望に応えていこうとするジュンク堂書店のような事例はむしろ特別だと言えるだろう。

私と福嶋氏の考え方は異なるようでありながら、読者と書店の関係性を重視する点ではじつはきわめて近い。書店労働について福嶋氏は次のように書く。

「本を販売することに『命をかける』書店人=鬼、それをサポートする情報機器=金棒、その両方が相まって、つまりはうまく出会えて協力できて初めて書店は活性化する」(『劇場としての書店』、154ページ)

私も「本をよく読んでいる書店の人間が共感をもちながら読者と接している、そういう場としての書店、関係性としての書店が、読者に支持され、メディアとしての出版の活力につながっていく」(『書店論ノート』、184ページ)と書いている。ただ、福嶋氏との論点の違いは、おそらく私が「コンピュータ=道具」説をとらないことにある。

その後、私は2000年8月に「デジタル時代の出版メディア」(ポット出版)を書き、『書店論ノート』を刊行した1990年から10年の間に起こった出版業界の変化を「デジタル化」というキーワードで読み解こうとした。オンライン出版、オン・デマンド出版などの電子出版、インターネット書店、書誌情報・物流情報という3つの分野で起こっているデジタル化の動きを紹介し、分析を試みたのである。

福嶋氏は「そのころは、書店の業務にコンピュータを導入しようと提唱しただけで白眼視された時期であった」(『劇場としての書店』、152ページ)と書き、私は「書店がSA化していくという方向性自体は出版業界において『常識』になりつつあり、このことに異議を唱えることは、頑迷で時代錯誤的な前近代主義者というレッテルを貼られそうな時代の気分です」(「ミネルヴァ通信」1994年3月号)と嘆いている。私たち二人は微妙にすれ違いながらも、一貫して本と読者、そして書店について考えをめぐらせてきた。

しかし、皮肉なことに今日では本を読む人、すなわち読者の存在自体が社会の中で明らかに少数派となってきている。また、書店の転・廃業は年間 1000軒と言われ、出版業界全体の売上げにしても1997年から2001年まで5年連続の前年割れとなっている。書店のローコスト・オペレーションは行きつくところまで進展し、POSシステムのない大型書店はないに等しく、店長と何名かの社員がいるだけであとはすべてパート・アルバイト。しかも、その人数は10年前の半分以下にまで抑えこまれていたりする。また書店員の仕事もSA化で大きく変貌した。顧客に本のありかを尋ねられた時に、まっすぐに棚に向かうのではなく、まず端末のキーボードを叩いて棚番号を調べてから探しにいくという光景が現れている。

こうした様子を見るにつけ、私は「POSシステムは道具に過ぎない」といった言説をそのまま受け取ることができない。やはり、POSシステムは本や読者に対する書店の考え方に影響を与えるだろう。そして、それは結局のところ出版社の考え方、著者の考え方にも影響を与えるのではないだろうか。POSシステムに使われるのではなく、うまく使いこなすことを自明の理として論を展開するジュンク堂書店の福嶋氏のような才能ある人物が書店業界に多数存在するわけではないと思う。また、いたとしてもそれはいくつかの大型書店の発展には寄与しても、日本の書店のほとんどを占める中小零細書店ではなかなか力を発揮できないように思われるのである。

私はいま出版メディアがデジタル化の洗礼を受け、今後どのような展開をしていこうとしているのかということに関心がある。電子出版に象徴されるようなタイプのデジタル化の動きに対して、逆に手触りや臨場感などが改めて見直されてきていることも事実である。むしろ書店という業態が生き残っていくのは書店のもつ広場性という特性によるものであり、まさに「劇場としての書店」こそが演出されなければならない。

福嶋氏がジュンク堂書店という書店現場の中で、「劇場としての書店」をどのように発展させていくのか。今後も福嶋氏から目が離せないのである。

「デジタル化」と「劇場化」がこれからの書店を考えるキーワードとなることだろう。