2005-10-04
しがらみと既得権への態度について
日経新聞の2005年10月3日夕刊です。
UFJ総合研究所理事長・中谷巌さんが、書いてました。
「民主党代表に四三歳の前原誠司氏が選出された。彼が選ばれたのは「しがらみを断ちきり、既得権と決別する」なみなみならぬ決意が立会演説会を通じて民主党議員に伝わったからだという。」と。
日本の政治は、しがらみに配慮し、既得権を尊重してきた、と続きます。
まあ、言ってることにも少しは共感しないわけではないんですけど……。
ボクは、この[二分法][純潔主義]みたいのが、結局はしがらみ優先にをまねくんだと思うのです。
完全にしがらみを断ち切るのはむりだと思うのです。
何年か前に、コーヒー豆の仕入先をかえました。
偶然中野の商店街で見つけた「2〜3キロ以上なら焙煎してから届けてくれる」店を見つけました。
値段もまとめ買いなら安かったんです。
でも、それよりも安い店を見つけて(理由はほかにもこまごまあるんですけど、省略します)乗り換えてしまいました。
そのころには、前のお店から時々電話がかかってきて「近所に配達にいくんですけど注文はどうですか」などと言われました。
で、とりたてて不満があったわけではないので、その電話にはボクはでずに、他の社員に、「まだ間に合ってます」的な
返事をさせていました。
しがらみです。
こうしたしがらみはどうしたって残ってしまう。
しがらみを引き受けて、かつ、一番いい道を選ぶようにする、ってのが必要なんじゃないでしょうか。
民主党の労働組合とのしがらみを、ただ「断ち切れ」とせまっても、現場はゼッタイにサボタージュして、しがらむと思います。
現場とは、たとえば選挙の場面です。
選挙区内の掲示板に一斉にポスターをはるには、労働組合のような組織的な動きができる人たちは貴重だと思います。
力を借りなければポスターを貼れない候補者のドキュメントを見たこともあります。
そうした「現場」でただ、しがらみを断ち切れ、と言っていても「そんなこといったって」となってしまう気がするのです。
先日も、出版社同士で飲んだとき、結局そうした取次との既得権をどう守るかって話になって、全員既得権を守ることに確信をもってました。「自分の仕事はそれだと思ってる」といいきる人も。
そこに、原理を言い立てたってむだです。
そうした現実とその矛盾を引き受けて、なお、しがらみと既得権の陥る問題部分を排除する、知恵とやり方が必要なんじゃないかとおもうんです。
むしろ、中谷さんのように原理ばかりを言い立てる人へのうさんくささ、も持ち続けたいと思ったのでした。