2012-02-07
書評『〈麻薬のすべて〉』
● 船山信次『〈麻薬〉のすべて』(講談社現代新書)
東日本大震災の直後に読むと、本書『〈麻薬〉のすべて』のあとがきは、まるで予言ような示唆に富んでいる。「対応を誤ってしまったら麻薬や原子力は間違いなく人類を滅ぼす可能性を秘めている。今、人類にはヤク(薬)とカク(核)との付き合い方が真剣に問われているといってもよい」
たしかに核に関しては、私たちは福島原発の事故を目の当たりにし、今後、その利用について再検討がなされることは間違いないだろう。一方、本書のテーマであるところの〈麻薬〉は、いまだ検討すべき課題として国民的な関心を集めているとはいいがたい。芸能人のスキャンダルとして話題になることはあっても、多くの国民にとって薬物使用の問題はまだ自分とは遠い世界のお話のように感じられているのではないか。
しかし実態は少々異なってきている。『データで見る、ゲイ・バイセクシャルとHIV/エイズ情報ファイル 2010』によれば、ゲイやバイセクシュアル男性の過去6ヶ月間のセックス時のラッシュ・5meo・覚せい剤・その他のセックスドラッグ使用経験は、全体で18.9%、約5人に1人は使用したことがあるという結果が出ている。そうした増加傾向はセクシュアリティに関わりなく、「全国15歳以上の住民の違法薬物の生涯使用経験率」(厚生労働省 2009)という調査でも、有機溶剤、大麻、覚せい剤等々のどれかを使ったことがある人の割合は、09年で2.9%に上がってきている。
こうした状況のなかで私たちがすべきことは何なのか。それはドラッグから目をそむけることではなく、まず、それらについて知ることではないか、というのが本書のテーマの一つだろう。たしかに、何も知らずにただ禁止だけが押しつけられるとき、人は手を出さないという選択をするだけではなく、反対に、それに魅力を感じてしまう面もある。実際、青少年がタバコに手を出すときには、その効能自体よりも、悪いことをしているという背徳感に背中を押されるものだ。
そういう意味では、博物学的にそれらについて説明してくれるこの本から得るところは多い。ある薬物がどのように生まれ、使用され、どうして禁止されるに至ったのか、その背景まで含めて説明してくれるからである。例えば、ヘロインはモルヒネのアセチル化によって得られる薬物で、そもそも1899年にアスピリンと同時にバイエルン社から発売された鎮咳剤だった。その効能も大きかったが、しかしすぐに依存性や禁断症状があることがわかり、禁止されるに至った。にもかかわらず、世界では現在もっとも大量に出回っている「依存性薬物」なのだそうだ。
本書に記されている、戦争と薬物との関係も興味深い。11世紀、イスラム教徒のなかで他民族を虐殺した暗殺団の名前が、ハッシッシュの使用を意味していたという事実。アメリカの南北戦争でも、国内のモルヒネ中毒者が増加した。日本では明治期に国内で覚せい剤が生み出され、それはやがて戦時の工場労働や特攻隊などでも用いられることになった。そして軍が保有していた覚せい剤が戦後、市中に放出され、ヒロンポンという名で依存者を急増させたという。
しかしそもそも薬物に悪や善は関係ない。モルヒネに見られるように、使用法によっては医療に役立つものもある。アルコールなどは、過ぎた飲み方をしなければ日常生活にリラクゼーションを与える良い面もある。問題はその薬物の光と影の面をちゃんと理解し、適切に用いること、そして用いないことである。
実のところ、いたずらに恐怖心を煽り立てるよりも、客観的な事実をつまびらかにされるほうが、恐ろしさも確実に伝わる。そのことを本書ははっきりと伝えてくれるだろう。