2009-07-25
蔵出しエッセイ「オネエたちのリブ?」
*初出「サイゾー」2008.1
「おネエ★MANS」のゴールデンタイムに進出は、おネエやゲイなど性的少数者の社会的地位がアップしている状況をそのまま反映している。以前ならおネエがテレビの主役になることは考えられず、ちょっとスパイスの効いた添え物の役割りしか与えられなかった。
80年代の半ば、時代がバブルに向う爛熟した時代ではあったが、こんなことがあった。セクシー系の深夜番組が(当時としては)いささかはじけているのにいらだったある保守政治家が、おすぎ&ピーコのことまで「オカマなんぞがテレビに出て」と批判した。おかげで彼らは一時番組を降ろされ、ピーコも傷心だった。消費社会、ポストモダンとはしゃいでいた80年代でさえ、そんな差別があからさまにあったのだ。
そのことを考えると、いまおネエたちがお茶の間に向って、自由に自己表現している姿は、日本に多様性が実現している象徴ともいえる。
反差別運動の一部や、嫉妬深いゲイの仲間内からは、「ああいうふうに笑いの対象にされているうちは、差別が厳然とあるということ」という冷たい声もないではないが、笑われながら愛され、バカにされながら憧れの対象にもなるおネエたちの戦略は、どんな反差別の営為よりも実際的な効果を上げている。
「おネエ★MANS」には登場していないが、美輪明宏やピーコは、もはや「日本の教祖」「日本の母」のような存在になっているではないか。あるいは、性同一性障害を公言している中村中は紅白歌合戦に赤組として参加している。欧米なら保守派や宗教原理主義の勢力から攻撃されかねない現象が、いつのまにかふつうになっているのが、日本という社会のユニークなところだろう。