出版デジタル機構と図書館のこと(ず・ぼん編集後記)
『ず・ぼん』17号を制作してます。もうすぐ入稿。
でもって、編集後記を書きました。
まだ下書き何だけど、よろしければお読みください。
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●すべての出版物のデジタル化を目指して、出版デジタル機構(仮称)とう会社をつくる計画をはじめた。講談社・小学館・集英社といった出版業界トップ企業から、我がポット出版のような零細までが手を組んで、出版物をデジタル化して電子書籍書店にたくさんの電子書籍を提供しようという試み。ちなみに最大手出版社の書籍の年間発行点数は千数百、ポット出版はまあ20点アタリをうろちょろしてる。点数で1~2%、売上げ金額では多分千倍程度の違いがある出版社群をフォローしようとしているのだ。
去年「電子書籍元年」などと騒がれたものの、いまだに商売としてなりたつほどの市場になっていない。しかし、電子メールがあたりまえのものになっていたり、ほとんどの文書がコンピュータで書かれているように、デジタルとネットワークなしには私たちの「活動」は成り立たなくなっている。デジタル化はますます広がって行くと思って間違えないだろうし、本の世界もデジタル媒体の比率が高まると考えるべきだ。
そうした、まったく新しい状況に臆するのではなく、むしろ積極的に取組むことが、多分正解なんだと思う。
黒船が現れたときに、鎖国を守るために戦うのではなく、よりよい開国に向かったように。
●こうして「ジュンク堂なみの品揃え」を電子書籍で用意して、電子書籍に習熟して、市場にもインパクトを与える、つまり電子書籍書店にタイトルを提供する取組みに「没頭」してる数ヶ月を過ごしている。
さて、図書館。いったい図書館にたいして電子書籍をどのように活用してもらおうか、という課題も検討しているわけだが、大学図書館はともかく、公立図書館での活用のイメージが具体性をもたない。
第一に、一部を除いて、こうしたデジタルとネットワークというあらたな状況を生かそうという図書館や図書館員が見えない。
それなりにコンピュータを使いこなす図書館員に出会うことはマレだ。たとえば、キンドルやiPadで電子書籍を読むサポートができる図書館員はどのくらいいるだろうか?
第二に、電子書籍がそれなりの市場をつくれたとしても、いったい図書館ではそれをどうあつかうのだろうか。相手はデータで、ネットワークで移動可能なのだから、貸出し窓口は必要なくなってしまうかもしれない。今、サイトからの予約ができるようになり、相互貸借サービスがあたりまえになっているなかで、そのための作業の割合が増えているように見える。そうだとしたら、電子書籍の比重が増えたらそうした作業はどんどん減るかもしれない。そのときに図書館員はなにをやっているのだろうか?
第三に、図書館が電子書籍を貸し出すようになったとしたら、「無料原則」は続けられなくなると思う。
たぶん、電子書籍のレンタルもあたりまえになる可能性が高い。DVDレンタルがこれだけ広がったなかで、同じタイトルを「無料」で貸し出せないように、電子書籍レンタルが普及したときに、図書館でおなじタイトルを「無料」で貸し出すことができるのだろうか? 民業との関係なども含めて、バウチャー制のようなものなら「無料」を続けられるかもしれない。そうした構想を生み出していかなければ、図書館の意味を持続させることができないと思おう。
国立国会図書館の長尾館長の構想は、電子書籍の「有料論」だったわけだが、無料論者がどれほどそのことに異議申し立てをしただろうか? 有効なロジックを打ち立てただろうか?
●たぶん日本は「容易に収穫できる果実」を食べ尽したんだと思う。貧しい時代、貧しい思い出が生々しく残っている時代に、ともかく図書館をつくって読書を提供するというのは「容易に収穫できる果実」だったんじゃないか。全国三千館を越える公立図書館ができた今、たんに読書を提供するってことの先の果実を見つけなければ、図書館が人々に求めることは続かないと思うのは、単なる危機煽りに過ぎないのだろうか?
たまに、リクエストベストテンの寄贈を呼びかけるチラシや掲示物を図書館で見ることがあるんだけれど、こんな人気トリを続けてちゃイカンでしょ。
●じゃ、どうする? 貸出し以外に、図書館らしいサービスを生み出さなきゃならない。 記録と編集と提供、じゃないだろうか。そして、それは多分たった一人でも始められることだと思う。たった一人のおこないがたくさん生まれれば、多分図書館は変えられるんだと思う。