2007-07-31
障害者の生と性の研究会『知的障害者の恋愛と性に光を』
● 障害者の生と性の研究会『知的障害者の恋愛と性に光を』(かもがわ出版)
具体的な話しは説得力を持つ。『知的障害者の恋愛と性に光を』は読者に障害者の性の問題を他人ごとにしておけないほどの切実さを抱かせる。
「映画を観に行く時でさえ、二時間トイレが我慢できるか、トイレをしたくながら困るなあと、そんなことを考えながらデートを繰り返すのね。でもだんだんテクニックを覚えてきます。あたりを見回して人柄のよさそうな女性を見つけて『どうかトイレに連れて行ってください』って頼むんです」
「A(キス)やB(ペッティング)まではできたけど、それ以上は……。彼女の上に体を重ねることはできても、中には入れられないんだよね。ベッドの上に二人を寝かしてもらうことまでは頼めても、それ以上は他人には言えない」
性的な欲求があっても障害者がそれをどう実現したらいいのか、というのがこの本を全体を通しての逼迫した訴えだ。その一つの解決策として紹介されているのが、オランダでのボランティアによるセックス・ケアのシステムである。サービスを提供しているSARという団体には、女性12人、男性2人、ゲイの相手をする男性が1人いるという。団体の設立者で自身も障害者である男性はこう話す。
「私を含め、どんなに重い障害者でも性的欲求があります。私たちは石ではないのです。オランダで障害者にも性的欲求があると認められ始めたのはようやく七十年代に入ってから。でも欲求は認めてくれても、誰も解決してくれなかった」
SARの活動はボランティアとはいえ、日本円にして1万円程度の実費を負担しなければならない。つまり、そうしたサービスを受けることには金銭の遣り取りや生じるのである。日本では売買春は違法であり、女性の人権侵害にあたると非難される。しかし本書を読んでいて思うのは、すべての売春を違法としてかたづけることができるのだろうか? という疑問である。性的欲求の解消も人間として当然の権利と考えるのなら、金銭関係がそれにからむことをただ単に女性差別の切り口から断罪したり、愛のない性を否定するだけでは済まされない問題がそこに含まれている。
本書はその他、AVに出演した障害者とその製作者、障害者と同性愛者という二重の被差別者である青年、恋愛感情を抱いて施設内に波瀾を巻き起こす中年の知的障害者の生活や、女性障害者と性の問題などにも焦点が当てられている。どれも簡単には答えの出しえないところで格闘している当事者の声を伝わってきて、障害者と性の問題がもはや「語る」だけでは済まされないところにきていいることを痛感させられる。
関心のある人には、94年に出版された前作『障害者が恋愛と性を語りはじめた』もいっしょに読まれることを勧める。そちらのほうも、障害者と親との間にある性のタブーの問題、ボランティアに向う障害者の恋愛感情、ソープランドに出かける男性の障害者、保障された性としてのデンマークのレポートなどが綴られていて、考えさせられる内容の一冊になっている。
*初出/現代性教育研究月報 1996.12