2008-11-18

長谷川博史『熊夫人の告白』


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● 長谷川博史『熊夫人の告白』(ポット出版)

★★★★★ 旧世代ゲイの実存の記録

『熊夫人の告白』は、あるHIV感染者の自叙伝である。著者は40代のゲイで、HIVの活動家として著名な人物。「熊夫人」とは、著者がときに扮するドラァグクィーン、ベアリーヌ・ド・ピンクを指したものだ。けれど、人は仮面をつけることによって、かえって自分に正直になれるのかもしれない。

「熊夫人」の生き方は、現在の40代以上のゲイの、ある一つの極を行っているように見える。彼の世代は、同性愛=変態という認識が社会に広く行き渡った時代に、青春期を送った。そうした抑圧の中では、あってはいけない己の欲望を否定すればするほど、逆説的に、それに囚われてしまう。結果、彼の否定的なアイデンティティは、本人の実存を性化した。

「熊夫人」は、他のゲイに出会うために東京の大学を受験し、故郷の九州から上京する。やがて発展場の映画館で実際のゲイたちに接し、性の迷宮を長くさまよい続けることになる。ここで彼(女)がその奔放な男遍歴を語るまなざしは、人生そのものを語るかのごとくだ。その舞台は、まぎれもなく性の中にある。「…自らの性のありように対しても心の片隅で恥を感じていたのかもしれません。『性に貴賤なし』この単純な事実を受け入れるまでに、三十余年の歳月を必要としたのでございます」

「ゲイ」という範疇は、外部からの抑圧的なラベリングによって与えられた自意識を基にしている。だから同性愛が世間に受け入れられるようになればなるほど、その濃度は薄くなっていく。ゲイであることにこだわりが少ない若い世代に比べて、「熊夫人」は、自らの指向に呪縛されているとも言える。またそれゆえに禁忌を侵す快楽値は高かったとも想像できる。

そうした彷徨の果てに、HIVに感染している事実を知り、一時は死ぬことばかりを考えて過ごす「熊夫人」。が、彼はこう言う。「悲劇のヒロインを気取って泣き暮らそうともいたしました。しかし生来のお気楽な性格にそんな生き方は不向き」だった、と。そして病気に対する自分や世間の無知に気づき、医療体制や社会のあり方を問うことになるのだ。

これは一人のHIV感染者でゲイの、カミングアウト・ストーリーであり、時代の記録にもなっている。「熊夫人」のように性に過剰な意味づけをせざるをえない人々は、性が解放された現在ではもはや滅び去る種族でしかない。が、彼らが精一杯、時代の制約の中で生きてきた切なさは、ここに残る。ある意味で、これはゲイをめぐる最後の私小説である。

 HIVに感染しているといっても、当然のことながら、それぞれ背景も置かれている立場も一様ではない。『Quiet Storm 静かなる嵐―HIV/エイズとたたかう人々の勝利のために』は、国籍もさまざまな感染者たちの現実を知ることができる一冊だ。ページをめくると、美しい写真とともに彼らの生の声が伝わってくる。感染者一人一人の表情が見えることによって、エイズへの偏見は大いに揺るがされることになるだろう。

*初出/現代性教育研究月報(2005.4)