2007-08-04

豊田正義『オトコが「男らしさ」を棄てるとき』

toyoda.jpg● 豊田正義『オトコが「男らしさ」を棄てるとき』(飛鳥新社)

 ウーマンリブ→フェミニズムと、70年代初頭から「女らしさ」「性別役割り分業」を問い直す動きが活発化してきた。現在では、生物学的性「セックス」とは別に、社会・文化的性を示す「ジェンダー」という言葉が、行政の場ですら用いられるほど一般化している。

 そこで問題にされてきたのは、主に女性のジェンダーであったが、女性のジェンダーに疑問に付されるのならば、当然、それと相補関係にある「男らしさ」も以前のままではいられない。家事の分担、育児への参加などが、女性の運動の側から求められてきたのは周知の通りである。

 しかし、女性の脱「女らしさ」化が、社会的にも積極的に活躍する前向きな女性、という肯定的なイメージを提示できたのに対し、男性の脱「男らしさ」化は新しいイメージを創り出すことができたか。それは、たぶん、まだ試行錯誤の段階だろう。

 現実には、男たちは女たちの変化に戸惑い、どう対処してよいかわからずに苛立っている。それゆえに、雑誌のデート・マニュアルを読み耽って安心を得ようとしたり、「父性の復権」というコンセプトにすがろうとしたり、あるいは、他者との関係に背を向けて内的世界に閉じこもることに逃れている……。

 『オトコが「男らしさ」を棄てるとき』は、そうした状況の中で、自分自身の「オトコ性」と真摯に向かい合おうとしている男たちのレポートである。著者の豊田正義は、「『男』として周囲から期待される行動様式や自分自身の思い込みのために、自分のあり方や生き方を自由に決められず、悶々としている男たち」の「男性解放」を目指して『メンズリブ東京』を旗揚げした。マッチョな父親の抑圧に苦しんできた男、母親からの内的支配から逃れられないマザコン男、会社という組織の父性的な体質に違和を感じる男……そこに集まった男たちが、「男らしさ」というキーワードから、これまで語られてこなかった「男はつらいよ!」を語り始めた。それは、女たちが女であることの生き難さを言葉にしていったのと同様の過程かもしれない。

 けれども、制度的な差別や、セクハラなど、目に見えるかたちでの抑圧が存在する女性たちと違って、社会的には優位である男性抑圧の問題がどう解かれるのか、どこに敵を見つければよいのかは、そんなには簡単には解決は得られないだろう。著者や『メンズリブ東京』の、早急に答えを求めない誠実さの中にこそ、希望は見出されるかもしれない。

 前著が、フェミニズムの影響下から生じたものならば、橋本治の『橋本治の 男になるのだ』は、フェミニズムの言葉を用いない男性論として一読の価値がある。「男にとって重要なのは、『自立』ではなく、『一人前になること』である」というテーゼを、独特の言い回しと言語感覚で語りかける。論旨が追いにくい文体ながら、読むこと自体が、男である気負いを解きほぐしてくれる一冊である。

*初出/現代性教育研究月報 1998.2