2008-11-30
礫川 全次 編『ゲイの民俗学』
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● 礫川 全次 編『ゲイの民俗学 (歴史民俗学資料叢書 第3期)』
★★ 資料価値としての推薦
『ゲイの民俗学』はおもに戦後、昭和20年代の同性愛関連の論考を収録した資料集である。「民俗学」と題されてはいるが、これらはほとんど当時の風俗誌(エロ本)の片隅に掲載された記事であり、いまの感覚でいうところの「学」とはほど遠い気分で執筆されたものに違いない。彼らにしたら、現在のごとく東大で「クィア学会」の設立大会が催されたり、各大学でセクシュアリティ研究がさかんに行われたりといった言説状況は、まるでSFの世界だろう。
しかし、この時代の「同性愛」への眼差しはとにかく熱い。行間から伝わってくる書き手の情熱は尋常ならざるものだ。
例えば、かびやかずひこなる人物(いまでいうところの風俗ライター、あるいは風俗評論家?)は、昭和29年に同性愛者についての実態調査をしている。その手法は「書信あるいは面接によって、私の知った千余の人の中、もっとも信頼するに足る三八三名、並びに、その中、私の調査表に解答を寄せて来た、一五五名の男子」を対象にしたもの。ネットのような便利な手段がない時代に、彼はこれだけの人間と手紙を交わし、個人的に直接会っていたのである!
これは虚偽報告ではない。私は以前、この、かびやかずひこについて少し調べたことがあるのだが、そのとき取材に応じてくれ、当時かびやと交流のあった方が証言するには、実際、かびやのアパートにはたくさんの同性愛者が集まり、かびやはボランティアで彼らの面倒を見ていたという。
日本では大正から昭和初期にかけてはエログロナンセンスの時代もあったのだが、それが戦時になって弾圧され、第二次世界大戦後が終わり、抑圧されて欲望が一気に解放された。この本に収録された多くの記事が、そんな自由の気分のなかで書かれたものである。しかし当時の時代状況を考えればまだ、「変態」や「同性愛」と正面から向い合うことは、一般人として身の破滅を招くことにもなりかねない行為であった。それらは「セクシュアリティ論」ではなく、「猟奇的な世界」の話でしかなかったのだ。けれど、それでもその問題と格闘せずにはおれなかった彼らの動機は、解放への希求であったのだろう。
同時代の三島由紀夫の出世作、『仮面の告白』にしても実はそのような解放の文脈でも解釈できる内容になっていたし、三島の同性愛文学の影響はこれらの記事にも顕著に見てとれる。ここに収められた「そどみや通信」という記事の書き手は、読者の悩み相談の回答としてこのような言葉を加えている。「同性愛が、いままでの灰色の世界から脱し、深紅なガランスローズの世界え、大きく羽撃きながら飛んでゆくことを、私は常に望んでいる者です」。
こうした風俗記事はエロと論考の中間に位置するものだといえるが、分析道具にはフロイトやら西欧の性科学が使われていて、「性」を近代的な枠組みで解釈しようと格闘している。つまり、近代の目を通して、「性」というとらえがたい欲望を輪郭づける試みといえる。それは前近代の「男色」に対してもなされ、日本の男色研究は、近代以後の「性」のパラダイムを通じて、再帰的に解釈し直したものだ。本書と同じシリーズ刊である『男色の民俗学 (歴史民俗学資料叢書・第二期)』は、まさに明治から昭和にかけて、再発見された「男色」についての記事が収録されている。こちらと合わせて読むと、「男色」から「同性愛」へのパラダイムの転換が実感としてとらえられるだろう。
初出/現代性教育研究月報