2007-08-06

小谷野敦『江戸幻想批判』

edo.jpg● 小谷野敦『江戸幻想批判』(新曜社)

私たちが過去の時代を振り返るとき、すでにそこには以前に観た映画やテレビドラマ、あるいは小説や劇画などから与えられた情報が頭の中に埋め込まれていて、過去のイメージは実体のごとくそこにある。それはだれかによって捏造された過去かもしれないのに、そういう時代が存在していたかどうかを疑うことはほとんどない。

考えてみれば、歴史とはつねにだれかから聞いたお話でしかないのだ。みずからそれを検証する技術や特別な意欲を持たない私たち一般大衆は、「権威」から与えられた情報を信じるしかない、のである。

この本は、そういう「権威」の内部で、歴史がいかに創られるのかを覗き見ることができる、またとないチャンスを提供してくれる。歴史の専門書でありながら、学会の人間模様と政治学をエンターテイメントして見せてくれる一冊だ。

小谷野のいう「江戸幻想批判」とは、端的にいって、江戸時代を賛美してあまりある論調に対する批判である。論敵は、『江戸の創造力』を書いた田中優子や『遊女の文化史』の佐伯順子で、彼女たちの「江戸の性愛」を礼賛するような見方に、さまざまな視点と資料から疑問を呈するかたちとなっている。

本書によれば、江戸時代に対する評価というのは、それ以前の封建制が支配する「暗黒時代」という否定一辺のものから、80年代後半に前述の論者たちが登場し、肯定的な側面を評価するあまり盲目的な「礼賛」へとつながっていった流れがあるのだそうだ。

小谷野自身の立場というのは、その肯定的な面をすべて否定するわけではないが、売買春などの問題を考慮すると、否定的な面を軽んじて論ずることは看過できないというもの。

素人の読み手がどちらの論者が正しいのかを判断することは容易ではない。が、歴史像というのは揺らぎの中で初めて成立しているのだということを、彼らの「闘い」の中ではっきりと感じ取ることはできる。

*初出/山形新聞(2000.1.24)ほか