2007-07-21
小山内美智子『車椅子で夜明けのコーヒー』
● 小山内美智子『車椅子で夜明けのコーヒー』(ネスコ発行/文藝春秋発売)
そもそも「障害者の性」といったことが問題にされること自体、へんな話だ。なぜなら障害者というのは特別な人ではなく、ハンデキャップを抱えた「ふつう」の人のことなのだから。そこに性の営みがあって然るべきであり、それが語られてこなかったという事実に、彼らが置かれている状況の厳しさが現れている。そういう中で、『車椅子で夜明けのコーヒー』は、障害者が自らの性に対する率直な思いを綴った希有な本だ。
ぼくはこの本を手にするまで障害者問題にはまったくの門外漢だったので、著者がユーモアを交えて、「他の部分ならともかく、股を掻くことを他人には頼めない」と言うのにすっかり衝撃を受けてしまった。誰だって性器が痒いときもあれば、その汚れを落としたいときもあるだろう。それが、介助者との関係の中では思うにまかせないというのを読んで初めて、人々の性に対する特殊な感情と、障害という現場の厳しさを実感した。そういうことだから、セックスなんて贅沢、とされる障害者を取り巻く雰囲気は想像に難くないし、その中で彼らの性が踏みにじられてきたことに胸が痛む。
性というのは無視されるか、きれいごとで語られるかのどちらかであったが、この本の著者は現実の場から様々な問題を投げかける。例えば、脳性マヒの女性読者から、貯金を全額あげるから夫を貸してくれないかという手紙をもらい、「だんなはお金では買えないのだ」とそれを破り捨てるが、一方で、「いまから思うと、彼女は必死で、男性に抱かれてから死にたいと思っていたのだろう」と思いを馳せる。そして、「男の障害者たちはね、ソープランドに行っていると、雑誌や本に書いてあるのね。それに比べて、女の障害者はバージンで死んでいくしかないとあきらめている」と、自ら複雑な思いを抱きながらホストクラブへ行ってみたりする。そこで著者は、単純に売春はいけないという議論に終わらず、ただお金で性を得ることを否定するのではなく、そのむなしさを知ることが大切だ、という感想を持つ。このような、矛盾を抱えた生身の人間としっかり向き合っていこうとする姿勢が、この本に独特のやさしさを与えている。
『癒しのセクシー・トリップ』は、障害者の著者が自己の存在を肯定し、自分を愛することのすばらしさを獲得していくライフ・ヒストリーである。ハンディがないのが当たり前とする世間の物差しに自分を当てはめるのはやめて、人間ひとりひとりが皆美しい存在なのだということを思い出そうと、著者は訴える。人を愛するには、まず、自分を愛することを知らなければならない。セックスを楽しむのもまた、自分をリラックスさせることができて初めて可能だ。自己の尊厳を奪われたものたちが性を獲得するには、傷ついた自分を癒すことから始めなければならないことを、この本は繰り返し語りかける。
初出/現代性教育研究月報