2008-12-09
井上章一『パンツが見える。』
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● 井上章一『パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)』
★★★★ こういう堅実で誠実な仕事がアカデミズムに求められているのでしょう
昨今、男性の乳首がエロティックなものとして意識されるようになってきた。若い世代の会話の中で、「なんでお前、乳首硬くしてんだよ」「あいつ、シャツに乳首浮き立たせている」といった会話が冗談めかして交わされているのを、耳にすることがある。かつては無用の長物と思われたそれに、羞恥心が芽生えてきたのだろう。
男性の身体も性的な視線を敏感に感じるようになってきた。羞恥心とエロティシズムの関係は裏腹であり、相乗的に人々の性意識を変化させていく。
本書『パンツが見える。』は、そうしたエロティシズムの現代史を、女性の下着から明らかにしようとした労作だ。
まず著者は、火災現場で陰部を見られるのを恥ずかしがった女性たちが墜落死したとされる、「白木屋ズロース伝説」に疑問を向ける。風俗史ではこのことによって下着が普及したとされるが、一九三二年当時は、まだ和装で下着をつけていない女性が多く、陰部を見られることは、現在の女性たちほどには耐えがたいことではなかったのではないか、と著者は考える。
それを当時の資料を紐解きながら、また、同時代の文学作品を分析しながら、詳らかにしていく。
が、著者はけっして結論を急がない。近年、性をめぐる歴史については、どうも理論がまずありきで、それに合わせて物語を構築していくような安直な仕事が多い。けれども井上の作業は、その該博な知識から執拗に事実を掻き集め、そこにある矛盾やら反動やらを丁寧に分別し、接ぎ木しながら、一つの流れを少しずつ浮き上がらせていく。
そうして、女性たちは羞恥心によってパンツをはくようになったというよりは、パンツをはくことによって羞恥心を膨張させ、性的身体を獲得していった歴史が輪郭づけられる。
その過程を記述する著者の文体自体、極めて視姦的で、近代的な性の視線をそのまま現している。
*初出/岩手日報(2002.5.27)ほか